第1話 プロローグ ~女の勘じゃない?~
「ねえ、りそな。ちょっと相談があるんだけど」
「男?」
「なんで分かるのよ!」
昼休み。
白石りそなは、購買で買ったミルクティーのストローから口を離し、
目の前の友人--美咲を見た。
またか。
そう思った。
高校二年になってから、何度目の恋愛相談だろう。
「で、誰?」
「三組の佐々木君」
「ああ。サッカー部の」
「知ってるの?」
「顔くらいはね」
りそながそう答えると、美咲は椅子ごと距離を詰めてきた。
「昨日、LINEで告白された」
「ふーん」
「ふーんって、それだけ?」
「付き合いたいなら付き合えば?」
「だから、それをりそなに聞いてるの!」
「自分の彼氏くらい自分で決めなさいよ」
「だって、りそなの男を見る目、怖いくらい当たるじゃん」
いつの間にか周囲の女子まで会話を聞いている。
りそなは小さくため息をついた。
「本人と話したことは?」
「ほとんどない」
「じゃあ知らない」
「えー」
「私を占い師みたいに使うな」
そう言ってミルクティーを飲む。
そこで教室の入口から声がした。
「美咲」
噂をすれば何とやら。
佐々木だった。
「あ……」
美咲の顔が一瞬で赤くなる。
「ちょっといい?」
「う、うん」
美咲が立ち上がる。
佐々木と目が合った。
正確には--りそなと。
その瞬間だった。
また、あの感覚が来た。
言葉ではない。
音でもない。
ただ、なんとなく分かる。
(白石、やっぱ美人だよな。)
(でも怖えんだよな、こいつ。)
(まぁでも、美咲も結構いい体してるからなぁ……)
りそなの眉が動いた。
「美咲」
「なに?」
「やめときな」
「え?」
佐々木の顔が引きつる。
「お、おい白石。何だよ、それ」
「別に」
「俺、お前に何かした?」
「何も」
「だったら--」
りそなは冷たい目を向けた。
「ただ、美咲には合わないと思っただけ」
「何でお前にそんなこと分かるんだよ」
「さあ?」
りそなは頬杖をついた。
「女の勘じゃない?」
佐々木が舌打ちして去っていく。
美咲は困惑しながら、その背中とりそなを交互に見た。
「……ダメ?」
「たぶんね」
「そっか」
美咲は素直に座った。
周囲の女子たちも、なぜか納得した顔をしている。
それが、白石りそなの日常だった。
◇
「白石ってさ」
午後の授業が終わったあと、男子生徒二人が廊下を歩きながら話していた。
「顔はめちゃくちゃいいんだけどな」
「分かる」
「でも無理」
「分かる」
「何考えてるか全部見透かされてる感じしねえ?」
「分かる」
「お前それしか言わねえな」
「分かる」
教室の中で帰り支度をしていたりそなの耳にも、その会話は聞こえていた。
別に腹は立たない。
慣れている。
「りそなー!」
美咲が駆け寄ってくる。
「これ!」
差し出されたのは数学のノートだった。
「何?」
「次のテスト、どこ出ると思う?」
「知らない」
「お願い!」
「先生に聞きなさいよ」
「教えてくれないもん」
「当たり前でしょ」
そう言いながら、りそなはノートを受け取った。
ページをめくる。
二次関数。
確率。
図形。
昨日の授業で数学教師が妙に時間をかけていたところを思い出す。
いや。
それだけじゃなく、
授業中、教師が問題集を開いたとき。
なんとなく--
「ここからここ」
ノートの範囲を指で示した。
「あと、この応用問題」
「マジ?」
「たぶん」
「出なかったら?」
「知らない」
「出たら?」
「ジュース」
「安っ!」
「じゃあケーキ」
「値上げした!」
美咲が笑った。
りそなも少し笑う。
結局、前回のテストもほぼ的中した。
その前も。
だから試験前になると、女子たちがりそなの周囲に集まってくる。
どうして分かるのかと聞かれても、説明できない。
ただ、分かる。
人が嘘をついているとき。
怒っているとき。
悲しいのに笑っているとき。
好きだと言いながら、別のことを考えているとき。
なぜか分かってしまう。
小さい頃からそうだった。
だから、りそなは自分が少し人より勘の鋭い人間なのだと思っていた。
それ以上、深く考えたことはなかった。
◇
翌朝。
「最悪……」
バス停へ走りながら、りそなはスマートフォンの時刻を確認した。
八時十二分。
いつものバスは八時十四分。
寝坊した。
髪を整える時間もなかった。
朝食も食べていない。
信号が点滅する。
走る。
細い身体にスクールバッグが重い。
なんとか横断歩道を渡り切ったところで、バスが見えた。
「セーフ!」
停車したバスへ駆け込む。
ICカードをタッチする。
いつもの運転手だった。
「おはようございます」
「おはようございます」
いつも通りのやり取り。
車内には見慣れた顔が並んでいた。
会社員。
大学生。
買い物に行くらしい老婦人。
同じ学校の生徒も何人かいる。
りそなは後方の空いている席に座って
イヤホンを取り出す。
バスが走り出して、しばらくしたときだった。
妙な感覚がした。
「……?」
顔を上げる。
何だろう。
胸がざわつく。
自分の感情ではない。
誰かが--怖がっている。
強い焦り。
困惑。
そして。
--まずい。
りそなはイヤホンを外した。
乗客を見る。
誰も慌てていない。
スマートフォンを見ている会社員。
眠っている学生。
談笑する老人二人。
違う。
この人たちじゃない。
(~ 目が…… ~)
(~ 見えにくい ~)
(~ まずい ~)
前方を見る。
運転席。
「えっ?運転手さん?」
返事がない。
バスがわずかに蛇行した。
対向車がクラクションを鳴らす。
乗客たちが一斉に顔を上げた。
「ちょっと!」
「危ないぞ!」
運転手の身体が前に傾く。
「運転手さん!」
りそなは立ち上がった。
次の瞬間。
世界が爆発した。
違う。
感情だ。
何十人もの恐怖が、一斉に頭の中へ流れ込んできた。
(~ 何!? ~)
(~ 事故!? ~)
(~ 止めろ! ~)
(~ 死ぬ! ~)
(~ 怖い! ~)
(~ お母さん! ~)
(~ 助けて! ~)
「うるさい!」
りそなは両耳を塞いだ。
それでも消えない。
音じゃない。
耳を塞いでも意味がない。
分かってしまう。
全員の恐怖が。
全員の思考が。
全員の--
「嫌……」
バスがガードレールを突き破った。
一瞬、身体が浮いた。
悲鳴。
衝撃。
ガラスが砕ける。
世界が回転する。
隣の席にいた少女の身体が宙を舞う。
手を伸ばした。
届かない。
痛い。
怖い。
誰の感情なのか、もう分からない。
自分なのか。
他人なのか。
そして。
何も見えなくなった。
◇
暗闇。
音もない。
痛みもない。
時間さえない。
ただ、どこか遠くで声がした。
「死亡判定を確認」
知らない声だった。
男か女かも分からない。
もう一つ、別の声がする。
「対象、白石りそな。死亡を確認。特異個体として回収します」
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