9話 マドンナと愉快な仲間達
「こんにちは! 幸乃さん!」
「聖こそ、こんにちは。あはは、あービックリした…」
イタズラが成功して嬉しそうな表情を浮かべる聖を垣間見れ、どこか一安心する幸乃は胸を撫で下ろす。
彼女は神楽坂聖。聖とは入学式直前、昇降口付近で出会った。
ホワイトボードに貼り出されたクラス表を眺めて。
表に載った自分の名前を探していた時、偶然にも隣にいた聖が同じクラスだった為、自然と会話が弾んで、ふと気付けば瑠依や他のクラスメイトと同じ時間を共有する良い関係を築けている。
言うなれば、初めての高校の友達だ。
カリスマ性を兼ね備えた瑠依とは違って。聖の方は行動力が長けていた。何よりも印象的なのが、悪い意味で孤立しようとした彼に対してクラスの誰よりも気楽に話せること。あの親友と自負する駒込よりも友好的な感じがする。挨拶程度の会話を交わしただけかもしれないが、その胆力はただのお人好しではないだろう。
彼の奥底に隠していた。
怜悧な本質を、彼女は見抜いていたかもしれなかった。
それとも。昔からの知り合いの可能性だってある。そうじゃないとおかしい。
見せる反応が全く違う。
―――彼には距離を隔てる警戒心が無かったのだ。
(考えてもいなかったけどさ、日比谷くんって彼女いるのかな? 全然私に見向きもしなかったし、恋愛には疎いのかな。もしかして聖が恋人なの……? うーん。どうしよう。……いや、なんで私が悩んでいるんだろう)
気になる要素が多すぎる。
特に彼の存在自体が謎そのものだ。突然風のように音もなく現れて、狂い始めた群衆を一蹴してみせたあの瞬間、今までの認識を凌駕する彼の強さにキッカケの源があったとすれば。
―――彼は一体。何を見てきた?
知りたい。終わらない探求心が幸乃の衝動を駆る。様子を見ようとして周辺を眺めようとするものの、人混みが邪魔をして、思うように見えない。
結局。終いには何の前兆もなく聖に声を掛けられた。
「楽しそうな声が聞こえたんですけど、何の話をしていたんですか?」
「え、ええっとね……」
気さくに聖とハイタッチを交わす。
けれども募り始めた焦燥は変わらず。後ろめたい気持ちが溢れてくる。
どうやら聖は耳を澄ませていたらしく、楽しそうな話に釣られて、挨拶代わりとして幸乃に目隠しを仕掛けた。単なるお茶目なイタズラだとしても、予想外の登場と絶妙なタイミングに幸乃は話す機会を逃してしまう。
なぜだろう。
振り回されている気がする。気を抜いてしまったら足元をすくわれそうな。
心が騒ぎ始める。
「聞きたい? 幸乃の恋愛話よ」
反応が鈍すぎていた。会話に挟んできたのは瑠依だった。使われていない椅子に腰掛けて、ニカッとした清々しい表情を浮かべる。共に繰り出された言葉は邪念を吹き飛ばすほどの爽快感を乗せていた。
多分悪気はないのだろうが。幸乃にとってはハードルが高くて。
思わず赤面をしてしまった。
「あー!」
「大丈夫大丈夫だって。好きな人ってそう簡単には言わないものでしょ?」
「それはそうだけども!?」
呆気なく瑠依に恋愛事情が聖に暴露されてしまう羽目に。
幸いにも噂に至らなかった。その理由として、入学式を無事に終えた学生達は肩に背負っていた荷物をおろしていたからか。蚊帳の外で満喫する彼らは視界に映るものだけに熱中し過ぎて、幸乃の恋愛話さえも聞き取れなかった様子。ざわついた教室が落ち着きを取り戻すのに時間が掛かりそうだった。
それでも話を聞いている人はいるので、
「へぇー! 幸乃さんが!?」
聖は反応してしまった。目を輝かせては興味津々に続きを待っている。
堪らずに幸乃は眉を顰めては苛立ちを覚えそうになった。
「……あの、ちょっと。瑠依さん? 流石に私も考える必要があるんだけど……。私ばかりじゃなくて、瑠依の好きな人を教えなさいよね」
「好きな人? 好きな人ねぇ。やっぱりパパとママかな。いつも感謝してる」
「そういう好きじゃなくてっ!!」
半分ふざけて。半分は心の底から楽しんでいる。
歓喜のような騒音を浴びる高校生活。まさしく青春を満喫していることだろう。
みんな。浮かれていた。
仲間と共に過ごす新天地で、幸せな時間が送れる。
それだけでも。十分に価値があって。
誰かと一緒に笑え合える温かい世界は決して忘れない。限られた日々に思い出を刻む為には、大切な人を想うことだ。かけがえのない友達を大切にする心の優しさが、心の繋がりを強くしてくれると、改めて実感させられる。
―――自分は笑っていいんだ。
取り柄が無かった自分は今幸福の中で輝いている。生まれかわったんじゃない。見据えていた世界から目を背けることを辞めたから、幸乃は素直になれた。
孤独は怖い。
でも、仲間が居れば、心の繋がりは決して潰えたりしない。
「わ、私は別に気になる人を言っただけ! その人に彼女でもいたら困るでしょ。……背徳的だし、私悪い人になっちゃうよ」
そうだ。これは欲望が詰まった虚言なのかもしれない。
自惚れを正す方法。
自制心を鍛えることが何よりの近道であり、唯一の正攻法でもある。
もしもの可能性。彼女が居たら幸乃が勝手に罪悪感に放り込まれるだけだ。彼の幸せを祝福しないで呪詛を撒き散らす女性になってはいけない。
好きな気持ちと憧れの気持ちは。
全くの別物だから。
「たとえ気持ちが届かなくても、私は彼の幸せを応援するよ。みんなの支えになりたいし、陰で応援する方がスタンスに合っていると思う。きっとそうだよ、私よりも魅力的な人がいたに違いないよ!」
幸乃なりに示した配慮。自分の意思を貫いてきたつもりではあるが、聖は疑問を抱かせながらうーんと唸るばかりだ。
唇の下に人差し指を触れて、思ったことを述べる。
結構。否定的だった。
「えー? 幸乃さんよりも魅力がある人ってそうそう居ないと思いますよ」
「俗な噂を知らないと思う幸乃に教えてあげるわ。あなたの評判は結構高めなの。男子からはマドンナって言われてるし……、実力は本物。誰も偽者なんて言わないわよ。好意というか、敬意を払っているように見えるけど」
「(私はやっぱりバレるのか)」
強制的に幸乃がクラスのマドンナの地位を座した理由。
とても簡単な出来事だった。彼から貰った金貨のチョコレートが突然の部外者に奪われて、親友と思い込んでいる者に護身術をお見舞いしたからだ。
余計なお世話によって、見事に評価はうなぎ登り。
みんな平等に接してくれる。嘘も無ければ悪口も言われない。無言の圧力で築き始めた優しい世界だ。だがしかし彼に弱い姿を見せたくないが為に起こした冷たい態度では、声を掛けることさえ困難を迎えてしまった。
やらなきゃ良かった。
「仮だけど……、その彼以外から告白されたら、幸乃は返事でもするの?」
「え、……それは、ちょっと勘弁かな」
「そこは即答なんだ!?」
誰かが告白でもしてきたら、幸乃は丁重に謝絶するしかないのだ。
好意を持ってくれる人に申し訳ないが。
これは、とある『事情』があった。
「他の人は良くても、自分のことは御法度なんですよね。結構シビアというか」
「まあ、実際の所、叶わないように出来ているのだけど」
流石に後ろめいた苦笑いを浮かべてみれば。
決め付けられたハードルの果てしない高さについて聖は心底呑気に寛いでおり、瑠依は事前の情報に視線を何処かに見つめては言葉を呟いてみせる。
それはそうだろう。
学生の間に挟むのはスクールカーストという階級があって。
マドンナと位置付ける幸乃と、正真正銘本物のマドンナである瑠依。更にクラスで一番イケメンだと疑いようのない少年が揃ってしまえば、告白する前提どころか門前払いされてしまうほどの、万全な布陣が整っていた。それが実現してしまった以上、幸乃は誰かに誰にも告白されない。
協力している少年もまた。
同じ条件を引いてしまった仲間だ。
「何よりも心強い正道が盾になってくれるからね、ウィンウィンじゃない?」
少し目線を変えて、幸乃は特定の人物に注目してみると。
茶髪の少年がクラスの男子に囲まれていた。流石同学年で一番のイケメン。中心にいるような絶対的な存在だ。光に照らされる中心人物は様々な男女が教室を行き行きしており、対応に追われて困惑中。大変そうだと心中察する。
容姿はもちろん。
頭脳は優れており、運動神経も良く、運動系の部活を希望している。
紛れもなく文武両道。
理想の形。憧れの対象。老若男女関係なく目線を注目させていく。
それはまさに文字通りのイケメン補正が掛かった少年、神田正道は瑠依の友達であり、幼い頃から友好関係を築いていたようだ。
幼馴染み補正が眩しすぎる。
「けれど私ビックリしましたよー。だってあの神田さんの方から嘆願するなんて。一般人には敵わない、複雑な事情が沢山あるんでしょうねぇ」
「まあね。一応多忙? なんだって。流石に誰かと付き合う暇もないワケで……、それどころか色々と背負い過ぎなのよ。幸乃の心境と重なるだけで、自ら盾になるような自己犠牲を厭わないの。お人好しにも程が……」
「確か、宮司さんの息子さん、なんですよね」
タブレットで調べていた聖は意外そうにして感心をしている様子だ。
「……なんか、遮られたんですけど」
「要するに! とにかく頑張る人、で合ってますか?」
瑠依に聞いた話だと。
神職にも階級があって職階と呼ぶらしい。
宮司という言葉を聞いて、まず想像するのは神主だった。
イメージ的にしては白装束を身に纏い、紙が付いた棒で祈祷する。正月で有名な神社を放送する印象が当時寝不足だった幸乃には強く残っている。
とはいえ。絶望的に詳しくない。
「宮司って、どんな人なのかな?」
「企業で例えると社長、そういう地位に属するわ。千駄木さん」
答えたのは二人じゃない。
幸乃の疑問に答えてくれたのは、メガネを掛けた、少し小柄な少女であった。
稲城智恵。
凛とした目付きが特徴的で、張り詰める雰囲気は背中を押す。彼女の存在を示す氷結の如く冷徹に振る舞う厳しい姿勢は揺るがぬアイデンティティー。クラスの中で一番のしっかり者の智恵は留まることなく注意換気や指摘を外さないことから、みんなには『鬼のクラス委員長』という肩書きを譲り受けていたりする。
そして、彼女もまた同じクラスの仲間。とても心強くて頼れる人だ。
「へぇー」
「なにその、何も考えてなさそうな顔は……。あなたはクラスのお手本となる象徴であることを自覚しなさい。まったく。この先が不安だわ」
「問題ないですよ~! 隣のB組なんて覗いたらギスギスしてましたし、あっちと比べるとずっと平和ですよ?」
「それは多分、私達には無関係ないざこざが起きたからでは……」
パチンと指を鳴らした聖は指を差してこう言った。
「痴情のもつれ、ってヤツですよ」