平凡なピピルと氷雪の王子と二人を取り巻く人々の五年目以降 そのニ
*エリィと私とシルセウス
バッビーノ広場で領民達からの祝福を受けたあの日からもうすぐ十度目の春が来る。シルセウスは人々の努力が実を結び目覚ましい発展を遂げている。
私が任されている刺繍事業も順調だ。工房は国内だけではなく隣国からの注文も受けるようになっているのだが、なんとエルーシア様の生国のサルーシュの王太子様のご婚儀で使用されるウエディングベール作製の依頼が舞い込み工房は大騒ぎになった。これを機に更に新しい地域からの受注が増えるのではないかと期待しているところだ。
養成所には技術を学びたいとやって来た外国からの留学生を受け入れるまでになっている。
お陰さまで私はとても忙しい。しかし忙しいながらもエリィの優秀な部下達に支えられ、領主夫人としての仕事は相当カバーして貰えていると思うし、育てた生徒達は次々と一人前になって何本もの右腕として安心して仕事を託せるまでに成長してくれている。だからかなり負担は減っているのだけれど……。
それでも、なのだ。
「わたしはルゥを働き蜂にする為にシルセウスに呼んだんじゃないんだ。王都に行く度に両陛下や公爵や義父上や義母上や義兄上……最近はセシルや王太子殿下にまでも働かせ過ぎだとブツブツと文句を言われるわたしの肩身の狭さを少しは考えてくれないか?」
うんざりした顔で王都から帰って来たエリィには悪いと思うけれども、こればかりは仕方がないのよね。
「でもね、子育ての大変さってこんなものじゃないのよ。シルセウスは私達の子どもなんだもの。これでも全然手の掛からないとっても素直な良い子なんだから」
「記憶があるのも良し悪しだな。前の生の記憶はシルセウスの為には本当に役に立ってくれているが、こんな口答えばかりされるんだから」
エリィはそう言ってふくれっ面をしている。
「そんな事言うけれど、エリィはそれ以上に働いているじゃないの。昨日王都から戻ったのに朝早くから執務室に籠もっていらしたのは何処のどなた?」
反論できなくなったエリィは更に表情を固くした。
確かにね、行く先々で捕まってはくどくどお説教をされたのはお気の毒だとは思う。それで予定が大幅にずれ込んでシルセウスに戻るのが二日も遅れてしまったのだもの。ついでにそのせいで……
「ねぇエリィ。仕事を抜けられなくてお出迎えできなかった事、まだ怒ってるの?」
「いや、ルゥは元々帰る予定だった日には時間を空けていたんだし、それにちゃんと謝ってくれたじゃないか。怒ってなんか……」
「でも……せっかく王都から戻っていらしたのに、ずっとご機嫌が悪いわ。やっぱり怒ってるんでしょう?」
私は……視線を斜め下に送り、そして悲しげにポツリと言った。かつてあの人が『最終兵器』と呼んだあの言葉を。
「泣いちゃおうかな……」
『ダメだ!』と慌てふためいて言いながら、エリィは私を抱きしめた。フフフ。結婚してから何年経ってもまだまだこれには太刀打ちできないのね。
私はエリィの肩に顔を埋めながらペロンと舌を出した。
「ごめん、怒っている訳じゃないんだ。ただ、やっとルゥに会えると思ったのに顔を見られなかったから……」
「いじけたの?」
「……」
「それとも拗ねたの?」
「……」
「両方かしら?」
「ルゥ……」
途方にくれた切ない目でエリィは私を見下ろした。まるで迷子の坊やみたいな心細そうな顔をされて、私は堪えきれずに笑い出した。
「本当に、エリィってかわいらしいわね」
ケラケラ笑う私をエリィは厳しい顔で見つめた。
「ルゥ、わたしは君よりも十歳歳上なんだ。という訳でもう四十だ」
「それはもちろんわかっているけれど……でもいくつになってもとってもかわいらしい私の素敵な旦那さまよ?」
エリィはポッと赤らめた顔をすぅっと背けた。ほらね、やっぱりかわいらしい私の素敵な旦那さまでしょう?
「それでもね、私は二人っきりの時にしかこんな事言わないのよ。だから三十路に入った私を人前でいけしゃあしゃあと愛しい妖精って呼ぶのはいい加減やめて欲しいわ」
「仕方がないんだ。ルゥはいくつになっても少しも変わらずにわたしの愛しい妖精なんだから。もちろん君が妖精に見えなくなったらそうは呼ばない。でも君は今この時もわたしの愛しい妖精にしか見えない。君のせいだ。責任は君にある」
私は思わず溜息をついた。
カーティスさんは私達をセティルストリア一の屁理屈夫婦と呼ぶ。確かに否定する気は毛頭なくお互い強烈に理屈っぽいのは私も重々自覚しているのだ。そして他の事なら受けて立つんだけれど、これが始まると……あ、それからあのたった一人の運命の人が始まると、エリィは本当にしつこいのだもの。
「ねぇ、オフィーリア様はどんなご様子?」
私は話を反らすという作戦に出た。そしてエリィはまんまと引っかかり、いそいそと話し始めた。
「明日あたり知らせが届くんじゃないかな?私があちらを立つ時に産気づいたと聞いたからね」
「まぁ、そうだったの!今度は女の子かしらね?」
「閣下はどちらでもと言っていたが、やんちゃ坊主達は妹が良いらしい」
やんちゃ坊主達!!それはそれは、さぞかし怪獣としての威力を増幅させたのね……私は思わずにやけた。
「あの氷雪の王子様が今では子煩悩なお父様だなんて。時の流れってすごいわね」
「それに、猫が増えていた。王宮の庭園でまた仔猫を拾ったそうだ。今回は四匹いたから全部で11匹だ。閣下は仔猫ににゃんにゃんと話しかけていた……」
エリィが遠い目をしたのは気のせいではないと思う。
「時の流れってやっぱりすごいわ……」
私も遠い目になったのは言うまでもない。
「そうだね。でもそれだけじゃない。わたしの愛しい妖精がいなければ、きっとわたし達は今もまだ暗闇で蹲っていたはすだよ」
エリィはふわりと私を抱えあげてからソファに腰をおろし、膝に座る私をじっと見つめた。
「そうね、四十歳の閣下とエリィが来る日も来る日も執務室で顔を突き合わせてギスギスしながら過ごしていたかもしれないわ」
「それを思うと……ルゥはわたしの天使だ。今わたしはこんなに幸せなんだから」
エリィは目を細めてキラキラと笑った。うん、アラフォーでもこんな笑顔を見せてくれるんだもの、やっぱり私の旦那さまはとっても素敵だと断言できる。
「それはね、エリィが私を幸せにしてくれたからよ。だって私が幸せなら貴方は幸せになれる、そう言ったんだもの。十年前、私は貴方の愛情でヒタヒタになるくらい浸されていると思っていたけれど、でも今じゃあズブズブなのよ。そうやってふやかされればされるほど、私は幸せになれるらしいわ」
「それならこれからも心置きなく愛情を注いでも構わないって事だね。これでもね、止めどない愛情をそのまま注いだらあまりにも重すぎてルゥが身動きできなくなりそうで遠慮しているんだ。だってそうだろう?ルゥはわたしの天使で愛しい妖精で、そしてたった一人の運命の人なんだから、愛情が溢れる程に湧いてくるのは不可抗力なんだ。溺愛されるのは君の運命だよ」
……また始まっちゃった。
私はこっそりと小さな溜息をつき、エリィの肩に頭を預けた。
もうなんにも言わないわ。だって言い返したらその何倍も屁理屈を聞かなくちゃならなくなるんだもの。それも甘い甘い蜂蜜みたいな内容のね。
私、本当にエリィの愛情で溺れてしまうんじゃないかと不安になったりするけれど。でも大丈夫、覚悟ならとっくにできている。一滴残らず全部受け入れてみせますとも。
だってあの日エクラの木の下にいた私を見つけてくれたエリィは、私のたった一人の運命の人なのだから。
ジレジレの鈍感夫婦も幸せ一杯に仲良くイチャイチャ過ごしておりました。
お読みいただきありがとうございました。




