33、さらに、痛いの痛いの・・・・・・
「始めッ!」
浜崎範士は赤白両者を確認し、試合開始を宣告した。
「しいいぃええぇりゃーーーーーーーーーーっ!」
まるで鷹が叫ぶかのような相手の気合いが、大武道場全体に響いた。
隣で行われている女子団体の決勝も、その声に音がかき消されるほど。
・・・・・・キィーーーーーーーーーンッ・・・・・・
館内に響いた相手の気合いは葉月たちの耳に入り、頭の中を抜けてゆく。
「す、すごい声の相手! でも、翔平はそんな程度じゃ動じないはず!」
葉月は両耳を塞ぎながら、にやっと笑って試合を見続ける。
・・・・・・どんっ! しいぃ・・・・・・ん
翔平は、確かに葉月が言ったとおり、動じることなくその場でどんと構えている。
細かく竹刀を動かして距離を測る相手に対し、翔平はまるで石像になったかのように、ぴくりとも動かずに相手を静かに見据えている。
「(・・・・・・来い。俺の足は、長期戦はもちそうにない。一瞬でカタをつけてやる!)」
痛みを堪えながら、だらだらと眉間に脂汗を滲ませる翔平。
ずきん・・・・・・っ! ずきん・・・・・・っ! ずきん・・・・・・っ!
・・・・・・ススッ・・・・・・ ずきぃん・・・・・・っ!
「(うっ! 少し動くと・・・・・・か、かなり痛ぇ! だが、この程度・・・・・・っ!)」
・・・・・・ふわっ ささっ
翔平は右足を袴の裾で隠すようにし、重心を左足にうまくシフトさせる。
「はーちゃん。あゆ。・・・・・・ショウ君の重心、後ろに乗ってるよね?」
「そうだね。左足に乗せかえたみたい。右足がきっと、痛いんだっぺね」
「空手だったら、片足を浮かせても何とか戦う方法はあるけど・・・・・・。剣道は・・・・・・」
りんは、眉をハの字に下げ、雨が降り出しそうな表情で試合を見つめる。
しかし葉月は、口を一文字に閉じ、目をきらりと光らせながら、試合を見つめていた。
「りん! 弱気になっちゃダメだよ! わたしたちは、翔平を信じなきゃっ!」
「は、はーちゃん・・・・・・」
「(翔平・・・・・・。全国制覇まで、もうすぐだよ! がんばれ! がんばれ、翔平!)」
ゆっくりと、両拳に力を込める葉月。
翔平は、足の痛みと目の前の相手という二つに対し、戦っている。
・・・・・・ずきん ・・・・・・ずきん
・・・・・・ずきん ・・・・・・ずきん ・・・・・・ずきん
「(くぅ・・・・・・。痛みがどんどん増す! こりゃ、足の甲にヒビでも入ってんのか?)」
少しでも重心が右足に乗りそうになる途端、電撃のような痛みが走り、翔平は顔を歪める。その表情は、観覧席にいる葉月たちからは、見ることができない。
・・・・・・すうっ・・・・・・
一瞬、相手が間を詰めた。
「(あ! しまった!)」
翔平の反応が、遅れた。
・・・・・・ダァァンッ!
相手はそれをチャンスと見て一気に、一足跳びで踏み込んだ。
「めええぇーーーーーーーぁぁ・・・・・・」
「・・・・・・ドオオオォォーーーーーーーーーーッ!」
ズバッシャァーーーーーーーーッ!
相手の凄まじい掛け声に被せるようにして、翔平のけたたましい気合いが響いた。同時に、竹刀が高速で胴を打ち、居合斬りのような「抜き胴」が炸裂。
・・・・・・ばばばっ!
白旗が、美しく一斉に三本、揚がった。
「白、胴あり!」
浜崎範士がその場で仄かに頷き、翔平の胴を一本と見なした。
パチパチパチパチパチパチパチパチ! パチパチパチパチパチパチパチパチ!
大荒井中陣営以外からも、館内のあちこちから拍手が降り注ぐ。
「やった! やった! やった! はーちゃんっ! ショウ君、先制したよ!」
飛び跳ねながら喜ぶ、りん。
「いやぁ、すごく見事なタイミングだったね! 目の醒めるようなカウンターだ」
亜弓は、目を丸くして驚いている。翔平が放った抜き胴は、明らかに相手よりも遅い始動だったが、技を先に決めたのは翔平だったのだ。
「(はー・・・・・・はー・・・・・・。ど、どうだぁ! 危なかったけど、先制してやったぞ!)」
開始線で翔平は、相手を突き刺すような目つきで睨んでいる。
・・・・・・ずきん ・・・・・・ずきん ・・・・・・ずきいっ!
「(・・・・・・ぐっ!)」
しかし、今の抜き胴による代償は、小さくなかった。
翔平は立っているのもやっとなほど、後ろ足に重心を乗せ、不安定な立ち方に。
「りん。亜弓。・・・・・・翔平の重心が、完全に後ろに乗った。今の技で・・・・・・」
だっ! ・・・・・・ダダダダッ!
「あ、ちょっと! はーちゃんっ?」
「はづき。どうしたの! いきなり駆け下りたら危なかっぺよ!」
葉月は、観覧席の最前部へ降り、翔平に向かって声を大きく張り上げる。
「翔平ーっ! 痛いの痛いの、とんでいけぇーーーーーっ!」
ざわざわざわざわざわざわ くすくすくす・・・・・・
館内が一瞬ざわつき、観覧席の所々から笑い声も聞こえた。
「(葉月ーっ・・・・・・。ほんとに、この痛み、どっか飛んでいってほしいぜ・・・・・・)」
翔平は、だらだらと汗を垂らし、呼吸を乱しながら竹刀を構えている。
時々走る激痛と闘いながらも、目の前の相手から集中力を散らせることはない。
「(右足、相当痛いんでしょ? 翔平に、一瞬でも良いから、力をちょうだい!)」
試合を見つめる葉月は、自分の左拳を、右手でぎゅうっと包み込むように握った。
その頃、故郷の大荒井町では・・・・・・。
ミャアァウー・・・・・・ ミャアウー・・・・・・ ミウウゥー・・・・・・
ざざざぁぁぁぁー・・・・・・んっ・・・・・・ ざぱああぁ・・・・・・んっ
かあっと差す陽射しの中、ウミネコが白波の間を飛んでゆく。
「・・・・・・文弥ぁ? ちょっと。文弥ーっ?」
睦子が家に帰ってきた。手には、ビニール袋に入ったイナダが三尾。
「ん? ・・・・・・あい。・・・・・・あ、おかえり」
眠そうな目を擦りながら、文弥が出迎える。
「あれからさぁ、葉月からの電話、あった?」
「んー? いや、特にないよー」
「そうかぁ。剣道部、どうなったかなー。団五郎さんも行ってるんだってさ」
「え、そうなの?」
「さっき、組合の打ち合わせで聞いてさ。朝早く、軽ワゴンで応援に向かったって」
「へー。じゃあ、姉ちゃんらと向こうで一緒かもね」
睦子はサンダルを脱ぎ、家の中へ上がる。
「あのクールな団五郎さんが早朝に東京へ行くなんて。これは、嵐が吹くかもね」
「えー。嫌だよ。・・・・・・ってか、そんなに珍しいこと?」
「珍しいよ。だって団五郎さん、今まで民宿休んだことなかったもの」
「そう言えば、そうかー。でも、全国大会だし、そりゃー行くんじゃないのかなー?」
文弥は首をかしげながら、茶の間に再びごろんと転がった。
「帰ってきたら、いろんな話を聞かせてもらわなきゃね。・・・・・・文弥、お腹空いた?」
「うん。すいた。今日のお昼、なにー?」
「亜弓ちゃんのお父さんにイナダもらったからさ、海鮮茶漬けにしない?」
「おぉ! いいね! おいしそーだし! 食べる食べる!」
文弥は台所で睦子が捌くイナダを、楽しそうに見つめている。
ふっと思い立ったように、睦子は「全国大会かぁ」と呟き、また魚を捌き始めた。




