第十話
一九四一年十二月十七日。
南シナ海。
第三艦隊は依然として海上にあった。
東洋艦隊撃滅。
その戦果によって南方作戦は大きく前進した。
フィリピン攻略も順調。
マニラ湾制圧も時間の問題と見られていた。
しかし。
有馬中将は理解していた。
本当の敵は、まだ動いていない。
◇
第三艦隊旗艦《天城》。
朝。
艦橋。
「第一艦隊、南方輸送船団護衛へ移行」
「第二艦隊、ボルネオ方面支援任務開始」
「第四艦隊、対潜哨戒継続」
通信参謀が次々と報告を読み上げる。
有馬は静かに頷いた。
艦隊は今、広大な海へ分散し始めている。
それぞれが役割を持ち。
それぞれが海を支えている。
黒瀬参謀長が海図を見ながら言った。
「東洋艦隊戦で得たものは大きいですな」
「ああ」
「英軍は南方で大きく後退した」
だが。
有馬は視線を東へ向ける。
太平洋。
その向こう。
アメリカ。
「問題はこれからだ」
◇
同時刻。
ソロモン海域。
第五艦隊。
新造艦隊群は警戒航行を続けていた。
空母《龍翔》。
《海鷹》。
戦艦《天龍》。
《高岳》。
さらに巡洋艦、駆逐艦群。
まだ若い艦隊だった。
実戦経験も少ない。
だが、彼らの役目は極めて重要だった。
太平洋方面警戒。
米艦隊早期発見。
それが第五艦隊の任務だった。
「敵影なし」
見張員が報告する。
空は晴れている。
海も穏やかだった。
その時。
「長距離偵察機帰投します!」
艦橋が僅かに緊張する。
双発偵察機《景雲改》が飛行甲板へ着艦した。
機体は塩と油で汚れている。
長時間飛行だった。
搭乗員が駆け込んでくる。
「司令!」
息を切らしたまま叫ぶ。
「敵艦隊らしき大規模艦影をハワイ近海の潜水艦が確認!」
艦橋が凍りつく。
「位置は!」
「ハワイ南西海域!」
司令官の顔色が変わった。
「数は!」
「大型艦多数!」
「空母を含む可能性大!」
◇
第五艦隊無線室。
通信兵たちが必死に送信を続けていた。
『敵大規模艦隊発見』
『東進中』
『空母含む可能性』
『至急』
暗号電文が次々と飛ぶ。
ソロモンから。
南シナ海へ。
呉へ。
日本海軍全体へ。
◇
《天城》。
午後。
通信兵が艦橋へ駆け込む。
「第五艦隊より緊急電!」
有馬が振り返る。
「読め」
「ハワイ方面より米大規模艦隊出撃確認!」
艦橋の空気が変わる。
誰も口を開かなかった。
ついに来た。
東洋艦隊ではない。
アメリカ海軍。
本命。
黒瀬が低く言う。
「早いですな……」
「いや」
有馬は静かに答えた。
「むしろ当然だ」
真珠湾を攻撃していない。
つまり米太平洋艦隊主力は健在。
日本軍南方進出を見れば、必ず動く。
「第五艦隊との距離は」
「まだ遠距離ですが、進路次第ではソロモン方面接触の可能性」
「空母数は」
「不明」
それが最も恐ろしかった。
◇
呉。
戦艦《大和》。
連合艦隊司令部。
山本五十六は電文を読み終えると、静かに机へ置いた。
参謀たちが沈黙している。
「……来たな」
誰も否定しなかった。
東洋艦隊撃滅。
それは確かに勝利だった。
だが同時に、日本海軍の戦い方を米軍へ見せたことにもなる。
「第五艦隊は」
山本が言う。
「無理に戦うな」
「接触維持を最優先」
宇垣参謀長が頷く。
「第一から第四艦隊を集結させますか」
山本は少し黙った。
海図を見る。
南方。
フィリピン。
ボルネオ。
マレー。
ソロモン。
戦線は広い。
全艦隊を一箇所へ集めれば、他が薄くなる。
だが敵はアメリカ海軍。
戦力は未知数。
「……集める」
低い声だった。
「だが全部ではない」
それこそが、この新海軍の思想だった。
集中し過ぎない。
分散し過ぎない。
必要な時に必要な戦力を繋げる。
「第一機動部隊、第三機動部隊を東方へ」
「第二艦隊は輸送護衛継続」
「第四艦隊は補給線防衛強化」
「第三艦隊は中核として待機」
参謀たちが一斉に動き始める。
◇
夜。
第三艦隊《天城》。
艦橋外。
海は静かだった。
だが、有馬にはその静けさが不気味に思えた。
東洋艦隊戦とは違う。
次は、こちらも傷つく。
そんな予感があった。
「司令官」
黒瀬が隣へ立つ。
「米艦隊……どう動くと思われます」
有馬はしばらく黙っていた。
そして答える。
「試してくる」
「我々の艦隊を」
東洋艦隊戦。
日本海軍は、新しい戦い方を世界へ示した。
長距離索敵。
分散機動。
連続波状攻撃。
艦隊連携。
ならば次は。
米軍もまた、それに応じた戦い方をしてくる。
「本当の海戦はこれからだ」
遠く東の空。
暗い水平線の向こうで、新たな艦隊が動いていた。




