昔話
雨で走る雨列車の先端。
何があるかと言うと、そう、運転席だ。
アクセルやブレーキ、昇降レバーがある。
逆に言えば、それ以外はほとんど何もない。
雨列車の心臓なんて
洒落た呼び方こそしているが、
実はそこには何もないと
ここにいる多くの人が
既に知っていることだろう。
「皆さんはもうご存知かと思いますが、
古代の石炭列車と違って、
雨列車にはエネルギーを生産するための
特別な装置や機関が存在しません。
雨列車は車両全体から雨を吸収して、
車両ごとにエネルギーを変換しています。
さて、ここで皆さんに問題です。
そもそも、雨列車はどうやって、
雨をエネルギーに変換しているのでしょうか?」
これは難しい問題だ。
ガイドの女性は頭を悩ませる。
そう言われてみれば、
雨列車についての様々な知識を
これまでに身につけてきたが、
その核心的な部分、
『なぜ雨で走るのか』については
考えたこともなかった。
水でも海水でもなく、雨な理由。
もしかしたらそこに、
雨列車の心に関するヒントが
隠れているかもしれない。
「さぁ、どなたか答えてみませんか?」
女性を始め、他の客達も
答えを出し渋っているようだ。
いい歳した大人達が
あーでもないこーでもないと
顔を顰め面にしながら考えている。
しかし、結局誰も答えられずに
先に彼は答えてしまう。
「難しいですよね。
それもそのはずです。
現在、雨列車の原理については
誰も分かっていないんです。
ここでもその原理を研究していますが、
その答えは出ていません。」
彼が冗談半分な様子で言うと、
客から残念そうな声があがる。
雨列車の心について
知るチャンスだと思っていたのに、と
女性も落胆してしまう。
客達のそんな様子を見て、
彼は笑顔を浮かべた。
「原理の代わりと言ってはなんですが、
初代の雨列車レイニーにまつわる
不思議なお話をしましょう。」
レイニーにまつわる話?
そんな話を今までにしていただろうか。
雨列車のガイドになった最初の1年くらいは
客に並んで彼の話を聞いていたが、
その時はレイニーの話なんて
していた記憶はなかった。
最近になってするようになったのだろうか。
彼の誘導で大きな部屋に来ると、
そこには大きなモニターが一つと
椅子がたくさん並んでいた。
女性は客に混ざって一番奥の端の席に座り、
彼がモニターに写真を映すのを待った。
モニターに映ったのは、
古代の石炭列車だった。
「それは、今から100年と少し前。
人類が地に線路を敷いて
列車を走らせていた時のことでした。」
彼がゆっくりと語り出し、
その話の内容に耳を傾ける。
───今から100年以上前。
まだ人類が地に線路を敷き、
石炭を燃やして列車を走らせていた頃、
人々は悩んでいた。
石炭列車は一度に多くの物や人を運び、
そして何より早かった。
だが、石炭列車が排出する黒煙が原因で
病に倒れる人が後を絶たないという
研究結果が出てしまった。
しかし、今更石炭列車を廃止すれば
各国の貿易が不安定となり、
世界全体が不景気になる。
他に乗り物などなく、
体に悪いと分かっていながらも
市民達は石炭列車に頼っていた。
石炭列車に代わる何かを開発しようにも
どれもことごとく失敗に終わり、
世界各地で患者は増え続けていた。
そして、このままでは人類全員が
病気になるのではないかと囁かれる中、
一人の少年が亡くなった。
死因は石炭列車が排出する黒煙を
吸いすぎたことによる肺機能の悪腫瘍化。
少年は黒煙による初めての死者となり、
世界で大いに話題になった。
……その日の夜のことである。
その日は激しく雨が降っており、
石炭列車の運行が遅れていた。
そこに娘の具合がおかしいと
乗ってきた女性がいたが、
運が悪いことに、列車を動かすための石炭が
雨のせいで濡れてしまっていた。
石炭に火がつかず、火がつかなければ
列車を動かすことができない。
だんだんと娘の意識が薄れていき、
その場にいた誰もが娘の命を覚悟した時、
時代を揺るがす大変動が起きたのだ。
後になって娘が言うには、
何かの声が聞こえたという。
大きな雷が鳴ったと思えば、
激しい雨がより激しくなって
矢のように列車全体に打ち注ぎ、
運転手が何もしないままに
列車が動き始めた。
しかも、列車は線路の上ではなく、
何もない空中を走っていた。
列車はガタゴトと揺れながら、
泣き喚く空の中を力強く走る。
列車がどこへ向かうのか
不安に感じる者もたくさんいたが、
その行く先が分かってからは
感動のあまり涙を流す者さえいた。
そう、病院である。
列車は病院の目の前に降り立ち、
優しい音をあげながら扉を開けた。
娘を連れた女性は、
列車にお礼を言ってから
病院内へと駆けて行き、
娘はなんとか一命を取り留めることができた。
他の乗客も全員その場で降りた。
理由こそ不明だが、
降りるべきだと思ったと
これも後に当時の人は語った。
運転手も含めて全員が降りると、
列車はまた雨の空へ走っていく。
依然として激しい雨が降る夜空に
列車が力強く昇っていくのを、
多くの乗客達が見守っていた。
そして、夜が明けた晴れの朝。
空へ消えてしまった列車が発見された。
その場所こそ、シルム駅。
体調を崩した娘を連れた女性が
乗ってきた駅であった。
更に驚くべきなのは、
列車の車体の色である。
元々は黒煙を浴びても目立たないように
真っ黒なデザインだったのが、
まるで雨を被ったかのような
透き通った青色になっていたのだ。
車体の形そのものに変化はないのに、
列車はまるっきり別物になっていた。
それから、黒煙により亡くなった
少年の名前『ジェニー』と、
雨を意味する『レイン』を合わせて
列車は『レイニー』と呼ばれるようになり、
石炭を燃やすための設備の撤去や
様々な研究と改良の末に、
初代雨列車として人を乗せ始めた。