35.うまくいかなかった私たちより、うまくいった彼らの方が危ない?
聖樹へ向かう道を進んでいると、前方にひときわ大きな樹木が見えてきた。
……大きい。
遠くからでもわかるほどの巨木だったけれど、近づくにつれて、その大きさに圧倒される。
太い幹は何人もの大人が手をつないでも囲めそうになく、枝は空を覆うように広がっていた。
「これが、聖樹……」
思わず呟くと、隣にいたミアが頷いた。
「すごいですね。こんなに大きな木、初めて見ました」
「私もよ」
しかも、大きいだけではない。
周囲には豊かな魔力が満ちている。
霧の森も魔力の強い場所だったけれど、あちらとは何かが違う。
うまく説明できないものの、こちらの方がずっと穏やかに感じられた。
「全員、こちらへ集まるように」
教師の声に、生徒たちが集まっていく。
「ここが、今回の最終実習地となる聖樹だ。非常に古い樹木で、強大な魔力を宿している。地下を流れる地脈とも深く結びついており、学園が管理する実習地の中でも特別な場所だ」
教師は聖樹を見上げた。
「聖樹の特徴は、その魔力循環にある。地脈から聖樹へ、聖樹から周囲の自然へ。そして、周囲の自然から再び地脈へと魔力が巡っている」
「霧の森とは違うのですね」
私が尋ねると、教師が頷いた。
「ああ。霧の森では、地脈が抱えきれない魔力を地上へ放出していた。しかし、ここでは強大な魔力が淀むことなく循環している」
「なるほど……」
私は改めて聖樹を見上げた。
あれほどの魔力を持ちながら、余分な魔力を溜め込むこともなく、周囲の自然と循環させているのか。
……紅魔病の治療にも、何か参考になるかもしれないわね。
そう考えていると、少し離れたところから教師の声が聞こえてきた。
「おや、どうした?」
そちらを見ると、リーヴが籠の中で立ち上がっていた。
今回も公平性を保つため、リーヴは実習に参加せず、教師に預かってもらっている。
そばには公爵家の護衛もついていた。
そのリーヴが、聖樹へ向かって両手を伸ばしている。
「リーヴ?」
思わず名前を呼ぶ。
けれど、リーヴはこちらを振り返らなかった。
ただ、じっと聖樹を見つめている。
「ノエリアさま」
隣にいたグレンも、リーヴの様子に気づいたらしい。
「リーヴ、聖樹が気になるんでしょうか」
「そうみたいね。でも……」
何だか、不思議な様子だった。
以前、風の丘で魔力の乱れに反応したときとも、霧の森を気にしていたときとも違う。
今のリーヴは、落ち着いている。
それなのに、聖樹から目を離そうとしない。
「……懐かしいのかしら」
思わず口にすると、グレンがこちらを見た。
「懐かしい、ですか?」
「ええ。何となく、そんなふうに見えたの」
「……そうですね」
グレンもリーヴへ目を向ける。
「僕にも、そう見えます」
もちろん、リーヴが以前ここへ来たことはないはずだ。
それなのに、どうしてあんな反応をするのだろう。
気にはなったけれど、今は実習がある。
教師もリーヴの様子を観察してくれているし、あとで話を聞いてみよう。
「では、これから最終工程に入る」
教師の説明が再開された。
「これまで君たちは、各地の魔力を取り込みながら杖を育ててきた。今日は聖樹の魔力を取り込み、杖の内部で安定した循環を成立させる。それができれば、短杖は完成だ」
いよいよ最後の仕上げね。
最初はただの枝だったものが、今では自分の魔力に馴染んだ杖になっている。
それが今日、完成するのだと思うと、少し感慨深い。
「これまでと同様、二組のペアで協力して魔力を循環させてもらう。ただし、今回は聖樹の魔力循環とも同期させる必要がある」
教師は聖樹を見上げた。
「聖樹の魔力は非常に強い。無理に取り込もうとせず、四人の魔力と聖樹の魔力を慎重に合わせること。取り込んだ魔力が杖の内部で安定したことを確認してから、次へ進むように」
なるほど。
これまでの実習でも四人で魔力を合わせてきたけれど、今回は聖樹そのものの魔力循環に合わせる必要があるのね。
「異常を感じた場合は、すぐに作業を中止すること。では、各班、指定された場所へ移動してくれ」
説明が終わると、生徒たちが移動を始めた。
私たちも四人で聖樹の根元へ向かう。
「よろしくお願いします、ノエリアさま」
ミアが笑顔で声をかけてきた。
「ええ。こちらこそよろしくね」
「グレンさまとも、最後まで一緒に頑張ります」
「はい。よろしくお願いします、ミアさん」
グレンが微笑む。
……ふふ。
二人とも、すっかり息の合ったペアになったみたいね。
「カルディナート嬢」
ローレンス殿下に呼ばれ、そちらを向く。
「私たちも始めよう」
「はい、殿下」
私たちはそれぞれ杖を構え、魔力を流し始めた。
まずは、これまでの実習と同じように四人で魔力を循環させる。
杖の心核が淡く光り、四人の間を魔力が巡っていく。
「こちらは問題ありません」
グレンが記録を確認しながら言った。
「私の方も大丈夫よ」
「こちらも安定しています」
ミアが答え、殿下も頷いた。
「では、聖樹の魔力を取り込んでみよう」
四人で魔力を循環させたまま、周囲に満ちる聖樹の魔力へ意識を向ける。
まずは、ほんの少し。
杖へ魔力を導き、四人の循環と合わせていく。
ところが。
「……あら?」
思ったように魔力が馴染まない。
四人の間では問題なく循環しているのに、聖樹の魔力の流れに合わせようとすると、わずかに乱れるのだ。
「少しずれているな」
殿下が杖を見つめる。
「はい。聖樹の魔力との同期率が、あまり上がっていません」
グレンが記録用紙を確認する。
「もう一度、合わせてみましょうか」
ミアの提案で、私たちは改めて魔力を調整した。
けれど、結果はあまり変わらない。
「……難しいわね」
「四人の魔力は、これまでどおり安定しているんですけど……」
ミアも困ったように杖を見つめている。
そうなのよね。
これまでのフィールドワークでは、四人で魔力を合わせることに問題はなかった。
今回も、四人の魔力循環自体は安定している。
違うのは、聖樹の魔力が加わったことだけだ。
「ベルマー、記録はどうなっている?」
殿下が尋ねた。
「聖樹との同期率は、まだ低いままです。ただ……」
「何かあるのか?」
「杖に取り込んだ魔力は、安定しています」
「同期率が低いのに?」
「はい。四人の魔力循環も乱れていません」
グレンは記録用紙を見つめた。
「聖樹の魔力に合わせようとしたときだけ、変動が大きくなるんです」
私も自分の杖を確かめる。
確かに、聖樹の魔力を少しずつ取り込むだけなら、心核は落ち着いている。
ところが、聖樹の循環に合わせようとすると、魔力の流れが不安定になるのだ。
「もう一度、試してみよう」
殿下の言葉に、私たちは頷いた。
今度は聖樹の魔力の流れを意識し、できるだけ同期させるように調整する。
すると、同期率は少し上がった。
けれど。
「……あ」
杖の中を巡る魔力が、わずかに乱れた。
「カルディナート嬢?」
「少し、流れが不安定になりました」
「こちらもです」
ミアも頷く。
グレンがすぐに記録を確認した。
「同期率は上がっています。でも、杖の内部の魔力変動も大きくなりました」
「……どういうことだ?」
殿下が眉を寄せる。
それは私も知りたい。
魔力を同期させることで循環が安定する。
これまでの授業でも、実際のフィールドワークでも、その方法はうまくいっていた。
なのに、今回は聖樹との同期率を上げるほど、かえって不安定になってしまう。
「先生に確認してみましょうか」
私が提案すると、殿下が頷いた。
「ああ。その方がいいだろう」
近くにいた教師を呼び、これまでの経過を説明する。
教師はグレンの記録を確認し、私たちの杖も調べた。
「……確かに、聖樹との同期率は低いが、取り込んだ魔力は安定しているな」
「問題があるのでしょうか?」
「今のところ、杖に異常は見られない。だが、通常とは異なる結果だ。無理に同期率を上げようとするのは避けた方がいいだろう」
「では、このまま進めてもよろしいのですか?」
「ああ。ただし、少しでも循環が乱れたら中止すること。最終的な判断は、もう少し記録を確認してからにしよう」
「わかりました」
教師が離れたあと、私たちは作業を再開した。
今度は聖樹の魔力に無理に合わせようとはせず、四人の循環を安定させたまま、少しずつ魔力を取り込んでいく。
すると、先ほどまでの不安定さがなくなった。
「……あら」
杖の心核が、穏やかな光を放っている。
「うまくいっていますね」
グレンが嬉しそうに言った。
「ええ。でも、どうしてかしら」
「それは、まだ……」
グレンは少し考え込んだ。
「記録をもう少し調べてみたいです」
「そうね。私も気になるわ」
聖樹の魔力に合わせようとするほど不安定になるなんて、何だか不思議だ。
「まずは杖を完成させよう」
殿下の言葉に、私たちは頷いた。
周囲に満ちる魔力を感じ取り、杖の心核へ導く。
心核に宿る光が、ゆっくりと強くなった。
取り込んだ魔力が安定するのを待ち、また次の魔力を取り込む。
四人の循環も、今のところ問題ない。
この調子なら、無事に完成させられそうね。
そう思っていると、少し離れたところから声が聞こえてきた。
「……すごいな」
そちらを見ると、レオニールたちの班の周囲に、何人かの教師が集まっていた。
レオニールは一学期のシュプラウト育成と同じ女子生徒とペアを組んでいる。
今回も、その二人を含む四人班で実習しているようだ。
「どうしたのかしら」
私が呟くと、グレンもそちらを見た。
「何かあったんでしょうか」
ちょうど近くを通りかかった教師に尋ねると、レオニールたちの班は聖樹の魔力循環と非常に高い同期率を記録しているらしい。
「四人の魔力が聖樹の循環と、驚くほどよく同期しているんだ。取り込んだ魔力も、今のところ安定している。なかなか興味深い結果だよ」
「そうなのですね」
私はレオニールたちへ目を向けた。
四人が構える杖には、明るい光が宿っている。
私たちは聖樹の魔力に合わせようとすると不安定になるのに、あちらはうまくいっているらしい。
……同じ実習なのに、こんなに差が出るものなのね。
ふと、レオニールが杖を持っていない方の手を見つめているのに気づいた。
あのシュプラウトが最後に残した種を確かめているのだろうか。
以前、霧の森で一緒に実習したときにも持っていた。
あのシュプラウトは、紅魔病に似た症状を起こして暴走したあと、小さくなりながらも生き延びた。
そして最後の昇華の授業で、レオニールたちに一粒の種を残して消えていったという。
あれほど苦しい思いをしたのに、それでも二人に未来を託してくれたのだ。
レオニールがあの種を大切にしているのも、当然だと思う。
……いつか、あの種から新しい命が芽吹くといいわね。
そんなことを考えていると、レオニールが顔を上げた。
何か呟いたようで、近くにいた教師が反応する。
「どうした、フロスト?」
「……光が」
レオニールが杖を見つめる。
「さっきより、強くなってる」
「魔力を取り込みすぎたのか?」
「……違う。もう止めた」
教師がすぐに杖を確認する。
「全員、いったん魔力の取り込みを中止しろ」
その声に、レオニールたちの班が作業を止めた。
……何かあったの?
私たちも杖を下ろし、そちらを見る。
ところが、レオニールたちの杖は、なおも光を強めていた。
「先生、止まりません!」
女子生徒の声が上がる。
「落ち着け。無理に魔力を動かすな」
教師が四人の杖を確認する。
その表情が変わった。
「……おかしいな」
別の教師も駆け寄ってくる。
レオニールたちの杖から放たれる光が、さらに強くなった。
「フロスト、杖から手を離せ!」
教師が声を張り上げる。
レオニールは言われたとおりにしようとしたようだ。
けれど、その手は杖を握ったまま動かない。
「……離れない」
「何?」
「手が……」
レオニールの顔が歪む。
「……っ!」
次の瞬間、レオニールが苦しげに膝をついた。
「レオニール!」
私は思わず声を上げた。
あのときのシュプラウトと同じように、魔力が制御できなくなっているのだろうか。
けれど、今回はシュプラウトではない。
レオニール自身が、苦しんでいる。





