もしも明日が雨ならば 11
こつりこつりとノックの音が響き、しばらくの間をおいて寝室の扉が静かに開いた。
「夕食が出来たとさ。ここに持ってくることも出来るが、どうする?」
開いた扉に半ば寄りかかるようにして青い顔をのぞかせたエウナにダミーがそう問うと、彼女は後背の部屋を視線で示し疲労感のこもる細い息を吐き出した。
「暫く、離れられそうにありませんわ。申し訳ないのですけれど、お願いできるかしら。少し話ししておきたいこともありますの」
「了解、少し待ってろ。包んでもらってくる」
扉から離れようとしたダミーの腕をエウナの細腕が引いた。ダミーが振り返ると、薄らと微笑むエウナの首がかくりと傾いだ。
「……なるべく早くお願いしますわ。お腹、ぺこぺこですの」
「いい子して待ってればすぐに持ってきてやるよ」
力の緩んだエウナの腕をやんわりと外すと、ダミーは今度こそ扉の前を離れた。
「―――行きましたわよ」
ダミーの背中が視界から消えるのを見届けると、エウナは億劫そうな声でそう言った。そして、腰に押し当てられていた硬い感触が離れるのを感じるとこれみよがしに吐息をもらした。
「堕星天、か。変わった知り合いだな。クレメンス家の三女は教会魔術の使い手と聞いていたのだが」
「友人、のようなものですわ。馴れ初めが特殊すぎて、彼の方からは私をどう見ているかわかりませんけれど」
「そういう意味で言ったわけじゃないんだがな……」
「……教会で学んだ人間が皆必ずしも執行者になるわけではありませんわ。それに、信仰を捧げるならば教会の絢爛豪華な建物にではなく神様に向けてお祈りをするべきでしょう?」
「そりゃ、ごもっとも。クレメンスのお嬢様は不信心者だが聡明だね」
くつくつと女の低い笑い声が響く。エウナは控えめに肩をすくめ半開きの扉を閉じた。
「お褒めにあずかり光栄です、とでも言えばいいのかしら。レッフェルト家のご当主様も、お元気そうでなによりですわ」
踵を返し、エウナはくるりと後背へ振り返った。エウナの視線の先に、女が一人立っていた。 浅黒い肌に、彫りの浅いのっぺりとした顔立ち、薄い唇、顎から首にかけてのいかにも頑強そうな骨格、薬師小屋の主、カリーナ・レッフェルトその人であった。
カリーナは左手に握った拳銃の銃口の向こうでいかにも意地悪くにやりと口の端を歪め目を細めた。
「それこそ、おかげさまで、というべきかな。ツァリーベの関係者に我が家をずかずかと歩き回られるのは正直いって業腹だが、まあこれについては純粋に感謝している」
「銃を向けている時点で純粋な感謝の気持ちとはいえないと思いますわよ」
「―――立ち話もなんだ、そこに座るといい。飲み物もだそう。三女殿は銃弾がいいかな? それとも紅茶?」
こちら側の皮肉をさらりと流したうえでの皮肉の返しにエウナは諦めたように溜息をつき、カリーナが足で引いたドレッサーの椅子に大人しく座った。
カリーナの側も片手間にエウナを照準したままに机の対面にまわりどさりと腰をおろす。
淑女らしからぬ荒っぽい仕草に目を丸くするエウナの様子にくつくつと声をもらし、カリーナは拳銃を無造作に机の上に投げ置き、物入れから引き出した瓶とグラスを机の上に置いた。
「悪いんだがこの雨のせいでろくに買い物にもいけなくてね。紅茶はないが、これで我慢してくれたまえよ」
「それは?」
グラスに注がれる琥珀色の液体は、微かにアルコールの香りを発していた。
カリーナの手ずから受け取ったグラスの水面を眺めながら尋ねると、彼女はこれが答えといわんばかりに瓶の口を傾けその中身をあおってみせた。
「ご覧の通り、毒じゃないさ。レモンバームフレーバーの合成酒……ツァリーベではフェルトルードという名前で売り出されていたはずだ」
じっと見つめてくるカリーナの瞳におされグラスを傾けたエウナは舌の上に乗ったリンゴのような甘く爽やかな香りとわずかに感じられる程度の酒気を帯びた液体を舌でころころと転がし「あら」と声をもらした。
「いい香りですわね。それに、甘い口当たりで飲みやすい」
「この香りは尖った神経を鎮める効果もあるんだ。だからこれをグラス一杯飲めば夜もぐっすり眠れる」
「銃を向けて機嫌を損ねた相手の精神も鎮めてくれるのかしら」
皮肉げに笑うエウナにカリーナは肩をすくめた。
「それは三女殿次第だね。でも私は出来れば三女殿に冷静でいてもらいたいし、よもや助けた相手と血みどろの殺し合いをさせたくはないね」
「笑えないジョークですわ」
琥珀色の水面に浮かぶ歪んだ笑みの鏡像をちろりと舐めるように吸い上げ、エウナはグラスを膝の上に置き改めてカリーナに向き直った。
「こういう場合、なんていうんでしたかしら。話だけは聞いてやる、とか?」
「それはいかにも露悪的な言い様だね。はじめからそのつもりだったくせに。その気があるなら銃をさげた時点で私の首はへし折られていただろうしね」
カリーナの言葉に曖昧な笑みを返し、エウナは椅子から身を乗り出し机の上に投げられた銃を手に取った。
照り返しの強い銀色の銃身、エウナの手にもおさまる小柄な様のそれは、今この場にいないダミーが見ればリボルバーあるいは回転式拳銃と呼んでいたであろう機構を持つ品であった。
手慣れた仕草でエウナはシリンダーを横に抜き、そこにおさまった銃弾の一発を抜き出した。
「なんの変哲もない銃弾だよ。霊的にも魔的にも加工されていないただの鉛玉。三女殿にとっては懐かしい品かもしれないね」
「……そうですわね。まさか教会の管理倉庫以外でこれを見ることになるとは思いませんでしたけど」
「おや知らなかったのかい。ここ数年で中央寄りとその連なりでそれなりに流通している品だよこれは」
なんという風もなしに語られたカリーナの言葉にエウナの眉が歪んだ。
「それは、初耳ですわ」
「だめだね三女殿。外界へのアンテナは常に張っておかないと。一つ教訓だ」
くつくつと低い笑い声がカリーナの喉から漏れ出る。エウナはシリンダーに抜き出した銃弾を再び装填すると机の上に拳銃を戻し、膝の上に置いていたグラスを手にとりその中身を一息に飲み干した。
「あなたの聞かせたいお話というのはその大変ありがたい啓発ですの? 私はそれでも構いませんけれどこれではわざわざ人除けをした意味がないのではなくて?」
「もちろん違う。私もどう話したらいいものか考えていたんだ。でも、そうだね、万が一にでも彼が今サンドイッチを持ってこの部屋に入ってくるとも限らないからね。手短にいこう」
語るカリーナの瞳がきゅうと引き絞るように細くなる。自身の瞳の内の心中を隠し、しかし相手の胸の内は透かして見るような、そんな目だ。
空気の変化を感じたエウナは椅子に改めて座り直し、カリーナの瞳を正面から見つめ返した。
にわかに訪れた沈黙、数秒か、十数秒か、しばしの間を置きカリーナは口元に浮かぶ曖昧な愛想笑いの形を崩し口を開いた。
「一つ、協力をしてほしいのさ」
「『聞くだけ聞いて』さしあげますわ」
エウナの皮肉ににこりとも返さず、カリーナは机の物入れを引きそこから取り出した一冊の本をエウナに投げ渡した。
「そう、『聞くだけ聞いて』くれればいい。口か手を出したくなったらそれでも読んで気を落ち着けて欲しい」
受け取った本の装丁とカリーナの顔を怪訝そうに見比べるエウナの様子を色の無い瞳で見つめ、お互いの視線が交差する頃、カリーナは平坦な声で言葉を紡ぎ始めた。
「―――もしも明日が雨ならば、もしもあの日が雨でなければ、こうはならなかったんだろうけどね」




