婚約解消とプロポーズ
「ナタリア、キミとの婚約を解消する」
そう私に告げたのは、侯爵家の長男ニコラス。私の婚約者の腕には私の妹であるニーナがぶら下がっていて、しおらしく顔を伏せながらニコラスに続く。
「ごめんなさい、お姉様。でもワタシ達……」
「いや、悪いのはボクだ。キミと婚約していながらニーナに惹かれてしまった。責めるならボクだけにしてくれ」
「いいえ、お姉様の婚約者を好きになってしまったワタシが悪いのです」
「ああニーナ、キミはなんて優しいんだ!」
私の目の前で茶番が繰り広げられてゆく。周囲がざわめき衆目を集める中、私はなるべく悲しげに見えるような微笑みを浮かべた。ニコラスが私の笑顔に瞠目する。
「ナ、ナタリア、その」
「ニコラス、婚約解消しかと承りました」
何か言いかけたニコラスの言葉をぶった斬り、私は大声で喧伝する。現場は侯爵家の夜会会場で、周囲は好奇心に溢れる紳士淑女でごった返している。成り行きに耳をそばだてている全員に聞こえるよう、私は声を張り上げた。
「ニコラス、ニーナ。私はあなた達を祝福するわ。2人で末永く、お幸せに!」
「ナタリア……」
「お姉様……」
2人の何とも言えない複雑な顔に、とびきりの笑顔を返す。いけないわ、思わず本心が顔に出てしまった。これ以上余計な事を言われないうちにと、大仰に淑女の礼をして、くるりと踵を返す。
そこに彼が現れた。
「ナタリア、本当に兄さんとの婚約を解消するの?」
人垣を割って私の前に飛び出してきたのは、ニコラスの弟のナルサスだ。彼はズンズン私に近寄ってきて、私の両手を取り、熱っぽい瞳で見つめてくる。
「え、ええ。もう私はニコラスの婚約者ではないわ」
「だったら僕と結婚して!僕はナタリアを愛してるんだ!浮気性の兄さんと違って、僕はナタリアを傷つけたりなんかしないから!ナタリアだけを生涯愛して大切にすると誓うよ!」
なんて熱烈なプロポーズ。婚約をすっ飛ばして結婚を申し込むのは貴族としては非常識だが、それも許してしまえる程の真摯で情熱的な申し込み。しかもプロポーズをしているのは、老若男女誰もが見惚れるような美少年なのだ。しきたりに煩い御歴々でさえ、微笑ましげに見守っている。
このプロポーズ、受けるの?受けるよね?一方的な婚約解消からの一発逆転、受けるしかないよね?
ロマンチックが大好きな人々と、醜聞がもっと好きな人々とから期待の篭った目を向けられながら、私は義理の弟になるはずだったナルサスを見下ろした。
「ごめんなさい、ナルサス」
「ええっ、どうして!?」
ナルサスの叫びは周囲の心の声と重なった。何なら声に出している人までいたが、どうしてと聞きたいのは私の方なんですが。
だってナルサスはまだ7歳になったばかり、紛うことなきお子様だ。この国では15歳にならないと結婚出来ないって、皆様ご存知ですよね?婚約すら10歳を過ぎないと出来ないのも常識ですよね?え、忘れてた?ナルサスのあまりの美少年っぷりに吹き飛んでた?でしたら思い出させてあげましょう。
「どうしてって、貴方はまだ結婚どころか婚約も出来る年齢じゃないでしょう」
「だったら王様にお願いして、法律を変えてもらうよ!」
何でそうなる。美少年だからって、何でも思い通りになると思うなよ。いくらナルサスにお願いされたって、国王陛下がお許しになるはず、ない、はず……ないと思いたい……信じてますからね、国王陛下!
「誰のこと考えてるの?今は僕とお話してるのに、違う男のこと考えてる?」
「え?いやそんな事ないわよ?」
とっさに取り繕った私を、ナルサスがじーっと観察してくる。プラチナの髪に空色の瞳、白皙の面というナルサスの色彩もあって、氷で出来た彫像のようだ。
周りのご令嬢達が身震いしている。だがそれは、ナルサスの凍えるような美しさに震えている訳ではない。実際に気温が下がっているのだ。私がごめんなさいと言った瞬間から、少しずつ冷気が広間を満たしている。これは早いとこ切り上げないと拙い。
「ねえ、ナルサス。貴方はまだ幼いのだから、今将来を決めることなんてないのよ?」
「でも僕はナタリアが好きなんだ!」
「今はそうでも、この先もっと好きな子が出来るかもしれないわ」
「そんな可能性なんて無いから!」
「どうしてそう言い切れるの?私は貴方より10歳も年上なのよ?貴方が15歳になった時、私は25歳になっているの。行き遅れの私より、きっと同年代の女の子を好きになるわ」
「なんでそんな酷いこと言うの?僕が兄さんみたいにナタリアを裏切るって思ってるの?」
「違うわ。でも、貴方とは結婚出来ない」
「どうして?」
ナルサスに掴まれた手が熱い。気温は下がり続け、室内だというのに雪まで降り始めているが、手だけが異様に熱い。ナルサスの周囲だけが別世界だ。灼熱の蜃気楼の中に氷像が立っているように、現実離れしている。
どうして結婚出来ないかって?それはナルサス、貴方が怖いからよ。
そう正直に告げられたらどんなに楽か。でも口にした途端に、たぶんこの国は滅亡する。私とナルサス以外を全て氷漬けにして。ナルサスの魔力は、それほど膨大で強大なのだ。
私はナルサスと出会った時から、その魔力が怖かった。彼が私に向けてくる、異常な執着も怖かった。だからニコラスに頼んで婚約を解消してもらい、ナルサスから逃げようとしてたのに。隣国の伯母様のところに行っていたはずの貴方が、何故ここに居るの?
今頃海を隔てた帝国へと旅立っているはずだったのに、未だ夜会会場からすら出られていない私。ナルサスは私が逃げないように、しっかりと手を捕まえている。力を込めているようでもないのに決して外れない。もしかして魔法なの?
私の計画は初っ端から躓いた。でも諦めるものか、私の平穏な人生のためにも、何としてもナルサスから逃げてやるわ!




