004 第???話 No need to worry
かつてプロフェッショナルと豪語していた時期があった。
根拠も理由もなく、ただ湧き出るプロ意識に身を任せてあちらこちらで迷惑をかけた。思い返せば顔を覆いたくなるような行動ばかりだった。そのような奇行を許してくれた友人たちには感謝しかない。
時間を巻き戻そう。
彼女から貰った大切な時計のリューズをゆっくり巻きながら、約十年前の記憶を再生した。
俺がプロの帰宅部員を名乗るきっかけの一つでもある、ヤツとの会話を思い出す。
周りが「中二病」という疫病に罹患してゆく中、俺とヤツだけは理性を保っていた。男子生徒たちが有りもしない世界の話に陶酔し、狂っていく様を見て教師たちは絶望していただろう。そんなクラスで確固たる意思と現実を持っていた俺たちは教師たちにとって救世主だったに違いない。
まったく、世話が焼けるぜ。
「この世には悪の組織が存在する」
そいつは俺みたいな変人だった。
俺のように真面目かつふざけているような性格だ。腕を組み、真剣な眼差しで語る彼もまた俺と同じく帰宅部員だった。
「悪の組織? そんなもんいくらでもあるだろ」
俺はそう答えた。
「そうだ。いくらでもある。じゃあおれたちにとってもっとも身近な悪の組織と言ったら何だと思う、彗」
「俺たちの身近? そうだなぁ……暴走族、とか?」
「それもそうだな。だが身近とは言えない」
自称プロフェッショナル帰宅部員の彼は口角を上げて、考え悩む俺を楽しそうに観察した。
身近、と言ったらこの中学校のことだろうか。でも中学校を悪の組織といってしまったら俺たちは悪の一員ということになってしまうじゃないか。根っからの正義の味方である俺にとっては耐えられない屈辱だ。
もしや教師……? 教育委員会が悪の組織か? いや、でも説明ができない。
「どうした、わからないか? 彗は俺の唯一の理解者だと思っていたが」
「誰もお前のことなんか理解してねぇよ」
「プロの帰宅部員だろう? 俺と同じく」
「ただの帰宅部員だ。ダメだ、わからん。降参だ」
手を上げて降参した。まったくわからない。
俺の話について行けるやつはこいつぐらいしかいないが、こいつの話について行けるのもまた恐らく地球上で俺だけだ。
つまり、彼はプロだ。普通じゃない。
能ある鷹はなんちゃら、という諺を信仰している俺はプロであることを隠してはいるがそろそろ見破られてもおかしくないな。
彼の観察眼は俺を超えている。いったいどんな正解を出してくるのだろう。
「悪の組織は、一年生と三年生だ」
「は?」
「加えて生徒会だ」
理解ができなかった。俺たち中学二年生を挟む一、三年生が悪の組織だと? それに生徒会も?
流石の俺も危機を感じた。こいつは俺が思っていた以上に危険人物だったのかもしれない。彼の言葉には怪しい思想が漂っている。
俺はいつでも離脱できるように逃げ道を目で確認した。よし、教室のドアは両方開いている。各クラスメイトの位置も障害になりそうにない。クソ、胡椒を持参しておくべきだった。逃げるために彼をひるませる必要があったのに。
「彗、逃げる必要はない」
「逃げるくらいなら俺は全裸になって全校集会で暴れる。真意を聞かせろ」
「――いいだろう。彗、お前の帰宅部員としての目的は?」
「――地球を守ることだ」
「そうか。俺はな、世界平和だよ」
あまりにも痛々しい会話だが当時の俺は本気だった。ちなみに中二病患者ではない。断じて。
「世界平和を妨げる要因は上下関係にある。パワーバランスがおかしいんだよ、この世界は」
「お前は何を言っているんだ……?」
「敵はいつも自分たちと対等ではない。対等こそすべてなんだ。例えばだ。運動部の光景を思い出してみろ。一年生はいつも上のお世話ばかりだろう? 一年生は不満を持ち、上級生は愉悦する。当たり前だと思うかもしれないが、これが敵を作るすべての原点なんだよ。それは仲間意識の欠陥だ。上下を作るから敵を作り、争いが起こる」
「それは極論すぎないか?」
「いいや」
「でもそう信じているのならお前は敬語という上下を念頭に置いた言葉遣いを三年生に対してもちろん使わないよな?」
「いい指摘だ。もちろん俺は使わざるをえない。なぜなら俺たちは日本というコミュニティに属してしまっているから。上下の世界が当然の組織に身を置いている。逃れようがない」
「じゃあ結局何が言いたいんだ?」
「帰宅部はささやかな抵抗だ。組織に属さないことは自由を意味する。上下関係のない帰宅部こそ平和の象徴であり、主張なのだ」
彼はニヤついて俺に握手を求めた。
「彗。君ならわかるだろう、俺の言っていることが。平等は平和の同義語だ。お前がもしプロならこの手を握るはずだ」
彼の話は横暴ではあるが、残念ながら間違ってはいない。
要は敵を作らない世界を目指せばいいという話だ。敵をすべて潰すことではなく、敵を作らない心理を拡散しろということだ。
なるほど。そういうことか。
俺は彼の手を握った。
「俺が現存する悪を潰し、お前は悪を生じさせない。そういうことだな?」
「そうだ。流石だな、彗」
こうして帰宅部同盟を結んだ俺たちだったが、高校は別になった。偽りの使命感にかられて二人で何かをすることもなかった。
卒業間近になっても特にそういった話題はせず、プロの帰宅部員として俺たちは別々の道を辿ることになった。いったい彼は今どうしているのだろう。
きっと彼の高校時代も普通ではなかっただろう。
高校入学を無事果たし、新たな新天地での帰宅部員としての活動が始まった。
もちろん部活には入らなかった。
こんな変人が三年間をうまくやっていけるのかと不安だったが、高根真琴や波木白奈が心の支えになった。
まもなくして俺は赤草先生に酔いしれた。美女とはこの人のために存在した単語だったんだ――と当時は胸を高鳴らせた。この人のためなら何でもやろうと心に誓ったほどに。だから俺は帰宅部員であるのに保健委員会に一年生の時だけ属したのである。先生に尽くすために――。
有言実行を重んじる俺は先生の頼み事などを率先して手助けした。時に感謝されたときは幸福で体がドロドロに溶け落ちた。元の身体に戻るために冷蔵庫で固めてくれた宇銀には心の底から感謝している。
しかし一年生が終わる頃には自分の目的を思い出し、再び帰宅部員として心機一転した。
二年生になってクラスが変わった。白奈とは離れてしまったが真琴とは一緒だったので内心ほっとした。実際のところ俺のテンションについていける人間は少ない。理解者がいるだけ少しマシだった。
一年生の時よりずっと時間の進みが早かった。慣れ、ということもあるあろうがとにかくあっという間で夏休みもすぐ終わった。
そして運命の日がやって来た。
「きもちわる。死ね」
赤草先生に信頼されていた俺は、日羽アリナの更生をすることになった。
アリナはとにかく問題児だった。毒舌だし、暴力的だし、コミュニケーションは最悪だし、手に負えなかった。彼女の更生を手助けしろだなんて無理がある、と抗議したい気持ちを抑えつつ彼女と接した。
彼女の秘密を知った。二重人格であること。虐待の過去があったこと。
それから必死だった。徐々にアリナに惹かれていき、無意識のうちに彼女のために全霊を尽くしていた。
彼女のために、彼女と一緒に。
部活を手伝い、文化祭を共に歩き、水族館でスパイの真似事もし、もう一人の彼女と出会った。
彼女が俺を忘却したときは本当にショックだった。全てが無かったことになったのだ。あれほど精神的にキツかったことはなかった。その時にはもう気付いていただろう。どれだけアリナのことが好きだったかを。
だからこそ彼女からの告白は胸が痛かった。
俺のことを忘れた彼女からの告白は――あまりにも残酷だった。同一人物で同人格であるともわかっている。けれど……辛かった。彼女と思い出を語らえないのだから。
そして俺は大きな罪を犯した。
彼女に返事をせず、眠ってしまったのだ。
「どうして突然むかしの話を?」
身を寄り添って俺と腕を組むアリナがぼそっと呟いた。
お互い仕事を終え、外食を済ませた帰り道に俺は昔話をした。日頃からスーツの着こなしには気を遣っているのにこの時だけはお互い乱れていようが気にしなかった。
「なんとなくだ」
「なんとなくって……」
ため息をついた彼女はわざ体重を預けてきて、俺をよろめかせた。
「うわっ、アリナさん重いです。象かと思いました」
「失礼ねー。疲れたのよ、早く帰りましょう?」
「まぁまぁ。もうすぐだ。美しいビル群の輝きを眺めながらゆっくり帰ろうじゃないか」
「なにそれ……ふぅん。まぁいいわ」
目覚めたときは本当に目に映るものすべてが信じられなかった。
家族やアリナを見てようやく現実なんだとわかった。まぁそれからのことはアリナもよく知っているだろう。リハビリの毎日だ。
身体がうまく動かせるようになったら次々と問題が発生した。将来のことや社会的な立場を考え、非常に悩んだ。
しかし一つ一つこなしていった。高認は無事合格し、これ以上親に迷惑をかけぬよう奨学金を多めに借り、無事卒業した。苦労はしたが就職もできた。
「あなた、本当によくやったと思うわ」
「自分でもそう思う。本当に――」
俺は立ち止まって彼女と向き合った。
「えっ、なにっ、なによっ!?」
アリナはあわてふためいて乱れたスーツを整える。
「全て――全て話そうと思ったんだ。全て話さないと、ダメな気がして――」
「えっ――」
アリナは顔を赤らめて俺と目を合わせまいと髪を手ですく。毅然とした態度がデフォルトの彼女が純粋な少女のようにあわてる姿が――とても好きだった。
「端的に言おう。君が好きだ」
「……私もよ」
「違うな、愛してる」
「わっ、もう知ってるわよっ!」
「だから、一生、隣にいてくれないか?」
「んっ、ちょっと待って!?」
アリナは俺の口を手で押さえた。前歯が折れるかと思った。相変わらず力加減が壊れている。
荒くなった息が鎮まるまで彼女は押さえ続けた。落ち着くと目尻の涙を拭って大きく息を吐いた。
「私と結婚しなさい!」
「ちょっ、はぁ!? それ俺が言うつもりで――」
「うぅっ、うるさいのよ! 私も言いたかったの!」
「なんだよそれ……ずるいぞ……」
「そ。あなただってずるいわ。いきなりだなんて……」
そう言ってアリナはしくしく泣き出した。
混乱した俺は抱きしめるようと両腕を開こうとしたが、何だか抱きしめたら壊れそうな気がして結局俺もあわてふためいた。そんな混乱のさなか、俺はとんでもないことを思い出した。
「ああああああああ!!!」
「次は何なの!?」
指輪を家に忘れた!
指輪を家に置いてきた!
指輪を引き出しの中に置いてきた!
忘れた! 忘れた! 指輪を! 忘れた!
俺は頭を抱えて絶句した。
やってしまった……。
人生で最も大切な瞬間を、俺は――。
あぁ……何がプロフェッショナルや。これじゃあただのホモサピエンスやないか……。
「アリナ、あのっ、ちょっと家に――」
言えるわけがねぇ……。
指輪を忘れたから家まで取ってくる、だなんて……ロマンもないクソもない。これは切腹事案ですぞ。
どうしましょう。あぁ、一日だけタイムリープできないかな。そしたら片膝をつき、完璧な台詞を世界の老若男女にお見せすることが出来たのに……。
そんなことをぼんやりと考えていた時だった。
「彗」
「はい……」
「何もいらないわ。あなたもでしょう?」
彼女はそう言って俺の両肩をそっと掴み、つま先立ちした。
彼女は目を閉じた。
俺も目を閉じ、そして彼女のためにすべてを捧げると誓った。
幸せになろう。
彼女の唇にそう伝えた。




