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それから宵宮の家に居候させてもらうことにした梅崎は、家にあった私物(とは言っても、商売道具のカメラと小物だが)を持ちこみ、宵宮はそんな梅崎に合鍵を渡し、家の者は自由に使っていいと告げた。
ただし、宵宮の使う部屋には入らないようにと。洗濯物などはリビングに置いていれば、宵宮が部屋に持って帰るとのことだった。
穏やかで静かな暮らし。小さな鈴の音が聞こえる宵宮の傍は居心地がよかった。
「幸せすぎてやばい」
「・・・・・・正気?」
うげ、と梅崎の目の前にいた青年が舌を出す。
カフェの中に響く音が心地よく感じるほどには、梅崎自身も落ち着いている。
「他人の音を気にしないでいいって生活は最高なんだよ。柚」
「ま、お前はそうだろうね」
「時折、小さな音が聞こえるけど、それも落ち着くしさぁ」
「ふーん。ま、家を追い出される前に拾ってくれるパトロンがいてくれてよかったじゃん」
「パトロンって・・・・・・まぁ、そう、なんだけど」
実際、アパートも建物ごと壊すらしく、戻った時には一カ月以内に立ち退いてほしいと言われた。住む部屋と賃金の発生する仕事が見つかったのは、運がよかったのだろう。
「で、今日は売れないカメラマンに何の用で?モデルの日向柚さんや」
優雅に目の前でコーヒーを飲んでいる青年に、梅崎は首を傾げる。
そう目の前にいるのは梅崎の幼馴染であり、有名モデルの日向柚だった。
「そーそー、お仕事。案件。」
「え、まじで!?」
「そう。有名小説家の表紙モデル頼まれたんだけど、お前、写真撮らねぇ?っていう。なんか、カメラマンが気に入らなくてさぁ、そりゃお仕事だけど、俺だってお気に入りの写真にしたいわけよ。弓弦の写真は嫌いじゃないしな」
「神様かよ」
「崇めよ」
「へへー」
そんなやりとりをしていると、あれ?という声が聞こえてきた。梅崎が顔を上げると、そこには宵宮が立っている。
「梅崎、君?」
「あ、宵宮さん」
「え、何?知り合い?先生と」
先生?と梅崎は首を傾げる。日向はそんな梅崎の額を思い切り突いた。
「お前、目の前にいる人は有名小説家だぞ。雪原渚先生」
「あはは、僕はそこまで有名じゃないよ。たまたま書いた小説売れただけだし」
いや、と梅崎は顔を青ざめさせる。雪原渚という小説家ならば、梅崎が愛読している作家の一人だ。まさか、自分の雇い主がそうなのだとは思わなかった。
「あぁ、ごめんね。邪魔したね。今日は帰るの遅くなるから、ご飯いらないよ。梅崎君に連絡しようと思ってたんだ。丁度良かった」
「あ、えと、はい」
宵宮が笑う。その瞬間、鈍い音がした。叩きつけるような音。
「宵宮さん!」
「ん?」
「あの」
きっと嫌な音だ。今日の用事は嫌な用事なのかもしれない。
「えっと、ま、待ってます」
「遅くなると思うから、寝てていいよ」
「待ってます!その、無理、しないでください」
不思議そうな顔をした宵宮は小さく笑うと、分かった、と梅崎の頭を撫でてその場を去っていった。
「はー、マジか・・・・・・好きな作家と一緒に暮らしてたとか、やばい・・・・・・」
「あ、俺のそのモデルの案件、あの先生の小説だよ」
「まじで!?やる!」
「だと思った―」
じゃぁ、話しとおしておくと日向が会計用の紙を持って去っていく。
さりげなく奢ってくれる友人を持ってよかったなぁ、と場違いなことを考えながら、少し冷めたコーヒーに口をつけた。
カチカチと時計の音が響く中で、梅崎はソファに膝を抱えて座っていた。宵宮を待っていると言ったのは梅崎自身だ。時計をちらりと見るともう日付は超えている。
何かあったのだろうかと携帯を見るも、宵宮からの連絡はない。
携帯を机に投げて、梅崎は抱えた膝に頭を近づけた。小さくため息をついて、宵宮の事を自分は何も知らないとぼんやりと思う。
いや、あって数週間も経ってない人間の事を知るっていうは無理があるだろう。それでも一緒に生活をしているのだから、素の部分というものが垣間見えてもいい気がするのだ。宵宮にはそれが見えない。分からない。
「・・・‥警戒、されてるとか、じゃないよな」
警戒されていたら、知らない人間を拾って、しまいには家に住まわせるなんてしないだろうし、と一人で納得する。
じゃぁ、なんだろう、と梅崎は考えるが、何も思いつかなかった。そもそも梅崎自身も隠し事をしている身だ。宵宮の事を責めることも出来ない。
鍵の開く音、扉が開いて閉じる音が静かな空間に響く。宵宮が帰ってきたのだ。
「おかえりな・・・・・・」
そこで、言葉が途切れた。鈍い音が近づいてくる。
叩きつけるような音、暗い音、耳を塞ぎたくなるほどの、嫌な音。
出迎えなければと動こうとした足が止まる。息がしずらい。苦しい。怖い・
「ひ、」
動けない、それなのに音が近づく。怖い。
それでも無常にリビングの扉が開いた。扉の向こうから、黒髪が見える。
音が、大きくなる。
「ただいま」
宵宮の声すらも小さく聞こえるほどの音に、梅崎は耳を塞いだ。耳を塞いだところでどうなるということもないが。それでも幾分かはましだった。
「梅崎君?」
「あ、お、おかえ、り、な、さい、」
「どうしたの?顔色が」
宵宮の細い指が伸ばされて、びくり、と肩が震える。
「あ、」
目が、あった。
傷ついたような、悲しそうな、それでいて、興味のない顔
「調子、悪い?寝てても良かったんだよ」
「待ってる、っていったから」
叩きつけるような音が、不快な音が、頭の中に響く。うるさい、うるさい。
「でも、顔色が」
「宵宮さんが!嫌なことが!あったのかと思って!!」
「‥‥‥えっ」
一番強く叩きつけるような音が響いて、音が、止んだ。
梅崎が恐る恐る宵宮の顔を見ると、表情が抜け落ちた顔をしていた。生気のない顔、この世の全てに興味がないような顔。
「‥‥‥宵宮、さん?」
「・・・・・・今日は、もう、横になるね。待っててくれてありがとう」
梅崎の髪を宵宮がひと撫でして、部屋に入る。もう、音は聞こえなかった。




