【第8話】かつての自分を
「私、株式会社epoch makingに所属しております、真鍋理歩と申します」
そう言って、私は監督である國武さんと、プロデューサーである長谷川さんに名刺を渡した。こうして誰かに自分の名刺を渡すことは、epoch makingに入ってからもまだあまり経験がなかったから新鮮だ。
二人は名刺を受け取ると、私に座るように促してくれた。だから、私も近くのテーブルから一つ椅子を拝借して、二人の間に腰を下ろす。
長谷川さんは「epoch makingって恥ずかしながら、初めて聞く会社ですね。いえ、こちらの勉強不足ですみません」と言っていたけれど、私が「いえ、それも当然だと思います。今月の初めに設立されたばかりの会社ですから」と答えると、納得した様子を見せていた。
「それで、さっそくなのですが『いつの日か青かったねと思い出す』、観させていただきました」
「はい。真鍋さんの姿は、ステージからもちゃんと見えていましたよ」
「それで、どうでしたか? 面白かったですか?」
そう訊いてくる國武さんは、ドキドキとした気持ちを隠せてはいなかった。だから、私は「安心してください」と言うように小さく微笑む。
「はい、面白かったです。一〇代特有の不安や鬱屈さが等身大に描かれていて。でも、淡い光に彩られた画面からは瑞々しさも感じられて。ストーリー展開も切実で良かったですし、ともすればキラキラした側面を描きがちな大作邦画とは、また違った面白さがありました。青春って、そんなに良いことばかりではないですからね。それが九〇分という上映時間に、リアルに詰め込まれていたと思います」
私からすれば、その肯定的な評価は何一つ飾らない本心だった。仕事に追われてそんなに本数を観ているわけではないけれど、今年観た映画の中でも上位五本には入る。
私の褒め方が想像以上だったのだろう。「そうですか! ありがとうございます!」と答える國武さんの声は、若干上ずっていた。
「はい。私としても久々に、どストライクな青春映画を観たなぁと思いました。それに舞台挨拶で國武監督が語っていた言葉も印象的で。『かつての自分や、自分のような人のためにこの映画を作った』という言葉には、胸を打たれました。私もそこまで明るい学生生活を送ったわけではないので。なんだか私自身も励まされたようでした」
「本当ですか? それは嬉しいです。確かに先ほどの舞台挨拶で私が言った言葉に嘘はないですし、私はそれを信じて映画を作ったんですけど、でも本当にこんな動機でいいんだろうか? って思ってしまうことも正直あったので。真鍋さんにそう言っていただけて、私の方こそ『これでいいんだ』と励まされた気がします」
「はい。かつての自分や、自分と同じ境遇にいる人を映画の力で救いたいというのは、とても素晴らしい動機だと思います。國武監督がそういった思いで、映画を作ったことを知って、私も『いつの日か青かったねと思い出す』がより好きになりました」
私が重ねてそう伝えると、國武さんはよりその表情を綻ばせていた。爛々とした瞳の輝きから、本当にこの作品に誇りを持っていることが伝わる。私も好きな映画を作った監督と直接話せて、役得といったように心が弾んでいく。
でも、浮かれ始めている私たちとは打って変わって、長谷川さんは冷静さを保っていた。表情は穏やかだったけれど、それでも「真鍋さん、僕たちに声をかけたのは、何も映画の感想を伝えるためだけではないですよね」と落ち着いた声で言う。
私も「はい」と頷きながら、緩みかけていた気を引き締め直した。
「お二人にお聞きします。本作の『いつの日か青かったねと思い出す』には今後、劇場公開や配信などの予定はおありなんでしょうか?」
「いえ、今のところはそういった予定はないです」と長谷川さんが答えていたから、私は千載一遇の機を得た感覚がした。思わず前のめりになってしまいそうな心を抑えて、あくまでも落ち着いた様子で続ける。
「でしたら、ぜひ『いつの日か青かったねと思い出す』を、私どもepoch makingで配給させてはいただけないでしょうか?」
國武さんは目を何度も瞬かせていて、こうして配給会社に声をかけられたことが初めてであることが、私には伝わる。
でも、私にとってはこれだけ素晴らしい映画が、どこにも目をつけられていないことの方が驚きだ。映画祭に出品したのも今回が初めてなのだろうか。だとしたら、私は自分の運の良さに感謝したくなる。
國武さんの顔はプロデューサーである長谷川さんに向けられていて、私も同じように目を向けた。二人分の視線を受けて、長谷川さんは一呼吸置いてから答える。
「はい、ぜひお願いします。と言いたいところなのですが、そんなに即答するわけにはいかないですね」
返事を保留にした長谷川さんの態度も、私は不審に思うことはなかった。何しろ長谷川さんや國武さんが心血を注いで作った、大切な映画なのだ。それを預ける相手を選ぶことに慎重になることは、私にも当然理解できた。
「まず、どういった契約額で配給をするおつもりなんですか? それに失礼ながら、貴社は四月に設立されたばかりの会社なんですよね? そんなにすぐ劇場上映や、配信ができるものなのでしょうか?」
「は、はい。契約の詳細については、もしよろしければまた弊社から連絡を差し上げます。劇場上映や配信についても、ただ今態勢を整えているところです」
「ということは、今の時点で劇場上映や配信が確約できるわけではないんですね?」
「正直に申し上げますと、そうです。それに配給権の取得は、私の一存で決められるようなものではないので」
「どういうことですか?」
「率直に申し上げますと、弊社はまだまだ規模が小さな会社ですので、複数の作品を一度に配給・宣伝できるだけの体力はないんです。だから、社員それぞれが配給したい映画を持ちよって、それを全員での会議にかけて、最終的に一作品だけ配給する作品を決める。今の弊社では、そういった体制を取らざるを得ないんです」
私の言葉に國武さんは「そうなんですか……」と少し肩を落としていたけれど、それでも私は言わなければよかったとは思わなかった。現実は現実として伝えなければ、不誠実だろう。
軽くショックを受けている國武さんの一方で、長谷川さんは「まあ、それはそうですよね」とでも言うような、落ち着いた目を向けている。やはりプロデューサーであるからには、配給会社の事情にもある程度通じているのだろう。
「はい。ですが、私はぜひとも『いつの日か青かったねと思い出す』を提案したいと考えています。この映画は多くの人に届くべき映画だと、観ていて感じましたから」
「それはありがとうございます。ですが、真鍋さん。その全員での会議はいつ頃行われるんですか?」
「現時点では、五月の末を予定しています」
「でしたら、まだ時間はありますよね。まだ買い付けたい作品を探すなかで、本作以上に魅力的な作品に出会っても、それでも本作を選んで提案してくれますか?」
「それは、すいません。正直なところ『はい、もちろんです』とは今は言い切れないです」
「そうですよね。僕は真鍋さんにはもっと多くの作品に触れてほしいと感じています。他の映画祭にも行ったり、制作段階にある作品の企画を見せてもらったり。もし、そうした上で本作を提案したいと感じたら、またご連絡をいただけますか?」
配給会社を通して映画館で上映されたり、各サービスで配信されることは映画としてまたとないチャンスだ。それはきっと、長谷川さんたちも望んでいることだろう。
だけれど、安易に「はい、お願いします」と言わなかったところに私は長谷川さんの誠実さを見る。インディーズの映画や進行中の企画は、他にも数多あるのだ。それらも吟味しながら考えることが、私が取るべき態度だろう。國武さんには申し訳ないけれど、この場で決めてしまうのは時期尚早のようにも私には思えた。
「分かりました。では、また追ってご連絡を差し上げます」
私がそう言うと、長谷川さんは納得したように頷いてから、「そうですね。では、僕の電話番号を教えますので、何かあったらそちらの方にかけていただけますか?」とスマートフォンを取り出した。私も同じようにスマートフォンを手に取って、長谷川さんと國武さんの電話番号を登録する。
二人の名前が連絡先に追加されたことを確認して、「ありがとうございます」と言うと、長谷川さんは「はい。良いお話期待していますよ」と小さく微笑む。國武さんも続くように頷いていて、二人とも私に期待をかけてくれているのが分かった。
(続く)




