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1.始まりの日

 窓から明るい光が流れてきた。ベッドが白く照らし出される。

 どうやら朝だ。

 まぶたに直接突き刺さる光に晶人(あきひと)はわずかに顔をゆがめ、逃げるように寝返りをうった。


 少し時間が経つと、そこそこ立派なオーディオからロックな曲が響き渡った。

 晶人はうすく目を開け、まぶたをこすってまた目を閉じた。

 決して寝起きが悪い方ではない。起きようと思えば、どんなに眠たい時でも数秒ですっきり目を覚ます自信がある。起きようと思えばだが・・・。


「今日は一講目ないし・・・、夢見悪かったし・・・、昨日遅かったし・・・」

 目覚まし替わりのスピーカーはなかなかの大音量。近所迷惑もいいところだろう。

 部屋には晶人を起こす者など誰もいなかった。その役割はロックを歌うオーディオにのみ任されている。

 しかし彼は自身の使命を果たすことができず、むしろ晶人を浅い眠りに誘っていった。


「早く奴を倒しに行こうぜ」

「そうだ。これ以上待つ必要はない。後は行動するだけなのだ」

「行動・・・か」

 意味不明の会話が晶人の頭に響いてきた。

 声が止むと同時に、今度は光の点がはるか遠くに見えた。

 それは、まっすぐ晶人の方に向かって来ているようだ。

 晶人は手で少し目を覆った。光は直視できないほどに輝いていた。

 光の塊は晶人のすぐ前まで来て止まった。

 晶人は目を更に細める。よくわからないが、人の形をした発光体らしい。

 その光の中にはよく目立つ真っ黒な点が二つあった。瞳のように見える。

「見付けた。この人に助けてもらう。ここなら届く。この人丈夫そうだし、きっとやってくれるよ。あたし、運がいい。この人に助けてもらう」

 彼女はすっと光を伸ばしてきた。腕なのだろうか。

 光が体に触れそうになった途端、晶人はやっと我に返り、全速力で逃げ出した。

 嫌な感じがした。夢でも分かる。いや、夢だと分かるから、脱出しなければという思いが強くなる。

 晶人は逃げて、逃げて、走れなくなるまで逃げた。

 幸い彼女は追って来なかった。

 安心して一息ついた晶人だったが、気がつくと悪い場所に逃げて来てしまっていた。

 足元には汚らしい内臓が散らばっていたのである。首や手足も無造作に転がっている。一人二人のものではない。辺り一面そんなものだらけだった。

 ただし人間ではなかった。鳥の頭、魚の頭、蟹の足、蛸の足。それの人間大のものが転がっているのである。

 晶人はまず言葉を失い、次に悲鳴を上げそうになった。しかしなんとかそれを喉元で抑える。

 この死体は人間のものじゃない。いつも食べているようなものばかりじゃないか。ただ大きさが普通じゃないだけだ。

 少々理不尽ではあるが、晶人は無理に自分を納得させた。

 晶人は数度深呼吸をしてもう一度辺りを見渡した。出口を探さなければならない。

 晶人が歩きだそうとすると、耳元で誰かがささやいた。

「逃がさないよ。絶対に助けてもらう。もう、他の人を探す余裕なんてない」

 晶人は弾かれたように振り返った。

 その瞬間、悪夢は覚めた。


 頭が重かった。目まいもする。大学に行く気なんて全く起こらなかった。

 晶人は体を起こして時計を見た。遅刻ぎりぎりだ。

 このままだだ(・・)をこねて寝ていても、誰も文句は言わない。

 だが二講目は休めないのだ。必修の授業だし、出席も厳しくとる。

「一人暮らしの良い所。他人や家族に干渉されないこと。一人暮らしの悪い所。全てを自分一人でしなくてはならないこと」

 考えてみた。今日休む方法。

 出席日数が単位に関わる嫌な授業だ。代返も頼んでいなかった。

 晶人は心と体にむちを打ち、なんとかベッドから身を起こした。

 それから数分後。

 晶人は鞄片手に家を出た。


 調子が良くなかった。二度寝などするからだと何度も自分に言い聞かせる。

 今朝、数回同じような夢を見たような気がするが、内容はよく覚えていなかった。あまり良い夢じゃなかったことは確かだ。

 晶人が頭を振りながら歩いていると、誰かが背中を思いきり殴りつけてきた。

 晶人は倒れそうになりながらも、こらえて振り返った。

「何のろのろ歩いているんだ。そんなんじゃ、遅れるぞ」

 晶人の友人の雅彦だ。根っからの体力男。彼は冗談のつもりでやったのだろうが、かなり痛かった。

「そんなに響く声で呼ぶな。今日は調子が悪いんだ」

 晶人は気怠そうに答えてまた歩き出した。

「・・・はぁ?」

 雅彦は怪訝な顔をしながら、晶人と並んで歩き出す。

「俺、お前を呼んでないぞ。全力で殴っただけだ。打ち所でも悪かったか?」

 彼の声は低い。決して頭に響くようなものではない。

 今度は晶人の方が変な顔をした。

「嘘吐け! 今、呼んだだろ。『晶人、助けて』って!」

「何で俺がお前に助けてもらわなくちゃならない?」

 雅彦はますます妙な顔をする。晶人もやっと気がついた。あれは女の声だった。

「・・・悪い、気のせいだ」

「大丈夫か、お前。いつもより元気がないな。拾い食いでもしたんじゃないか?」

 しかし晶人は少しも気にかけず、ただ歩き続けた。

 さっきからずっと耳鳴りがしている。いちいち雅彦のことを気にしている余裕はなかった。

 しばらく歩くと晶人は突然立ち止まり、友人を怒鳴りつけた。

「おい! 今度こそ呼んだだろ」

「呼んでないって」

 雅彦はあきれた顔をする。

 晶人もまた思い返して首を傾げた。

「・・既視感デジャ・ヴュって奴かな。さっきから何度も呼ばれているような気がする」

「それとはちょっと違うんじゃないか。本当に大丈夫か、お前」

 彼は少し気味の悪そうな顔をした。

 しかし晶人にとってはそれどころではない。幻聴がどうしても止まないのだ。

 晶人は頭を激しく振った。

「今日、休む。代返、頼んだぞ」

 晶人はきびすを返して来た道を戻り始めた。

 どうやら必修の授業などと言っていられる状況ではないらしい。

「可哀想に。暑さで頭をやられたのか」

 雅彦は晶人の後ろ姿を眺めながら呟いた。


 部屋に帰り晶人は崩れるようにベッドに転がった。そして、しばらくぼーっと辺りを見回す。

 見える物は散らかった部屋ばかり。もちろん誰もいやしない。

 確かに晶人は最近忙しくしていた。毎日のようにアルバイトをしているし、友人から声がかかれば夜通し飲み歩くこともある。疲れているのかも知れなかった。

 しかし原因はもっと別なところにありそうだった。何となく今朝の夢が気にかかる。内容は思い出せないが、それが頭の重い理由の一つに思われてならない。

 以前大家さんに聞いたのだが、晶人の前にこの部屋に住んでいた一家の娘が交通事故で亡くなったらしい。

 もしかすると呪われた部屋なのかも知れない。その娘もこんな幻聴を聞いて、外に逃げ出したときに事故に遭ったとか。

「脈絡ないな。誰だよ、まったく」

 晶人は考えるのを止め、目を閉じた。

 すると明らかに女と思われる声が聞こえてきた。

『助けて・・・、晶人、助けて・・・』

 本当に大丈夫か? 今更ながら晶人は恐くなってきた。こんなはっきりした幻聴があるとは思えない。

「病院に行った方がいいのかな。でもこの手の病気は、メンタルクリニックだろ。・・・まだ止めておこう」

『無視しないでよ。あたしも疲れるんだから。言ったでしょ、逃がしたりしないって。でもこの場所は好都合だな。ここなら届きそうなんだもん』

「逃げよう」

 晶人はとうとうベッドから飛び起きた。

 そろそろ幻聴のレベルを超えてきている。幻覚というステップに入る前に逃げた方がよさそうだ。

『助けてくれないの? 晶人』

「面倒なことはごめんだ。いいかげんにしてくれよ!」

 晶人が叫んだ途端、今までにも増してはっきりと声が聞こえてきた。

『あたしと会話してくれたって事は、あたしを認めてくれたって事。もう逃がさないよ。助けてね、晶人』

 晶人は急いで机の引き出しを開け、保険証を取り出した。

 絶対に変だ。何か非現実的な事が起ころうとしている。もう「メンタルクリニックが嫌」なんてわがままを言っていられない。

 晶人は保険証と財布を持つと、すぐに部屋の扉を開けた。

 真っ白だった。

 そこに見えるはずの玄関はなく、扉の向こうは真っ白な光があるだけだった。

『早く助けに来て、晶人』

 その光はそう呟いて、晶人の方に光を広げてくる。

 晶人は扉を閉めた。

 かなり危険な状況だ。まず落ちつこう。最近そんなに自分は精神を酷使していただろうか。

 晶人は目を閉じると扉に背を向けて、大きく深呼吸した。

 そして目を開ける。

 晶人の目の前には、更に大きな光の塊があった。

「じょ、冗談だろ・・」

 晶人は抵抗もできぬまま、その白い光に飲みこまれていった。


 晶人を包んでいた光がいきなり消える。光の中にいたのが一瞬だったのか長い時間だったのか、それすらわからなかった。

 晶人の耳には、まだ彼女の『助けて』と言う声がこだましていた。

 しかしそれもやがて消え、だんだん周りの音や臭いが明らかになっていった。

「・・・何だ、ここは」

 耳障りな響き。獣の叫びだった。そしてひどい悪臭。吐き気がしてくる。

 視界もはっきりしてきた。どこか知らない空間に投げ捨てられた感じだ。

 晶人は場の状況が鮮明になってくるとすぐ、目を閉じた。

「夢だ、きっと夢に違いない」

 晶人はそう信じた。

 いきなり大きな音がした。悲鳴のような、破壊音のような、良く分からない音。

 晶人は驚いて体を起こした。かなり前の方で緑色をした肉片が散らばっている。

 もう手遅れだった。この現実を認めざるをえない。

「ここは、どこなんだ?」

 誰にともなく呟いて、晶人はぐるりと辺りを見回した。

 牢屋?

 まずそう思う。ただ長方形で殺風景きわまりない部屋だ。両側の壁には小窓があり、正面は鉄格子になっている。ここだけ見るとテレビで見た牢屋以外の何物でもない。

 しかし鉄格子のその向こう。

 晶人は恐る恐る鉄格子の近くまで進んでみた。そしてその場に固まった。

 こみ上げる嘔吐感。震える体。噴き出す汗。

 晶人は目の前の光景に縛られてしまった。

 格子の向こうでは戦いが行われていた。それも恐ろしく非常識で、残酷きわまりない殺し合い。

 戦っている者達は人間ではなかった。それはゲームか特撮物に出てくるような、まさに怪物達だったのである。

 一匹は、頭から巨大アメーバをかぶったようなぬめぬめした上半身と、それと似つかわしくないゴリラのような下半身をくっつけた気色悪い怪物。あまりにも不釣り合いな形態である。しかも腰回りに布を巻いているのがよく分からない。

 一方、対する怪物は・・何だろう? 晶人には鶏のように見えた。羽毛を魚の鱗にして、翼をなくして変わりに人の手をくっつけた鶏といったところである。とさか(・・・)らしきものはあるし、足は明らかに鶏のそれだった。尾はなぜか蛇だが。こいつはジャケットのようなものを着ていた。

 晶人の見る中、彼らの戦いは進んでいった。

 アメーバゴリラが寒天質の腕をのばしてニワトリモドキの首を絞め上げている。ニワトリモドキは必死にそれを解こうとしているが、手がめり込むだけで、首に巻き付いている寒天腕は外せそうになかった。たぶん外すことは不可能なのだろう。

 しかしニワトリモドキも負けていない。蛇尻尾をアメーバゴリラの足に巻き付かせ、締め上げている。これはかなり効いているらしい。見た目にもゴリラの片足は血の気を失っていた。悲鳴を上げていたのはアメーバゴリラの方だったようだ。ニワトリモドキは首を押さえられているのだから声を上げられない。

 しばらくそんな状態が続いた。だが互いに限界は来る。

 バキッという鈍い音と共にゴリラの足がちぎれ飛んだ。悲鳴がより大きくなる。アメーバゴリラは大きくバランスを崩した。

 しかし彼は倒れない。それどころか、アメーバ状の腕も相手の喉から放さない。

 するとニワトリモドキの手が不意にだらんと下がり、首がもげて地面に落ちた。見事なほどあっさりと。

 晶人の胸に今までにないほどの強烈な吐き気がこみ上げてきた。しかし晶人は意地になってその先を見続ける。

 ニワトリモドキの目は顔から完全に飛び出し、口からは泡と赤い血が混ざりあって流れていた。

 アメーバゴリラが手を離すと、ニワトリモドキの体は地面に崩れ落ちた。蛇の尻尾はなおも動いていたが、やがて力つきた。アメーバゴリラの勝利だろう。

 彼は大きな雄叫びを上げると、もがれた自分の足をつかみ、長い手を松葉杖のように使いながら歩き出した。そしてこの闘場を囲んでいる鉄格子の一つへと入っていった。

 晶人はやっと舞台から目を離した。

 ぼーっっとする。しばらく何も考えられなかった。

 取りあえず晶人は笑ってみた。

「ははは、はっはっは、あっはっはっは。はは、ハァ・・」

 気が狂いそうもなかったので、止めた。

 そんなことをするくらいなら、少しは「考える」という行動に移った方が良い。

 晶人はまた大きく深呼吸をした。

 一つ試合が終わった。と、いうことは次の試合もじき始まるということである。だが、ずっと試合鑑賞していても得られるものはない。

 晶人は改めてここを見回してみた。さっきと同じく左右は目の高さに小窓があるだけ。前は鉄格子、後ろは壁である。出入口はない。あるとすれば、この鉄格子だ。

 近寄って壁を調べてみる。コンクリートだろうか。といっても、このわけのわからない世界に、「こんくりーと」と呼ばれる物質があるのかどうかはわからないが。

 天井、床には通れそうな所はなかった。

 次に鉄格子に近よってみた。もう次の試合は始まっている。晶人はできるだけそれを見ないようにして格子を調べた。

 その格子は簡単に開くようになっていた。ここからなら出ようと思えば簡単に出られる。

 しかし出てどうなるのだろう。

 晶人は次に闘場に目を移した。見たくもない戦いがちらりちらりと目に入ってしまうが、気にしていては何もできない。

 闘場はドームのようになっていた。だだっぴろい円形の舞台とそれを囲む三段重ねの鉄格子。

 他に観客席はないようだ。ここが個室の観客席になっている。

 しかし戦っているのはあんな化け物ばかり。これでは、ただ見ているだけの(・・・・・・・・・)観客・・にも被害が及びそうなものだ。

 ・・・?

 何か忘れているような気がした。

 とてつもなく嫌な考えが頭に浮かび上がってきた。

 先ほどの勝者・アメーバゴリラはどこに帰っていったのだろうか。

 晶人はうろうろと、この個室の中を歩き回った。

 壁を叩いてみる。硬い。動かない。隙間がない。出られそうな所はやはり格子の他にはないように思える。

「観客席? 違うよな・・」

 晶人はもう一度格子にしがみついて、闘場を見てみた。すると一カ所だけ出入口のような所を見付けることができた。この闘場からの唯一の出入口だろう。

 今戦っている怪物達は皆あそこから入って来たのだろうか?

 違う。普通なら入場口は二つある。一対一で戦うのならそうじゃなくてはならない。

 それにあの出入口の扉、どうも裏口のようで開きそうにない。考え過ぎだろうか。

 晶人は当惑した。晶人の考えに間違いがなければ、晶人は「観客」ではなく「選手」である。

 晶人はまたうろうろし始めた。どうにかしなくてはならないのだろうが、どうにもできない。

 少しして晶人は思いだした。

 隣人がいる。

 隣とつながっている場所があるのだ。もしかしたら隣も自分と同じただの人間なのかも知れない。それならば多少なりとも心強いではないか。

 晶人は早速行動に移った。一秒でも早く、自分の置かれている状況が知りたかったのである。

 晶人はまず右隣の壁に走りよって、小窓から隣を覗いた。

 そして・・・。

 見なかったことにした。

 晶人は希望を左隣につなぐ。

 だがよくよく考えてみると、隣が自分と同じように『人間』であるならば、そいつもやはり気が狂うか叫びまくるかしているのではないだろうか。窓があるのにそういう人間的な音が聞こえてこないということは、期待するだけ無駄ということかも知れない。

 悩んでいても仕方がない。晶人は勇気を出して左隣を覗いてみた。

「へぇ・・」

 予想通り人間といえるものではなかった。しかしかなりノーマルなタイプの怪人ではあった。

 今まで見てきた怪物達が「マンガの悪役」だとしたら、こいつは絶対「正義の味方」だ。

 彼(?)は全体に人間のスタイルをもっていた。たてがみが長く背中のあたりまでのびており、口は狼のように張り出し牙が並んでいた。肘から手首までにかけてと膝から足首までにかけてには、太く盛り上がった甲羅のようなものがあった。それ以外は獣に似た体毛に覆われていて、その色彩は虎を思わせる。

腰にレスラーのようなパンツをはき、上着は着ていない。

 彼はこの部屋の中ほどに座り、黙って外の光景をながめていた。

 鉄格子の向こうでは先の次の戦いが始まっているらしい。ちらりと見たところ、少し前と違う面子が戦っていた。

 晶人は思い切って彼に話しかけることにした。それで少しでも状況がつかめればめっけものである。

「あの・・・」

 その獣人はゆっくりと振り返った。

 しかし晶人は言葉を続けることができなかった。

 なぜか? 次の言葉を考えていなかったのである。

 「ここはどこですか?」などと尋ねては、まともな答えは帰ってこないだろう。彼にとってここにいることは当然なのだろうから、晶人に分かる返答があるわけがない。

 だからといって「あなたは誰ですか?」などと聞いたら、喧嘩を売っているようなものだ。ならば、自分はなんと尋ねればいいのだろうか。

 彼は黙ってこちらを見ている。目と目が合ってしまい視線をはずせない。

「あらかじめ、セリフを考えておけば良かった・・」

 晶人は激しく後悔した。

 しばらくして彼は言った。

「なんの用だ」

 晶人は反射的に答えた。

「こ、ここはどこですか?」

 彼は少し恐い顔をした。

「・・待つ(・・)所だろ」

 予想通りの答えだった。戦いを・・・という意味だろう。

「あ、あの人達は・・・、どうして戦っているんですか?」

 晶人は自分でもこんな質問はおかしいと感じた。それはやはり彼も同じだったらしい。格子の向こうをちらっと見て答える。

「戦いたいからだろう」

 きっとそうに違いない。彼らはやりたくてやっているのだ。

 しかし晶人にはまだ状況が見えてこなかった。何を聞けば分かるのだろうか。

 彼はますます変な目でこちらを見ていた。

「あなたも戦われるのですか?」

「何のまねだ、貴様俺を挑発する気か。慌てなくても貴様が勝ち続けていればいつか俺と当たることになる」

「えっ、いえそういうわけじゃ・・」

 晶人はすぐに小窓から離れた。

 どうも怒らせてしまったらしい。まぁいい。それよりも一つ明らかになった大きな問題がある。

 隣が戦うということは、間違いなく自分も戦うということだ。

 洒落になっていない。この際、「彼らがなんのために戦うのか?」や、「ここが何処で、本当に地球上のどこかなのか?」や、「どうして自分がこんな所にいるのか?」などの疑問は考えないことにした。

 最も優先されるべきは、ここから出る方法を探すことなのだ。

 晶人は牢屋をもう一度調べようとして止めた。さっきから散々ここは調べている。今更新しいものが発見できるわけがない。

 晶人は大きく息を吸い込むと、もう一度さっきの小窓に近づいた。

「あの・・」

 ここではたと晶人は気づく。晶人はもちろん日本語で話しているのだが、それがなぜ彼らに通じるのだろうか。明らかにおかしい。

「何だ! うるさい奴だな」

 つまらないことを考えている余裕はないようだった。

「すいません、ここから出る方法を教えてもらいたいのですが」

 するとその怪人は目を鋭く光らせた。思わず晶人は後込みする。

「ここから出る方法だと? そんなもの勝つか負けるかすればいいことだろう。何をさっきからわけのわからないこと言っている」

 勝つか、負けるか・・。

「負けるっていうのは、自分が素直に負けと宣言すればいいんですか?」

 その怪人は首を傾げた。

「? 意味がわからんぞ。負けとは死ぬことだ。違うか?」

 やっぱり・・。

 晶人はしばし沈黙する。その怪人は身を起こして小窓に近づいてきた。

「なんの作戦だ。わざわざ俺に話しかけてきて、何をたくらんでいる。姑息な手など俺には通用せん。そもそも俺とお前が今日戦うことはない。そんな事を考えるくらいなら、せいぜい体を休めていた方がましだろう」

「あの、あと二ついいですか?」

 その怪人は晶人のすぐ前に顔を寄せた。晶人は顔を引く。

「あと二つ?」

「勝てばここから出られるとおっしゃいましたが、どのくらい勝てば出ることができるのでしょうか? そしてここから出るのは本当に勝つか負けるかしかないんですか?」

「・・」

 その怪人は何も答えずに小窓から顔を引っ込めた。今度は逆に晶人が小窓をのぞき込むことになる。

「あの・・」

「そんなことはここにいるものなら誰でも知っていることだ。なぜそんなことに答える必要がある。貴様の作戦に乗るのはごめんだ。もう話しかけるな!」

「でも・・」

「話しかけるなと言ったはずだ!」

 途端に晶人の耳を何かがかすめた。

「次は当てるぞ。貴様を殺しても意味はないがな!」

 晶人が耳を触ってみると手が赤く染まった。切られたのだろう。もっともかすり傷程度のようだが。

 晶人は諦めて牢屋の中央に腰を下ろした。

 その途端左隣の鉄格子の開く音がした。


 闘場の中央にあの獣人が立った。

 彼はまるで漫画のヒーローのように腰に手を置いて直立している。

 それに対して相手は明らかに敵キャラクターだった。

 相手の怪人は人間の体にびっしりと刺を張り付けたようなスタイルをしており、さしずめ人間ハリネズミといった感じである。さすがに服を着ていないと思ったが、麦わら帽子のようなものだけかぶっている。

 二人(?)の怪人は中央でじっと対峙していた。獣人の方はまだ腰を手に置いた無防備な状態だった。挑発しているのだろうか。

 いきなりハリネズミが体を震わせた。すると体中の刺が逆立ち、もとの二倍ほどの大きさになる。

 それでも獣人は動かなかった。

 ハリネズミは次に無数の長い刺を飛ばした。晶人にも予想のつくような攻撃だ。しかし獣人はそれをかわそうとすらしない。

 ハリネズミの刺は獣人の体を貫いた。獣人は平然としている。血の一滴も流れていなかった。

 ハリネズミの表情は刺に隠れてわからないが、おそらく驚愕していることだろう。

 獣人の方は顔に笑みを浮かべてやっと動きき出した。歩くにつれ体中に突き刺さった刺が自然と抜けていく。

 ハリネズミは奇声を上げた。そして高く飛び上がると、体を丸めて獣人にぶつかっていった。これも予想しやすい見たままの攻撃である。

 獣人は左手を前に出した。彼の手首から肘にかけてついている甲羅がめくれ上がり、手首から先を包む。

 獣人の手が伸びた。

 ドリルと化した獣人の腕は、ハリネズミのボールを正面から貫いた。

 獣人はすぐに腕をもとの長さに戻し、手のドリルも解く。

 人間ハリネズミは地面に落ちてつぶれ、動かなくなった。

 獣人の勝利である。それも圧倒的な。

 彼はハリネズミの死体を一瞥すると自分の牢に帰った。鉄格子が閉まる音がした。


 じっとこの戦いを見ていて、晶人は不思議さを感じた。

 多くの戦いを見たわけではないのではっきりと言い切ることはできないが、どうも彼は強すぎる。

 あのハリネズミが弱かったのだろうか。

 確かにそうなのかも知れない。しかし最初の人間ハリネズミの攻撃で、刺は獣人の体を明らかに貫いていた。普通の怪人だったらそれで死んでいそうなものだ。

 じっと考えていた晶人の目の前で、牢の鉄格子が勝手に開いた。

 それの意味することは分かり切っていた。


 しばらく晶人は牢屋から出ずにいる。闘場の中央には、すでに一匹の怪人が待ちかまえていた。

 手が長く、でっかい丸坊主の頭を持っており、体は爬虫類様の鱗で覆われている。そしてやはりプロレスラーのようなパンツをはいている。そんな怪人だった。

 彼はしばらく晶人が出てくるのを待っていたが、さすがにじれてきたのか晶人の牢に向かって歩き出した。

 さて、どうしようか。

 横から声がした。

「わかってるとは思うが、そんな所で戦うなよ。迷惑だ」

 わかっている。当然だ。

 晶人はやっと動き出した。自分の牢屋から出る。

 うろこ男が立ち止まった。

 晶人は牢屋のすぐ前でうろこ男と向かい合うことになった。

 うろこ男が目をぐっと見開く。そして走り出した。

 晶人は口元に軽く笑みを浮かべ、走り出す。

 この広い闘場で、いつ果てるとも知れぬ追いかけっこ(・・・・・・)が始まった。

 晶人は数年前まで部活動で陸上をやっていた。特に中距離は得意競技である。

 うろこ男は空を飛ぶとか飛び跳ねるとかいう非常識なことができないらしく、晶人が追いつかれないように逃げることはそう難しくなかった。

 もちろんこんな追いかけっこを続けていたってどうにもならないことは知っている。晶人は別に気が動転しているわけでも、やけになっているわけでもなかった。

 晶人は追い詰められないように、常に一定の距離を保って走った。

 行かなくてはならない唯一の場所は、あの出口である。うまくいけばそこから脱出できるのだ。

 晶人はうろこ男との距離を確かめながら扉に走りより、そこを押し開けようとした。

 やはり開かなかった。引いて開けるのかも知れないが、肝心の取っ手がない。これは扉ではないのだろうか。

 うろこ男が晶人からかなり離れた所で立ち止まっている。これ以上近寄ると晶人が逃げることを理解したようだ。

「ふざけやがって。一息に殺してやる!」

 うろこ男は物騒なことを叫んだ。

 それにしても彼の言葉もやはり日本語である。奇妙な話だった。

 うろこ男の体が赤く染まりだした。

 必殺技ということだろうか。

 晶人は正面を向いて立つと、いつでも動けるように身構える。

 うろこ男は体中のうろこを充分赤くすると、四つん這いになり兎のように飛び跳ねてきた。

 これが速い。晶人はすばやく横に飛んでそれをかわした。

 怪人は晶人の横を走り抜けて、さっきの扉に衝突する。

 この技はまっすぐにしか飛べないようだ。しかも飛べる距離は案外短かい。

 それでも威力はあった。当たってもいないのに、晶人の肌には火傷ができている。

 振り返ると、先ほど晶人が開けられなかった扉は破壊されていた。晶人はまた走って、いつでも逃げられるだけの距離を取った。

 彼が自滅してくれたとは思えない。

 少しして壊れた扉の破片が動き始めた。出てきたうろこ男にはやはり全くダメージがないようだ。

 怪人は姿を現すとすぐ、体を赤くし始めた。

 この技はかわすことができる。いくら速いといっても、彼はまっすぐにしか跳んでこれないのだ。

 晶人は怪人が跳ねると再び横に跳んだ。

 うろこ男が晶人の横を通り過ぎて着地するとその地面は爆発した。彼はまた立ち上がり、体を赤くし始める。

 結局先ほどと同じような追いかけっこが始まってしまった。

 晶人は逃げながら壊れた扉を見た。その残骸の先は通路になっており、更に進んだ所に二枚目の扉が見えていた。

「絶望的かも知れない」

 晶人の頭にそんな思いが浮かぶ。

 あの扉とて自分の力では開けられないだろう。確かめたいが、通路の中に入っている時に攻撃されれば逃げられない。

「もう一度うろこ男のアタックを利用してみるか」

 それくらいしか思いつかなかった。

 だがいつの間にか晶人は一つの鉄格子の前に追い詰められてしまっていた。考えながら走っていたせいだ。

 うろこ男は息を切らせている。確かにあの技は疲れるだろう。

 晶人の方も決して平気なわけではなかった。運動不足から来ているのか、緊張感から来ているのか、予想以上に体力が消耗しいる。

「今度こそ逃がさんぞ」

 うろこ男が叫んだ。

 晶人は再び身構えた。

 考えてみれば、うろこ男だって晶人が横に逃げるくらいのことはもうわかっているのではないだろうか。「今度こそ」ということは、彼が晶人の逃げる方向を予想している可能性がある。

 うろこ男は体を赤くし始めた。今回は今までのものより強烈だった。距離をとっているはずなのに、晶人の場所まで熱気が来る。

「・・今まで左に逃げることが多かったから、今度は右、か?」

 うろこ男が跳んだ。その途端晶人は大きく右に跳ぶ。

 晶人の耳に強烈な破壊音が響いた。

 晶人は背中に熱い衝撃を感じ、一瞬意識を失った。

 しかしほんのわずかの時間で晶人は意識を取り戻す。

 気など失っているわけにはいかない。それは命取りになる。

 倒れたまま何とか振り返ると、鉄格子が吹き飛んでいた。晶人が立っていた場所の真後ろにあった檻である。どうやらうろこ男は何も考えずまっすぐ飛んだらしい。

「バカか、あいつは」

 しかしそうとばかりは言っていられない。このまま倒れていては終わりである。うろこ男は無傷だろう。

 晶人は何とか立ち上がろうと膝を立て、そして崩れた。

 背中に痛みが走る。かなりの火傷を負ってしまったらしい。

 晶人はなんとか歯を食いしばって立ち上がった。

「逃げられない、かな・・」

 走れそうになかった。もう一度後ろを見ると、ちょうど煙の中からうろこ男が出てくるところだった。

「次は絶対に殺す」

 やはり怪人は同じセリフを吐いた。だが今回のには真実味がある。

 うろこ男はまた体を赤くし始めた。

 晶人は動けなかった。逃げたいのだが体が動いてくれない。それに頭の何処かで「もういいや」という感情が働いている。

 うろこ男は四つん這いになり、飛び跳ねようとした。

 その時、晶人は見た。

 彼の後ろにある人影。あれは・・。

 ここで正義の味方が現れたのであれば格好良いのだが、そうではない。もちろん晶人の隣にいたあの正義の味方っぽい獣人が現れたのでもない。

 うろこ男の後ろのそれ(・・)は、こう言った。

「よくも、俺の場所をふっ飛ばしたな・・」

 それは破られた檻の住人だった。普通ならあの衝撃で死んでいそうなものだが、しっかり生きていたらしい。晶人にとってそれは幸運だった。

 晶人はその怪人の姿に見覚えがあった。一度見れば忘れられなくなるような印象的な姿なのである。

 彼は晶人の右隣の檻にいた怪人だ。見なかったことにしたはずの、あの怪人である。

 姿を説明するのはわりと楽だった。彼は巨大なわらじ虫である。わらじ虫を二本足で立たせたような格好をしている。

 それだけでも充分おぞましいのだが、この巨大わらじ虫にはもう一つの特徴があった。彼はどうやら小さなわらじ虫の集合体らしい。

 わらわら動くわらじ虫の塊。一度で脳裏に焼き付き、夢にまで見そうな姿である。

 うろこ男は巨大わらじ虫を睨み付けた。そして体を赤くしてこの怪人を焼き殺そうとした。これに対し巨大わらじ虫は体中から小わらじ虫をどんどん飛ばし始めた。

 明らかに巨大わらじ虫の方が劣勢だった。小わらじ虫は次々と焼き殺されていく。

 しかし時間(とき)がたつとその優劣は変わってきた。疲れのせいなのか、うろこ男は一匹、また一匹とわらじ虫の侵入を許してしまっていたのである。

 焼き殺すための熱が、迫りくる小わらじ虫に追いつかない。うろこ男の体にくっついたわらじ虫は、あろうことかうろこ男の体を食い破り始めていた。

 こうなってしまうともうおしまいである。うろこ男の体に付くわらじ虫の数は一匹一匹と増え、とうとう彼は断末魔の叫びを上げて倒れた。

 晶人は強い嘔吐感を感じた。姿もおぞましいが、戦い方もおぞましい。

 巨大わらじ虫は戦いに勝利すると崩れかけた自分の檻に帰っていった。

 下手をすると自分もやられるのではないかと思っていた晶人は、ほっと胸をなで下ろす。

 晶人は立ち尽くしたまま考えた。

 次はどうすればいいのだろう。

 やることがあるとしたら、さっきのあの扉を調べることだろうか。もしかしたらあの二枚目の扉は簡単に開くのかも知れない。

 晶人が意を決して歩き出した時、再び目の前からさっきのわらじ虫が出てきた。

 晶人が驚いて立ち止まると、彼の目が一度自分の方に向く。

 しかし凍り付いて動けなくなっている晶人を巨大わらじ虫は一瞥し、今度はじっと前の方を見た。

 晶人もそちらの方に視線を移す。と、奥の方の鉄格子が開いていた。

 どうやら次の試合が始まろうとしているらしい。これでは悠長にあの扉まで行ってはいられない。

 晶人は諦めて自分の牢に戻った。


 背中がじんと痛かった。

 着ていたデニムはまだ形が残っているが、上に着ていたシャツは綺麗に背中が開いている。

 晶人はシャツを脱いでその上に腰を下ろした。そこそこ気温があるので、裸でも別に寒くはない。

 動く気力は出てこなかった。

 自分の次の試合はいつなのだろう。いくつ勝てばここから出られるのだろう。

 いや、それ以前の問題である。きっと次は勝てない。そう何度も運を味方にできるわけがない。すなわち、次の試合までに脱出しなくてはならないのだ。

 晶人は目を閉じた。

「方法は、二つ・・かな」

 一つは素直にここで試合に勝ち進むこと。もしかすると、あと一つくらい勝てばここから出られるのかも知れない。それならば、自分の運に期待してもいいのではないか。

 しかし、もしあと五、六試合もあるのなら絶望だ。

 もう一つは試合の合間にあの扉まで行くことである。目の前の鉄格子は自分でも開けられる。だから行動は特に難しいことではない。

 ただあの扉が自分の力で開く保証はないし、扉までの距離を考えると、無事に移動できるかどうかも疑問である。

 晶人は必死になって考えた。

 ふと頭にアイディアが浮かぶ。

 そういえばもう一つだけ、今の自分にできることがある。つまり、隣人から情報を得るということだ。

 でも先ほど「話しかけたら殺す」といわれたばかり。もし話しかけて殺されでもすれば、一番情けないのではなかろうか。

「よし、顔を出さないで話しかけよう」

 ちょうど右隣はいない。

「すいませーん! 聞いてますか? 何度も悪いですけど」

 途端に晶人の目の前を鋭い針が横切った。

「・・」

「話しかけるなと言ったはずだ。だが後一つだけお前の質問に答えてやる。ただし、次はないと思え!」

 以外と彼は親切である。ラストチャンスとはいえ、質問には答えてくれそうだ。それに晶人の訊くことはもう決まっている。

「・・戦うのも死ぬのも恐いので、ここから逃げ出したいんです。ここから逃げる方法を教えて下さい」

「今何と言った?」

「作戦も、たくらみもありません。ただ私はここから逃げたいんですけど」

「バカな。『壊す者』が恐いだと? 貴様、何を考えている!」

 怪人は動揺しているようだった。こんな質問など予想だにしなかったのだろう。しかし晶人はもちろん本気である。

「私はその『壊す者』とかいう者ではありません。ただ迷い込んだだけです。だから逃げたいんです」

「・・くだらんな。迷い込むなどということがあるわけがない。ここは戦いたい者だけが集まる場所だ」

 彼は鼻で笑う。しかしここで食い下がらなくては声をかけた意味がない。

「あり得ないもなにも、本当に迷い込んだんですよ」

「うるさい! 何を考えているのかは知らんが、この俺をバカにするのは止めておけ。ただではすまんぞ」

 晶人はため息を付く。

「・・話すだけ意味がなかったかなぁ」

 次の行動に出るしかない。あの扉に行くことだ。

 晶人が立ち上がると、今度は獣人の方から声をかけてきた。

「もう一度だけ聞く。貴様、何をたくらんでいる!」

 しかしそれに答えることは、晶人ににって大した意味がなさそうだ。

「ずっと前の方に扉がありますね。あの奥にもう一枚扉があるんですけど、あそこから外に出られるんでしょうか? 取りあえずやってみるつもりですけど」

「破壊するつもりか?」

「破壊? 押しても開かないんですか?」

「・・どういう意味だ?」

「つまり、開かないんですね・・」

 晶人はまた元の場所に戻り、座り込んだ。

 どうやら絶望である。残された道は一つしかない。戦うことしか・・。

「どうしよう」

 晶人はほとんど他人事のように呟いた。

 こんな非常識きわまりない所で自分は死ぬのだろうか。人間が突然消えてしまうという現象がたまに本で書かれているが、実はこういうことなのかも知れない。それにしては自分以外の人間の姿は認められないが。

 ここは何処で、彼らは何なのか。

 彼らが実はただの人間であって、いきなり着ぐるみを脱ぎ捨て、「驚いたか?」と話しかけてくる。それならばどんなにいいだろう。

 だが彼らはそんなトリックの産物ではない。

 目の前の殺し合い。すさまじいものだ。赤い血や青い血を流しながら戦い合う怪物達は人工のものではない。最新のヴァーチャルリアリティでも実現できるかどうか。

 いつの間にかかなりの時間が流れていたらしい。闘場では始めに見たアメーバゴリラが戦っていた。順番からいうと、じき晶人の番がくる。

 前の戦いでもがれたゴリラの足は繋がっていた。かなりの治癒能力を備えている。

 絵に描いたような化け物である。そして自分はそんな怪物達と戦う。

 晶人は自分でもわかるほど感覚が麻痺してきていた。始めの頃に感じた嘔吐感も今はない。恐怖にうち震えることも、不幸にひた泣くこともない。もちろん、この殺し合いを見て可哀想だとか助けたいだとか思うことも無かった。

「じき俺の番か・・。死んでたまるか、こんな所で」

 心では絶望しているのに、それとは裏腹に言葉で強がる。

 まだやりたいことがたくさんあるのだ。欲しい物がたくさんあるのだ。

 どうやら人はこんな状況にならないと、そのことに気づかないらしい。

 また少しの時間が流れ、隣の鉄格子が開く音がした。早くも隣の獣人の番になったらしい。つまり、次は自分の番。

 いきなり獣人が晶人の鉄格子の前に立った。

 晶人も我に返りその獣人を見上げる。

 どういうわけか彼は戸惑っているようだった。彼の後ろには対戦相手であろう怪人の姿が見えた。

「き、貴様の名を聞きたい」

 彼はやっと一つ、呟いた。晶人はよくわからないまま答えた。

富良(ふら)晶人(あきひと)

「フラーキヒト? ・・、アキートではないのか」

 彼はわけの分からないことを言う。

「? 普通は晶人と呼ばれているけど?」

「アキ()ト? やはりアキートでは・・」

 晶人は彼の当惑しているところを見て、ふと人間的な感情を思い出した。そしてどういうわけか自然と親しげに話していた。

「あんたが言っているアキートが俺なのかはわからないよ。ただ俺がアキヒトっていう名前であることに間違いはないね。相手が待っているみたいだ。応援する、がんばれよ」

「応・・援だと?」

 獣人はますます不思議そうな表情になった。しかし晶人は平然と答えた。

「何だかんだ言って、話し相手になってもらったし」

「・・・」

 その獣人はまだ信じられないと言うような顔をしていたが、いきなりきびすを返して闘場に歩き出した。


 獣人と対する怪人は、基本的に上半身が男で下半身が蛇であり、神話か何かに出てきそうな姿だった。

 しかしそれはあくまで基本であって、全身が蛇のうろこで覆われているし、鰐みたいな足を持っているし、首は長くて顔はインコだった。節操のない怪物である。なぜだろう。意味も無くマントを羽織っている。

 この変則蛇男の武器は口から吐く赤いものと、ただ振り回すだけの尻尾のようだった。足は遅いようで、あまり動き回ることもない。

 晶人は、自分の相手もあのような奴なら少なくとも逃げることだけはできそうだと思う。そうそううまくはいかないだろうが・・。

 獣人は無造作に変則蛇男に近づいていくと、両手を甲羅で包みドリルに変えた。

 そして伸ばす。変則蛇男はあっさりと尻尾と片腕を削がれてしまった。

 変則蛇男は倒れて立ち上がれない。体がアンバランスなため、尻尾がなくなってしまうと身動きがとれなくなるらしい。

 どうやら今度の戦いも獣人の圧勝のようである。

 変則蛇男は床に寝転がったまま口から赤いものを吹いているが、獣人の所までは到底届かない。これで獣人がとどめを刺せば終わりだった。応援するまでもない。

 しかし獣人は不思議なことに攻撃を止めた。敵に背を向けると自分の牢に帰り始めたのである。

 晶人は驚いた。まさか彼は敵を助けるつもりなのか。ここでもそんな人間的なモラルが通用するのだろうか。

 どこかおかしかった。殺してしまうことがいいこととは思わないが、ここでは殺すことの方が自然である。変則蛇男だってまだ戦う意志がありそうなのだ。

 彼は牢屋の前に戻ってきた。しかし自分の牢ではない。晶人の牢の前である。

 晶人はさっきのように獣人を見上げた。

 しかしさっきとは違い、目の前の獣人の目には危険な微笑みが混ざっていた。殺害を楽しむあの目である。そして彼は口元に笑みを浮かべて呟いた。

「ここから出る方法は二つしかない。すなわち勝ち残るか死ぬかだ。・・殺しにきてやったぜ」

 言っている意味がまるで分からなかった。しかし彼が檻の鉄格子をつかみ、それをあっさり破壊した時、始めて晶人は自分が殺されそうになっていることに気づいた。

 晶人は何も言えぬまま後ろの壁まで逃げる。こんな狭い場所では自慢の足も使えない。逃げ場は何処にもなかった。

 彼はどんどん中に入ってきた。

 目の前に立つ獣人は大きかった。そう見えただけなのかも知れないが、晶人にとっては大きすぎるほど大きかった。

「死ねばここから出られるのさ」

 彼はまた言った。

 そして・・。

 晶人はその後のことを覚えていない。晶人の最後に見たものは獣人の目の鋭い光だった。

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