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複写身——逸脱は設計できる  作者: 村上は


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第3話

 高瀬の主治医は、藤田守(ふじたまもる)といった。白髪混じりに眼鏡をかけていた。椅子に座っていても、小柄だと分かる男だった。

 榎本は、挨拶もそこそこに状況のおさらいをして本題に入った。


「解剖結果に目を通していただけましたか?」

 藤田の表情は、“やれやれ”とでも言いたそうである。


「拝見しました」

「まあ、そんなに固くならずに。これは形式的なものですから」

「どうして解剖されたのですか?」

「一応、著名な方でしょう、上がうるさくて」

「……それで、ですか」


 榎本は、少し待って続けた。

「突然で驚かれたでしょう。何か思い当たることは?」

「驚いています。ただ、年相応の衰えがありますからね。結果は不整脈でしょう。可能性はゼロじゃない」

「では、自然死の可能性が高い」

「そんな不責任なことは言えませんよ。解剖されているわけだし。榎本さんも人が悪い。ただ、ジゴキシンを服用していました」

 榎本は記憶を辿った。

「それって不整脈を抑制する薬ですね。それで、不整脈で亡くなったと?」

 榎本は主治医を見た。

「だから、いろんなことが可能性としてありますから」


 解剖で何も特定できなかったのである。唐沢は、最初の挨拶以降無言だった。

「不整脈に可能性、ね。この時代になっても、医療って案外進歩していないのかね」


 榎本は、唐沢を睨んで藤田に申し訳なさそうに目を向けた。

「仮に、その薬の量を誤ったら何が起きます?」

 藤田は咳払いをして答えた。

「体に働きかけるわけですから、摂りすぎると危険です。状況によっては、致命的になります」


 榎本は身を乗り出した。

「その場合、解剖で分かりますかね」


 藤田は、眉間に皺を寄せ、右手でメガネの両縁を持ち鼻の位置を調整した。そして、言葉を選ぶように答えた。

「通常は検査で分かりますが……見落とされることもあります」


 榎本は、再び背を椅子に預けた。唐沢は、“見落とされる”という言葉に、別の問いを重ねた。

「では、ジゴキシンと危険な組み合わせはありますか?」


「そうですね」藤田の語気が少し強まった。

「電解質が乱れてジゴキシンの作用が強く出る可能性はあります」

「不整脈を起こす程に?」

 今度は榎本が訊いた。


「あくまで可能性の話です。ただ、ジゴキシンを服用される患者は、気をつけています」


 沈黙が流れた。

 誰も腰を上げようとはしない。


 榎本は、右手を口の前に添えて言葉を整えた。

「電解質を乱すには何が挙げられますか?」

「そうですね。代表的なのは利尿薬になります」


 ふたりは、顔を見合わせた。唐沢は、写真立ての後ろを見ていた。榎本が言葉を繋げた。

「ところで、高瀬家の主治医ですよね。奥様とお嬢さんも含めて」

「はい」

「誰かに利尿薬を処方しましたか?過去に遡って」


 藤田は眼鏡を外して振り返りそっと机においた。

「ありません。もちろん、高瀬様にも」

「高瀬家はみなさん健康なんですね」

 唐沢が言うと榎本は、細い笑みを浮かべていた。

「それが主治医の勤め、ですから」

「でも、高瀬さんは亡くなられた」

 唐沢の一言は、榎本から笑みを奪い、藤田の矜持に肘鉄を喰らわせた。



 ふたりは礼を言って部屋を出た。



「唐沢、少し喉を潤さないか」

 榎本は、唐沢が面談を終わらせたことについて一言も触れなかった。


「いいね。お前の潤沢な経費を使わないと」

「年末の工事じゃあるまいし」


 ふたりは、最寄り駅の側にある喫茶店に立ち寄った。そして、ホットコーヒーを注文した。榎本は、おしぼりで手を拭きながら「どう思った?」と喫茶店の感想でも尋ねているかのように言った。


「先にお前が聞くんだ。まあ、まだまだ星のように点在している」

「で、それが繋がれば星座になるわけか」

「刑事にしては、冴えているじゃないか」

 唐沢は、榎本を見て笑った。


「言い出したのはお前だろう」

「知的なこじつけだろう」

「唐沢、自分でそれ言うか」

「誰も言ってくれないだろう。……整理してみるか」


 唐沢はそう言い終えると、水を一口含んでコップを目の前にかざして、呟いた。

「利尿薬使ったことあるか?」


「ホットお待たせしました」

 女性は、笑顔と共に同じデザインのカップを置いていった。コーヒーを飲んで、唐沢は、等級に関係なく星について話し始めた。


「まず、真由。それと、あの論文の“黄色”。誰が論文を置いたか。不整脈のトリガー。星と言ってもこんなところか」

「北斗七星も完成しないな」

 男同士、喫茶店で星座の話に微笑んだ。


「榎本、お前はこれからどうする?」

「そうだな。高瀬恒一(こういち)の行動、夫婦関係、そして娘にも話を聞きたいな。あまり気は進まないが」

「刑事なんてそんなもんだろう。まあ、手順通りってわけか?」

「ああ。まずは恒一から」



 恒一は、都内屈指の大学に在籍していた。ふたりとも大学を久しく訪れていない。唐沢に至っては、忘れかけていた多角さと黎明が放つ活気を心地よく感じていた。学生達には落ち込んだ表情や、人が亡くなった時の厳粛ムードは見られなかった。


 事務局で助教授の岡本道夫(おかもとみちお)とアポがあることを伝えた。唐沢は、榎本に恒一の死因を大学に伝えたのか聞いていなかった。岡本は五分ほど経って急足でやってきた。


 岡本は髪が長く、歩くたびに揺れそうなのに、妙に固まって見えた。パーマなのか癖毛か判別できないが実年齢より上に見える。

「お待たせしました。岡本です。教授の部屋に行きましょう」

 見た目に反して、高い声である。

 榎本が教授室を要求したのかも聞いていない。助教授が個人部屋を持っていないとすると、今日の目的に最適な部屋である。


 十分ほど歩くと岡本は部屋の前で止まった。亡くなったはずの主人の名前が室名札に残っていた。

 岡本は一人掛けの椅子にテーブルを挟む形で、榎本と唐沢は二人掛けの椅子に座った。横から教授の机が臨んでいた。


「それで事件なんですか?」

 ふたりの心理を読んだかのように岡本から出た。

「なぜそう思われたのですか?心当たりがあるとか?」

 榎本に言われて岡本はニヤついた。

「そんなことあるわけないじゃない。刑事さんが会いたいっていうから。それで、事件なの?」

「それはお答えできません」

 榎本はキッパリ答えた。

「なるほど。心理戦ですか」

 岡本は歓迎するかのように恒一の机を見た。


「面白いな。心理学者の机と、刑事の工具ってところか」

 唐沢は面白がって言った。

「工具はそっちだろ」

 榎本は顔を整えた。

「教授のご専門は?」


 岡本は、行動・逸脱心理学だと答え、榎本を伺いながら続けた。

「教授ならこんなにわかりやすく言えないと思いますがね」

 岡本は、薄く笑った。

「私の場合、最初の授業では、生徒にこう言います。高齢者の不潔行動、中高生の暴力や校則違反、薬物使用、職場でのハラスメント。形は違いますが、どれも逸脱です。人は条件次第で変わります。問題は……どこで越えるか、です」


 榎本は、頷きながら

「幅広いですね。その中でも興味深い。一線を越えるとは?」

 岡本は薄笑いを浮かべた。

「そんな短絡的な研究ではありませんよ。殺人を犯すとか。期待外れでしたかね」


 唐沢はその勝負から降りるように、おもむろに席を立ち教授の机を見つめた。岡本は静観していた。榎本も唐沢には何も言わず岡本に言った。

「何も期待していません。論文はあなたがサポートを?」

「いいえ」

「では、おひとりで?」

「院に教授が可愛がっている奴がいて。久我陽介(くがようすけ)といいます。もちろん、私が指導員の立場で見ますが」

「そうですか。教授の健康状態はどうでしたか?」

「精神面じゃなく、健康面ですか。なにかあったかな。まあ、問題なかったと思いますよ。食欲がなかったわけでもないし、お酒も適度に飲まれていましたから。たまに、断食されてましたね」

 岡本は饒舌に話した。

「断食ですか?」

「確か、どこかの寺でやっていたような。それで、死因はなんですか?」

「不整脈だと思われます」

 榎本は、解剖したことは言わず続けた。

「不整脈の薬を飲まれていたことは知っていましたか?」


 岡本が首を横に振るのを見ながら、唐沢は机にあった写真立てを持った。

「これは、教授と奥様ですか?」

 岡本が頷くのを待って続けた。


「仲は良かったのですか?」

「私にはそのように見えましたが。まあ、あれだけ完璧な奥様ですからね。お仕事されていますが、家事も全てこなされて。教授は昔ながらの人ですから」

「なるほど。で、これはいつ頃ですかね?」

「いや〜、どうでしょう。私が最初に見たのは十年ほど前で、いつ撮られたものかまでは、分かりません」

 唐沢は、写真立てを机に戻し携帯を手にソファに座った。そして、目当ての写真を画面に映した。


「これは、教授の論文ですよね?」

 岡本は、携帯を手に取り画面を指で操作した。そして、携帯を机に置いた。

「ええ。この論文で教授の地位を確立しましたからね」

「この一文では分からないのですが、それほどの内容なのですか?」

 榎本も興味を持った。

「教授が面白い仮説を立ててそれを立証したんです」

「どんなことを?」

 榎本は珍しく早口になった。

「一度読んでみてください。お持ちください」と言って岡本は棚から一冊の論文をテーブルに置いた。


 唐沢は、論文に目を落とした。

「なるほど。授業料ってことですか。でも、ここは国立でしたよね」

「いえいえ。先入観を与えると邪魔になるかと思いましてね」




 教授の部屋を後にした二人は大学の敷地にある芝生を歩いた。そして、空いているベンチに座った。一時間以上経っていたからか、見覚えのある学生はいなかった。榎本は受け取った論文を唐沢に手渡した。


「ここからはお前がやってくれ。事件として扱えなくなった」

「大学からの圧力か?」

 榎本は首を横に振った。


「証拠としては弱い。お前の勘だけでは、な」

 唐沢は、「分厚いな」と言いながら論文をペラペラめくった。

「仕方ないな。でも、協力は頼んだぞ」

「できるだけのことはする」

「そうそう。教授の机にあった写真だけど、奥さんの印象が違ったな。なんて言うか、昔の方が、目が生きていた」

「そりゃ、十年も経てば仕方ないだろう。それで、これからどうする?」

「そうだな。まだ、日が出ているから星も見えない」

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