【第19話】信じてみたい
「この度は私どものオファーに応えてくださり、ありがとうございました」
「いえいえ、お礼を言うのは僕たちの方ですよ。改めて今回は『いつの日か青かったねと思い出す』を配給したいと、オファーをくださりありがとうございました」
「いえ、私たちはこの作品を、何としても映画館でお客さんに観てほしいと思っただけですから。今回長谷川さんが承諾してくださったおかげで、いよいよ本格的に配給に向けて動き出せそうです」
「ええ、僕たちも少しお返事に時間はかかってしまいましたが、それでも悔いのない決断ができたと感じています。改めてこれからの真鍋さんたちの仕事に期待してますよ。僕たちにできることがあったら、また何でも言ってくださいね」
「はい!」と、私の返事は弾む。
もちろん、まだ買い付けができただけだ。これから配給や宣伝など、公開に向けてやらなければならない仕事は、それこそ山のようにある。そう考えると私は浮かれてばかりもいられなかったが、それでも今だけは全面的に喜ぶべきだろう。
だけれど、長谷川さんと話していると、私の胸にはある一つの疑問が生じた。それは電話をかける前にはなかったもので、でも一度気になってしまったからには抑えることは難しい。
長谷川さんも、今は穏やかな様子で電話に応じてくれている。だから、心証を悪くすることはないだろうと判断した私は、思いきって尋ねた。
「長谷川さん、それと一つよろしいですか?」
「はい。何でしょうか?」
「『いつの日か青かったねと思い出す』には、他の配給会社からもオファーが来ていたんですよね? その中で私たちを選んでくれた決め手というのは、何だったんでしょうか?」
「そうですね……。ちょっと正直な話をしてもいいですか?」
「はい」と相槌を打ちながら、私は思わず身構えそうになってしまう。喜びも少し静まり返っていくようだ。
「本当に正直に言うと、もう一社の配給会社の方が条件的にはよかったんです。契約額も真鍋さんたち以上の額を提示してくれましたし、過去に映画を配給した実績もある。本当に失礼なんですが、それは今の真鍋さんたちにはないものですからね。ですから本音を言えば、僕はそちらの方の配給会社のオファーを受けるつもりだったんです」
長谷川さんの返事は、私にもある程度予測ができたものだった。条件面でその配給会社に上回られていることも私は薄々察していたし、私たちに映画の配給の実績がないと言われれば、それはその通りだ。
でも、いくら予測はできていても、それは私が完全に無事であることを意味しない。心に少なからぬダメージが入る。
「じゃ、じゃあ、どうして私たちの方を選んでくれたんですか?」私は、半ばおそるおそるといったように口にする。ふと電話の向こうで長谷川さんが口元を緩めたのが、見えないのに見えるようだ。
「それは、國武さんに言われたんですよ。『epoch makingからのオファーを受けてください』って」
その返答も、私には十分に予想できた。というか、今回の件で長谷川さんの意志決定に影響を与えられるとしたら、監督を務めた國武さんしかいないだろう。
でも、本当に國武さんが進言したとは思っていなかったから、私は思わず「えっ、國武さんがですが!?」と驚いてしまう。そんな私の反応にも、長谷川さんはなんてことのないように続ける。
「はい。今回の件で國武さんから何度か連絡がかかってきて、それは全てepoch makingに、真鍋さんたちに任せたいということでした。特に担当者である真鍋さんは何度も私に連絡してくれて、心からの誠意と並々ならぬ熱意が伝わってきた。私もそんな真鍋さんたちを信じてみたい、と」
長谷川さんを通して聞いた國武さんの思いに、私は胸を打たれる。國武さんがそこまで思ってくれていたことが、驚きながらも嬉しかった。
「そうなんですか。それはありがとうございます」
「ええ、僕も何度も話したんですけどね。epoch makingは契約額も高くないし、配給の実績もないのに大丈夫かと。でも、國武さんはそんなことは関係ない。私は真鍋さんたちを信頼して任せたいと言って聞かなくて。epoch makingでなければこの映画は配給されなくていい、映画館で観てもらわなくていいとさえ言っていました。そうなると、僕もそれを聞くしかないですよね。國武さんがどういった想いであの作品を作ったのかは、僕だって少しは知っているつもりですから」
長谷川さんを通して伝えられた國武さんの想いに、「そうですね」と相槌を打ちながら、私の胸は熱くなる。
國武さんは「かつての自分を救うつもりで、この映画を作った」と言っていた。そこにはかつての自分だけじゃなく、今同じような思いをしている人もきっと含まれていることだろう。國武さんは『いつの日か青かったねと思い出す』を、一人でも多くの人に届けたくて仕方なかったはずだ。
だからこそ、「配給されなくていい」「映画館で観てもらわなくていい」といった言葉が、それ相応の重さを持って私に響く。「信頼して任せたい」という言葉にも、すくっと背筋が伸びた。
「はい。だから、真鍋さん本当によろしくお願いしますよ。國武さんをはじめとして、スタッフやキャストが精魂込めて作ったこの映画を、少しでも大きな規模で上映できるように。一人でも多くの方に届けられるように」
「はい。私もこうして買い付けができたからには、全力で配給業務に当たらせていただきます。社を挙げて『いつの日か青かったねと思い出す』を一人でも多くの方に観てもらえるように、最大限努力する所存です」
私は声に力を込めて口にした。もう後には引けないという決意を伝えるためにも。私の想いが伝わったのか、電話越しに長谷川さんが頷いたのが、私には見なくても分かる。
國武さんや長谷川さんとの約束は、必ず果たさなければならない。そう思うと、浮かれていた気持ちは自然と引き締まった。
『いつの日か青かったねと思い出す』の買い付けが正式に決まった翌日、私たちはさっそく全員で、再び会議の席に着いていた。議題は『いつの日か青かったねと思い出す』を、いつ頃公開するかだ。
一時間ほどにわたる会議の末、一一月の公開を目途に調整することが決まる。ポスターや予告編、ホームページやSNSのアカウント等を作って宣伝するためには、最低でも半年ほどの期間が必要だという判断だ。
それに、一二月は西宝をはじめとした大手映画会社が、冬休みシーズンに合わせて大作を公開する。だったら、まだ比較的閑散期と言える一一月に公開した方がより多くの観客動員、興行収入を期待できるだろう。
一一月と幅を持たせたのも、映画館側の都合を考えてのことだ。映画館側が上映できる映画の本数は限られているし、いくつかはもう公開予定が決まっているかもしれない。だとしたら、まだ公開予定がない週に狙いを定めて、公開すべきだ。
映画の公開日は、配給会社と映画館の交渉によって決まる。だから、私たちは公開日の予定に、ある程度の幅や選択肢を持たせておかなければならなかった。
私がオフィスに出社せずに、家からそのまま新宿駅へと向かったのは、公開時期が決まってから二日後のことだった。スーツを着て襟を正しながら、電車に揺られる。
そして新宿駅に着くと、東口で同じくスーツを着た木蓮さんと落ち合った。軽く挨拶を交わすと、私たちは今日の目的地へ向かって歩き出す。新宿の街は入り組んでいるけれど、私はそこに観客として何度も行ったことがあるから、スマートフォンのナビを見なくても容易に辿り着ける。
新宿武蔵野館は、買い付け会議の際に私が「ここを拠点に『いつの日か青かったねと思い出す』を公開したい」と提案した、まさにその映画館だった。
新宿武蔵野館があるビルに辿り着くと、エレベーターの前には支配人で番組編成も担当している内藤さんが、私たちを待ってくれていた。五〇代だというのに高身長の背丈は少しも曲がっておらず、ジムで鍛えているのか、服の上からでも胸板が厚いのが分かる。
私たちは軽く自己紹介をして、エレベーターに乗った。昇っている間も少し話しながら、私たちはスクリーンがある三階に到着する。見慣れたロビーには、ちょうど映画の上映が始まったばかりだからか、観客はほとんどいなかった。
公開中の映画に関連した展示がなされたロビーを通り、私たちは「STAFF ONLY」と書かれたドアをくぐる。ドアの向こうには、四つの机がくっつけられたオフィス然とした空間が広がっていて、壁にはいくつかの映画のポスターが貼られていた。
そして、私たちはその一番奥、仕切りで区切られた応接スペースに案内された。既にテーブルの上には、小ぶりなペットボトルのお茶が置かれている。
「改めまして、内藤さん。お久しぶりです。私、株式会社epoch makingから参りました木蓮と申します」
「同じく、株式会社epoch makingの真鍋です」
私たちは、まずは名刺交換から顔合わせを始めた。私も木蓮さんに続いて、内藤さんから「新宿武蔵野館 支配人 内藤正質」と書かれたシンプルな名刺を受け取る。
木蓮さんはepoch making以前にも、別の配給会社で劇場営業をしていた。だから、内藤さんとも面識はあったのだろう。二人は「転職されたんですか?」「はい、お声がけをいただきまして」と軽く会話を交わしている。
その間に入り込むのは私には気が引けたけれど、会話はすぐに終わったから、私たちは内藤さんに促されて赤いソファに腰を下ろした。
(続く)




