【1-24】 寂しさと嫉妬と
宿老衆筆頭・アーマフ=バンブライは、子息・スリーヴとともに、まだ床に就いていないようだった。
親子とも略式軍装のまま、若き主君たちを幕内に招き入れた。
小さな天幕である。レオン一行が幕をくぐると、やや息苦しさを覚えるほどであった。
幕内には、小さなテーブル1脚に椅子2脚、簡易ベッド2台、それに使い古された木炭ストーブ1基――父子の性質を表現するかのように、質朴かつ武骨な調度品が置かれていた。
テーブルには、先ほどまで読んでいたのだろう、表紙の汚れた兵法書とランプが置かれている。
老将軍の長男は、ストーブの上から煤けたケトルを外すと、銅製のカップにお湯を注いだ。そして、口元に微笑をたたえながら、深夜の訪問者たちにそっと手渡していく。
香ばしい珈琲の香りが、若者たちの鼻腔をくすぐった。
帝国後方軍が動くとの報を聞かされるや、バンブライは垂れ気味の目をわずかばかり大きく開いた。白い眉も同時に上下する。
「さすが若君、よくぞ敵の動きを察知されましたな」
「……ラヴァーダが、斥候騎兵を預けてくれていたから」
レオンは老将軍から目をそらし、つぶやくようにして応えた。
バンブライはレオンの剣術指南役である。しかし、レオンが師事するよりずっと昔に、彼は父王によって見出された。
若君の歳に倍する年月を、先代国主・宰相とともに歩んで来たのである。その長い年月において、彼等の間で培った親交、築かれた信頼の厚さは測り知れない。
ゆえに、幼き頃・剣さばきの妙を、そして今日・索敵の妙をバンブライに褒められても、父王や宰相に複雑な思いを抱くレオンは、素直に喜ぶことができない。
まして、索敵には宰相の手助けがあったとなれば、なおさら――。
「さようでございましたか、宰相が……」
「さすがでございますなぁ、父上……」
老将とその息子は、かみしめるようにしてうなずいている。
このやり取りだけで、質朴な親子がラヴァーダへ寄せる信頼の厚さ――それが十分すぎるほど伝わって来るではないか。
幼いころより蓄積された寂しさと嫉妬とが織り成す感傷――それが、胸の奥に湧き起こるのを、レオンはいやというほど感じざるをえなかった。
動き出した帝国軍後詰の意図について、若者たちの間で導き出した推論――それを、レオンはバンブライに披露した。
「おそれながら、それがしも、皆様方と同じ推察をいたします」
老将も静かに断言する。後方の帝国軍は、旧都・ノーアトゥーンへ引き揚げると見せかけつつ迂回し、ブレギア軍の左翼を狙うのだろう、と。
【11月6日3時】ヴァーガル河の戦い 地図③
「そうか……」
胸の奥に生じた感傷を封じながら、レオンは頬のほころびを殺すことに失敗した。
筆頭補佐官の知恵とはいえ、用兵面の思考において歴戦の勇将に賛同されるのは、やはり嬉しいものなのだ。
「闇夜の迂回に成功した敵の大軍が、我が軍の最左翼側面を狙い、ヴァーガル河を渡ってくるのも、そう遠いことではありますまい」
若君と補佐官たちは、この小さな天幕ではじめての同調者を得た。たったの2名だが、宿老衆一・理知的な父子の賛同ほど、心強いものはない。
レオンは、愁眉を開く思いだった。
しかし、目の前の老将軍の顔は晴れない。
「……問題は、外ではなく内にあります」
「うち?」
「はい。帝国軍への対処法を提案したとしても、御舎弟……ジャルグチ様以下、御親類衆の皆様が、素直に応じるとは思えません」
「……」
「それでは、どのような作戦を立てても無駄です」
バンブライは、兵法書を手に取るも開かない。節くれだった指で表紙を撫でながら言葉を紡いでいく。
「敵はここまで見事な部隊移動をやってのけるほどの指揮官です。我らが足並み揃わぬ状況では、歯が立ちますまい」
「敵の指揮官が、誰だか分かるか」
「おそらくは、先ごろまで東部方面征討軍の総司令官を務めていた人物――ズフタフ=アトロン大将かと」
後詰の兵馬が到着した折、そこに「コガネムシ」の旗印が翻っていたと聞く。帝国の名門・アトロン家の紋章である。
アトロン何某とは、帝国軍最古参の将軍であり、バンブライはその長い戦歴において、何度か彼の部隊と干戈を交えていた。
そして、その都度、彼の人物が繰り出す用兵の妙に舌を巻いてきたという。
老将は書物を脇に置いた。そして、腰を労わるようにして背中を伸ばしてから続ける。
「|ブイク・ナトフランタル《左翼を担う戦友たち》を見殺しにするわけにはまいりません。かくなる上は、やや乱暴なやり方となりますが……」
若者たちが身を乗り出す。
ストーブの薪が大きな音を立てた。
【作者からのお願い】
この先も「航跡」は続いていきます。
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レオンたちが乗った船の推進力となりますので、何卒、よろしくお願い申し上げます。
【予 告】
次回、「塵間のコガネムシ」お楽しみに。
「西進は擬態……彼らの狙いはヴァーガル河を下り、我が軍の最左翼を扼すところにあると思われる」
甥に言葉を遮られた叔父は、不快そうにあばた面をゆがめる。
「レオン殿はまだ若い。軍事に関しては我々の采配を学ばれるとよかろう」
ウテカは大儀そうに老眼鏡を外すと、甥に向けて言葉を投げつけた。小僧、これ以上しゃべるな、とばかりに。




