もしも明日が雨ならば 9
「治療の邪魔だと君が言ったから、今日が私の読書週間よ、と」
読書用の卓につけ、突拍子無く妙な節回しで紡がれたダミーの言葉に、その腹にコアラよろしく抱き付きうつらうつらとしていたアイリが怪訝そうに見上げ、対面の席で基礎魔術構成論というタイトルの分厚い本を抱え込むようにして読んでいた少女はくすくすと笑い声をもらした。
「なんですかそれ」
「さてな、俺もよくわからん」
そう、おどけて肩をすくめる。
例により、カリーナ・レッフェルト所蔵の書斎に、彼らはいた。目当ての魔法薬を見つけたエウナは、さっそくカリーナ女史の治療に取り掛かった。その折に、エウナはダミー達にカリーナ女史の寝室から退室するように言ってきた。繊細な作業であるためあまり多人数の魔力を近くに置いておきたくないのだと、そういう説明であった。
専門家でないダミーにとり、今回の施術は全く知識の及ばない領域の作業であったため、これにはそういうものかと素直に応じたが、いかにも魔法じみた光線を操った少女にしてもこれに関してはダミーとそう変りない認識であったらしくそれに追従した。
しかして、治療の場から退室した一同は夕食を作るために厨房に向かったアニスと、少女の案内で書斎に通されたダミー達、ということに相成った。
「しかし、なんだな。このお屋敷といい、書斎といい、豪奢なことだ」
書斎を煌々と照らすシャンデリアと、ゴシック調の壁紙の内装とを見、ダミーはそう感想をもらした。書斎は件の薬品倉庫と同様の間取りで、薬品棚の配置をそのままに書架にかえたような内装であった。
「錬金術師ってのはそんなに儲かるのかねぇ」
「ううん、どうなんでしょうね……」
困り顔で笑う少女の様子に曖昧な苦笑で返し、ダミーはテーブルに広げた本の文面に目を落とした。
それは、この大陸で堕星天と呼ばれている存在についての記述であった。
いと高き天上の世界からこちらの世界に堕ちてきた異界の住民、ルナティアに住む人々よりも強い存在の力を持つ存在であると、修飾過多のもったいぶった書き様の文章から読み取ればそんな内容であった。
堕星天についての詳細な情報は公式に神聖教団に秘匿されているが、教団は彼らを世を乱す不穏分子であるとして賞金をかけ捕縛してまわっている、とも。
ある程度に予想はしていたが、それにしてもおおよそ最悪の情報で最悪の情勢であった。
しかし、こうしてあえて文章として残りまた堕星天という名前がそこそこに知られている、ということはそれなり以上にダミーの『前例』がいたということだろうか。
―――文字のことといい、ますますややこしいな。
断片的ながら知った情報、これから知らなければならない情報、そしてそれらを踏まえての今後の立ち回り。次々と目の前に山積みになっていく課題に頭痛がしてくるようであった。
「―――そういえば、夕食の準備をするって話だったが、普段から彼女が料理なんかをしてるのかい」
いやが上にも暗く思われる先行きの鬱を振り払うように明るい声で、ダミーは少女にそう問うた。
ダミーの内面の苦悩など知らない少女は、その問いに別段に気負った様子もなくこくりと首肯を返した。
「はい、凄く上手なんですよ。それに、家の掃除も洗濯も全部一人でやっちゃうんです。凄いですよね」
あどけなく、はにかむように笑う少女の様に、ダミーも無意識に笑みを返していた。
―――でもこのくらいの年頃の子供に優しくしてあげたくなるのは、そこまで珍しいことではないのではなくて?
少し前に聞いたエウナの言葉が想起される。
なるほど、これは案外に真理であるかもしれないと内心で困惑気味にまたダミーは笑う。
「そりゃあ、楽しみだな」
そして、自分でも驚くほどに自然と柔らかな声でそう少女に言葉を返していた。
「ダミーさんは、旅人なんですか?」
二人の間の空気が緩まると、少女の側でも話しやすい雰囲気ととったのか、身を乗り出すようにしてそう尋ねてきた。
好奇心に輝く瞳に見つめられながら、ダミーは「旅人、ね」と低い声で呟いた。
旅をする人、といえば広義であるが、目の前の少女が目を輝かせるような、それこそ夢やロマンに同義するような意味合いでの旅人という言葉がはたして自身の現状にあてはまるものなのかどうか。
「……そうとも言えるのかもしれないが、まあ、俺の場合はどちらかといえば浮浪者と言った方が正確だろうなあ」
暫し考え、出てきた答えはこのようなものであった。
期待したような、あるいは予想していたような、どれとも違うダミーの返答に少女はかくんと首を傾げる。
「ふろうしゃ?」
「明日の飯のあても、今日の雨風をしのぐための寝床のあても無い人間のことさね」
そう言葉を継ぐが、それでも少女はぴんと来ないのか惑うようにしきりに瞳を泳がせている。
「まあ、つまりなんだ。申し訳ないがお嬢ちゃんに話せるような旅の面白話の引き出しが俺にはないんだ」
「そう、ですか……」
目に見えて少女の顔に落胆が浮かぶ。―――牛の頭をしていた化け物や動く死体、まして山賊、生きた人間と殺し合いをしてその尽くをこの手であの世に送りました。などとはまさか幼げな少女に語るわけにはいかないだろうという判断からの言葉だったのだが、先までにこにことしていた少女の顔が急速に曇っていくのを見、ダミーは顎に手を当てふむ、と唸った。
「……旅の話、というのはまあたしかに無いんだが、ちょっとした小話や物語なんかなら幾つか知っている。それで良ければ、話せるが、どうだろう」
「それ! それ、聞きたいです。教えてください」
沈んでいた表情をみるみると明るくする少女の様子に、ダミーは「よしきた」と手を打ち鳴らすと、調子をよくして語りだした。
「これは、ここよりずっと遠くにある国の話なんだがな――――――」




