2-4 三ツ首の魔獣
その後――坑道のマップも完成したことで、案内の役目を終えたアンデッドたちは全員、痛みを与えることなく昇天させた。
そのまま消滅させることもできたが、彼らが浮かばれぬ霊ならば、このほうが人の道にかなっている。
教会の教えどおりであれば、彼らの魂はやがて輪廻に組み込まれ、別の命として生まれ変わるだろう。
ちなみに――鉱山内で、ダークライトのような鉱石を見たことがないかどうか、念のために確認はしておいた。
もちろん目撃証言はなかったため、少なくともこの鉱山に、ダークライト鉱脈はなかったといえる。
ならばあとは、墳墓のほうに期待するしかないのだが――。
「ここが魔宮化していないということは、宝物が生まれることはないんでしょうか……ダークライトも含めて」
「難しいところですけれど、そうとも言い切れませんわね」
坑道と空間をつなげることに、まず膨大な魔力が浪費される。
残った魔力が遺体を魔物化させ――それでも余裕があれば、魔物や宝物が生みだされる可能性はあった。
「現に、ここで見つかったとされる宝物のいくつかは、埋葬品らしからぬものもありましたわ……もちろん、その国の文化にもよりますけれど」
それらが埋葬品でなければ、魔力から生みだされたものということになる。
「それに――わたくしたちが受けたクエスト、忘れてはいませんわよね?」
「……そうでしたね。三つの首を持つ、魔獣のゾンビ――」
この墳墓を建てた古代の国家が、そうした魔物を管理しており、この墳墓に埋葬した可能性もなくはない。
ただ、現代の常識であれば、そうした特殊な魔物は、魔宮に出現するものしかいないはずだ。
ニルスが新たに得た知識によれば、渦から溢れた魔力で生みだされた魔物――ということになる。
「……遺体の数も、かぎりがありますでしょうし。それを討伐し続けていたなら、魔力が行く先を失って――新たな魔物が生まれた可能性はあってよ」
リスティアはそう口にし、スラリと長剣を抜き放つ。
しかし見たところ、いまだ遺体の在庫は尽きていないらしい。
周囲からは、生前は戦士や神官だったのだろうと思われる、相応の装備をつけたゾンビやミイラ――。
それ以外にも、同じように埋葬されたと思われる動物のアンデッドが、腐った身体や干からびた身体を引きずり、這い寄ってきている。
そして――それらの群れの奥に、その巨大な影は存在した。
それは、ゾウくらいはあろうかというサイズのライオンに、ヤギの頭と、巨大なトカゲ――おそらくはドラゴン――の頭が生えた獣である。
尾はヘビのようで、四肢はよく見れば、かぎ爪のような形状をしている。
およそ、まともに生みだされた魔物には見えないが――。
「さて――あれはいったい、どちらの産物かしら」
「――確認してみます、リスティアさま」
剣を構えた彼女が前衛に向かうより早く、アンデッドたちを視界におさめたニルスは、そのすべてを対象に使役魔法を放つ。
『グォ……グオォォォォッ……ォ――お、おぉ……?』
刹那――本能的なアンデッドの動きは、理性的な人間のそれへと変わった。
しばし、きょろきょろと周囲を見まわしていた彼らは、やがて知り合いの顔を見つけたらしく、なにごとかを問うような仕草をする。
『あれ? たしか俺、埋葬されて……されたはず、だよな?』
『そうそう、俺も一緒だったんだよ。陛下のお供ってことで――』
言葉は発していないが、身振り手振りから察するに、そんなところだ。
やがてどんなジョークを伝えたのか、彼らはドッと笑いを響かせる。
それを遠目に見つめるリスティアは、わかりやすく憮然としていた。
スン――と音が聞こえてくるほど、気を削がれたのがわかる。
「……とーっても楽しそうですわ、ねぇニルス? そう思わなくて?」
構えていた剣が、キィン――と冷たい音を立て、鞘におさめられた。
彼女の声も、妙に冷たく響くのは気のせいだろうか。
あと、どこか萎えた口調にも聞こえる。
「……お嬢さま、なにか怒っておいでですか?」
「リ・ス・ティ・ア!」
「……リスティアさま。なにかいたらぬ点があったのでしたら、どうかお教え願えませんか?」
笑いを響かせるアンデッドたちの背後には、三つ首を持つ魔獣のゾンビもどっしりと腰を下ろしており、なぜか同じように笑いを響かせていた。
笑いの絶えない職場、なんともうらやましい。
ニルスとしてもぜひとも、敬愛する令嬢には笑っていてほしかった。
「……別に、ニルスは悪くなくてよ。実に完璧、最高の従者ですわ」
お褒めにあずかり光栄です、リスティアさま。
慇懃にそう返せるほど、ニルスも機微に疎くはない。
そんな従者の前で頬をふくらませ、聞こえないくらいの声で彼女は続ける。
「……ほんの少しくらい、見せ場が欲しかったとか……ニルスの前でいいカッコしたかったとか、そんなことはちっともありませんわ……」
ニルスの喉が、ヒュッと音を立てた。
先のミイラを一刀のもとに切り捨てた鋭さといい、悪漢に絡まれても動じぬ胆力といい、なにより影騎士という種族もある。
リスティアの強さも美しさも、ニルスはよく理解していた。
けれど、彼女がそれを誇示したがっているかどうかについては、理解の外にあったというほかない。
都市間の移動においても、乗合馬車と安全なルートの徒歩ということで、それらしい危険には遭遇しなかった。
ダンジョンの道中にしても、まともに剣を振るう機会には恵まれていない。
ありていに言えば彼女は、退屈していたのだ。
察したニルスの反応は、光より速かった。
「……申し訳ありませんでした」
「――えっ?」
「リスティアさまに剣を振るっていただき、ご活躍いただけたであろう舞台を、台無しにしてしまい――」
「あ、あの……ニルス?」
「かくなる上は、どのような罰でも――」
「ちょ、ちょっと! お待ちなさいっ!」
やり場を失った闘争心を、無理やりおさめてくれた主に対し、やはり折れるのは従者でなければならない。
そう思って素直に頭を下げたニルスだったが、リスティアは思いのほか慌てた様子を見せた。
「おやめなさいなっ、わたくしが悪かったですわ!」
「ですが――」
「ちょっとした冗談ですのに……もうっ、本気にしなくていいんですのよ?」
頭を上げさせ、彼女はそう取り繕う。
「ですが、リスティアさまがあんな風にされるのは、珍しいですし……」
「慣れない冗談がつまらなくて、申し訳なかったですわねっ!」
自分の行動を振り返ってか、リスティアは頬を赤くしていた。
それをごまかすように、ニルスの頬をそっと撫でる。
「ニルスの力が十分に通用して、気分を害するはずがありませんでしょう?」
「それは……」
「むしろわたくし、とっても気分がよくてよ? Aランク相当の相手を、かわいい従者が一蹴しているんですもの……ええ、誇らしいくらいですわ」
こうまで言ってくれるのであれば、やはりあれは冗談なのだろうか。
「……僕は単純ですから、簡単に信じてしまいますよ?」
本音であってくれればよいが、気を遣わせたのでは逆に申し訳ない。
そんなニルスの言葉に、リスティアはしばし押し黙り――。
「ええ――信じてよくてよ。わたくしは本当に、心から――ニルスの働きに心躍らせていますし、それを期待していましたの」
そう言って、花のほころぶような笑顔を浮かべた。
「かわいくて忠実なニルスが、ご主人さまにいいところを見せようと、はしたなく尻尾を振る姿――存分に、お見せなさいな❤」
あえて官能的な言葉を選び、彼女はどこまでも、ニルスの忠誠心をくすぐる。
キュゥッと胸の奥をつかまれ、艶めかしく揉みほぐされるような感覚だった。
「できれば、雄々しいところを見たいですけれど――ニルスはやさしいところも、魅力的ですものね。どちらにせよ、楽しみですわ」
「ぜ、善処いたします……」
そんな言葉に見送られ、ニルスはアンデッドたちのもとへ向かう。
クエスト対象は、彼らとともに笑う巨大な魔獣だ。
近づくと、使役魔法の効果によって、誰が主人かすぐに理解したのだろう。
『これは、我らが主ですな……お初にお目にかかります』
言葉を発するわけではないが、魔法による主従関係を通じ、そんな意思が伝えられる。
ただ――驚いたことに、その意思を向けてきたのは人型のアンデッドではなく、その巨大な魔獣のほうだった。
「……彼らを従えているのは、あなたなんですか?」
『仰せのとおりにございます。私はドギドと申しまして、かつて存在したこの王国を統治しており、神の遣いとも呼ばれておりました』
グルゥッ――と魔獣が喉を鳴らすと、それが真実であることを示すように、周囲のアンデッドたちがニルスの前にひざまずく。
動物たちのほうは、お腹を見せた服従のポースを披露していた。
特に、一匹のネコのミイラは、お腹を撫でてくださいとせがむように、乾いた身体を伸ばしている。
しゃがみ込んで手を這わせると、思いのほか身体の厚みがあり、ゾンビのようなやわらかさもあった。
「これは……生きた状態で埋葬されていたんですか?」
『然様にございます。ですが、強要したわけではございません』
古代王国の主であったドギドは、王であり、神の遣いであり、王国の存在を維持する柱でもあったという。
ゆえに、その寿命が尽きるときは、王国が滅ぶときだった。
滅びに瀕し、王国の民――人や、数多の動物たちは、いつの日かドギドが復活するという予言に従い、この巨大墳墓に亡骸を埋葬する。
その際に、王とともによみがえり、また彼に仕えたいと願う多くの民が、同じように棺に入り、眠りについた。
『――予言は事実ではありました。ですが、このような形を望んだわけではございません……混沌よりの魔力が、我らの理性を狂わせたのす』
墳墓にかけられた魔法は、彼らの寝所と魂を、当時のままに維持している。
けれど遺体は腐敗や風化を避けられず、その傷みから魔力が流れ込み、彼らをアンデッドモンスターへと作り変えた。
その際の意識は、もちろん彼らには残っていない。
だが、こうして自我を取り戻したことで、いやでも理解してしまう。
王国の復活という幻想に惹かれた結果、自らの――王の寝所を穢してしまったという、愚かなおこないを。
「……あなた方は、どうしたいですか?」
『すでに地上は、いまを生きる者たちのものでしょう。予言は果たされたものの……この朽ちた身では、生を謳歌することなど叶いますまい』
王の言葉に同意するように、アンデッドたちも悲しいうめきをもらした。
このまま滅び、消えることを望むのだろう。
「……わかりました。僕がみなさんを、お送りします」
『おお……我が主よ、感謝いたします』
ドギドが、そして民たちが、動物たちも含めてニルスにかしずく。
「残った遺体は、これで全員ですか?」
『そのようです。すでに果ててしまった者もおりますが……』
過去に訪れた冒険者たちが、魔物として討伐した亡骸のことだろう。
もしかすると、道中で見かけたゾンビやゴーストには、この墳墓に埋葬されていた者も混じっていたのかもしれないが――。
いずれにせよ彼らも、すでに昇天している。
浮かばれぬ魂も見当たらない以上、これが最後の民たちになるはずだ。
『……あちらにも一体おります。一緒に送ってやっていただけるでしょうか』
「あ――ええ、もちろん」
ここに入ってすぐ、リスティアが切り捨てたミイラだ。
それに気づいたのか、彼女は居心地悪そうにそわそわとする。
『……主の主殿よ、あなたにも非はございません。我が国の民が無礼を働いてしまいましたこと、平にご容赦を――』
「わたくしのことは、気にせずとも結構ですわ」
リスティアはこともなげに返すが、それを聞いてニルスはピンと閃いた。
「――では謝罪の証として、あなたの亡骸をいただけますか? もちろん、魂を送ってからになりますけど」
『主がお望みであれば、ぜひもなく……どうぞ、いかようにもお使いください』
本人の承諾も得られたなら、問題なくクエストは達成できそうだ。
「ありがとうございます。それでは、さっそく――みなさん、なるべく一箇所に集まってもらえますか?」
ウゴウゴとうなりながら、全員が隊列を組んで、ニルスの前に居並ぶ。
そんな彼らの前で手をかざし、魔物化を取り除く浄化をほどこしたのち、その魂を天に還らせた。
霊属性の、それも浄化や昇天に関わる魔法は、魔力の波が光り輝いているようにも見える。
その光に包まれ、消えていく民たちの姿に、ドギドは目を細めていた。
『うむ――これで、これでよかったのだな……生ある者はいずれ朽ち、滅びる……それが、次の命を紡ぐのだ……』
魂を失った亡骸が、その場に崩れ落ちる。
彼らは再び、棺へ戻すべきだろうか。
そんなニルスの考えを否定するように、ドギドの頭がひとつ、口を開く。
『やすらかに眠るがよい、我が民よ――』
ドラゴンの首が放ったブレスは、不死の身から放たれたとは思えない、神々しい光の炎だった。
乾いた亡骸は瞬く間に灰と化し、やがてそれも溶けるように消えていく。
民の昇った先を見つめるように、墳墓の天井を見上げていたドギドはやがて、ニルスのほうへ視線を移した。
『お願いできますでしょうか、主よ』
「……その前に、ひとつよろしいですか?」
これだけは聞いておかなければと、かつての古代王国――あるいはこの墳墓で、黒く輝く鉱石を見ていないか、確認しておく。
残念なことに、やはりここでも目撃証言はなかった。
『お役に立てず、誠に申し訳なく……』
「いえ、お気になさらず……それでは、始めますね」
ニルスが魔法を発動させると、ドギドは心地よさそうに瞳を細める。
『感謝いたします……それと、いささか無粋ではございますが――』
浄化の光を浴びながら、彼は低くいななくように声を上げた。
その声に呼ばれたように、墳墓の奥からゆっくりと、なにかが飛来する。
『この首ひとつ――いえ、三つ程度では礼に足りぬかと。よろしければ、この宝錫をお持ちくだされ……私の、忠誠の……あか、し、と――』
埋葬に際しておさめられた、王の証だろうか。
黄金の錫杖がスゥッと足元へ運ばれ、同時に、ドギドの巨体が倒れ伏した。
「……魔法による主従関係で、そこまで気を遣わなくてもよかったのに」
どこか申し訳なさを感じつつ、ニルスは錫杖を拾い上げる。
その手をそっと握り、リスティアが錫杖をおさめさせた。
「受け取っておきなさいな。お礼だと言われましたでしょう?」
言いながら彼女は剣を抜き、ドギドの首にピタリと添える。
「あの者は、感謝していたはずですわ――強制的な生の苦痛から、ようやく解放されたのですもの……愛した民たちとともに」
腐敗した肌に刃が沈み、首はなんなく切り落とされた。
残るふたつも、同様に処理される。
「ニルス、お持ちなさい」
「はい――ありがとうございます、リスティアさま」
正確なサイズがわからなかったため、大きめの木桶にしたのは正解だった。
リスティアの落とした首を、三つの桶におさめ、ポーチに収納する。
「……あっちは、見つかりませんでしたね」
「すぐに見つかるなら、いままでなにをしていたのかという話になりますわ」
リスティアの使う剣は、やはり特別な金属か、魔力による保護なのだろうか。
魔獣の体液や老廃物で汚れることもなく、美しい輝きを保ったまま、再び鞘へおさめられる。
「さ――帰りますわよ。世界は広いんですもの、そのうち見つかりますわ」
スルリと、抱きつくように腕をからめとり、リスティアは身を寄せた。
「その広い世界を、二人で存分に旅しますのよ……たった一度、見つからなかったくらいで落ち込んでいたら、旅なんて続けられなくてよ?」
「は、はい……ぅっ……」
鎧越しの身体ではあるが、麗しの主人に密着されているというだけで、ニルスの鼓動は大きく跳ね上がる。
それがわかっているからこそ、リスティアはますますおもしろがって、ニルスに触れるのだ。
指を絡めて手を握られ、顔は息のかかる距離に寄せられ、見つめられる。
「ねぇ、ニルス――」
「な、なんでしょうか……」
「あなたは死してなお、わたくしに仕えたいと思えて?」
不意の問いに、思わず息が詰まった。
ドギドたちの関係、あるいはアンデッドとなった彼らの感情に触れたから、そんなことを思ったのだろうか。
ニルスが呼吸を止めたことで、彼女は不安そうに顔を曇らせる。
けれど、それはリスティアの勘違いだ。
「――そのようなこと、お答えするまでもありません」
死霊魔法を身につける過程で、そのことは考えにあった。
死してなお、彼女に仕える――ニルスにとって本望であり、そのための方法は、すでにいくつも見つけだしている。
いまさら問われるまでもない、自分の中の決定事項だ。
「ど、どちらですの……はっきり答えなさい!」
「僕は死んでも、リスティアさまにお仕えしたいと思っています。本来なら、今際の際にお願いしようと思っていたのですが――」
空いたほうの彼女の手を取り、指先に口づける。
「どうか、死ぬまで――そして、死んでからも。リスティアさまの従者として、お傍に置いていただけませんか?」
「――ええ、よくてよ」
余裕たっぷりの言葉ながら、リスティアの表情は安堵に満ちていた。
そしてニルスのほうも、彼女の問いが、拒絶の意図を孕んだものではないと確信を得て、胸を撫で下ろす。
「お許しくださり、ありがとうございます」
「ま、まぁ……そのくらい、当然のことですわ」
わたくしは主なのですから――と、リスティアは満足げに微笑んだ。
「そうと決まれば、色々と覚えてもらいませんとね……屋敷の管理に、わたくしの身の回りの世話に、あとは――わたくし好みの伽も、ですわね」
「――――――えっ?」
聞きなれない言葉に問い返すが、彼女が二度、口にすることはない。
「ふふっ――期待していますわよ、ニルス❤」
囁き、身を離そうとした彼女の手は、ニルスの非常にセンシティブな部分を、スルリと――艶めかしく、舐めるように撫でていった。
キメラが合成で生まれたんじゃなく、そういう生物として存在した時代。




