トーコの決意
「〇〇浩司君って知ってる? ハーフでイケメンで、すっごくカッコいいんだよ」
ザラメがトーコの口から〇〇浩司の名前を聞いたのは、四時限目が終わり、お昼休みに入ってから、先に昼食を終えたザラメがトーコの机に向き合わせにしてくっつけていた机を元の位置に戻そうと椅子から立ち上がったときだった。
トーコは机の上に載せた小さめの楕円のランチボックスの中に、おかずとご飯をまだ半分ほど残したまま、本の少し膨らみのある胸の前で、軽く指を交差させるようにして手を合わせ、うっとりとした目を斜め上の教室の天井に向けているのだ。
その瞬間、ザラメは周りの音が、ふっと消えたような感覚に陥った。
「トーコ、そいつに告白しなよ」
「ふぇ?」
教室に居るクラスメートたちが立てる、ガヤガヤとしたにぎやかな音が耳に戻ってきたのはそう言った後だった。
ザラメの放った言葉にトーコは困惑したが、その表情をザラメは見ないままトーコに背を向けて続けた。
「トーコが〇〇浩司ってやつに告白するまで、私トーコと口利かないから」
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ーー冗談だとおもったーー
ーーでもーー
ザラメは頑なだった。
トーコが朝にザラメと一緒に登校しようと、いつも二人で待ち合わせていた公園に行っても、そこに腰に手を当て、いかにも「待ってたんだぞ」と言いたげな目を向けてくるザラメの姿を見ることはなくなってしまった。下校するときも同じでザラメはトーコを待つことはせず、トーコはポツンと残され、一人でとぼとぼと歩く日が続いていった。
学校でも、もうザラメはトーコに構うことはなくなってしまった。
あれほど親しく笑い合っていたのが嘘のように、声をかけても返事はなく、顔さえ向けてはくれない。
日が経つにつれ、日暮れと共に明かりを点けた家々が、夜の深まりにポツン、ポツンと明かりを消していくように、トーコの心は暗く、重く、沈んでいった……
ーーなんで? ザラメちゃん……なんで? ーー
トーコは自分を待ってくれなくなった親友に、日々遠ざかっていく後ろ姿に、心の中で叫んだ。何度も何度も……そしてその叫びが弱々しく掠れ、心がヒリヒリと渇いて砕けそうになったとき、トーコは決意する。
ザラメの隣に、……大好きな、親友の隣に居るために……
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ザラメはトーコが「告白」をできると思っていなかった。
トーコに無理難題を吹っかけて、ポカリと空いてしまった二人の距離に、ザラメ自身、戸惑ってもいた。
だが「こんなつもりじゃなかった」と、素直に言えるほど、ザラメは器用じゃなかった。
トーコが決意をした朝、ザラメは珍しく、学校に遅れてしまった。靴を屋内用のシューズに履き替えようとしているときに、ああ、そういえば今日は全校集会があるのだな、と気づく。
が、生徒たちが集まる体育館へ、足を向ける気にならない。
「……っん」
ぐずつく足を持て余し、小さくふぅと出そうになったため息を、ザラメは反射的に飲んだ。
ガランとしたエントランスの壁際に、よく見知った影があることに、はっとしたのと同時だったからだ。
ーートーコ? ーー
トーコはホールの壁際の側にある開いた扉へ体を向け、そわそわと様子を窺うように、小さく右へ左へと動いている。
扉の先には体育館がある。
ーー私のこと、待っていた!? ーー
ーーいやーー
自分から遠ざけておいて、それでもトーコが待っていてくれたんじゃないかと期待してしまう自分の都合の良さに、ザラメはトーコへ向きかけていた足を静かに戻す。
トーコに気づかれないようにしてホールの傍らにある階段へと向かうと、そのまま二階に上がり、エントランスホールを見おろせる丸い大きな柱のかげにかくれるようにしてトーコの姿を探し、その彼女の小さな後ろ姿をホールの壁際に見つけた。
ーー何をしているんだろうーー
トーコはホールの壁際にある扉を向いているため詳しい表情は窺えない。
ザラメはトーコの華奢な背中をじっと見つめ続けた。
しばらくすると、トーコがそわそわと気にするように見つめていた扉に、集会を終えた生徒たちがぞくぞくと入ってきた。
ザラメはトーコを見失わないように、トーコを見る目に力を込める。
小柄なトーコは扉から入ってくる生徒たちをつま先立ちになって懸命に目で追ってるように見える。
ーーだれかをさがしている? ーー
トーコを追う目の端に、ふと入った、周りの生徒たちとは違う、茶色の髪に、ザラメははっとした。そして「まさか」、と思う間もなく、トーコは動いていた。
トーコは小さな腕をいっぱいに広げて茶髪の男子生徒の前に立ちはだかると、言ったのだ。「すっ、好きです……!」と。