第十章 それぞれの時間-16-
暗い、水の底。
それが、ザファリの生きてきた道だ。
父は仕事で殆ど家に帰ってこず、母は他に男がいた。
いつもザファリは邪魔者扱いで、時に外で寝ることもあった。
母の間男は、ザフィリによく暴力を振っていた。
『役立たず、はやく働いて、金を持ってこい!』
何度殴られ、蹴られただろう。
その度に、ごめんなさいと泣き、父が帰ってきてれるのを心から待ち望み、只管耐えていた。
(お父さんなら守ってくれる……僕を必要としてくれる。お母さんも優しいお母さんに戻る)
父が帰ってくると、母はころりと姿を変えた。
それは水のように。
濁り切った水だった。
だが、幼かったザフィリは、いつかまた母が澄んだ水に戻ることを信じていた。
その日が来ることは、永久になったが……
父は知っていたのだ。母が男を家に連れ込んでいることを。
自分への裏切りを知り、父は母を告発した。ザフィリの故郷では、既婚者の浮気は大罪だった。
父は、ザフィリがある程度大きくなるまで、耐えていたのだった。
母は許しを乞うたが、父は受け入れず、母は拷問の末、火炙りにされた。赤々と燃える母の炎を、ザフィリは美しく、穢れたものだと思った。
その時から、何か心の奥でごぽっと音のするような感覚があった。
激しくも、静かなそれは、ザフィリ自身もよく分からなかった。
父はザフィリを連れ、故郷を離れた。
『ザフィリ、これからは私とおまえ、二人だけの家族だ。二人で静かに過ごせる場所へ行こう』
父はそう言っていた。
ずっと一緒にいよう、と。
ザフィリは今度こそ、それを信じた。
信じていたのに――
父は、旅の道中に盗賊に殺された。金品を奪っただけでなく、命まで絶たれた。
最後の最後まで、ザフィリだけは見逃してほしいと父は願っていた。
泣きじゃくりながら父に縋りつくザフィリを、盗賊達は嘲笑いながら眺めていた。
ザフィリは、確かに生かされた。が、それは少年を商品とみなしたからだ。
ザフィリの顔立ちは良く、立ち振る舞いもある程度の上流のものだった。
奴隷としては申し分ない。
毎晩、毎晩――こき使われて、暴力を振るわれる生活に戻った。
(どうして……僕は、やっぱりいらない人間なの?)
奪われてばかり。
こんなにもほしいのに……
何が? 何が欲しいのだろう? 何を欲しているのだ、自分は。
命か? お金か? 名誉や名声か?
――いや、どれも欲しいが、どれも違う。
自分だけの、時。