悲しみと、新たな拠点の形成
冷たい湿気と、雨に濡れた泥の匂い。そして、服に染み付いた生々しい鉄の臭いが、狭い洞窟の奥に淀んでいた。
「嘘だろ……先生が、そんな……嘘だと言ってくれよ……!」
誰かの掠れた叫びが、湿った岩肌に反響しては虚しく消える。
元は三十数名いたクラスメイト。しかし、異世界という名の地獄に放り込まれ、いまこの場に生き残っているのは、わずか二十人。半数近くの仲間を失い、さらに自分たちを逃がすために文字通り血の盾となって魔物の群れへ突撃した恩師――佐伯恒一先生は、もう戻らない。森の最奥へと消えたあの背中が、今も全員の脳裏に焼き付いて離れなかった。
どれくらいの時間が過ぎていっただろうか、泣く気力すら枯れ果てたような、重苦しい静寂。
パチパチと爆ぜる即席の焚き火だけが、体育着や制服を泥で汚した生徒たちの、青ざめた横顔を頼りなく照らしている。誰もが膝を抱え、ガタガタと震えながら、互いの体温を分け合うことしかできなかった。
(……このままじゃ、全員遠からず全滅するな)
桜庭美咲の頭を優しくなでながら、薄暗い闇の中に佇む神代悠真は、感情を排した冷徹な目で疲れ果て、絶望し、怯えた表情のクラスメイトを観察していた。
悲しむな、と言うのは無理だ。自分だって胸の奥が引き裂かれるように熱い。だが、ここで立ち止まれば、次は自分たちが魔物の餌食になるだけだ。
悠真がそっと瞬きをすると、彼の脳内に異変が起きた。覚醒したスキル【超越者】の発動。
視界がモノクロームに反転し、網膜の上に無数の光の線と構造線が走り始める。洞窟の奥行き、岩盤の強度、残されたわずかな備蓄の数値。そして何より、絶望に沈むクラスメイトたちが持つ「固有のスキル」とその適正が、まるでチェス盤の駒のように、完璧な配置図となって悠真の脳内に立体投影されていった。
『結果を得るためのプロセスと配置がわかる』 このチート染みた、しかし酷く静かな力が、悠真に「今すべきこと」を冷酷なまでに告げていた。
クラスの精神的支柱であり、今は悠真の胸に顔を押付け泣いている幼馴染でもある少女に話しかけた。
「美咲。いつまでそうしているつもりだ」
声をかける。その声は、いつも教室の窓際で寝ていた「やる気のない男」のものとは思えないほど、低く、芯が通っていた。
学級委員長であり、クラスの誰もが憧れるヒロイン【桜庭美咲】は、小さく肩を跳ね上げて顔を上げた。その瞳は涙で真っ赤に腫れ上がっている。
「……悠真。でも、私、委員長なのに……みんなを守るって言ったのに、何もできなくて……佐伯先生まで、私のせいで……」
「お前のせいじゃない。先生は、自分の意志でお前たちを生かす選択をしたんだ」
悠真は美咲のその華奢な肩にそっと手を置いた。悠真の目には、美咲の内に眠る【統率者】の輝きがはっきりと見えていた。
「いいか、美咲。お前が座り込んでいたら、このクラスは本当に終わる。泣くのは後だ。生き残るために今、お前の『声』が必要だ。俺が後ろで全部組み立てる。だから、お前はみんなの心を引っ張れ」
手厳しい言葉。しかし、その奥にあるのは、幼稚園の頃から変わらない絶対的な信頼だった。美咲はハッと息を呑み、悠真の静かで揺るぎない瞳を見つめ返す。そして、溢れそうになる涙をグッと堪え、唇を噛み締めながら立ち上がった。
その瞬間、彼女の身体から目に見えない波紋のようなオーラが広がる。【統率者】のスキルが、彼女の覚悟に呼応して発動したのだ。
「みんな……っ、聞いて……!」
美咲の声が洞窟内に響く。鈴を転がすような、しかし力強いその声に、凍りついていた生徒たちの視線が一斉に集まった。
「辛いのは、絶望しそうなのは、全員同じ。でも、佐伯先生が命を懸けて繋いでくれたこの命を、ここで腐らせちゃ絶対に駄目。私たちは、生きて元の世界に帰るの。……ううん、絶対に生き残るのよ!」
人心掌握と先導の力。美咲の言葉は、沈みきっていた生徒たちの心に直接火を灯していく。絶望の底にいた彼らの目に、少しずつ、だが確実に生気が戻っていくのが分かった。
美咲が語り終えると同時に、悠真が半歩前に出る。
「ここからの状況打開は、俺が指示する。生き残るための作戦立案と役割分担だ。全員、自分の名前を呼ばれたら、その指示に従って動いてくれ」
いつも学年上位の成績でありながら、集団に馴染もうとしなかった「窓際の幽霊」のような男。その悠真が放つ圧倒的な統率感と説得力に、学年1位の副委員長・天城綾音すらも息を呑み、背筋を正した。
悠真は脳内のマップを更新しながら、淀みなく指示を飛ばしていく。
「まず、天城、西園寺。お前たちに一番重要な役割を頼む。ログハウスから回収したわずかな物資の、厳密な管理と数値化だ」
「……私に?」
綾音が眼鏡のブリッジを押し上げる。その瞳には自覚はないが【管理者】としての論理的な思考が巡り始めていた。
「そうだ。天城の合理性と、莉奈の分配の直感が必要だ。特に食料と水は徹底的に管理してくれ。感情で配分を変えるな。西園寺は、綾音のサポートを」
「分かったわ。不公平なんて絶対に起こさせない」
「うん、あたしもやる。こういう細かい管理、得意なほうだしね」
西園寺莉奈がプライドの高さを覗かせながらも、力強く頷く。
「一ノ瀬は物資の調理と保存。回収した食材を、少しでも長持ちさせてくれ。藤原は、崩れかかっている入り口のバリケード構築の手伝いと……全員の破れた制服の応急補修だ。少しでも丈夫にして防御力を上げてくれ」
「任せて、悠真くん! みんなにおいしいものを作って、絶対に元気を出すから!」
「あたしのセンスの見せ所ね。ボロボロの制服だけど、この世界仕様にカスタマイズしてあげるわ!」
一ノ瀬奈々の【食の探求者】と、藤原彩花の【装飾者】が無意識の中で緩やかにだが、確実に覚醒していく。派手な女子グループにも明確な役割が与えられ、彼女たちの顔から恐怖が消えていく。
「黒川は、精神的に限界が近い女子たちのメンタルケアを。お前のトーク力で、みんなの不安を和らげてやってほしい」
「オッケー、そういうの得意だし! ギャルのコミュ力、舐めないでよね」
黒川美優が無理に作ったのではない、自然な笑顔を見せる。それだけで場が和んだ。
「次、オタクコンビ。相馬、結城」
「オタクコンビ言うな!」
「僕たちの出番だね、悠真」
相馬拓海と結城智也が身を乗り出す。
「お前たちは洞窟内の生態系と、そこにある謎の発光鉱石の調査・分析だ。結城の工具とナイフを使って、インフラを整える。生活用水の確保と、明かりの設置を急げ」
「ラノベ知識と【理解者】のスキルがあれば、この世界の鉱石の特性なんて一発で看破してやるぜ!」
「ああ、この拠点は現代の科学技術を異世界に再現したら劇的に環境が整うよ!」
【発明者】のスキルを持つ智也の目が、科学者特有のギラついた光を放ち始める。
「水瀬。お前は怪我人の手当てを最優先で。それから、洞窟周辺に生えている植物から薬草を研究・精製する方法を見つけてくれ」
「うん。任せて、悠真くん。お父さんの病院で見てきたこと、全部活かす。もう、誰の命もこぼさせない」
保健委員長であり医者の娘、水瀬詩織の手に、温かで神聖な【救済者】のヒール魔法が灯った。その光を見るだけで、周囲の生徒たちの傷と心がじんわりと癒されていく。
「そして――体育会系、前衛班」
悠真の視線が、屈強な運動部たちに向く。
「高橋、朝比奈。お前たちは『斥候』だ。高橋の【心眼】による3次元マップの空間把握と、朝比奈の気配を消す【遮断】を連携させ、洞窟周辺の魔物の動きを偵察・伝令してくれ。絶対に無理な戦闘はするな」
「了解だ、悠真。ピッチ全体を見渡す感覚で、魔物の突進軌道を完璧に見切ってやる」
「私の足なら、どんな魔物からも逃げ切れる。情報、すぐに持ち帰るね」
サッカー部キャプテンの高橋大輝と、陸上部全国王者の朝比奈葵が、互いに拳を合わせた。
「風間と桐谷は、後方からの遠距離スナイパーとして狙撃態勢の維持。風間の【絶対投擲】と、桐谷の命中率百発百中の【無心】があれば、近づかれる前に敵を仕留められる」
「俺の強肩、見せてやるよ。時速150キロの魔鉱石、ぶち込んでやる」
「一本の矢も外さない。後ろは任せて」
野球部の風間翔と、弓道部主将の桐谷楓が、力強くうなずく。
「真田。お前はその【剛力】を使って、洞窟のさらに奥の岩盤を削り、全員が安全に横になれる居住スペースを拡張してくれ」
「おう、任せてくれ、神代。佐伯先生が繋いでくれたこの身体だ。みんなのために、いくらでも壁をぶち抜いてやる!」
身長190cmの巨漢、柔道部主将の真田剛が太い腕を振るうと、頑強な岩盤がまるで豆腐のように容易く削り取られ、クラスメイトたちが足を伸ばせる安全な空間が、みるみるうちに広がっていった。
バレー部主将の相沢美優が【躍動】の脚力を活かし、その削り出された土砂を迅速に運び出していく。
生徒会長の九条凛は、その一連の光景を信じられないものを見る目で眺めていた。最初はいつも寝てばかりいる悠真を心のどこかで見下していた。しかし、この極限状態において、これほど的確に、一人ひとりの特性を完璧に見極めて配置する男の器量に、彼女は己のプライドを粉砕されるような衝撃を受けていた。
「九条。お前は美咲のサポートに入り、クラス全体の統率を補助してくれ。お前の説得力と演説の才能は、この先、集団が乱れかけた時に必ず必要になる」
「……ええ。分かったわ、神代くん。私にできることなら、何でもやりましょう」
名家の令嬢としてのプライドを、今度は「クラスを守るための誇り」に変え、九条凛は美咲の隣へと並んだ。
読書仲間の白石結衣も、その抜群の記憶力を活かす【記録者】として、悠真の傍らで状況の記録を開始している。
「――最後に、蓮」
悠真が最後にその名を呼ぶと、洞窟の入り口で、刃の潰れた薪割り用の鉈を握りしめ、外の暗闇をじっと睨みつけていた男が振り返った。
短めの黒髪に鋭い目つき。神崎蓮は、不敵で、どこか狂暴なまでの笑みを浮かべた。
「言われなくても分かってんだよ、悠真。お前が頭で、美咲が心。なら、俺のやることは1つだけだろ」
蓮が自身の胸を叩く。その瞬間、彼の肉体から、陽炎のような禍々しくも神聖な青いオーラがボウと立ち上った。【不屈の守護者】の力。
「俺がここに立っている限り、どんな魔物の猛攻だろうが、大軍だろうが、この洞窟の入り口から先には一歩も通さねえ。お前は、俺が命に代えても守ってやる」
その言葉の安心感は、何ものにも代えがたかった。
幼馴染の三人。悠真が作戦を立て、美咲が心を繋ぎ、蓮が体を張る。幼稚園の砂場から始まったあの関係性が、この異世界の地獄において、生存者たちを救うための「最強のシステム」へと昇華した瞬間だった。
バラバラだったクラスメイトたちの歯車が、神代悠真という【指揮官】の手によって、最高の噛み合いを見せ始める。
「よし、作業開始だ。全員、持ち場へ」
悠真の冷徹で、しかしどこまでも優しい指揮の声が、暗い洞窟に響き渡る。
先生を失い、半数が死んだ絶望の淵から、彼らは今、確かに這い上がり始めた。この異世界の地獄の片隅に、彼らだけの「絶対の砦」を築くために。
神代悠真と二十人の生存者たちの、本当のサバイバルが、今ここから幕を開けるのだった。




