10話 深き『愛』は穢れにして身を滅ぼす呪い
同学年で注目されている神田正道。
スクールカーストの頂点に立つ者として。
絶大な期待を背負った彼の存在は決して濁ることなく、摘むようにして他の学生達を落胆させてしまう。それでも軋轢のない平等を目指す無碍の正道は幸乃に協力してくれる理由はただひとつ。
「あれほど多忙なのに、恋愛をする暇が正道にはないのにね……」
家の事情。本人の意思が決めた約束。
両者を庇う為には何が優先なのか。辿り着いた答えは、同じグループとして行動する事だった。恋愛に関して複雑な事情を抱える二人が結託し、表向きは親しげな素振りを見せ付ける。圧倒的な権力を示す為に。
しかし、裏側で暗躍するのはただの偽装工作に過ぎない。
簡単に言えば共謀だ。
クラスの王様とマドンナが一丸となって同学年のお手本となる。
崩れない地盤と折れない柱があれば。
執着してくる人達は諦めて、無駄な争いは潰えていく。これ以上誰かの心が削るのを増やさないように、仕組んだ作戦なのだ。
しかし幸乃は望んでいなかった。
マドンナという至高の地位。羨ましい限りの待遇なのにとても似合わない。
本当は。
憧れの人に、自分は変われたと、認めて欲しかっただけなのに。
「うーん。そう考えると、恋愛というのは一筋縄には行かないんですよねー」
「……恋愛?」
他人の色恋について。誰よりも興味を示していたのは聖だった。
困り顔に近い表情を浮かべては一人勝手に唸る。自分事でもないのに未来の行く末を案じる乙女の姿に、この中で最も興味がないであろう智恵は訝しめに眉をひそめては視線を聖に向ける。
厳しめな眼差しが恐ろしい。鬼と間違えてしまいそうだ。
それでも動じない聖は人差し指を振って、
「自分磨きも大切ですけど、何よりも心に迷いが有る限り、恋愛は簡単に成就出来ません。……ですが! 女性にとって好きな人を落とすコツというものは? 幸乃さん。それは一体何だと思いますか?」
結構ノリノリな身のこなしを披露する聖は唐突に幸乃にクエスチョンを送る。
「え? 私? えっとー……」
正直想定していなかった。
いきなり振ってきた為に対応は追われて、思わず狼狽してしまう。対照的に邪気の欠片もない聖の無垢な笑顔に答えようとする為に。
幸乃はしっかり熟考してみることにした。
―――好きな人を落とすコツ。
答えを見付けてさえいれば。恋愛なんて困っていない。
自分磨きをしても彼は思い出すことも叶わなかった。そもそもテクニックが必要なのか重要性さえも疑心暗鬼になりそうだ。けれど行動で示すよりも、聖が言う心の加減がカギを握るキーワードとなり、答えに繋がるのかもしれなかった。
何れにせよ。
法則があるとすれば。やはり気持ちの部分が肝心なのかもしれない。
「……」
―――考えろ。そして感じろ。
呼吸を整えて。乱れた心を落ち着かせた。
答えはきっと何処かにあるハズ。心を通して、幸乃は経験しているハズだ。失敗の数々を通じて得られたのは沢山の挫折と導く為の努力だった。何事にもめげずに過ごした日々は必ず成果を遂げると信じて。
一度失敗したって。もう一度失敗したって。何度でも気持ちを伝えるつもりだ。
本物の気持ちを。
憧れの人の心に響かせるまでは。
絶対に諦めないと。
「あ、そうか」
「もしかして分かりましたか!?」
脳裏が迸るように過る。
意識の深淵から呼び起こす感覚のスイッチを見付けた。
残念なことに拍子抜けたのかあまり驚きに至らず。だがしかし、心は揺蕩うように落ち着いている。事態が加速しようとも、精神面は揺るがないように。
澄んだ瞳を見据えて。
聖を見つめる幸乃は恐る恐ると回答に当てはまる言葉を告げた。
少し自信のない、ぎこちない言葉だった。
「真剣に自分の気持ちを伝えること、―――かな?」
声に表すのは恥ずかしい。
けれど、伝えなければ、何も分からないものだってある。
失敗しても。何回失敗しても。構わない。
次に繋がる可能性こそ成長の道標であり、大切なハズだった意味を思い出す些細なキッカケは自身に欠けていた物を知らせてくれた。
幾多な困難が立ちはだかろうとしても。
心は決して譲らないと、幸乃は抱いていた信念をようやく気付いた。
「本気じゃないと、……相手にも失礼だと、私はそう思うな」
雑音が混じる黄色い声はもう何処にも響かない。
何故ならば、虚言に覆った上辺だけの馴れ合いに囚われていただけだったから。本当の自分を圧し殺してきた日々にお別れをして、目指す道を辿れば、命を燃やす意志は噂の囁きさえも焼き払ってしまう。
恋も同じだ。
猪突猛進。
本当の気持ちを届かなければ。恋愛なんて何も始まらない。
ロマンチックを求めるのであれば、心に込めた気持ちを彼に伝えるだけでいい。物に頼らずに本心というプレゼントを贅沢に贈る。
―――それだけでも、十分に自分らしいじゃないか。
「……これで、どうかな」
自分なりに導く出した意識の終着点。そして答え合わせの時間に身構える。反応を伺っていると少し自慢げにして目を輝かせた聖の姿がそこにはあった。
「そうです! 正解!」
司会者の真似をする聖はエンターテイメント風におだてた。
「自分の気持ちを好きな人に伝える為に、どれほど本気であるか重要なんですよ。確かに告白する手段とか押さえたいポイントも沢山ありますけど、正直に言ってしまえば、真剣に心と向き合わない限り、全部水の泡になってしまうんです」
「え? 中途半端なのは流石におかしいけど。当たり前じゃないの?」
首を傾げて疑問を思うものの、聖は否定するように指を振る。
「それはそうなんですけど、むしろ本気過ぎると、周りが見えなくて相手に迷惑を掛けちゃいますからねぇ、あ、幸乃さんは安心していいですよ」
「よ、良かったぁ……」
「……」
あえて明白にしない瑠依呻吟気味にうーんと考えては唸るばかり。
何処かホッとしている幸乃を他所に、聖は立て続けに言葉を重ねた。話が進む度に彼女が一番楽しそうに見えた。
だからなのだろうか。
どこか引っ掛かる言葉のやり取りに神経が逆立つのは。
彼女が擽る程度の、腹黒い部分だった。
「つまりはですね……、束の間の弛みこそ、身近に危険が潜んでいるのです。良い例として神田さんでしょうかね。彼は誰もが認める正真正銘の人気者ですよね? けれど、彼は恋愛感情が一切無かった。単純に興味がないからです。……ですが、彼の心情を考えない女性は彼の事情なんて、どうでもいいんですよね」
「なに、それ……」
「へぇ。そう。つまり、そういうことか」
つまらなそうな顔付きを浮かべて。
あまり興味がない様子の智恵は、何処までも涼しい表情をしていた。
正道に向けた心境がそもそも歪んでいたのであれば。
今まで降り注いでいた黄色い声は全くの偽物に聞こえてしまう。これまでの期待の眼差しは黒い感情が渦巻いていて、好意の見方が変わるだけでも、とてつもない拒絶感に襲われてしまいそうになる。
つまり。この話は恋愛の本筋に関わる『闇』が隠されていたことを。
幸乃は途中で気が付いた。
「もしかして、注目を浴びたいだけ……?」
「幸乃さん正解! おっと、特賞は出ませんよー。ホント、恋愛って奥が深くて、実に欲深いものですよねー。皆さんもそうは思いませんか?」
裏を返してみれば。
聖は警告を言葉として啓蒙していた。
第三者の目線で覗いてみれば、恋愛というジャンルは勝者に成り上がる為の都合の良い手段だ。声望をいかに獲得するかの競争に無関係の人達は踊らされる。そこには恋心は無くて、ただ達成感に満たされたいだけの、強欲な者が集う恰好の餌食に過ぎないのであれば。
自身が使い捨ての舞台装置であると察知した正道は、一体どんな感情を抱きながら現実を向き合ったのか。その悩みは到底理解できる領域に達していない。
だからこそ、幸乃は何かを考えていく。
「……正道は中学、いや、どんな時でも、常に正道は女の子にモテモテだったからね。何回女の子の気持ちを切ったんだろう。でもさ、告白される立場の辛さを考えてみると、ああ。……逃げたくもなるわ」
「境遇に親いものがある千駄木さんに頼る。納得するのも当然か」
闇が深くて。欲に飢えている。
他人の気持ちが理解出来ないのではなくて、理解したくないのかもしれない。
上下関係なんて。はじめから無かったのに。
人々は空想のレッテルを貼る。矛盾した格差を義務付けられてしまう。
勝者と敗者を区別する故の軋轢は根絶しない。全てが競争という、冒涜の言葉で生きる気力を毟り取る他人の真似事は、自分が信じたエゴを守るだけ。
「結局この世は金なんですよ。玉の輿になれば、自堕落になれるでしょ?」
「……」
栄光さえ掴めば。
否定的だった者は消えていく。みんな手のひら返しをしてくれる。
黄色い声に囲まれる至福の一時。誰も批判しない忠実な僕。どんなにワガママを呟いたって怒られない。見物するだけの友情ごっこはさぞかし愉快だろう。
だがしかし。その地位は長くは持たない。
道具にしか区別できない横暴な人間は、地獄に落ちていることも知らないのだ。
何時の時代もそうだ。
「しかしですね、他人の評価を比べる人って、なんか勿体ないと思うんですよー。特に隣のクラスさんはある意味ワガママで人間らしいというか。私達のクラスってそんなに魅力的でしょうか? かなり特殊だと思うんですけど」
「いやいや、かなり特殊なのは私達が悪い意味で目立っているだけでしょ……」
「個性的の間違いではないの? 千駄木さんと神田さんの二人だけでも注目される分類に値する時点で、取り沙汰されるのは一目瞭然かと」
少々呆れていた智恵の意見に一理ある。
高嶺に咲く花とお手本のような優等生。関心を引き寄せる名声に向けられるのは当然。話は次第に弾み、事実ではない噂話をされて気が滅入るような、陰湿めいた嫌がらせを受けるのも時間の問題だ。
それでも、他に視線を集める少女がクラスに一人挙げるとすれば。
瑠依とは対照的に映る。
清楚に振る舞う、黒髪の少女のことだろうか。
確か。名前は―――。
「でも、それ以外の人物がA組にいるとしたら、結構面白いじゃないですか?」
「それって私のこと?」
「違います」
周知した雰囲気を感じ取ってしまえば。容易に想像できてしまった。
視線を集めるもの。ダントツに容姿が一番人を惹き付ける力があるのだ。たとえ勉強が苦手だとしても、理性は騙されてしまうように。カッコいい人や可愛い人。視覚を魅了するルックスはある意味で狂気を植え付けるようで。
つい最近の話。男子が異常に馴れ馴れしいのだ。
背中を追う姿はストーカー一歩手前。聞いてもいないのに執念深く話してくる。鬱陶しさを覚えるほどだ。きっと気を引く為の手段なのだろうが、幸乃にとっては嫌な記憶であり、異性とはあまり関わりたくはなかった。
唯一。ある人を除いては。
「狐耳が似合う女性を探すぞ」
(……狐耳?)




