第27話:【十万人の夜。そして、その先へ】
潤の無機質な声がリビングに響くと同時に、大型モニターに映し出されたカウンターが、ついに運命の六桁に到達した。
「……来た。……登録者数、10万人。――ジャスト」
凛がシャンパングラスを掲げて飛び跳ねる。
「……やったぁぁぁぁぁぁぁ! 眞白様、10万人達成ですわ! 銀盾ですわよ!!」
チャンネル登録者数は先ほどの攻略配信から右肩上がりだ。10万人を突破してからもどんどん伸び続け、瞬く間に11万人、12万人を超えていく。
「十万……。此の国にいる民の千人に一人は、私を見張っておるということか? まこと、とんでもない世になったな」
眞白さんは驚きを通り越して、どこか遠い目をしてモニターを見つめている。
「見張ってるんじゃなくて、応援してるんです。……さあ、今日は『お祝い』です。約束通り、最高級の寿司を用意しました」
俺が合図すると、凛が手配した銀座の老舗板前が、出張サービスとしてカウンターをセットし終えたところだった。
ボロアパートで食べた回転寿司とは次元が違う、一貫数千円の世界だ。
「さあ、眞白さん。好きなだけ食べてください」
「うむ……! では、失礼して。……っ、なんだこれは!? 舌の上で魚が、魚が……溶けて消えたぞ!? これも現代の呪術か!?」
「脂が乗ってるだけです。……潤も、たまにはモニターの前から離れてこっちに来いよ。凛さんもお疲れ様」
「……ボクは、ここで眞白様の咀嚼波形を見ながらカロリー摂取するからいい。……嘘。やっぱり中トロ、一個だけもらう」
潤が珍しくフードを脱ぎ、赤くなった目でカウンターに手を伸ばす。彼女もここしばらくは徹夜続きだったのだろう。
凛は「眞白様、アーンして差し上げますわ!」と騒ぎながら、豪華な食卓を囲んだ。
窓の外には、東京の夜景。
ほんの少し前まで、俺は一人でカップ麺を啜り、眞白さんは冷たい祠で眠っていた。それが今、こんな風に笑い合っている。
「……颯太郎」
不意に、眞白さんが箸を置き、穏やかな、それでいて少しだけ震える声で言った。
「私は、かつて罪人として封じられた時、世界を呪った。……だが、今は違う。颯太郎が私を見つけ、潤殿が私を守り、凛殿が私を飾ってくれた。……私は……今、まことに幸せだぞ」
銀髪の隙間から覗く耳が少しだけ赤い。いつも強気な平安の最強少女が見せた、心からの気持ち――。
「……眞白様、尊さで倒れます……っ!」
「……今の、録画した。……十万回再生確定」
「おい、お前ら。雰囲気ぶち壊しだよ」
俺が苦笑いしながら彼女たちを嗜める。
賑やかな祝宴が続くうちに凛はふらつきながら立ち上がった。
「うっ、飲みすぎましたわ……」
「ノンアルコールだったはずでは……?」
「そうなんですが……雰囲気に飲まれたと言いますか……」
潤がその体を支える。
「……世話が焼ける。颯太郎兄、こいつはボクが面倒見るから気にしないで」
「ああ。悪いな、潤」
二人は肩を寄せ合いながら潤の個室へと消えていく。
「あの二人もいつの間にか仲良くなったなぁ」
狂乱の宴が終わり、リビングには静寂が戻っていた。
「……ようやく、静かになった」
俺はベランダへ続く窓を開け、夜風を招き入れた。
タワーマンションの40階。東京の夜景は、まるで地上の星屑をぶちまけたように輝いている。
「颯太郎。……外の風は、少し冷たいが……心地よいな」
眞白さんが隣に並ぶ。凛に整えられた銀髪が、月光を浴びて淡く発光しているようだった。
「10万人、ですよ。もうちょっとで20万人にも届きますね。眞白さん。……正直、最初はただ『実家を見返したい』ってだけで始めたことだったけど」
「うむ。……私も、最初はただ、祠から出られればそれで良いと思っておった」
眞白さんは夜景を見つめたまま、独り言のように続けた。
「……だが、今は違う。おにぎりが美味しいのも、凛殿や潤殿と騒ぐのが楽しいのも……全ては、其の方が私を見つけてくれたからだ。其の方が、私を『九曜眞白』と呼んでくれたからだ」
彼女の手が、手すりの上で俺の手をそっと探り、重ねてきた。冷たいはずの指先が、今は驚くほど熱い。
「……颯太郎。言っておきたいことがある。此度のだんじょん、私は初めて其の方が隣にいない戦いを味わった」
「それは……ハッキングに集中する必要がああったので……」
「分かっておる。おかげでいつになく戦いやすかったぞ。だが……其の方が隣にいないのは酷く心細く、寂しかった」
「……眞白さん」
俺は、驚きに目を見開く。
「……私は、其の方の隣にいたいのだ。……ただの呪術師としてではなく。……一人の、女として」
その言葉は、どんな高位の術式よりも強く、俺の胸を貫いた。俺はハッカーだ。情報の真偽を見抜くことには自信がある。――今、彼女の瞳に宿っているのは、偽りのない、剥き出しの愛だ。
「……俺も、同じです。……眞白さん。君がいない世界なんて、もう想像もできない」
俺は彼女の肩を引き寄せた。眞白さんは拒むことなく、吸い寄せられるように俺を見上げる。
「……して、颯太郎。こういう時、現代の作法では……どうするのだ?」
「……こうするんですよ」
どちらからともなく、距離が消えた。触れるだけの、けれど確かな熱を持った初めてのキス。
世界中からの10万人以上の熱狂よりも、今、目の前の彼女の鼓動の方が、うるさいくらいに響いている。
「……ふふ。甘いな。トロよりも、ずっと甘い。……それで、颯太郎。ここからはどうするのだ?」
「チャンネル登録者10万人の次はやっぱり100万人ですかね。金の盾ですよ。それと、どうも実家の一条家が不穏な動きをしているようなので、今度こそ決着を――」
「そうではない」
「えっ?」
顔を離した眞白さんが、少し潤んだ瞳で悪戯っぽく微笑んだ。
「……口づけで終わりではなかろう?」
その言葉を聞いた瞬間、俺は愛おしくて堪らなくなり、彼女の体を強く抱きしめた。
俺はこの愛を守るためなら、一条家だろうが世界だろうが、全部ハックして書き換えてやると誓ったのだった。




