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時と魔法と  作者: 牡丹
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19/24

第19章 門の内側、門の外側

 10月第2土曜日の朝、校門には普段の3倍近い人が集まっていた。


 文化祭の開場まで、まだ1時間ある。


 それでも正門前には、準備へ急ぐ生徒、納品に来た業者、受付の確認を受ける保護者が途切れずにやってくる。


 門柱には、色の違う入場証の見本が貼られていた。


 保護者は青。


 一般来場者は緑。


 卒業生は黄色。


 生徒は制服と生徒証、教職員と当日の運営補助員は腕章で区別する。


「本当に文化祭だな」


 高瀬が、正門の装飾を見上げて言った。


 色紙で作った花と、文化祭の題字が朝の風に揺れている。


「先月からずっと準備してただろ」


「準備してる間は、文化祭準備だった。今日から文化祭になった」


「分かるような、分からないような」


「久世は情緒が足りない」


 2人は生徒証を見せ、正門を通った。


 受付の横には、普段見かけない警備員が2人立っている。


 教師は来場者の身分証と登録情報を照合し、確認を終えた人へ入場証を渡していた。


 列の流れを止めないための係と、確認に時間がかかる人を別の机へ案内する係もいる。


 警戒していることを、大声で知らせるような配置ではない。


 けれど、通り抜けようとすれば、必ず誰かの前を通る。


「結構、本格的だな」


「一般の人も入るからね」


 透は答えた。


 自分のためでもあるとは、言わなかった。


 神代は、透1人を隠すための警備にはしないと決めた。


 受付の手順は、迷子にも、無断で入ろうとする人にも、灰色のスーツの男にも同じように働く。


 だから透も、特別な通用口を使わずに正門から入った。


「おはようございます」


 背後から、彩花の声がする。


 振り返ると、彩花と美月が並んで歩いてきた。


 彩花はカメラを提げ、美月は展示用の案内板を両手で抱えている。


「おはよう」


「おはよう、相沢、藤崎」


 高瀬が美月の案内板を受け取った。


「早く行こう。俺たちの教室だけ完成してなかったら恥ずかしい」


「昨日、完成したよ」


「朝見たら壊れてるかもしれない」


「不吉なこと言わないで」


 4人は昇降口へ向かった。


 校舎の窓には、各クラスの看板が並んでいる。


 焼き菓子、迷路、能力実演、演劇、研究発表。


 呼び込みの練習をする声と、机を引きずる音が、開場前の廊下へ重なっていた。


 1年4組の教室には、黒い布で仕切られた細い通路が作られている。


 壁に沿って、彩花が撮影した校舎の写真が並んでいた。


 朝日が差す昇降口。


 誰もいない階段。


 昼休み直前の廊下。


 夕方の音楽室。


 来場者が写真の前に立つと、近くの小型スピーカーから、その場所で録音した音が聞こえる。


 教室の最後には、天気雨の渡り廊下があった。


 陽光の中を斜めに落ちる雨粒。


 水たまりへ映る黒い雲。


 その前に立つと、雨、運動部の声、予鈴、遠い金管楽器が順番に重なる。


 壊れた記録カードから戻した音だった。


 その事実を知るのは、教室の中では透と美月だけだ。


「再生確認します」


 美月が展示用の機器を起動した。


 高瀬は通路の入口から順番に歩き、音量を確かめる。


「昇降口、聞こえる」


「次は?」


「階段も大丈夫。ちょっと足音が怖い」


「自分たちで録ったんでしょ」


「暗いところで聞くと印象が変わる」


 彩花は写真の傾きを直していく。


 透は、机の下へ隠した配線を確認した。


 最後のスピーカーから、天気雨が流れ始める。


 音量は大きくない。


 隣の展示へ漏れず、写真の前にいる人だけへ届く程度だった。


「全部、動いてる」


 透が言う。


「奇跡だ」


「普通です」


 彩花が答えた。


「昨日、3回確認しました」


「3回確認しても、今日動くとは限らない」


「高瀬君は自分が触ったものを信用してなさすぎるよ」


 美月が笑う。


「記録カードの件があったから」


 高瀬は真顔で言った。


「俺はもう、保存完了の表示を2回見るまで機械を信じない」


「確認を増やすのはいいことだよ」


 透は、展示の時刻表を壁へ留めながら答えた。


「そうだろ」


「でも、同じボタンを2回押して消さないようにね」


「久世まで機械に詳しい側の顔をするな」


 開場15分前、榊原が教室へ入ってきた。


 展示の避難経路と、入口から出口までの幅を確認する。


 床の配線が固定されていることも、自分の手で確かめた。


「問題ありません」


 榊原はクラス全体へ向き直った。


「今日の注意事項を、もう一度伝えます。来場者と問題が起きても、自分たちだけで解決しようとしないこと。近くの教員か、腕章をつけた運営補助員へ知らせてください」


 教室にいる生徒たちが返事をする。


「立入禁止区域へ向かう人を見つけた場合も、追いかけたり、身体をつかんだりしないでください。位置と特徴を伝えるだけで構いません」


 透は、その説明を聞きながら榊原を見た。


 灰色のスーツの男について、クラスには何も話さない。


 それでも、必要な行動は全員へ伝えられている。


「最後に」


 榊原が少しだけ表情を緩めた。


「今日まで準備してきたものを、自分たちも楽しんでください」


「先生も案内係やりますか?」


 高瀬が聞く。


「担任が案内を奪ってどうするんですか」


「客が少なかったときのために」


「開場前から弱気にならないでください」


 校内放送が流れた。


 文化祭の開始を知らせる声に続き、正門と東門が開いたと告げられる。


 廊下の空気が、一度に変わった。


 生徒だけではない足音が、階段を上がってくる。


「来た」


 高瀬が教室の入口を見る。


「いらっしゃいませ、でいいのか?」


「展示ですから、ご自由にどうぞ、じゃないですか?」


「両方言えばいい」


 彩花が言った。


「いらっしゃいませ。ご自由にどうぞ」


「それでいこう」


 最初に入ってきたのは、1年生の保護者らしい夫婦だった。


 続いて、中学生の2人組と、首から黄色い入場証を下げた卒業生が来る。


「いらっしゃいませ。ご自由にどうぞ」


 高瀬の声だけが、教室の外まで響いた。


「声が大きい」


 美月が小声で注意する。


「呼び込みは元気が大事だろ」


「中は静かに音を聞く展示だよ」


「じゃあ、入口だけ元気にする」


 来場者は、黒い布の通路へ1人ずつ入っていく。


 写真の前で立ち止まり、耳を澄ませる。


 階段の写真を見ていた中学生が、音の中に混ざる足音を聞き、後ろを振り返った。


 そこに誰もいないと分かると、隣の友人と顔を見合わせて笑う。


 夕方の音楽室では、音程を外した練習音に気づいた卒業生が懐かしそうに頷いた。


 教室の最後まで進んだ夫婦は、天気雨の写真の前で長く立ち止まった。


「写真だけだと、静かに見えるのにね」


 女性が言う。


「こんなに音があったんだな」


 その言葉を、透は出口の案内をしながら聞いた。


 誰も、音が一度失われたことを知らない。


 知らなくても、たしかに聞いている。


 透は、それでいいと思った。


 午前10時を過ぎる頃には、教室の前へ短い列ができた。


 中が暗く、1度に入れる人数を制限しているためだった。


 美月は待っている人へ展示の説明をし、混み始めると入場の間隔を調整する。


 彩花は写真へ触れそうな小さな子どもへ、目線を合わせて声をかけた。


 高瀬は、入口の呼び込みを2回注意されたあと、ようやく声量を半分にした。


 透は出口と機器の確認を交代で担当した。


 普通の文化祭だった。


 何も起きていないわけではない。


 誰かが道を間違え、誰かが落とし物をし、隣のクラスから甘い匂いが流れてくる。


 校内放送では、迷子になった子どもの保護と、落とし物の連絡が続けて流れた。


 そのたびに透は、危険がないかを考える。


 けれど、時間を止める必要はなかった。


 止めなくても、教師が動く。


 運営の生徒が案内する。


 迷子の子どもは、数分後には保護者と再会した。


 午前10時27分、東門の受付で1人の来場者が別の机へ案内された。


 灰色のスーツを着た、背の高い男性だった。


 事前登録はされている。


 身分証の氏名も一致している。


 それでも受付担当者は、登録時の連絡先と訪問先をもう一度確認した。


 警備員が1人、男性から少し離れた位置へ移動する。


 対応は静かだった。


 列に並ぶほかの来場者には、単なる確認の遅れにしか見えない。


 男性は困ったように腕時計を見たが、指示に従って待っていた。


 数分後、訪問先として申告された生徒の担任が受付へ来る。


 男性がその生徒の保護者であることと、事前登録の内容に誤りがないことを確認した。


 受付担当者は待たせたことを謝り、青い入場証を渡す。


 男性は何が疑われたのか知らないまま、校内へ入っていった。


 東門から道路を挟んだ先に、小さな公園がある。


 灰色のスーツの男は、その公園のベンチ近くに立っていた。


 今日は灰色のスーツを着ていない。


 濃い茶色の上着と、縁の細い眼鏡。


 監視遺物第3号は、外から見えない内ポケットへ収めている。


 学校へは入らない。


 来場者の列にも並ばない。


 公道と公園から、受付の動線と警備員の配置だけを記録する。


 それが許可された観測範囲だった。


 男は、灰色のスーツを着た来場者への対応を最初から見ていた。


 受付担当者は、服の色だけで動いたのではない。


 来場者が顔を上げた瞬間に、隣の担当者へ合図を送った。


 背丈。


 年齢。


 髪型。


 輪郭。


 男自身と似た複数の特徴が重なったため、確認手順を増やした。


 学校は、男の外見を知っている。


 夏祭りで、藤崎彩花が撮影した写真。


 学校へ渡された画像から、入口担当者へ特徴が共有された可能性が高い。


 男は端末を取り出さず、手帳へ時刻だけを書いた。


 東門、10時27分。


 類似人物に対する追加照合。


 警備担当の合流まで18秒。


 確認終了まで4分21秒。


 無関係と判明した人物は、排除せず入校。


 学校は警戒している。


 同時に、誤認した相手を必要以上に拘束しない手順も決めている。


 男は最後に、短く書き加えた。


『現場担当者の容貌、保護側へ共有済みの可能性が高い』


 1年4組の教室では、東門の出来事をまだ誰も知らなかった。


 透たちは昼までの担当を終え、4人で休憩へ入った。


 安全手順どおり、透と美月だけにはならない。


 高瀬と彩花も一緒に、廊下へ出る。


「何を見る?」


 高瀬が来場者用の企画表を開いた。


「食べ物」


 美月が答える。


「即答ですね」


「朝からずっと案内してたんだよ」


「俺も」


「高瀬君は途中で焼き菓子もらってたでしょ」


「試食です」


「隣のクラスの友達からもらっただけだろ」


「友達が配るものは、広い意味で試食だ」


 4人は、2年生の飲食販売が並ぶ中庭へ向かった。


 途中の階段で、能力者クラスの実演案内が聞こえてくる。


 体育館では、安全管理された範囲で、発光や風、物体操作の能力を紹介しているらしい。


「見に行きますか?」


 彩花が尋ねる。


「午後なら」


 美月が答え、透を見る。


「透は?」


 人混みの中だったため、声はほかの音に紛れるほど小さい。


「見てもいいよ」


「嫌じゃない?」


「前なら、少し嫌だったかも」


 測定で能力なしと決められたあと、能力者クラスの実演を見ることは、自分が持っていないものを見せられるように感じていた。


 今は違う。


 透にも力がある。


 誰より強いかもしれない力を、誰にも見せられない。


 それでも、体育館で能力を披露する生徒たちを羨むだけではなくなった。


 見せられることにも責任があり、隠すことにも責任があると知ったからだ。


「あとで行こう」


 透は言った。


「高瀬が食べすぎる前に」


「俺の昼食量と実演時間に関係ある?」


「動けなくなる」


「文化祭の日は別腹が4つある」


「別腹は甘いものに使う言葉じゃないの?」


 美月が言う。


「今日は全部に使えます」


 中庭へ出る手前で、榊原が廊下の向こうから歩いてきた。


 透たちへ近づくと、声を落とす。


「東門で、共有した特徴に似た来場者の確認がありました」


 透の足が止まった。


「本人ですか?」


「違います。事前登録された保護者で、身元と訪問先の確認も取れました。すでに入場しています」


「灰色のスーツだったんですか?」


「はい。ただし、服装以外にもいくつか似た点がありました」


 彩花がカメラのストラップを握る。


「写真の人じゃないんですね?」


「別人です」


 榊原は、はっきり答えた。


「確認のために少し待っていただきましたが、事情を説明して謝罪しています。ほかの来場者と同じように文化祭を楽しんでいただきます」


「疑ったのに、入れて大丈夫なんですか?」


 高瀬が尋ねる。


 透と美月は、同時に高瀬を見た。


 高瀬は外部勢力のことを知らない。


 学校が不審者対策を強めているという説明だけを受けている。


「疑ったことと、危険だと決めることは同じではありません」


 榊原が答えた。


「確認して問題がなければ、入場を拒む理由はありません」


「それもそうか」


 高瀬は頷いた。


「すみません。見た目が似てるだけなのに」


「今の疑問を、本人へぶつけなければ大丈夫です」


 榊原は透へ視線を戻した。


「予定は変更しません。4人で休憩を続けてください」


「はい」


 透は答えたが、すぐには歩き出せなかった。


 灰色のスーツ。


 その言葉だけで、夏祭りの写真が頭に浮かぶ。


 人混みの向こうに、懐中時計を持った男がいる気がした。


 美月が、透の袖を軽く引いた。


「別人だって」


「分かってる」


「分かってても、怖い?」


「少し」


「私も」


 美月は手を離し、彩花と高瀬のほうを見る。


「だから4人で行こう」


 彩花が頷いた。


「はい」


「何があったか全部は分からないけど、休憩中に勝手にいなくなったりしないから」


 高瀬も言う。


「文化祭で迷子になったら格好悪いし」


「理由はそれだけ?」


「久世を守ると言うと、俺が強そうに聞こえすぎる」


「大丈夫。聞こえないから」


「相沢、今日は久世に厳しくない?」


「いつもどおりです」


 4人は中庭へ出た。


 高瀬が焼きそばと揚げパンの列を見比べ、真剣に悩み始める。


 彩花は料理ではなく、色とりどりの看板へカメラを向けていた。


 撮る前に、通りかかった生徒へ声をかける。


「看板を撮ってもいいですか? 顔は入れません」


 相手が頷いてから、シャッターを切った。


 透は周囲を見た。


 青、緑、黄色の入場証が、人の流れに混じっている。


 灰色のスーツも、何人かいた。


 けれど、写真の男はいない。


 少なくとも、透には見つけられなかった。


 見つけられないことと、いないことは違う。


 それでも、全員を疑うわけにはいかない。


 透は焼きそばの列へ並び、美月から小銭を借りた高瀬が財布を教室へ置いてきたことを知った。


 文化祭の昼休みは、そんな失敗で過ぎていった。


 午後、4人は体育館の能力実演を見た。


 舞台の上で、小さな光の球が音楽に合わせて色を変える。


 風を操る生徒が紙の鳥を飛ばし、客席の上で旋回させる。


 物体操作の実演では、大小の輪がぶつからずに宙を通り抜けた。


 能力を使うたび、舞台横の測定器に数値が表示される。


 観客は拍手を送り、能力者たちはそれに手を振って応える。


「すごいな」


 高瀬が素直に言った。


「うん」


 透も答えた。


 舞台の端に、鷹宮がいた。


 実演者ではなく、器具の安全確認を担当している。


 腕章をつけ、教師の指示に従って、使い終わった台を移動させていた。


 鷹宮が顔を上げる。


 透たちに気づいた。


 数秒だけ視線が重なる。


 鷹宮は話しかけなかった。


 舞台裏へ続く通路へ進みかけたあと、透たちと近い側を避け、反対側の階段を使った。


 接触禁止を守るためだと、透には分かった。


 美月も気づいていたが、何も言わない。


 謝罪を受けたからといって、以前のことが消えるわけではない。


 正しい行動を1度したからといって、信頼が元へ戻るわけでもない。


 それでも鷹宮は、今決められている距離を守った。


 透は、それだけを見たままにした。


 午後2時を過ぎると、1年4組の展示はさらに混み始めた。


 来場者の列を教室の片側へ寄せ、ほかのクラスの通行を塞がないようにする。


 透が出口を担当していたとき、小さな子どもが天気雨の写真の前で動かなくなった。


 母親らしい女性が、少し先で待っている。


「もう行くよ」


 呼ばれても、子どもはスピーカーへ耳を近づけていた。


「雨、降ってないのに」


 子どもが言う。


「写真の場所で録った音なんだ」


 透は、通路を塞がない位置から答えた。


「晴れてるのに、雨が降ってたんだよ」


「変なの」


「うん。少し変だった」


「でも、きれい」


 子どもはもう一度だけ写真を見て、母親のところへ走っていった。


 透は、流れ続ける音を聞いた。


 復元したという事情を知らなくても、その子にはきれいだと届いた。


 守った記録が誰かへ届くとは、こういうことなのかもしれない。


 その直後、教室の奥で軽い音がした。


 写真を支える留め具が1つ外れ、展示板の上端が前へ傾いている。


「危ない」


 透が声を上げた。


 時間を止めるより先に、近くにいた彩花が写真の下端を押さえた。


 高瀬が反対側から展示板を支える。


 美月は通路にいる来場者を、出口側へ案内した。


「ゆっくり進んでください。足元に気をつけて」


 透は机の下へ回り、外れた留め具を拾う。


 展示板は倒れなかった。


 誰も怪我をしていない。


 榊原と運営補助員がすぐに来て、予備の固定具で取りつけ直した。


 確認が終わるまで、その区画だけを閉じる。


「透」


 美月が小声で呼ぶ。


「使ってない?」


「使ってない」


「大丈夫?」


「うん」


 透は自分の右手を見た。


 力を使わなかったことを、悔しいとは思わなかった。


 彩花が押さえ、高瀬が支え、美月が人を離し、教師が直した。


 透が時間を止めなくても、守れた。


「藤崎さん、高瀬。ありがとう」


「写真を守っただけです」


 彩花が答える。


「俺は展示板を守った」


「人を守ったことにしておけば格好いいのに」


「それは久世の役だから」


 高瀬は何気なく言い、すぐに首を傾げた。


「いや、何の役だ?」


「知らないよ」


 透は笑った。


「今日は、みんなの役だったんじゃない?」


 展示を再開したあとも、天気雨の音は変わらず流れた。


 監視遺物第3号の針は、その日、一度も動かなかった。


 午後3時12分、灰色のスーツの男は公園を離れた。


 学校へ背を向け、2つ先の通りに停めた車まで歩く。


 車内へ入ってから、観測記録を送信した。


『候補者在籍校、文化祭外周観測を終了』


『候補者の能力発動を示す遺物反応なし』


『正門、東門ともに事前登録照合を実施。管理棟側の認証と人員を増強』


『現場担当者と外見的特徴が類似する来場者に対し、追加確認を実施』


『当方の容貌は保護側へ共有済みと判断』


 返答には、いつもより時間がかかった。


 男は学校の門が閉じる時刻を確認しながら待つ。


 やがて、3重円の下へ指示が表示された。


『現場担当者による対象校周辺の直接観測を停止』


『監視遺物第3号を指定保管地点へ返却せよ』


 男の指が、画面の上で止まる。


 観測の失敗を意味する命令ではない。


 顔を知られた担当者を使い続ければ、外部勢力の存在を学校へ確定させる。


 それを避けるための交代だった。


『後続観測は、保護側に未把握の系統へ移管する』


『校内侵入、候補者および関連人物への接触、能力発動の誘発を引き続き禁ずる』


 男は承認を返した。


 内ポケットから懐中時計を取り出す。


 長針も短針もない文字盤。


 夏休みの動物病院で、透の局所停止を捉えた針は、今は中央で止まっている。


 男は保護用の布へ遺物を包み、鍵のかかる箱へ収めた。


 もう、自分の目で透を追うことはできない。


 学校は、1人の観測者の顔を見つけた。


 その結果、外部勢力は顔を替える。


 文化祭の終了を知らせる放送が、校内へ流れた。


 1年4組の教室では、最後の来場者が天気雨の写真を見終えていた。


 生徒たちが入口の看板を裏返し、展示を終了へ切り替える。


「終わった」


 高瀬が床へ座り込んだ。


「まだ片づけがあります」


 彩花が言う。


「その言葉は明日聞く」


「今日、音響機器だけは片づけるよ」


 美月が電源を切る。


 写真の前から、放課後の音が1つずつ消えていった。


 階段の足音。


 音楽室の練習。


 昇降口のざわめき。


 最後に、天気雨が止まる。


 教室が急に広くなったように感じられた。


「来年も、何かやるのかな」


 美月が言う。


「進級できたら」


 高瀬が答える。


「そこから心配するの?」


「今年、数学で危なかったから」


「1点越えた者の余裕はどうしたんだよ」


「使い切った」


 透は、壁から時刻表を外した。


 天気雨の録音欄には、美月の字で開始と終了の時刻が書かれている。


 隣には、録音できなかった濡れた足音の記録も残した。


 成功したものも、失敗したものも、同じ紙の上にある。


 文化祭の1日は、時間を止めずに終わった。


 透はそれを、少しだけ誇らしく思った。


 校門の内側で、守るための人たちが動いていた。


 校門の外側にいた男の顔も、見つけることができた。


 けれど、学校はまだ知らない。


 次に門の外へ立つ人間が、どんな顔をしているのかを。



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