エピローグ:『西陵の灯火』
第一幕:鳳凰の共食い、二宮の残照
赤烏十三年(西暦二五〇年)、秋。
歩隲が世を去ってから、三年の月日が流れていた。
かつて歩隲が命を賭して諫め続けた建業の宮廷は、後継の座を巡る「二宮の乱」の醜悪な幕引きによって、冷え切った静寂に包まれている。
歩練師の遺した二人の愛娘、大虎と小虎は、母の血脈に流れる泥の温もりを忘れ、中央の虚飾に心を狂わせていた。
大虎の張り巡らせた謀略の数理は、実の妹である小虎を悲劇的な死へと追いやり、皇太子をも廃位に至らしめる。
歩練師が死後に「皇后」と追贈された栄誉、すなわち一族を飾り立てる門閥の看板は、今や生存を脅かす「名誉の呪縛」そのものへと変質していた。
朝廷の冷たい石畳が歩一族の返り血で赤く染まりゆく中、七十歳となった淑玲は、絶望の淵でその光景を見つめるしかなかった。
それから数年、彼女は夫の後を追うように、大地に身を委ねるごとくひっそりと病没した。
◇
第二幕:几帳面なる絶筆、秀才の過労死
甘露三年(西暦二五八年)、春。
長男の歩協は、西陵督として前線の重責を担い、建業に眠る歩氏の家督を背負っていた。
しかし、その細き肩には、朝廷から課される過酷な防衛の割り当てと、偉大すぎる「父・歩隲」の幻影が重くのしかかっていた。
歩協は、父の遺した「率先垂範」の背中を、「すべての実務を己の手で百点満点に処理しなければ、一族は門閥に噛み潰される」という強迫観念に変換していた。
彼は部下を誰一人として信用せず、自らの命を削り取って激務を抱え込む。
「あなた、どうかこれを」
極限状態にある協の前に、心配した妻が温かい葛湯を差し出した。
立ち上る湯気と温もりを通じて、協の脳裏には、かつて若き黄武四年に、母・淑玲が微笑みながら運んでくれた「温かい葛湯」の優しい記憶が鮮烈な幻影となって現れる。
しかし、自らを過役の連鎖で縛り上げる協に、もう心が和らぐ余地はなかった。
協は虚空を見つめ、血を吐くような思いで、掠れた声を絞り出した。
「母上、私には一歩の遅滞も許されないのです……私は歩子山の、息子なのです……」
それが、彼の最期の言葉となった。
直後、胸を焦がすような強烈な激痛が協を襲う。彼は筆を握ったまま、机の上の書類を汚さぬよう必死に己の胸をかきむしり、悶え苦しみながら、孤独のうちに息を引き取った。
しばらくして、冷めた葛湯を下げに訪れた妻が目にしたのは、完璧に整理整頓された書類の山に囲まれたまま、冷たくなっている夫の姿であった。
弟の歩闡には、兄の命が日に日に削れていくさまが、手に取るように分かっていた。
四角四面で完璧主義の兄の生き方に、日頃から嫌気がさしていたのは事実だった。だが、どれほど疎ましく思おうとも、血を分けた唯一の兄である。
冷たくなった兄の骸の横で、闡はその遺品となった几帳面な『日録』の数字を眺め、胸を締め付けられるような後悔に襲われた。
なぜもっと無理にでも兄の手を止めなかったのか。なぜあの狂気的な過役の連鎖から引き剥がさなかったのか。
「兄上、なぜだ……どうしてそこまで自分を追い詰めたんだ……!」
救えなかった己への激しい悔恨のなかで、闡は兄の背中を思い出し、声をあげて慟哭した。
◇
第三幕:心中の枠組みからの脱出、売国の大博打
鳳凰元年(西暦二七二年)、秋。
新帝・孫皓の恐怖政治は極に達し、呉国は滅亡への歩調を速めていた。
兄・協の過酷な過労死を目の当たりにした次男・歩闡は、五十代の老境に達し、西陵督の座を継いでいた。
「真面目に義務を果たした結果がこれだ。兄上は、この国に殺されたのだ。そんな国に、もはや尽くすべき恩義などひとかけらもない」
暴君・孫皓の恐怖政治によって混迷を極める呉に対し、闡の心は完全に冷え切っていた。
彼は長年培ってきた「要領よく立ち回る世渡りの術」を、一族生存のための「国を売る大博打」へと昇華させる決意を固める。
彼は冷徹な生存の算盤を弾き、西陵の軍権ごと、晋の総司令官・羊祜へ降伏する経路を選んだ。
羊祜が差し伸べる「純白の徳の光」は、闡にとって、一族を道連れに破滅へと突き進む呉の狂った法度から救い出してくれる、眩しすぎる大義名分の光明として映る。
闡は兄の形見である哀しき自責の『日録』を懐に握りしめた。
「兄上、見ておいでくだされ。あんたが命を賭しても守り切れなんだこの一族を、国を裏切ってでも儂が断じて生き残らせてみせまする」
亡き兄への強烈な対抗意識と歪んだ愛憎を燃やしながら、闡は不敵に、しかし震えながら笑った。
◇
第四幕:西陵に散る虚飾、泥に還る種
鳳凰元年(西暦二七二年)、冬。
雪の舞い散る西陵の泥濘。
心中を恐れて裏切った歩闡は、呉の軍権を握る名将・陸抗が率いる圧倒的な大軍の前に、なす術もなく無残に敗北した。
机上の算盤に頼った闡の合理主義は、現場を知り尽くした陸抗の冷徹な包囲戦術によって木端微塵に粉砕される。
歩闡と呉に残った歩一族の血筋は、虚飾の矜持とともに西陵の赤土に散り、悉く処刑された。
ただ一人、晋への人質として洛陽に在った甥の歩璿のみが生き残り、遠き異郷の地で辛うじて先祖の祭祀を繋ぐこととなる。
呉における歩一族の栄華は、ここに完全に潰えた。
戦いが終わり、建業の宮廷。
中央の文官たちは、またも前例や制度、既得権益の枠組みに縛られて右往左往し、滅びゆく国の石畳の上で空虚な言葉を交わし続けている。
だが、最前線の喧騒から遠く離れた江東の土の上には、宮廷の混迷など届かぬ、変わらぬ大地の営みがあった。
雪が上がり、湿った泥が陽光を浴びて黒々と光る。
そこでは、粗末な布衣をまとった名もなき民たちが、幾人も腰を屈め、黙々と鍬を振るって土を耕し直していた。彼らの手から、不揃いな瓜の種が、大切に大地の泥へと蒔かれていく。
かつて、この国に生きた一人の男(歩隲)が、混迷の世を憂いて遺した言葉があった。
『国を救うのは、いつだって机の上の前例ではない。泥をすすり、現場で生きる者たちだ』
その男の家系も、かつて戦場を駆けた宿将たちも、時の激流のなかに消え去り、やがて歴史の塵へと埋もれていく。
しかし、彼らが泥にまみれて証明し続けた「現物の理」は、こうして土を耕す民たちの無骨な手の中に、確かな暮らしの知恵として、静かに、そして泥臭く息づいていた。
誰が蒔いたか、あるいは誰が遺したかなど、もう誰も気に留めない。
ただ、民たちが植えた瓜の種は、国が滅びようとも、法度が変わろうとも、大地の底で深く、深く根を張り、来るべき春に向けて、不滅の魂のように静かに芽吹き始めていた。
【歩璿】
呉の重臣・歩騭の孫にあたる人物です。鳳凰元年(272年)、叔父の歩闡が呉に叛いて西陵で挙兵した際、晋への人質として都・洛陽に送られました。直後に呉の名将・陸抗によって西陵は陥落し、一族全員が処刑される悲劇に見舞われますが、遠方にいた歩璿だけが生き残りました。そのまま晋に仕えて家名を繋ぎ、のちに呉が滅亡した際には、かつて一族を滅ぼした陸抗の息子たちと洛陽で邂逅を果たすことになります。




