第22話 事故物件担当
午後。
愛華が会社の駐車場で車のドアを開けると、いつものように
一匹の狐が乗り込んできた。
「ヤコも行く?」
ヤコは当然のように助手席へ飛び乗った。
「じゃあ、行こっか」
愛華は車を走らせた。
向かったのは、能登不動産が管理するマンションだ。
会社から車で二十分ほど。
父から聞いた話では、夜になると誰もいない部屋から足音がするらしい。
前の住人は病院で亡くなっている。
そのため、事故物件というわけではない。
「病院で亡くなったのに戻ってきたのかなあ」
助手席のヤコを見る。
当然、返事はない。
「着いてから聞けばいいか」
愛華は前を向いた。
こういう依頼は珍しくない。
亡くなった場所と、死後に留まる場所が同じとは限らない。
理由も人によって様々だった。
思い出のある場所だったり、家族を待っていたり、
単に自分が死んだことに気づいていなかったりする。
だから愛華は、実際に本人から話を聞くことにしていた。
◇
マンションに着くと、愛華はヤコと一緒に部屋へ入った。
「お邪魔しまーす」
家具はほとんど残っていない。
愛華はリビングを一周した。
特に何も感じない。
ヤコが廊下の奥へ歩いていく。
「そっち?」
愛華もあとを追った。
寝室だった。
何も置かれていない部屋の中央で、ヤコが立ち止まる。
「いる?」
ヤコが愛華を見上げた。
「じゃあ、行ってみようか」
愛華は意識を切り替えた。
――カチッ。
耳の奥で、小さな音がした。
同じ寝室。
同じ壁。
同じ窓。
けれど、色彩が薄れ、外から聞こえていた車の音も消えている。
「あそこにいるよ」
隣からヤコの声がした。
「ずっと座ってる」
ヤコが部屋の隅を見る。
そこに一人の男性が座り込んでいた。
五十代くらいだろうか。
愛華が近づくと、男が顔を上げた。
「……誰だ」
「能登不動産の者です」
「不動産屋?」
男が怪訝そうな顔をする。
「なんで不動産屋がここにいるんだ」
「夜に歩いてません?」
「……歩いてるかもしれない」
「やっぱり」
「別に騒いでないぞ」
「でも、聞こえちゃうみたいですよ」
愛華は男の前にしゃがんだ。
「ここに残ってる理由ってあります?」
男はしばらく黙っていた。
「女房を待ってるんだ」
「奥さん?」
「ああ」
「生きてます?」
「生きてる」
「じゃあ、来るのはまだ先かもしれませんよ?」
男が愛華を見る。
「……そういう意味じゃないんだけど……」
「あれ?」
「荷物を取りに来るかもしれない」
「あっ、そっち」
ヤコが愛華を見る。
「少し考えてから話せ」
「ごめん」
男がヤコを見た。
「その狐……喋るのか?」
「こっちでは話せます」
「こっち?」
「幽界です」
男は周囲を見回した。
窓を見て、壁を見て、最後に自分の手を見る。
「……やっぱり俺、死んでるのか?」
「はい」
「そうか……」
男は俯いた。
愛華は何も言わずに待った。
すぐに受け入れられる人もいれば、そうでない人もいる。
「病院にいたはずなんだけどな」
「気がついたら、ここに?」
「ああ」
男が部屋を見回す。
「自分の家だから戻ってきたのかもね」
ヤコが言った。
「普通は自分の死を受け入れると、自然に霊界へ引っ張られるんだ」
男はヤコを見てから、愛華を見る。
「そうなのか?」
「……らしいですよ」
「おい」
男が呆れた顔をする。
「私、まだ死んだことないんで……」
「……そうか」
男は少し黙った。
「女房にちゃんと別れを言ってないんだ」
愛華は男の顔を見る。
その気持ち、わからなくもない。
でも、生きている人間に死者の声を届けるのは、愛華の仕事ではない。
「奥さんがここに来ても、話せないと思いますよ」
「ああ」
「だったら、先に行きません?」
「……先に?」
「霊界です」
男が顔を上げた。
「霊界?」
「はい、入口までご一緒しますよ」
「お前も来るのか?」
「入口までですよ」
愛華は笑った。
「なんか、勝手に入ると怒られちゃうみたいなんで」
「そういうもんなのか?」
「そういうものみたいです。
細かいことは私も知らないので」
男が小さく笑った。
先ほどまでの張り詰めた表情が、少しだけ和らいでいる。
愛華は立ち上がった。
「……頼む」
愛華は笑顔で手を差し出した。
「じゃあ、お引っ越ししましょうか」
◇
――カチッ。
窓の外から車の走る音が聞こえてきた。
愛華は元の寝室に立っている。
隣にはヤコが座っていた。
「無事に終わったね」
ヤコは愛華を見上げる。
「帰ろっか」
愛華が歩き出すと、ヤコもあとをついてきた。
◇
会社へ戻った頃には、外は暗くなり始めていた。
「ただいまー」
「おかえり」
母がパソコンから顔を上げた。
愛華は父の机に鍵を置く。
「もう大丈夫だと思う」
「助かった」
愛華が自分の席へ戻ろうとすると、父が呼び止めた。
「愛華、来週もう一件あるんだけど」
父がクリアファイルを差し出した。
「知り合いの不動産屋からだ」
「遠い?」
「県外」
「珍しいね」
愛華は資料を開いた。
二階建ての一軒家。
築三十年ほど。
写真を見る限り、ごく普通の住宅だ。
「事故物件なんだ」
「ああ」
「何があったの?」
「以前に女性が首を吊った物件らしい」
「そのあと誰も住んでないの?」
「三人入ってる」
愛華は次のページを見る。
一人目、三日――毎晩、奇妙な音がする。
二人目、五日――金縛りに遭い、深夜に人の気配がする。
三人目、一日――リビングで知らない女性に睨まれた。
「よくある感じだね」
「ああ」
「一度見てほしいってこと?」
「できれば除霊までね」
「いいよ」
愛華は資料を閉じた。
「車で行くには遠い?」
「かなり遠いぞ、休憩入れたら六時間以上だな」
「遠いなあ……」
「電車と高速バスで行った方がいい」
「ヤコは連れていけないね」
「狐は電車に乗せられないだろ」
普段の仕事なら、ヤコは愛華の車に乗ってついてくる。
だが、今回はそうはいかない。
父は少し考えてから笑った。
「しかし、あの狐、いつからいるんだっけ?」
六歳の時、愛華が裏山の稲荷神社へ遊びに行った帰り、
ヤコはついてきた。
そのまま庭先に住み着き、今に至る。
「ひょっとしたら」
父が笑った。
「神様のお使いだったりしてな」
◇
仕事を終えて家に帰ると、愛華はヤコと一緒に裏山へ向かった。
山道を少し登れば、小さな鳥居が見えてくる。
子供の頃から何度も訪れている稲荷神社だ。
境内に人影はない。
愛華は意識を切り替えた。
――カチッ。
周囲から音が消える。
「ボクも行く?」
「電車だから無理かなあ」
「そっか」
「お土産買ってくるね」
「お肉がいい」
「やっぱり?」
愛華は笑って拝殿へ顔を向けた。
「天狐様ー」
しばらくすると、白い狐が現れた。
「どうしました、愛華」
「来週、遠くに行くんです」
「お仕事ですか?」
「はい。事故物件です」
愛華は天狐を見る。
「一緒に来てもらえません?」
「申し訳ありません」
「やっぱり?」
「今は神無月です」
「あ……そっか」
「我らが社の御祭神が不在の間、わたくしはここを離れられません」
「大丈夫?」
ヤコが愛華を見上げた。
「大丈夫だよ」
愛華はいつものように笑った。
◇
数日後。
愛華はキャリーケースを引いて、玄関を出た。
「行ってきまーす」
「気をつけてね」
母が見送る。
「着いたら連絡しろよ」
「はーい」
庭先にはヤコが座っていた。
愛華はその前にしゃがむ。
「行ってくるね」
ヤコが愛華の手に鼻先を寄せた。
愛華は立ち上がった。
普段なら車へ向かうところだが、今日はそのまま最寄り駅へ向かった。
◇
何度か電車を乗り継ぎ、
大きな駅で降りた。
駅前にはバスターミナルがある。
「ここから高速バスかあ」
ほどなくして高速バスが入ってきた。
キャリーケースを預け、指定された窓際の席へ座る。
「まだ結構あるなあ」
バスがゆっくりと走り出した。
やがて高速道路へ入る。
愛華は窓の外を眺めた。
「暇だなあ……」
愛華はスマートフォンを取り出した。
父から送られてきた物件の資料をもう一度開く。
二十代の女性。リビングで首を吊って死亡。
その後に入居した三人が、全員一週間以内に退去。
最後の入居者が見たという女性が、前の住人なのかはわかっていない。
「まだいるのかな」
いるなら、話を聞けばいい。
愛華はスマートフォンを閉じた。
◇
ホテルに着いた頃には、午後を回っていた。
チェックインを済ませ、部屋へキャリーケースを置く。
愛華は父から送られていた番号へ電話をかけた。
「能登不動産の能登愛華と申します」
『ああ、能登さんの娘さんですね』
「はい。先ほど着きました」
『遠いところ、すみませんねえ。
一度、うちに寄ってもらえます?』
「鍵ですね?」
『ええ。場所はわかりますか?』
「はい」
電話を切ると、愛華はホテルを出た。
◇
現地の不動産会社で鍵を受け取り、愛華は再び路線バスに乗った。
目的のバス停で降りる。
スマートフォンの地図を確認した。
「あれだ」
資料の写真と同じ家が見えてきた。
二階建ての一軒家。
小さな庭。
築三十年と聞いていたが、それほど古びてはいない。
愛華は門を開け、玄関へ向かった。
バッグから鍵を取り出す。
カチャリ。
扉を開けた。
「お邪魔しまーす」
玄関へ一歩入る。
「……ん?」
家の中に漂う空気が、少し重い。
「結構、怒ってるのかなあ……」
愛華は靴を脱いだ。
こういう相手なら、これまでにも何度か会っている。
まずは相手を見つけて、話を聞く。
いつもの仕事と同じだ。
愛華はバッグを持ち直し、
そのまま廊下の奥へ歩き出した。
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次回『第23話 帰り道』は10月25日(日)公開予定です。
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