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降り積もる灰の理想郷  作者: 螺鈿
第一章 血濡れて消えた恋心
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第十二話 戦士の証明

 一般的に、魔族の軍事力は魔族軍、人類の軍事力は騎士団と呼称される。だがそれらはあくまで両種族を差別化するためだけに用意されたものであり、深い意味はない。


 魔族軍も騎士団も所属している者は兵士と呼ばれ、例えるなら“騎士”のような呼び方をされることはない。


 その中にあってカーニエは、唯一戦士であった。人類を、国を守るためではなく己の中の大切な何かを護るために、突き通すために戦う者。誰よりも強く、誰よりも苛烈に戦いに臨む者。彼は、人類で唯一の戦士であった。


 故に、独り。彼を理解出来る者は存在しなかった。


「この苗床は、妾が英雄であるためのものだ」


「嘘だ、嘘だ!あんたは孤独だから、戦士で」


「……ふむ?なるほどお前、ああなるほど。そういうことか若造。まあ、そうよな。お前は戦士だものなあ」


 一瞬驚いた顔をしたナラーシァだったが、すぐに何か納得した顔をして頷いた。子の守りをする母のような顔だ。


 腹を撫でるのをやめ、カーニエの隣に座った。衝撃しか頭の中にないせいで反応が遅れた彼は、数瞬遅れて逃げようとするが頭を掴まれて抱き寄せられ、胸に顔を押し付けられた。もがくが、抵抗が無意味と分かるのは早かった。


「すまんな、妾は分からぬ。妾は英雄である故な」


「な、あんたがなんで謝るんだよ。謝ることなんて……」


 つう、と何かが零れ落ちて、カーニエの頭の上に乗っかった感覚があった。雫、涙なのだと理解した。


 ナラーシァの力が強くて、逃げられない。すぐにでも逃げたい気持ちが心を乱して仕方がない。だが、今だけは逃げちゃいけない気がする。こうしなくてはならない気が。


「すまぬ。妾は理解出来ぬ。すまぬ」


「……なんか、あったのか?」


 ポツリポツリと、ナラーシァが話し始める。


「随分と、昔のことだ。妾がまだ幼い頃の」


 ナラーシァは、生まれながらにして英雄である。年齢が二桁になるよりも前に、既にそのように扱われていた。


 膂力が大人の数倍はあり、異能として魂を操る。超常現象か何かでないと説明が付かないレベルの美貌、ひと握りでその武器の本質を掴む天性の戦闘センス。


 きっと、周囲の人間は恐ろしさすら感じていただろう。


 幼いナラーシァも、子供ながらに理解していた。自分は周囲とは決定的に違って、崇められるような存在なのだと。


「妾には、壁がなかった。ずっと平坦な道が続いていた」


 勉学でもそうだった。一を知れば十を知る……否、百を知る、千を知る。初等部の必修科目の全過程を終える頃には高等部を弁論で言い負かしていた。無敵だった。


 そしてそうまでして、ナラーシァの周囲には人がいた。英雄として信奉する者から、単なる友人として置いていかれまいとする者。何も考えず、ただナラーシァが好きな者。隔絶した壁がありながら“そう”であるのは、英雄だけだ。


 ナラーシァは、英雄だから孤独ではなかった。


「……いたよ。お前のような、戦士が。妾の前に」


 時に雑音にもなる、人の喧騒の中心にいたからだろう。ナラーシァの目には、孤独な者がよく見えた。


 英雄として振る舞うために、彼女はそんな人間と表立って交流することはなかった。彼らと会話する時は、心の内を語り合う時は、決まって他の誰もいない時だった。


『理解して欲しいんだ。戦士の孤独ってやつを』


 彼らは誰も彼もが決まってそう言った。若かった。仲間と駆けた戦場は、彼らからすれば仲間の死んだ戦場だ。血塗れた荒野を見返す度に、自身が戦士であると感じていた。


 皆、自分を見て戦っている。階級を上げて給金を増やしたい、国を救って英雄と言われたい、もっと強くなって、同期や上司を見返したい、追い越したい。兵士というのは皆、己だけを見つめて戦っていた。眩しくて、醜かった。


 もっと大きな、例えば世界。例えば国。例えば人類。そんなもののために戦う戦士だけが生き残っていた。


『その原因はお前みたいな英雄でもあるんだぜ、ナラーシァ。英雄がいるから、兵士は自分を見ていられる』


 戦士は決まってそう言った。英雄のせいだと。


 英雄という強力が過ぎる切り札がいるから、英雄に遠く及ばない彼らは諦観し、自己を見つめる。危機感がない。戦士はいつも危機感を抱いているから、生き残る。


『英雄がいなければ、兵士は皆戦士になれるんだよ』


 その発言に悪意はなかった。純粋にそう思っていた。


 だから、ナラーシァは。一人の人間として、戦士のことを尊敬していた。背後に控える強大な戦力に驕らず自己を研鑽する精神力を。


 きっと、自分が英雄として死んでしまった後も生き続けて世界を創っていくのだと。本気でそう思っていた。


 けれど。


「死んだ。皆、皆、妾のおらぬヴァルハラ戦役で」


 直前に四皇から与えられた任務で遙か南方の地に発っていたナラーシァは、ヴァルハラ戦役の最初から最後まで戦うことが出来なかった。駆けつけた頃には、荒野にはゴミ虫のような人類の死体の山とそれを嘲笑する魔族の姿があった。


 気の遠くなる回数殺した。気の遠くなる回数刺した。捻って穿ち、穴を開けた。その死体を何度も踏みにじった。


 ただ殺すだけでは飽き足らず、その魂をも冒涜した。殺した魔族の魂から軍勢を生み出し、それが殺されてもまた同じように軍勢として冒涜した。ナラーシァが人として憤怒し、その力を振るったのは、恐らくこの時のみであろう。


「妾に関する書物を読んだがな、偽りだ。かつて戦士たちは誰一人魔族を殺しておらぬ。一万、全て妾が殺した」


「……目を失ったのも、そこか?」


「よう知っておるの。そう、異能を酷使し過ぎてあそこで目を失った。その名残か、今も右の目が見えぬ」


 ナラーシァの数多い逸話の中に、晩年は視力を失ったというものがある。考察は多く成されていたが、最も有力な説はヴァルハラ戦役での異能の酷使だった。


「以来妾は、戦士を失うのが怖い。戦からも逃げてしまった臆病者。ヴァルハラの後、妾は集団での戦をしておらぬ」


 ナラーシァは、ヴァルハラ戦役が馬鹿らしくなってやめたと逸話の中にある。だが、真実は違う。


 一万の魔族を殺し尽くした後に、盲目と周囲に蔓延する死の空気に耐えられなくなったのだ。英雄として、弱者のために戦うナラーシァはここで死んだ。これより後の余生を、彼女はたった一人の戦士として生きた。


 願い求めるのが戦士だ。願いに応えるのが英雄だ。彼女はあの戦争で、英雄であることを放棄した。


「今も、後悔しておる。妾が、妾が英雄ではなく戦士であったのならば、きっと彼らを失うことはなかったと……!」


 尊敬する“誰か”ではなく、同じ視点の仲間だったならば、或いは。そんなifの世界が、ナラーシァの胸を苦しめる。


 カーニエの頭の中は冴えていた。英雄も戦士も同じ、孤高で孤独だという幻想を突き放されて尚、彼はナラーシァという英雄の本質を理解して許容することが出来た。


「だから、すまぬ。妾はやはり戦士がわからぬ。踏みにじることしか出来ぬ。すまぬ、すまぬ……」


「案外、人間らしいとこがあるじゃねえかよ」


 ナラーシァがカーニエの頭を離し、目を合わせる。その美貌を前に赤面することなく、彼はそこにいた。


 逸話を見聞きした時の、衝撃。初めて対面した時の興奮。孤高でも孤独でもないナラーシァへの、英雄への落胆。どの感情にも、彼女が英雄であるという前提があった。


 けれど、ナラーシァは英雄である前に一人の人間だ。例えどれだけ敵に対して冷酷でも、残忍でも、彼女は人間だ。誇り高き人類だ。同じ境遇だと思いながら、心のどこかでは存在する場所が違う、などと思っていた己が恥ずかしい。


「安心した。あんたが英雄でも戦士でもなく、人間で」


 嗚呼、理解出来た。ナラーシァという“人間”が。


「怖いんだろ、また俺たちを尊敬して、失うのが」


 かつてナラーシァは自分より何もかも劣る戦士たちのことを尊敬し、そして失った。愛していた者たちを。


 腹の呪いが英雄の証。それは、彼女なりの英雄の定義。自分以外のことは理解しない。失った時怖いから。ただ、その他大勢と同じ存在であることも同時に望んでいる。また、失うのが怖いから。だから、英雄らしからぬその傷がある限りナラーシァは英雄だ。矛盾を抱える英雄だ。


「教えてやるよ、ナラーシァ。戦士ってのは、自分じゃねえんだ。大切なもののために戦うんだ。あんたが尊敬していた戦士もきっとそうだ。だから、英雄がいらなかった」


 戦士としての自己がある限り、英雄の庇護はいらない。全部全部、大切なものは戦士が守るから。


 だから、戦士に英雄はいらない。


「あんたは自分と戦士が違うと思ってた。それは多分、戦士もそうだ。けど、そいつらにとってあんたはきっと……」


 救われることを願っている。ナラーシァという英雄は、英雄という殻を被った人間だ。それはきっと、他の英雄も同じこと。どんな英雄も、人間として救われることを願ってる。


 彼女の心を病ませてきた呪い。痛み。失うことを恐れすぎるが故に、知ることを拒んだ英雄としての病。


「守るべき、大切な人間だった」


 英雄ではないと告げることだけが、彼女の救いだった。


 焦がれるほどに、ナラーシァの尊敬した者たちは戦士だ。最後の最後で守れなかったけれど、彼女がその足を止めてしまわないように守り抜いた。散り様は戦士だった。


「だからあんたは知っていい。知ろうとしていい。あんたが英雄として守るように、俺が戦士としてあんたを守るよ」


 その戦士たちに、負けないように。


 そこで、ハッ!とカーニエがいつもの調子を取り戻す。先程の発言、くさいにも程があるだろう!


 そもそもあの大英雄ナラーシァ相手に何を言っている!?いや、 あの言葉を投げかけたのは英雄じゃない、一人の人間としてのナラーシァだ。なら問題はない……だがしかし、やっぱりくさすぎる!何を言っているんだ本当に


「ふっ……ははは!あはははははは!これはなんとまあ……この妾が、救われてしまった!ははははははは!」


 その心配は杞憂だったとすぐに気付いた。


 頭を抱えてナラーシァを見ると、彼女は見たことがないような優しい顔で笑っていた。きっと、ヴァルハラ戦役が終わってから初めて見せる笑顔だろう。どこまでも美しい。


「そうかそうか、守ってくれるか、そうか……」


「うぐっ……そうだよ!守ってやるよ、俺が!」


「ふふ、ありがとう。もう二度といなくなってくれるなよ」


 ナラーシァが頭を撫でる。恥ずかしさが限界突破しそうだが、何とか気を失わないように気合いで耐える。


 ああ、本当に。なんて美しい笑顔で……


「では、妾はもう恐れんぞ。あの時のように、いや、あの時以上に!お前たちのことを知るとしよう!」


「ああ……ん?ちょっと待っ、ぶぐう!」


 先程までとは打って変わって、やんちゃな子供のような笑みを浮かべたナラーシァが飛び乗ってくる。湯の中に顔が沈められ、またすぐに引き上げられた。


 恋焦がれた、乙女のような、少女のような瞳。


「ほれ、守ってくれよ?妾は一人の女子だからな!」


 夜空の闇が、星の海が、二人を照らす。

ご拝読いただきありがとうございました。

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