終焉の炎(完結)
来嶋又兵衛率いる嵯峨部隊が襲撃を開始した頃、久坂玄瑞を将とする山崎の一隊は
七条に向かっていた。
「急げ!嵯峨の陣に遅れを取ってはならん!急げ!」
久坂の率いる部隊には松門で共に学んだ、寺島忠三郎や入江九一などあって彼を始終
支え助けている。七条付近へ到達し、堺町御門辺りで、山崎の一隊は守備に当たっている越前兵と交戦。
久坂達の士気はまだ高く、負けじと接線交えじわじわと相手を追い詰め、遂には敗走させてしまった。
ふと、その時である。
北西の方角より、バラバラと近寄ってくる影が見える。
暗闇から駆け寄ってくる影は隊列乱れ幽霊の様で、久坂は怪物かと思わず身を固くした。
「久坂さん、敵兵でしょうか」
寺島が鍔からカチリと音を鳴らし鈍く光る刃を僅かに見せ警戒している。
久坂は眇めの瞳を細めて食い入るように闇に目を凝らした。
「義助・・・!ありゃ我が軍の兵じゃぞ」
同じ様にじっと歩を進めながら見つめていた入江が目を驚きを露にする。
敗残兵らしきぼろぼろの姿の武者達が、蛤御門の方向から彼等は走りよって来る。
何があったのか―・・・
「何があった!来嶋翁はどうしたんじゃ!」
入江が怒声を上げ、隊士達を問い詰める。
彼等は腹巻に鉢金に鮮血を浴び、中には斬り込まれた傷口からおびただしい血を流して、必死の形相で
走りくるものもいる。無事な姿でいるものは極僅かであった。
「来嶋又兵衛殿を失い、蛤御門へ攻め寄せた嵯峨の部隊は壊滅じゃ」
国司信濃はそういって、来嶋戦死の報を彼等にもたらすのであった。
その声が止むを待たずに、敗走する部隊を追って薩摩の軍勢が大砲を打ち込んでくる。
薩摩勢の加勢に勢いを取り戻した越前兵もまた、こちらへ刃を光らせ向かってくる。
こうなると、形勢逆転。長州勢の旗色が悪くなった。
「くそ!奴等追って来おった」
「越前共も立ち直っていやがる」
久坂の隊は、薩摩や越前の猛攻を受け、已む無く進路を変更。
直ぐ先には鷹司邸があり、彼等は屋敷の中へ進入し屋敷の主を求めた。
久坂は、鷹司輔煕に己の嘆願の意を託す他ないと屋敷を歩きまわりついに、その主を認めるや
床に額づき、額をこすりつける様に、朝廷への敵意あっての行為でない事、藩主らの冤罪を説く
為、涙ながらに裾に縋りつき哀願するのであった。
丁度、朝廷より参内を受けていた鷹司卿に対し、久坂は何度も参内の供を懇願したが、遂に聞き入れられる
事はなく、彼の必死の願いも虚しく轟く怒声と銃声にかき消されてしまったのである。
ドドドッ!ドカ!バリバリ!
耳を劈く轟音とともに、彦根兵が邸内乱入してくる。
銃声が響き、互いの刃が入り乱れ、穏やかで雅を楽しんできた庭は一夜にして激戦区となった。
久坂は寺島らと共に、白兵戦に加わり邸内を斬り走った。
と、その時である。
久坂は更に歩を進めんと、刃を構え歩み出たその時。
ズキリと足に鈍い痛みを感じ、それから直ぐドッと膝から地へ倒れ込んでしまった。
(何が・・・?)
自分でも分らぬ程、痛みに鈍くなっていたのか。
余りの混戦で、我を忘れ斬りかかって居た為か。
久坂は視線を下に下ろすと、銃弾を受け負傷した己の足が視界にうつる。
「くそ!」
再び立ち上がろうとするも、力が入らない。
それどころか、足を打ちぬかれ身体すら抜け殻の様に軽く、傾き転がってしまう。
こんな事で・・・
久坂は必死に立ち上がろうとするが、何度やっても身体は思うように動いてくれなかった。
「久坂さん、座敷へ参りましょう」
寺島がいつの間にか傍へ寄って、身体を起こし支えていた。
久坂は已む無く自身の力で起き上がる事を諦め、黙って彼の言葉に従った。
その時には彦根兵は撃退され、幕兵らは長州兵の攻防に邸を取り囲み砲撃のみに徹する他なかったのである。
それだけ、彼等長州兵は退路絶たれ、必死の戦であった。
「兵は・・・兵はどれだけ無事であるか」
「数十・・・数百・・・程は。真木先生も御無事であります」
寺島は久坂の言葉の意味を何となく感じ取っていた。
無事なものだけでも、撤退させるつもりなのだろうと。
そして、己の始末をつけるつもりだと。
彼の終焉を悟った寺島は、血涙が噴出さんばかりである。
「入江・・・寺島。僕はここで死ぬから、無事な者達を真木先生と共に率い撤退させてくれんか」
おびただしい血を流し、久坂は初めて明確に「死」をつぶやいた。
これまで、共に歩み戦い抜いてきた同志の最期の願いである。
武士らしく潔く死んでいく。
後の日本は、自分と正反対であるが、あの男に任せていける。
安心して託していけると、久坂は己で成就できぬ無念さをすべて同胞に託す事で納得させた様だ。
「僕もちと負傷じゃ。背をやられとる・・・足手まといになるじゃろ」
寺島が久坂に続いて少し苦しげに言葉を洩らした。
彼は尊敬する同門の先輩、久坂義助に殉じ共に終わろうとしていた。
そうこうする間も銃撃は激しさを増し、遂には屋敷のあちらこちらで火煙が立ちこめ始めた。
幕兵らはもとより、このまま焼殺そうというつもりらしい。
そうなると、残る残らないをごねている場合ではない。
「・・・・入江!君だけでも行ってくれ」
「しかし・・・・」
「頼む!ここから無事抜け出して、世子様や生き残った味方に撤退を・・・な!頼む」
「入江さん!」
久坂は縋るような目で入江を説得した。
寺島も同じ様に、哀願の眼差しを向ける。
この時まで、一つの志のため、学び支えあってきた同志が最期の願いを自分に託そうとしている。
これを聞き届けなくて何が武士か。
入江は、一つ息を吐いて、二人を安心させるように大きく頷いた。
「解った!必ず・・・僕が必ず伝えお前らの言葉を・・・志を守り通してやる。」
入江は力強い笑みを投げかけると、潜戸へ走りよっていった。
去っていく仲間の姿をみると、どちらともなしに顔を向ける。
「寺島、これで終わったな」
「はい。後は入江さん・・・生き残った同志に全てを委ねて、僕等は・・・」
「ああ、今度は天から見守っておればよいな」
そういって、彼等は互いに刀を鞘から抜き取った。
久坂の刃は兄より継承した大事なものだった。
長く鋭い刃をもって堂々たる姿の兄、久坂玄機。
彼は兄を誇って、その兄弟の宿願であった「武士」への道を只管願ってきた。
それが近年やっと叶い、そして己は武士としての最期を今迎えようとしている。
現代に生きる我々からは少し遠のいた古来の日本人的な美学で、彼の思考は受け止め難い所もあるやも
知れぬが、それでも古きよき日本の一つの形としてしっかり己を律した考え方には共感し護りたい所
である。久坂もまた、そうした武士道精神の構えを心に据え、日々武士でありたいと願い過ごしてきた
のであるから、この日は彼にとって一つ誇れる日であったのかもしれない。
「久坂さん。やりますか」
刀の鋭い切先をじっとみつめていた久坂を寺島が促す。
久坂より四、五歳は若い寺島だが、彼もまた迷いなく晴れた清清しい表情を称えていた。
「ああ」
「では・・・」
両者は座したまま向き合った。
そして、ゆっくりと突きの姿勢をとる。
相互に斬り合い果てるつもりである。
燃え盛る屋敷の熱さも今は気にならなかった。それどころか、心の内は心地よく満ちている。
つい、そんな可笑しな心境に噴出しそうになって堪えた。
(・・・高杉、皆・・・後は任せたぞ)
ふと脳裏に浮かぶ仲間の顔。
高杉などは呆れた様な表情で苦笑いしているが、任せろといっている様にも見れる。
そして、次に妻や恩師が浮かんだ時には、彼等の刃は互いを貫き通していた。
鮮血が迸り、やがて赤い炎と一つになっていく。
赤い命を燃やす焔は、黒い色へと変わり、彼等を闇へと誘っていったのである。
久坂玄瑞 享年二十五歳
この時代、日本は大きな変革期であり多くの人々が革命に立ち上がり、お国の為と戦い散った。
己の為に刃を振るわず、義の為に立ち向かう姿勢こそ、日本人の誇りであった。
久坂という若者もまた、武士の気概を以って国の為、同胞の為に活路を模索し懸命に弁を振るい
時には刃を振るった人である。
一人の若武者の生命の記録が、同胞達に伝い遺され、そしてその志を継承しやがて日本は彼等
が望んだものとは完全一致といい難い面もあるが、確かに政治体制の変革を向かえ、歴史に
残るあの明治維新となるのである。
長らくお付き合いくださり、有難う御座いました。
のんびり地味に執筆続けて参りましたが、本サイト共に無事完結できましたこと、御礼申し上げます。