025:洋上生活
「キョーちゃん?大丈夫か?熱中症か?」
「あ、いや、大丈夫、大丈夫だ。ちょっと、そう……暑くてな。今日いい天気だから」
「俺も人のことは言えないけど、キョーちゃんも汗あんまりかけないもんな。舌からしか汗出せないんだろ?」
どうやらこの体は犬などのそれと同じように、汗腺が肌にはないタイプであるらしい。舌を出してそこから発汗しないと体温調節ができないということだ。なんとも不便な肉体だなと思いながらも、入弦は周辺を確認していた。
自分がもっているカバンやその服装を見る限り、どこかの学校に通っているように思える。この世界においては自分たちはまだ学生であるのだろうかと思いながらも、ゆっくりとではあるが歩き出す。
「にしても今日はマジで暑いよな……いい天気なのはいいけど、もうちょっと何とかならないもんかね」
「確かに……今何月だよ……」
「十月だよ。まぁ季節はもう関係ない感じだけどな……」
何気ない会話の中で少しだけ気になる部分が出てくる。季節は関係ない。どういうことか気になるところだった。
こういう小さな情報収集が重要だ。以前の世界でもちょっとしたことを確認しなかったせいで面倒なことになったのを入弦は覚えていた。
一つ一つ、この世界の情報を集めるのがまずは先決だろうと、入弦は意気込んでいた。
「でもさぁ、たまには涼しくなってほしいとか思うだろ。何とかならんもんかね」
「まぁ、もっと北か南の方に行けばちょっとは変わるんじゃないのか?詳しいことは知らんけど。他の……えっとどこだったかな?周期的に涼しいところ回ってるのは……あぁ、五番だ。そっちの連中は涼しいところがメインっぽいな」
「うちらは常に暑いところだっけ?」
「たまーに涼しいところを掠るぐらいのルートだな。まぁこればっかりは仕方ねえだろ」
話をしていくと次々と気になる話が出てくる。ルートだとか五番だとか、涼しい場所に行くだとか。
どうやらこの世界のこの場所も、自分がいたような普通の世界ではないのだろうと入弦は確信を深めていた。
少なくともこの一見普通に見える住宅街も、普通の住宅街ではないのだろう。油断はしないほうがいいなと、入弦は警戒を強めていた。
いつ自分を死の運命が襲うか分かったものではないのだ。こういう住宅街だと車が襲い掛かってきても不思議はない。
だが今こうして歩いているだけで妙に警戒するのも怪しい。警戒しつつ自然体でいることが大事であると、入弦は今までの経験から学んでいた。
「うちのルートってどういう風に回ってんだ?もうちょっとどうにかならないわけ?」
「えっと……ほれ、これがうちのルート。基本的に暑い場所を回ってるから仕方ないだろ」
吉野はどこかからか何かの道具を取り出して入弦に見せてくれた。そこには画面が映し出されている。
これが一種の、入弦たちが元いた世界にあったスマホのようなものなのだろうかとそれを眺めると、そこには海図が映し出されていた。
『五番艦』と書かれた船のマークと、点線が海図の中に記されており、その点線が移動するルートなのだということがわかる。
先ほどまでの話を統合すると、この町は、船の上に作られているのだということではないだろうかと、入弦は考えていた。
船の上にできている町。なんとも想像すらしていなかった環境ではあるが、それにしてもどうしてこんなことになっているのか全く理解が及ばなかった。
幸い、この世界の文字は読むことができるため、何とかして調べることができないだろうかと入弦は考えていた。
「ルートなんて毎年変えるくらいじゃダメなんかね?季節を感じるとまではいわないけどさ……毎日こんな暑さじゃ……」
「つっても仕方ねえよ。ゼリアを避けようと思ったらこういう風に移動し続けるしかないし、他の場所はもっとひどい状態なんだ。他のも同じようにルートを変えてくれって思ってるだろうよ。うちはまだ暑いだけましじゃないのか?寒いところとか俺にとっちゃ地獄だよ」
「確かに。俺も寒いのはあんまりだなぁ」
「嘘つけ、そんな毛だるまの癖に」
「毛だるまでも寒いのは嫌なんだよ」
そんな話をしながらもさらに気になるワードが出てきた。『ゼリア』吉野がそういったその単語。避ける、という言葉から察するにあまり良いイメージはないが、それがこの世界における何かの根っこのようなものであると入弦は察していた。
まずは『ゼリア』というものを調べるのが第一だろう。そんなことを考えていると、吉野が素っ頓狂な声を上げる。
「ってやばい!そろそろ急がないと遅刻するぞ」
「え?マジ?もうそんな時間?」
「キョーちゃん乗れ!俺が走ったほうが速い!」
「え?ちょっとま」
入弦が反応するよりも早く吉野は入弦を担ぎ背中に乗せると勢いよく全力ダッシュを始めていた。
その速度は確かに入弦が普段走るよりも圧倒的に速い。車と同じくらいの速度は出ているのではないかと思えるほどの速さに、入弦は、本当に人間じゃないんだなぁとしみじみ実感していた。
この世界の入弦たちはどうやらまだ高校生であるようだった。
入弦の死の運命は十五から二十五程度の年齢で死ぬ。そう考えるとこの年代でも決しておかしな話ではない。
だが、この学校、というかこの世界において入弦はとにかくおかしな存在だった。いや、自分以外がおかしいと感じてしまう存在だった。
人間が一人もいないのだ。
周りを見渡せば、獣人、所謂獣の顔と体毛を生やした体を持った者たち。爬虫類の顔を持った、恐竜のような姿をしている者たち。それならばまだいい、中には両生類、魚類、ありとあらゆる生物の人間の混合体ともいえるような、そんな存在が当たり前のように席について授業を受けているのだ。
しかもその授業風景はあまりにも普通だった。今は数学の授業であるため、入弦でも比較的わかりやすい内容だが、理科の授業などは入弦には全く理解できないような内容が多く、かなり困惑していた。
しかも休み時間に繰り出される会話は、まるで普通の高校生そのものなのだ。
昨日のテレビは何を見たか、ネットで配信されている実況が面白かったとか、部活の今後とか、ゲームの話のような男子らしい会話や、化粧品がどうのとかファッションがどうのとか言う女子らしい会話まで、そういう当たり前すぎる、なんとも日常的な会話が、非日常的な光景と共に叩きつけられるこの現実。
これを見て、発狂しなかっただけ、入弦はよく我慢したほうだろう。
ひとつ前の世界で似たような人種を見慣れていなければ、教室に入った瞬間に叫んでいても不思議はなかった。
だが、この学校、この教室について分かったことがある。入弦もまた、先ほど吉野が使っていた携帯端末を持っている。というかこの教室の、認めたくはないがクラスメート全員がもっている。
もともといた世界で言うところの携帯電話のようなものなのだろう。
そしてもうひとつわかったことは、この世界における、生活様式についてだった。
それは社会科の授業で、現代社会、および近代史の教科書のデータを見ていた時に判明したことでもある。
この場所そのものは一体何なのか。それは近代の歴史を振り返ることによって把握することができた。
今入弦たちが暮らしているのは、先に吉野が見せてくれた通り、海の上を走る船の上であるということだ。
居住巡洋艦と呼ばれるその船は、この世界における人々が暮らす手段の一つとして、すでに百年以上の歴史を保っている。
この世界は入弦が元いた世界よりもさらに未来に位置する世界であるらしく、その技術や理屈は入弦の知らないものも多かった。
だがそれでも、人々の多くが船に乗り、船で生活するという様式をとってからすでに百年が経過しているということに違いはなかった。
既に何百、何千、何万隻という船がこの海の上に散らばるように移動し続けている。国によってそのテリトリーが分かれているため、良くも悪くも縄張り争いのようなことにはなるが、そのあたりは余裕をもって距離を保つことが多いらしい。また、近くに立ち寄ったら商売や近距離旅行などを楽しむことができるように計らっているような船もある。
そして、その原因ともなったのが、先に吉野の口からも出ていたものだ。
『厄災ゼリア』
それは人類にとって止めようのない、まさに厄災、災害の一種とされるものだった。地球上のどこか、そのどこかで一定の間隔で起きる大規模な爆発、のようなもの。
教科書には、その被害によって巨大なクレーターとなった都市の写真があるだけで、どのようなことが起きたのかは不明ではある。だが、それでも都市一つが簡単に消滅しかねないほどの威力を持った何かであることは容易に想像できた。
原因不明で、一定の周期を持って発生するその厄災は、文字通り人類の脅威となっていた。
人に対して全く関係のない場所で起きることもあったし、逆に都市部を狙ったかのようにピンポイントで起きることもあった。
多くの科学者や研究者がその原因を突き止めようとしたが、それが発生した時にはすでにその場所はクレーターと化していて、なおかつその地震に当てはめるところの微震のような、それらしい現象的な予兆などもほぼないため、なすすべがない。
痕跡から、それらが起きることを予測できるように研究も進み、その発生前のわずかな変化を感じ取るだけのセンサーを開発することはできたが、それも、結局のところ数分後に起きる、という程度のことしか判別できなかった。
当然、一つの場所にとどまっている、陸地にできた町などでは、数分では逃げようもない。そこで考えられたのが、この居住巡洋艦だ。
他にも居住航空機なども開発されたが、これらは一部の人間しか乗せられないということもあり、ごく一部の人間たちが使うものとなっている。
多くの人々は、より多くの人間を乗せられるこの居住巡洋艦によって、船旅をしながら生活をするという生活様式をすることとなったのである。
もちろん、洋上での生活をすることになったのは人類だけではない。人類が食べるために必要な経済動物や、農場も同様に洋上に上がることとなる。
とはいえ、潮風の強い船の上での農作業というのは大きな障害もあったという。
だが、その障害を乗り越えなければ人類が滅ぶ可能性がある。そう考えた各国首脳は、人々を陸地から海へと移していった。
もちろんまだ地上に残っている人間もいると教科書では書かれている。
だが、それがどこにいて、何をしているのか。そういったことは書かれていない。
遊牧民のような移動し続ける生活をすることがどれだけ困難か、入弦にだって想像がつく。
既に地上人はいない。それが、海上に住まう人間の認識であるようだった。
そして、なぜこの世界における人が、今の姿となったのかの情報は一切記載されていなかった。
もともと住んでいた陸地においても、入弦の知っている人間の姿をしている者は一人も記述がない。
全てが獣人の姿で描かれている。というより、この世界ではこの人の姿こそが通常なのだろう。
具体的に言えば、入弦の知る動物の性質を混ぜ合わせた人類、獣人こそがこの世界における人類の形なのだ。
動物とは一線を画すその姿に、歴史上においては問題も多くあったということが記載されている。
過去、現代に至る数百年前には種族間の戦争があったことも記載されているが、それらも厄災ゼリアの発生によってなくなっていった。
もちろんそれでも小競り合いがなくなったわけではない。人類同士の戦いから、人類が厄災から生き残る戦いへと変化を遂げていったのだ。
戦争を起こすことができるほどの大国も、その争いに巻き込まれる小国も、皆一様に厄災によって被害を受けた。
いや、広大な大地を有する大国の方がその被害は大きかったという。
小国はかなり早い段階で今の生活様式、海上での生活に切り替えることを模索し、いち早く逃げるように陸から、住み慣れた土地から離れた
だが大国は自らが築き上げたその土地を、資源を捨てることができなかった。
どうにかして厄災を防ぐことはできないのかと、そう考える間にも、厄災は降り注ぎ続けた。
もう国という体裁を整えることも難しくなるほどに疲弊し、最後の最後、国から離反する形で一部の人類が海へと逃げたのだという。
残った地上の大国がどうなったのか、それは先に記した通りだ。
海に生きるものがすべて。地上で生きるのはほんのわずかな者たちだけ。
燃料、食料、その他必要な物資すべてを一つの船で賄えるようになったのは、ほんの五十年ほど前だ。
それまではいくつもの船の集合体によって賄っていたのだという。
その船団を一つの船に改造し、やがて巨大な巡洋艦へと変化していった。
今入弦がいるこの船もその一つ。日本の企業が製作した洋上生活用の艦船となっている。
他の生活様式として、空中、つまり巨大な飛行船を用いたものも存在しているが、許容できる人員が少ないという点と、メンテナンスの難しさという点から世界にも少数しか取り付けられていない。
現状、厄災ゼリアの発生源は地上付近がほとんどで、空中での観測例は一桁以下とされている。
厄災が確認されるのはおよそ一週間に一度程度。もちろん規模にもよるが、大体その周期で確認されていた。
基本的に地上百メートル以内。海底でも発生することがあるため、そうなると洋上でも危険は伴う。
そのため最も安全と思われるのが空中への退避だ。空中での生活ができているのは、それこそ権力を有しているごく一部の人間に限られる。
全人口のほとんどが、今や海の上での生活が当たり前になっている中、授業で取り扱われているよくわからない科学の授業を右から左へと聞き流しながら、どうしたらこの世界で死を回避することができるのかと考えていた。
もっとも可能性が高いのは厄災ゼリアだ。
圧倒的な威力を誇り、なおかつ入弦が死ぬだけの理由には十分すぎる。もちろんこうして普通に生活していて車にひかれて死ぬという可能性だってないわけではない。
だがあり得そうなものとして一番目を引くのはこの厄災ゼリアだった。
巨大な爆発というのでは避けようがない。それこそ次の瞬間それが起こっても不思議ではないのだ。どうしようもない。
この世界では助かるために入弦ができる努力というものがほとんどないのだ。
今までは都に向かったり自分がやらかした敵討ちを撃退したり、戦争の中で標的にならないように立ち回ろうとしたりと、ある程度対策、というより生きようとする努力をすることができた。
だがこの世界では生活様式がほぼ形成されており、なおかつ敵らしい敵というものが存在しない。
あるとすれば自然災害のみ。自然災害に対してどうにかできるほど人間は万能ではない。それに入弦もそんなことができるとは思っていなかった。
『アカさんや、応答願います』
『なんだ、随分早いな。まだこの世界では一日と経過していないではないか』
『いや、だってこの世界で何ができるかってなにもできないぞ?相手たぶんだけど間違いなくこの厄災ってやつでしょ?どうしようもないじゃん自然災害じゃ』
入弦は早々に白旗を上げていた。
無論生きようとする努力をあきらめるつもりはない。爆発に対してどのような対策ができるかは不明だが、非常用の道具をそろえておくくらいであればやるつもりはあった。
だが話に聞く限り、そして教科書などの資料を見る限り、非常用の道具を持っていたところで何ができるとも思えなかった。
『文句を言うな。そもそもお前が生きている世界を探すだけでも面倒なのだぞ。お前の生存率が低すぎるのが悪い』
『て言ったってさぁ……襲い掛かる地震やら津波やらから逃げろっていうならまだしも、いつどこで起きるかわからない爆発に対して逃げろってどうしろっていうのさ』
『対策がないわけではないだろう。この世界のお前はその事実を知らないからこそこの船で生活を続けるわけだ。だがお前はそれを知っている。何かしらの対策を取れるはずだ。もともとのお前がやろうとしていたことを知れば、その行動の逆を取ればいいだけではないか?』
この世界の入弦がやろうとしていたこと。これから起きるであろう、あるいはやろうとしていたことを知ることで、この世界の入弦がどこに行こうとしていたか、どこで過ごそうとしていたかを知ることができれば、その場所こそが危険な場所だ。その場所に近づかない。それが今できる入弦の対策といえば確かにその通りでもあった。




