【第26話】初号試写
その日、私たちは通常の仕事を夜の七時で終えると、全員でオフィスの近くにあるファミリーレストランで夕食を食べてから、新宿に向かっていた。とはいえ、全員で遊びに行くわけではない。私たちの仕事はオフィスから引き上げたとはいえまだ続いていて、新宿に向かうのも新宿武蔵野館に用があるからだ。
八月を迎えてまだ間もないこの日に、私たちは新宿武蔵野館で『いつの日か青かったねと思い出す』の初号試写をするのだ。パンフレットの文章を担当してくれるライターや、主に首都圏のミニシアターの支配人、それに初報を報じてくれた各ニュースメディアの担当者や、映画に関わったスタッフやキャストなど参加者は関係者のみだったが、それでも初めて映画館で『いつの日か青かったねと思い出す』が上映される機会に、私は期待と緊張を抱かずにはいられない。
西宝など大手企業は自前の上映設備を持っているが、会社を立ち上げたばかりの私たちには、そんなものは持てるはずもなく、新宿武蔵野館での上映も観客が全員帰った夜の一〇時からだったが、それも私たちには致し方ないことだと思える。
幸い映画の上映時間は九〇分にも満たないから、よほど遠くに住んでいない限りは、誰にとっても終電には間に合うはずだ。
私たちが新宿武蔵野館に到着した頃には、今日最後の回の上映の真っただ中だったから、ロビーには観客は誰一人としていなかった。内藤さんに「今日はよろしくお願いします」と挨拶をしてから、私たちはさっそく初号試写の準備に取りかかる。あらかじめ内藤さんに渡していた上映素材に不備がないことを確認し、今日の参加者の名簿を改めてチェックする。
案内用にポスタースタンドに飾るA0サイズのポスターを見たときには私も感動したけれど、いつまでも浸っているわけにはいかない。初号試写に向けての準備はいくつもあって、私たちは慌ただしく動いていた。
そして、私は上映開始の三〇分前になると、映画館のスタッフの代わりに売店に立っていた。どのスクリーンに行くにも必ず通るこの場所で、私は初号試写への参加者の受付をしなければならなかったためだ。
ちょうど今日最後の回の上映が終わったのか、十数人の観客がスクリーンから出てくる。その人たちが帰る様子を見届けながら、私はおよそ四〇人にも及ぶ今日の参加者を待ち続けた。
一般上映が終わった新宿武蔵野館に最初にやってきたのは、都内でミニシアターの支配人を務めている女性だった。名前を名乗ってもらい、タブレット端末に表示した名簿と照らし合わせた私は、「開場までしばらくロビーでお待ちください」と告げる。
すると、堰を切ったかのように、スクリーンがある三階には、続々と参加者がやってきた。ライター、劇場の支配人、各メディア関係者。その人たちに、私は作品情報が記載されたリーフレットを渡して、ロビーで待ってもらう。
その中には映画のスタッフの人もいて、その人たちも映画館のスクリーンで観るのは初めてのようで、期待している様子は私にもひしひしと伝わってきた。長谷川さんも来ていたし、國武さんは主演を務めた二人の俳優、浦田さんや佐伯さんと一緒に来ていて、何度も画面の中で見た二人に直に会えていることに、私は感激すらしてしまう。
二人は「配給してくださってありがとうございます」と言っていたが、それはむしろ私の方からこそ言いたいことだ。「國武さんをはじめとするスタッフとともに、このような素晴らしい映画を作ってくれて、ありがとうございます」と伝える。
國武さんも含めた三人の表情は緊張も多分に含んでいたけれど、それでも私の言葉にはいくらか微笑んでくれていた。
開場時間が近づくにつれて、ロビーには人の話し声が増えてきていて、いくら『いつの日か青かったねと思い出す』が良い作品だと自負していても、それでも私の緊張も高まっていく。
今日の結果によって、作品の広がり方や今後の宣伝の展開もかなり決まってくる。そう思うと、私は自分が作ったわけでもないのに、ドキドキしてしまう。
そして、それは上映開始一〇分前になって、開場したスクリーンに参加者が入っていき、ロビーが比較的静かになるとかえって増幅された。いったい映画館で上映される『いつの日か青かったねと思い出す』を、今日の参加者はどのように受け止めるのだろう。そう思うと、私には気が気でなかった。
それからも上映時間間際になってやってくる数人の参加者を案内して、今日参加する全員がスクリーンに入ったことを確認すると、私は受付から離れた。
とはいっても、私は今日映画を観るわけではない。出水さんたち他の社員は別として、私は映画館で『いつの日か青かったねと思い出す』を観たことがある。それにもしものときに備えて、スクリーンの外にも誰か一人は残しておかなければならない。
だから、私は上映時間までにスクリーンに全員が入っていったことを確認してから、ドアを閉めてロビーに残る。そして、時刻は上映開始時間の夜の一〇時を回った。
しばらくは私はドアの近くで立って、時間が過ぎるのを待った。だけれど、スクリーンの中で映画が上映されている様子は、どうしても私には気になってしまう。ロビーの椅子に座って、スマートフォンを見ながら気を紛らわせようとする。
それでも、スクリーンからは映画の音は少しも漏れてこず、人も私以外は誰もいないから、ロビーは本当に物音ひとつしないのではないかというほど静かだった。外の音も聞こえてこず、電気のついた室内にいても夜の暗さを感じてしまう空気に、私はどうしても心細くなってしまう。何をしていても、不安やドキドキに押されるようだ。
上映されている間も一分一分が進んでいくのをひどく遅く感じながらも、時間は着実に過ぎていき、ようやく上映時間が終わる頃になる。その間際になって、私は再びドアの近くに立ち始めた。映画を観終えた参加者を「今日はありがとうございました」と見送るためだ。
何度もスマートフォンを確認したくなる思いを抑えて立ち続けていると、上映が終わったのか、ドアが開けられた。
まず出てきたのは、四谷さんや立石さん、木蓮さんといった会社の面々だ。それは私と一緒に参加者を見送るためだったが、それでも三人の表情には映画館で映画を観終えた後特有の心地よさが漂っている。
ドアを固定した私たちは、出口に向かう動線を邪魔しない位置に、四人で並んで立つ。
すると、ぽつぽつと参加者が、スクリーンから出てくる。「良かったです」といった声を私たちにかけてくれる人もいれば、「ありがとうございました」と言う私たちに、軽く会釈をしただけで帰っていく人もいて、私はその何も言わなかった人の感想こそ知りたいと思う。
もちろんどんな映画でも、全ての観客を満足させることはあり得ない。私たちは自信を持っているけれど、もしかしたら『いつの日か青かったねと思い出す』が、そこまでハマらなかった人もいるのかもしれない。
それでも、私は一人でも多くの人がこの映画を気に入ってくれますようにと願う。それは私たち全員が共通して抱いている思いでもあった。
通常の上映なら数分でスクリーンからは人がいなくなるけれど、今日は一〇分経っても参加者全員が出てくることはなかった。帰っていく人もぽつりぽつりといった様子で、私はそれを上映が終わってもスクリーンに残っている國武さんや長谷川さん、浦田さんや佐伯さんと参加者が代わる代わる話していると想像する。実際、開かれたドアの向こうからは、小さいながらも話し声が聞こえてくる。
きっとそれは単純に映画の感想を伝えていたり、今後の仕事のために四人に少し質問を投げかけてみたり、はたまた一緒に映画を作った仲間との再会を喜んでいたりするのだろう。
私も話の内容を知りたいと思いつつも、それでもさほど焦れることはない。いくら時間が遅いとはいえ、こうなることは私にも予想できたし、それに万が一終電の時間に間に合わなくても、そのときはタクシーで帰ればいいだけの話だった(きっと経費で落ちることだろう)。
数えていたわけではないが、上映が終わってから二〇分ほどが経って、最後と思しき参加者がスクリーンから出てくる。もうスクリーンの中に人はいないと分かったのは、そのすぐ後に出水さんと一緒に、國武さんたちが出てきたからだ。「今日はありがとうございました」と、私たちは挨拶を交わす。
それでも、日付が変わる時間が近づいてきていてもなお、國武さんたちはすぐには帰ろうとはしていなかった。
(続く)




