第1話
オフィスの片隅で、シュレッダーの単調な稼働音が響いていた。
俺、結城誠は、手元の廃棄書類の束を次々と機械の吸い込み口に滑り込ませていく。分厚い企画書の束も、ホッチキスで留められたままの資料も、俺の指先が触れた瞬間に抵抗なく細断されていく。
「……よし、これで今月分の廃棄は終わり、と」
裁断された紙屑は、まるで空間そのものを切り裂かれたかのように、寸分違わぬ均等なサイズでゴミ袋に収まっていた。
続いて、デスクに戻って未決書類のファイリングに取り掛かる。指先で紙の端を弾くだけで、書類は空気を滑るようにして五十音順のインデックスへ吸い込まれていく。
これも長年の会社員生活で培った、ただの事務処理スキルだ。
「結城……お前、また処理速度上がってないか?」
背後から声をかけられ、俺は振り返った。直属の上司である山田課長が、胃のあたりを押さえながら立っている。
「いえ、いつも通りですよ。それより課長、胃薬飲みすぎじゃないですか?」
「誰のせいだと思ってるんだ。お前がまた急な有給申請を出してきたからだろうが」
山田課長はため息をつき、俺が提出した申請書をヒラヒラと振った。
「すみません。明日の午後は、どうしても外せない用事がありまして」
「愛海ちゃんの授業参観か?」
「ええ、まあ、そんなところです」
俺は曖昧に頷いた。妻を亡くして以来、男手一つで小学三年生の娘、愛海を育てている。仕事と育児の両立は過酷で、俺の目の下には常に薄いクマが張り付いている状態だ。
それでも、愛海の安全と笑顔を守るためなら、有給休暇は正当な権利として行使しなければならない。
「まあいい。お前は仕事が早いからな。だが、あまり無理はするなよ」
「ありがとうございます、課長」
山田課長は渋々といった様子で申請書にハンコを押してくれた。
俺は安堵の息をつき、デスクの引き出しから旅行ガイドブックを取り出した。付箋を貼ったページには、『新設の秘湯! 大自然に囲まれた癒しの空間』という見出しが躍っている。
今週末は、愛海と約束していた家族旅行だ。最近湧き出たばかりの温泉らしく、日頃の疲れを癒すにはちょうどいい。
「パパ、温泉で卓球したい!」
今朝の愛海の無邪気な笑顔を思い出し、俺の口元が自然と緩む。
その時だった。デスクの上のスマートフォンが、無機質な着信音を鳴らした。
画面に表示されたのは、愛海が通う小学校の電話番号。
俺は嫌な予感を覚えながら、通話ボタンを押した。
「はい、結城ですが」
『あ、結城さん。愛海ちゃんの担任の白鳥です。お仕事中に申し訳ありません』
電話の向こうから聞こえてきたのは、真面目で少しお堅い印象の白鳥先生の声だった。
「いえ、どうしました? 愛海に何か……」
『落ち着いて聞いてください。実は先ほどの体育の授業中、愛海ちゃんが……覚醒しました』
「……はい?」
俺は思わず、間の抜けた声を漏らした。
◆ーーーー◆
世界がダンジョン化し、特殊な能力を持つ『覚醒者』が現れるようになってから久しい。
覚醒者たちはトップギルドに所属してダンジョンを探索し、莫大な富と名声を得る。社会の憧れの的であり、同時に危険と隣り合わせの存在でもある。
まさか、俺の娘がその覚醒者になるなんて。
俺は山田課長に平謝りして会社を飛び出し、小学校の応接室へと駆け込んだ。
「パパ!」
応接室のドアを開けた瞬間、ツインテールを揺らして愛海が飛びついてきた。
「愛海! 怪我はないか!? 痛いところは? 誰かにいじめられたりしてないか!?」
俺は愛海の小さな体を抱きしめ、全身をくまなくチェックする。
「えへへ、大丈夫だよ。わたしね、覚醒者になったんだって!」
愛海は元気いっぱいの笑顔で、誇らしげに胸を張った。
「結城さん、落ち着いてください。愛海ちゃんに怪我はありません」
向かいのソファに座っていた白鳥先生が、眼鏡の位置を直しながら言った。
「先生、覚醒したって……一体どういうことですか?」
「体育の授業でドッジボールをしていた時のことです。愛海ちゃんが投げたボールが、体育館の壁に設置されていた防護用の分厚いマットを貫通し、コンクリートの壁にヒビを入れました」
「……ボールで、コンクリートに?」
「はい。幸い、他の児童に怪我はありませんでしたが……間違いなく、覚醒者としての力が発現しています」
白鳥先生は真剣な表情で頷いた。
俺の背筋に冷たい汗が伝う。
覚醒者になれば、ダンジョン庁への登録が義務付けられる。そして、その才能を狙う悪徳ギルドや裏社会の連中に目をつけられる危険性もある。
妻を亡くした時のように、俺の手の届かないところで愛海を失ってしまうことだけは、絶対に避けなければならない。
「先生、これからどうすれば……」
「まずは、ダンジョン庁で正式な測定と登録手続きを行う必要があります。未成年の場合、保護者の同伴が必須です」
「わかりました。すぐに行ってきます」
俺は愛海の手をしっかりと握りしめた。
「パパ、お仕事は大丈夫?」
愛海が心配そうに見上げてくる。
「大丈夫だ。パパには有給という最強の武器があるからな」
俺は愛海の頭を撫で、無理に笑顔を作った。
どんな手を使ってでも、この子の平穏な日常は俺が守り抜く。
◆ーーーー◆
ダンジョン庁のロビーは、多くの覚醒者や関係者でごった返していた。
俺と愛海は、未成年専用の測定窓口へと案内された。
「お待ちしておりました。担当の佐藤です」
窓口の奥から現れたのは、制服をきっちりと着こなした若い女性職員だった。マニュアル通りの業務的な笑みを浮かべているが、どこか疲れた顔をしている。
「結城愛海ちゃんですね。それでは、さっそく魔力測定を行います。こちらの部屋へどうぞ」
佐藤さんに案内されたのは、壁一面が特殊な防護ガラスで覆われた測定室だった。
部屋の中央には、大人が抱えるほどの大きさの透明な水晶球が設置されている。
「愛海ちゃん、あの水晶に両手を当てて、目を閉じてみてください」
「はーい!」
愛海は元気よく返事をすると、水晶球の前に立ち、小さな両手をペタリと当てた。
「では、測定を開始します」
佐藤さんが手元のタブレットを操作する。
次の瞬間。
水晶球の中心から、眩いほどの青白い光が溢れ出した。
「わぁ、綺麗……!」
愛海が目を輝かせる。
しかし、光は収まるどころか、ますます激しさを増していく。
ピピピピピピピッ!
測定室内に、けたたましいエラー音が鳴り響いた。
「えっ……? な、何これ……数値が……」
佐藤さんがタブレットの画面を見て、血の気を引かせた。
「佐藤さん、どうしました?」
俺が尋ねるよりも早く、水晶球の表面にピキッという亀裂が走った。
「あ、ありえません! 測定上限を突破しています! このままでは……!」
佐藤さんがパニックに陥り、悲鳴のような声を上げる。
パァンッ!!
凄まじい破裂音と共に、水晶球が粉々に砕け散った。
防護ガラスに無数の破片が突き刺さり、ロビーにいた人々が何事かと一斉に振り返る。
「愛海!」
俺は咄嗟に愛海を抱き寄せ、飛散する魔力の余波から庇った。
「パパ? 水晶、壊れちゃったよ?」
愛海はきょとんとした顔で、粉々になった水晶球の残骸を見つめている。
「……測定器が、破壊された……?」
佐藤さんは腰を抜かし、床にへたり込んでいた。
「あ、あの、特注の、高位覚醒者用の測定器が……こんな、小学生の女の子に……?」
周囲の職員たちが慌てて駆け寄ってくる。
「おい、何があった!」
「測定器が爆発したぞ!」
「あの子の数値、どうなってるんだ!?」
ロビーは蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
俺は周囲の視線から愛海を隠すように、強く抱きしめた。
目立ちたくない。平穏な日常を守りたいのに、これではトップギルドの連中に目をつけられるのは時間の問題だ。
「あの……結城、様……」
震える声で、佐藤さんが俺を見上げた。
「娘さんの数値は、前代未聞です。歴史上でも類を見ない、最強クラスの才能かと……」
「……そうですか」
俺は努めて冷静な声で答えた。
「それで、手続きはどうなりますか? 弁償が必要なら……」
「い、いえ! 弁償は結構です! それよりも……」
佐藤さんは何かを恐れるように周囲を見回し、それから俺の顔をじっと見つめた。
「念のため、お父様も測定を受けていただけませんか?」
「俺が、ですか?」
「はい……これほどの才能です。遺伝的な要因があるかもしれません。もしお父様も未登録の覚醒者であれば、今後の保護プログラムの適用範囲が変わってきますので……」
マニュアルにはないのだろう。佐藤さんの声は上ずり、完全にパニック状態のまま俺を誘導しようとしている。
「俺はただの会社員ですよ。毎日シュレッダーと書類整理に追われているだけの」
俺はため息をつきながら、左腕に視線を落とした。
そこには、妻の形見である少し狂う安物の腕時計が巻かれている。
秒針が、不規則なリズムを刻んでいた。
「パパもやってみて! きっとすごいよ!」
愛海が無邪気に俺の背中を押す。
周囲の職員や覚醒者たちの視線が、一斉に俺に突き刺さる。
逃げ場は、なかった。
「……わかりました。ついでですから、受けましょう」
俺は腕時計の文字盤を指先で軽く撫で、新しい水晶球が運び込まれた測定室へと足を踏み入れた。
ただの会社員である俺の測定結果がどうなるのか。
冷たい沈黙が、部屋を満たしていた。




