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【書籍化・コミカライズ決定】ワンオペ母が悪役令嬢になったら、攻略対象が地雷にしか見えない件  作者: 葵 すみれ
第二章 杖作成

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20.誰と並ぶかは、私が決めます

 リーヴは、腕の中で静かにしていた。

 先ほどまでの落ち着かなさが嘘のように、今はただ、ぎゅっと服を掴んで離れようとしない。

 小さな体を預けるように寄せてくる重みを感じながら、私はその背を軽く撫でた。


 ──魔物との接触があったからかしら。


 あの坑道の奥で起きた出来事を思い出す。

 目に見えない何かを感じ取ったとしても、不思議ではない。

 まだ、不安が残っているのだろうか。

 そう考えたところで、足音が近づいてきた。


「ノエリアさま」


 振り返ると、グレンがこちらへ歩いてくるところだった。

 表情は落ち着いているが、どこか急いできた気配が残っている。


「戻ったのね。大丈夫だった?」


「はい、問題ありませんでした。教師の方々も確認に向かわれましたが、特に異常はないそうです」


 その言葉に、胸の奥に残っていた緊張がようやくほどけた。


「そう……よかった」


 小さく息を吐く。

 思っていた以上に、気が張っていたらしい。


「戻った者から解散とのことです。今日はこのまま引き上げるようにと」


「ええ、聞いているわ」


 頷きながら答えると、グレンは私の腕の中へ視線を落とした。

 リーヴは相変わらず大人しく、こちらに体を預けている。


「……リーヴは、落ち着いたようですね」


 ほっとしたように、わずかにグレンの表情が緩む。

 その様子に、私も視線を落とした。


「ええ。さっきまで落ち着かなかったのだけれど、今はこの通りよ」


 言いながら、背を軽く撫でる。

 指先に伝わる体温は、いつも通りだ。


 グレンは一瞬だけ様子を見てから、そっと手を差し出した。


「お疲れでしたら、代わりましょうか」


 いつものように、自然な提案だった。

 けれど──リーヴはその手に反応することなく、私の服を掴んだまま離れない。

 むしろ、ほんのわずかに力を強めたようにも感じる。


 グレンの手は、そのまま静かに止まった。


「……まだ落ち着いていないみたいですね」


 無理に触れようとはせず、引き取ることもせず、ただそう言って手を下ろす。


「そうね」


 私も小さく頷く。

 腕の中の重みを感じながら、視線を落とした。

 いつもなら、グレンが手を差し出せばリーヴはそちらに移る。私とグレンと、どちらかに偏ることはこれまでになかった。


「もしかしたら……魔物が出たことを感じ取って、心配しているのかもしれないわ」


 そう口にすると、グレンがわずかに目を細めた。


「……そういえば、魔物が出たと」


 確認するような声音だった。

 私は頷く。


「ええ。奥で、少しだけ接触があったわ。大事には至っていないけれど」


 簡潔に告げると、グレンは一瞬だけ言葉を止めた。

 その沈黙は短いものだったが、はっきりと意味を持っていた。


「……そう、でしたか」


 低く落ち着いた声で返される。

 それ以上は何も言わない。

 責めることも、問い詰めることもない。

 ただ、視線がほんのわずかに、私とリーヴのほうへ向けられたままになる。

 そのまなざしに、私は少しだけ息をついた。


 そのとき、周囲からひそひそとした声が聞こえてくる。


「あの二人、距離近くない?」


 小さく潜められているつもりなのだろうが、完全には隠しきれていない。


「だって、あのシュプラウト……リーヴだっけ。あの二人のペアで生まれたんでしょう?」


「だからって、婚約者でもないのに」


「相手、子爵家だよね。しかも……」


 言葉がわずかに濁る。


「ノエリアさまって、前は殿下を追いかけていなかった?」


「確かに、相手なら殿下の方がずっと自然よね」


 断片的な言葉が、風に乗るように耳に届く。


 ──くだらないわね。


 そう思う。思うのに、完全には無視しきれない。

 私は視線をわずかに伏せ、それから何事もなかったように顔を上げた。

 そのとき、別の気配が近づいてくる。


「カルディナート嬢」


 呼びかけに顔を向けると、ローレンス殿下がこちらへ歩み寄ってきていた。

 いつものように堂々とした立ち姿だが、どこか、ほんのわずかに歯切れが悪い。


「後日でいい。今回の振り返りをしておきたい。今回は少々、危険なこともあったからな」


 言葉自体は変わらない。

 けれど、その声音には、わずかな迷いのようなものが交っている。


 私は軽く頷いた。


「ええ、必要なことだと思いますわ。後日、皆で時間を取るのがよいかと存じます」


 そう返すと、ローレンス殿下の表情がわずかに緩んだ。


「そうだな」


 短く答えるその様子に、少しだけ安堵の色が見える。


 ──褒めておくことも必要ね。

 私は続けて口を開いた。


「今回の魔物は、殿下の迅速な対応で皆が助かりましたわ。改めて感謝申し上げます」


 率直にそう告げると、ローレンス殿下は一瞬、言葉を失ったように見えた。

 それから、わずかに視線を逸らし、少し困ったように眉を寄せる。


「……当然のことをしたまでだ」


 素っ気ない言い方だったが、どこか落ち着かない響きがあった。

 そのまま踵を返しかけた彼は、ふと、私の腕の中へと視線を向ける。

 リーヴが静かに収まっている。


 その光景を一瞬だけ見て、ローレンス殿下の表情がわずかに揺れた。

 ほんの一瞬、複雑な色を帯びたそれは、すぐに消える。

 何も言わず、そのまま視線を外し、ローレンス殿下は歩き去っていった。


 ローレンス殿下の背が人波に紛れて見えなくなったころ、ふと隣の気配が遠いことに気づいた。

 視線を向けると、グレンがほんのわずかに距離を取って立っている。

 先ほどまでより一歩分ほどだろうか。たったそれだけなのに、妙に遠く感じられた。


「どうしたの?」


 問いかけると、彼は一瞬だけ顔を上げ、すぐに視線を落とした。


「お待たせしてごめんなさい。帰りましょう」


 私はいつも通りの調子でそう続ける。


 グレンは少しだけ間を置いた。

 何か言いかけて、やめたような、そんなわずかな迷い。


「……はい」


 応えるその声はわずかに硬かった。

 先ほどまでと同じはずなのに、ほんの少しだけ距離を感じる。


 ああ、そう。

 周囲の言葉が、頭の中で反芻される。


 ──婚約者でもないのに。

 ──相手なら殿下の方が自然。


 ……くだらない。

 そう思うのに、胸の奥がわずかにざわつく。


 私は一歩、踏み出した。

 離れかけていた距離を、元に戻すように。


「グレン」


 呼びかけると、彼が足を止める。

 振り返ったその表情は、いつもと変わらないはずなのに──どこか、わずかに遠い。


 だからこそ、口を開いた。


「一緒に帰るのでしょう?」


 一瞬だけ、間があく。

 それから、グレンの目がわずかに見開かれた。


「……はい」


 今度の返事は、先ほどよりも少しだけ柔らかかった。

 私はそのまま、彼の隣に並ぶ。


 リーヴが腕の中で、ようやく力を抜いた。

 まるで、正しい位置に戻ったとでも言うように。


 ──やっぱり。


 私は、わざわざ距離を取るつもりはない。

 理由をつけるほどのことでもない。

 ただ、こうして並んで帰るのが、しっくりくるだけ。

 それで、十分だわ。

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