第四話
一九四一年十二月十一日。
南シナ海。
夜明け前の海は黒く沈み、低い雲が空を覆っていた。
第三艦隊旗艦《天城》艦橋。
有馬中将は海図を見つめたまま、腕を組んでいた。
東洋艦隊発見から既に十数時間。
問題はただ一つ。
――敵を見失わないこと。
「景雲隊、現在も接触継続中」
通信参謀が報告する。
「敵艦隊、南東方向へ変針を繰り返しつつ航行」
「こちらの索敵を警戒しているな」
黒瀬参謀長が低く言った。
東洋艦隊もまた、日本艦隊を探している。
互いに位置を暴こうとする。
海戦は既に始まっていた。
「第三機動部隊は?」
「《翔鶴》《瑞鶴》航空隊、索敵継続中。夜間接触任務も成功しております」
有馬は静かに頷く。
翔鶴隊の索敵網は、今や南シナ海の広範囲を覆っていた。
だが、空母航空隊だけに接触任務を背負わせ続けるわけにはいかない。
搭乗員は疲弊する。
整備員も限界を迎える。
空母機は、本来“攻撃”のために温存されねばならなかった。
「そろそろ引き継ぐ」
有馬は海図上へ指を置く。
「第三艦隊水偵隊へ接触任務移管」
「はっ」
《利根改》《筑摩》搭載の水上偵察機群。
それが次の“目”になる。
◇
午前五時四十分。
空母《翔鶴》。
飛行甲板は夜露で濡れていた。
着艦した景雲索敵機が、疲れ切ったように停止する。
右翼には弾痕。
右エンジンからは黒煙が漏れていた。
「よく戻ったな……」
整備員たちが駆け寄る。
景雲搭乗員・神崎少尉は降り立つなり帽子を脱いだ。
「敵はまだ南下中だ……だが妙だ」
「妙?」
「速度が一定しない。こちらを誘ってる可能性がある」
艦橋では既に次の索敵配置が始まっていた。
「第三艦隊より接触引き継ぎ電」
参謀が振り返る。
第三機動部隊司令官は静かに海図を見つめた。
翔鶴隊は連日飛び続けている。
搭乗員の疲労も、機体消耗も大きい。
「……いい」
低い声。
「空母航空隊は攻撃のため温存する」
今後必要になるのは大規模雷撃。
そのためにも、索敵を水偵隊へ移す必要があった。
「《利根改》《筑摩》へ通達」
「接触任務引き継ぎます」
◇
その頃。
香港沖。
第一艦隊、第二艦隊は香港上陸支援を続けていた。
だが、それは旧来の“戦艦中心艦隊”ではない。
新造艦隊。
中型空母。
《天城》型高速戦艦。
新型重巡。
万能軽巡。
新型駆逐艦。
それらを組み合わせた、新しい分散機動艦隊だった。
第一艦隊旗艦。
空母《龍翔》。
艦橋内。
「第三艦隊より敵艦隊情報」
通信参謀が海図へ敵位置を書き込む。
第一艦隊司令官・嶋崎中将は目を細めた。
「東洋艦隊……ついに動いたか」
「現在、南シナ海中央部を南下中」
「第三艦隊が接触維持を継続中です」
嶋崎は静かに頷く。
その後方海面では、戦艦《薩摩》《大隈》が砲撃支援を継続していた。
さらに重巡《鞍馬》《阿蘇》。
軽巡《能代》。
新型駆逐艦群。
艦隊全体が高い機動力で統一されている。
「空母の景雲索敵機を南方へ回せ」
「香港支援中ですが」
「第三艦隊支援を優先する」
即答だった。
今、日本海軍は“艦隊同士の連携”を最優先にしている。
単独艦隊ではなく、広域で繋がる戦い方。
それがこの新海軍の思想だった。
◇
第二艦隊。
空母《雲龍》。
その飛行甲板でも、景雲偵察機が準備を進めていた。
司令官・草壁中将は海図を見つめながら言う。
「第三艦隊へ協力索敵線を送る」
「東洋艦隊が西へ逃げればこちらで拾えます」
「逆に東へ出れば第三艦隊に近づく」
海全体を包み込む索敵網。
それは、かつての日本海軍には存在しなかった発想だった。
◇
午前九時。
台湾南方海域。
第四艦隊。
空母《龍鳳》《葛城》。
戦艦《出雲》《尾張》。
重巡《雲仙》《伊吹》。
軽巡《阿賀野》。
そして新型駆逐艦群。
第四艦隊は対潜警戒任務を終え、南シナ海へ進路を変えていた。
「第三艦隊より東洋艦隊捕捉支援要請」
通信参謀が報告する。
第四艦隊司令官・片桐少将は静かに笑った。
「ようやく我々も前線か」
「各駆逐隊へ達する」
「対潜警戒を維持しつつ南下」
「航空隊は索敵重点」
「はっ!」
第四艦隊もまた、新しい海軍の一部だった。
◇
午後。
第三艦隊。
重巡《利根改》後部甲板。
水上偵察機発進準備。
「カタパルト用意!」
整備員たちが慌ただしく動く。
これから引き継ぐのは、東洋艦隊接触任務。
最も重要で、最も神経を削る任務だった。
「敵を見失うなよ」
整備兵が笑う。
搭乗員も苦笑した。
「見失ったら司令部に殺される」
短い冗談。
だが誰も、本気で笑えなかった。
広い海。
悪天候。
夜間。
敵回避機動。
条件は最悪だった。
「発進!」
水偵が海風を切って飛び立つ。
続いて《筑摩》からも偵察機が射出される。
翔鶴隊から第三艦隊へ。
接触線が受け継がれていく。
◇
夕刻。
南シナ海は荒れていた。
波高し。
視界不良。
時折激しい豪雨。
索敵には最悪の海だった。
《天城》艦橋。
「《利根改》水偵より入電!」
通信兵が叫ぶ。
「敵艦隊接触継続成功!」
艦橋の空気が僅かに緩む。
「敵主力、依然南東方向」
「速度二十二ノット前後!」
黒瀬参謀長が小さく息を吐いた。
「繋がりましたな」
有馬は静かに頷く。
翔鶴隊。
第三艦隊。
第一艦隊。
第二艦隊。
第四艦隊。
それぞれの索敵線が、海で繋がり始めていた。
東洋艦隊は包囲されつつある。
◇
夜。
《天城》艦橋外。
有馬は暗い海を見つめていた。
遠くで雷鳴。
高波が艦体を叩く。
「司令官」
黒瀬が隣へ立つ。
「敵もこちらの索敵網に気づいておりますな」
「ああ」
「近いうちに必ず動きます」
有馬は静かに頷いた。
追われ続ければ、敵はいずれ航空攻撃圏へ入る。
ならば、その前に何かを仕掛けてくる。
「……次は、本当の戦闘になる」
その言葉と共に、《天城》は荒れる南海を進み続けていた。




