第8話 体を重ねても寂しさがある
その日の他のお客様のことも、もちろん粗末にしたつもりはない。
むしろ普段よりサービス旺盛に頑張ったくらいだから、きっと悪い印象はもたれなかったはずだ。
だけど最後、この細身のお客様が待つホテルの部屋に足を踏み入れた瞬間、明らかに自分がいつもの自分ではなくなってしまったことがわかった。
一回目はシャワーも浴びていなかったし、時間を測るタイマーすら動かしていなかった。
二回目はようやくシャワーを浴びながら。
時間はたっぷりあるのだから、そんなに慌てる必要なんかないのに、自分の手も口も、自分のものではないみたいに抑えが効かなくて。
三回目もまだまだ僕で元気になってくれることが嬉しくて。
僕もあれこれ触ってもらえて、ホテルのシーツをびしゃびしゃに汚してしまったくらい、信じられないほどの快感があった。
かつて僕が悪い人たちに騙されて、危ないお薬に手を染めてしまったあのころ。
男に抱かれるなんて嫌で嫌で仕方ないのに、そういうお薬を使われると何もわからなくなってしまって。
最初の違法なお店で働いていれば、ご褒美にそんなお薬を使わせてもらえて、悪い男のアレで気持ちよく抱いてもらえる。
そうやってうまく堕とされて、僕はこの業界に足を踏み入れることになってしまった。
あのときの快感を超えるものは、絶対に存在しないと思っていたのに。
たぶんさっきのひとときは、そんなあのころ感じてしまっていた快感を超えていたんじゃないかと思う。
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第8話 体を重ねても寂しさがある
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「今日はごめんね。スバルちゃんは人気で忙しいのに、こんなに長い時間でお願いしちゃって」
僕の膝枕に頭を乗せたまま、彼は柔らかい声でそう言った。
短くて硬い髪の毛が太ももをくすぐるけれど、不快な気分になるどころか、どうしてかその髪をずっと撫でていてあげたくなってしまう。
「ううん。嬉しいです、本当に。僕なんかをまた呼んでくれて。こうやってゆっくり過ごせるのも、なんていうか、すごく嬉しいんです」
膝の上から彼の優しい瞳に見上げられて、アングル的にちょっと気恥ずかしくもあったけど、そのままのんびりと過ぎていくこの時間が、僕のことも心から安らがせてくれているように感じる。
彼が頭の向きを変えると、ちょうど僕のおへそのあたりに彼の息がかかって、だから何なの、という話ではあるけれどそれもなんだか幸せに感じた。
「あの、一応言っておきたいんですけど。僕は本当はこんなにえっちじゃないんですからね?」
彼には誤解されたくない。ここしばらくずっと考えていた。
毎回呼んで頂くたびに僕はめちゃくちゃになってしまっているから、よっぽどの好き者だと思われているかもしれない、と。
「へ? なんの話?」
だけど彼は本当に何も思っていなかったみたいにそう返してくる。
きちんと聞かれてしまうと恥ずかしくなってしまうから、僕は彼の顔から目を反らしつつ、太ももに乗せたままの彼の頭をゆっくりと撫で続ける。
「その、僕って普段はこうじゃないんです。こんなにその、淫乱じゃないっていうか」
信じてもらえるかはわからないけど、彼に悪い印象は与えたくなかった。
こんなお仕事をしている以上、真面目な人間だとは思ってもらえないだろうし、ふしだらな女だと思われて当然だ。
だけど、どうしても言い訳が止まらない。
TSして元は男だったなんてことは、気持ち悪いにもほどがあるだろうし、絶対に話すわけにはいかない。
だけど好きでこんなお仕事をしているとは思われたくない。
何より、僕が他の男性が相手でもこんなふうにとろとろになっているなんて思われるのだけは嫌だった。
僕があなたでしかこんなふうにはならないんだと、それをどうしてもわかって欲しい。
ベッドのわきに置いたタイマーは、残りがあと10分しかないことを示している。
今日は180分もあったはずなのに、もうこの時間がおしまいだなんて。
「僕、何だか変なんです。あなたが相手だと、自分の身体が変になっちゃって。声も、あんなに出しちゃうし。ほら、こんなにおもらしまで……その、気持ちよすぎるっていうか」
シーツのびしょびしょになった部分をつつきながら、ちらりと膝枕の上にある彼の顔に目を向け直す。
彼はちょっと驚いたように短い時間固まり、少し嬉しそうに笑ってくれた。
「はは、なんかそれ嬉しいな。でも俺、テクニックなんて全然自信ないよ? スバルちゃん相手だと何回でも頑張れちゃうけど、本当はこんなタフじゃないし」
「嘘でしょ? いっつもこんなに元気なのに」
現に、彼の股間はまだこんなにふっくらしている。
僕の太ももに頭を乗せているだけで、とりとめなく言葉を交わしているだけで、こんなふうにまでなってくれているのに。
「本当だよ。別れた前の奥さんにも、なんかうまく勃たなくなってきてたしさ。俺ももう30歳だしね、そんなもんだよ」
彼の離婚したという昔の奥さんの話が出た瞬間、きゅうっと胸の奥が痛んだ。
彼の表情が少し寂しそうに歪んで、その苦しさが僕にまで届いてしまう。
彼を捨てたその元奥さんのことを、無条件に憎らしくも感じる。
彼を苦しめて。僕よりも先に彼に出会って。
彼を自分のものにしていた女が、憎く感じて仕方がない。
そしてそれと同時に、かつての女よりも僕のほうがよほど彼を喜ばせているということを、嬉しく思ってしまう性格の悪い僕もいた。
僕のほうがずっと、彼にぴったりなんだ。
他の女なんかに負けたくない。
僕こそが、この世界で一番彼にぴったりな存在であって欲しいと、そう願ってしまう。
だけどきっとそれはだめなことだ。
許されない願いだ。
僕は元は男で。
こんな仕事でいろんな男に抱かれてきた。
こんな僕とこれ以上関わることは、相手にとっては不幸でしかないはずだ。
えっちなお店の女の子と、ただのお客様。それを越えてしまえば、きっと僕は相手のことまで不幸にしてしまう。
「仕事のあと家に帰ると寂しくてさ。当然誰もいないし。スバルちゃんと会ってるときだけは、そう感じなくて済むんだけどね」
続けられる彼の言葉に、自分自身の寂しさが重なっていく。
どうして僕は男として生まれてしまったんだろう。
どうせなら生まれたその瞬間から、ちゃんと女の子であれば良かった。
出会ったのがこんな関係性でなければ。
いや、一生出会っていなければ。
きっとそのほうが、こんなに悲しくならずに済んだだろう。
だから僕は、太ももに乗せたままにしていた彼の頭をよけ、その顔に自分の顔を近づけていった。
ゆっくりと唇が重なって、それだけで泣きそうなくらい幸せで。
彼にはきっとわからないだろう。
元男の僕にとって、相手を喜ばせるためではなく、自分から相手に唇を捧げたいと思うことが、どんなに特別なことかなんて。
どうせ彼にも誰にもわかりはしない。
だから別に僕が今だけは一人の女の子として彼に接したところで、誰も咎めたりはできないはずだ。
「……あの、身体の相性とかって、信じます?」
ああ、もうだめだ。
僕はきっと今、とんでもないことをはじめようとしている。
「相性? いやまあ、スバルちゃんとこういうことするの、正直生まれて初めてってくらい気持ちいいし、どはまりもしてるけどさ。相性って、相手の方がどう思ってるかもあるじゃん?」
彼の言葉の真偽を確かめる手段なんてない。
言われたことに、嬉しい気持ちと悲しい気持ちが一緒に押し寄せてくるみたいだ。
「僕もなんです」
もし僕たちの相性が本当に素晴らしく良いのだとしたら、きっとそれは悲劇的なことなんだろう。
彼にぴったりな相手が僕なのだとしたら、こんなに幸せで、そしてこんなに申し訳ないことはない。
僕が彼にとって一番の存在であって欲しいと願いながら、同時にこんな汚れた自分しか彼に捧げられるものがないことを悲しく思ってしまう。
「……お仕事だから言ってるわけじゃないですよ。僕、あなたと初めて会ってから、ずっと変なんです」
「……俺もおかしいんだ。スバルちゃんはプロの女の子で。喜んでくれてるように見えるのも、ただのサービスなんだってわかってるはずなのに。なのに最近はずっと、スバルちゃんのことで頭がいっぱいなんだよ」
一度目があって、またそれを二人同時に反らした。
寂しい。
お互いにそれなりには求めあっているはずなのに、そこには幸せな未来なんてきっとない。
えっちなお店の女の子とお客様。
その現実だけが僕たちの前に続いている。
「……これから僕がすること、お店には秘密にしてもらえますか?」
僕はゆっくりと彼に覆い被さるように、裸の自分を彼に重ねた。
背の高い彼と腰の位置を合わせると、僕の頭は彼の首の辺りまでしかとどかない。
彼の鎖骨に自分の唇を当て、横になったまま彼と目をあわせる。
一生こうして見つめあっていられたら。
こうしてふれあっていられたら、それはどんなに幸せなことだっただろう。
その瞬間にベッドの脇から鳴り響いた、この時間の終わりを告げるはずのタイマーの大きすぎるアラームは、もう聞こえなかったことにしてしまおう。
今日で終わりでいい。
しょせん僕たちはお金で契約された一時的な関係でしかないのだ。
僕にはきっと彼が必要なのだけれど、僕はこれ以上彼の心の中に住み着くべきじゃない。
お金を払えばいつだって、別の誰かが彼を支えてくれる。
そうでなくともきっと彼にはまた、ごく普通のどこかの女の人と出会い、幸せになる時間があるだろう。
だから僕にはこれが最後で充分だ。
だから最後でいいから、一度だけ。
「え?」
困惑した表情の彼の口を、また自分の唇でふさいだ。
彼の顔がにじんでぼやけて見えるのは、たぶん僕が泣いているからだ。
出会わなければ良かった。
出会えて良かった。
だからこれで、一度きり。
だからこれで、さようならだ。
「全部僕が勝手にやることだから。……あなたは何にも悪くないんです。全部、僕が悪いから」
今だけは、男だった本当の自分を忘れて。
ごく普通の一人の女として。
「欲しいんです。あなたが」




