第9話 抱いてはいけない想いもある
「スバル、あんた最近いっつもあんな感じなの? 悪いけど次もこうならあたしはもう、あんたとの3Pは受けないからね!」
送迎のバンの中、強い口調で先輩にそう言われ、僕はすっかり意気消沈していた。
先ほどまでかなりお大尽なお客様に、先輩と二人で一緒に呼んで頂き、めったにない3Pで90分のお仕事を済ませてきたのだが。
僕は何もかもうまくやれなくて、先輩にはかなり迷惑もかけてしまい、いつもかわいがってもらえていたはずだったのにこの怒られっぷりだ。
運転手のおじさんもルームミラーでこちらをチラチラ見ながらも、何も言えずにためらっているような表情。
3Pにも色々と女の子同士の暗黙のルールというものがある。
まず、女の子同士で仲の悪い子はそれぞれNGを出していて、これはこっそり店長さんが管理してくれている。
僕の場合は元男性として、やっぱり他の女の子の絡みは嫌じゃないからNGは誰一人いないのだが、はっきりした性格の先輩の場合はかなりNGも多いらしい。
それでも僕はこうしてOKにしてもらえているということを、以前から嬉しく思っていたのだが。
プレイにおいても特に重要な部分に、どちらの女の子がメインなのか、という問題がある。
今回のお客様はいつも先輩を本指名している人だったから、当然先輩がメインでなければならない。
要はいいところは先輩に譲り、サポート役として立ち回ることが僕の役割だったはずなのだ。
なのに今日の僕ときたら空回りもいいところで、フィニッシュもなぜか奪いとったあげく、自分にかかってしまった粘液的なアレに本気で悲鳴まで上げてしまって。
ぼんやりしていてお客様の話をよく聞いていないとか。
うまく笑顔も作れないとか。
そりゃあ先輩にも愛想を尽かされるというものだろう。
「や、やめたげなよ先輩。スバルちゃんはまだ小さいんだし、きっとうまくいかないこともあるんだよう」
たまたま迎えの時間が重なっていた大学生兼業の巨乳の同僚が、となりに座っていた僕を抱きしめるようにして庇ってくれるが、先輩の表情は変わらない。
この同僚の女の子もこんな夜遅くまで疲れているだろうに、急にこんな話に巻き込んでしまい、本当に申し訳ない。
僕がもっと、ちゃんとしていればこんなことにはならなかったのに。
「あんたは黙ってて。あのねえ、スバルはあんたよりずっとこの業界じゃベテランなの。この仕事してるんだから当たり前だけど、もう小さい女の子じゃないから。こんな見た目だけど二十歳も過ぎてるし。普段は3Pも結構うまいはずだったんだけど」
先輩のため息に心が軋む。
自分でも不調の原因ははっきりわかっていた。
あの例のお客様ともう、会わないことに決めたからだ。
あれ以来彼とは一度も連絡をとりあっておらず、もちろんこのお仕事で呼んでもらえることもなくなった。
もう会えないんだ、と考えるだけで、自分の心が鈍い傷みを訴えてくる。
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第9話 抱いてはいけない想いもある
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その本番行為は僕が今のお店で働きだしてから、初めての明らかな違反行為だった。
あなただけは特別だと、そう言って僕と同じ違反行為に手を染めている女の子もいることは知っている。
それでお店に内緒でお客様にお金を払わせ、お小遣い稼ぎをしている女の子も知っている。
本番を男に許してあげた方が、他のプレイを長時間続けることよりもよほど疲れないし、リピーターを集めることにも大きな効果がある。
僕も最初に働いていた違法なお店では、これでお客様にたいそう喜んでもらっていたものだ。
だけど今回のこれは、明らかに異常な行為だった。
相手を喜ばせるためだったり、お金のためだなんて言い訳があるなら、まだよくある話の範疇だっただろう。
でも僕は、自分から求めてしまったんだ。
彼を受け入れ一つになることを、僕自身が全身で望んでしまった。
「……スバルちゃん?」
激しい快感の名残にほとんど放心していた僕は、彼のその声かけに何も答えないまま、仰向けになったままの裸の彼の上に馬乗りになって、自分からゆっくりと口づけをした。
その彼が下から僕の首へ腕を回してくれて、それだけで涙腺が緩んでしまっていた。
僕はえっちなお店のキャストで。彼はただのお客様。
そして何より、僕は本物の女の子ではなく、元々は汚いおじさんだったのだ。
だから自分がはっきりと自覚してしまったこの気持ちは、絶対に言葉にすることはできないと思ったのだ。
彼のことを他のお客様よりも大切に感じてしまっているのなら、自分の気持ちは深く胸の奥に沈めてしまって、彼のために言わなければならないことがあるのだと。
「……もう、僕に会わないでくれませんか。僕は、こんなお仕事でしか生きられない人間です。……でもあなたは違う。あなたの人生やお金は、僕なんかに消費しちゃいけません」
「そんな。俺はそんなの……」
彼はどんな気持ちでいたのだろう。
もう最後のほうは彼のほうをまともに見ることもできなくなっていて、ホテルのくたびれた壁紙の柄ばかり頭に残っている。
そのあと彼に対して放った自分自身の言葉を思い出すたびに、今でも目の前が真っ暗になって、体がバラバラになっていくように感じている。
「さよなら、お客様。これまでのご指名、本当にありがとうございました」
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だからそれ以来ずっと、僕はまともに仕事をこなせていない自覚はあった。
彼以外の男性とのあれこれを、これまで以上に耐え難く感じてしまっている。
夜はあまりうまく眠れていなくて、ここしばらくはずっと頭に霞がかかったような心地だ。
「すいません先輩。僕、もうダメなんです。先輩も早く僕とのプレイはNG出して下さい。もう先輩にもこれ以上迷惑かけたくありません……」
「ちょっ、ちょっとスバルちゃん泣いてるじゃん! 先輩やめたげてよ、かわいそうじゃん!」
大学生の同僚にそう庇われて、自分の頬が濡れていることに気がついた。
元は男だったというのに、情けないったらありはしない。
このお仕事でしか生きていく手段がないくせに、僕はその中ですらうまくやっていくことができないようになってしまっていた。
先輩はそうして同僚に抱きしめられたままうつむく僕を見て、おもむろに自分のスマホを取り出すと、また小さくため息をついた。
送迎の車のルームミラー越しに、先輩とほんの一瞬だけ目が合ったけれど、彼女の瞳には怒りよりもむしろこちらを案じてくれているような優しさがあって、余計に胸が苦しくなってしまう。
「……あ、店長? 今日ってもうあたしもスバルも上がりでいいよね? あたしらこのあと直帰するから。あ、ハナちゃんも一緒に。……そう。そうなの。……いいから、あたしに任せておいて。……うん。わかってるから。ありがとね」
先輩がスマホ越しに店長と話す声が、送迎のバンのエンジン音の中でもしっかりと耳に届く。
彼女はとても優しい人だから、たぶんまた僕のために何か気を回してくれているのだ。
それがわかるからこそ、なおさらに申し訳ない。
「ねえ運転手のおっちゃん、あたしらそこら辺の居酒屋の前で下ろしてよ。そこで直帰するから」
飲みに行くってことか。
もう帰って何も考えず眠りたい、なんてことも一瞬頭をよぎったけれど。
先輩のぶっきらぼうな気遣いが嬉しくて、また少し涙がこぼれてしまう。
「なにあんたたち。嫌とは言わないよね?」
巻き込まれた形になった大学生の女の子の腕がピクッと反応したのは見えたけれど、もちろんこの圧力を受けておきながら嫌とは言い出せないだろう。