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――視界を占めるのは氷の王と称される美しい顔の主。
……つまり、俗に言う「押し倒された」状況になった玲華だが、しかし身の危険を感じるような空気はなかった。
何故なら、玲華に覆い被さってきた龍綺は相変わらずの仏頂面で、その瞳にも強い欲や熱情といったものが皆目感じられなかったからだ。
ただ、互いの視線が絡み合う。
それだけの状況だったので、玲華はどこかのんびりと構えていた。このような体勢を作り出した彼の思惑には見当もつかないが、そのうち、飽きて離れてくれるだろうと。
(今更、私に何かしようと思うことはないでしょう)
今でも鮮明に覚えている。
最初に彼に言われた「俺たちは、これまでも、そしてこれから先も、愛し合うことはないだろう」という言葉を。
その言葉の選び方に、少々違和感を感じないでもなかったが、それでも彼はこれまで、その宣言を違わず実行し続けている。
(だから、大丈夫)
そう思っていたのだが。
(……)
龍綺の顔は、一向に遠ざかる気配はない。
それどころか、まるで口づけでも迫るかのように、少しずつ近付いて来る端正な顔。次第に玲華の中に焦りが生まれ始める。
(そんなことは、ないはず……でしょう?)
そう自分に言い聞かせるが――結局その、ある種の根比べに、玲華は負けた。辛抱たまらず、相手の唇に、玲華は両のてのひらを押し当てる。
「お戯れもそのくらいで」
平静を装いながら、やんわりとたしなめると、龍綺は頬を歪めた。
「顔色一つ変えないとは、可愛げもない」
そう言って鼻でせせら笑う。そのような龍綺の様子を見ながら、これは一体どういった類いの嫌がらせだったのかと考え、そして、こう思い至った。
綺麗な顔に迫られて、あたふたしたり、逆に夢見心地になったりした自分に対し「お前などに興味はない」とでも告げて辱めるつもりだったのではないか、と。
しかし、残念ながら彼の思惑に乗ることができない事情が、玲華の側にもあった。
「恐れながら龍綺様」
玲華は一呼吸置き、そして続けた。
「私は、綺麗なお顔の方を、結構見慣れているのです」
それは何のてらいもない、ごくごく正直な感想だった。
玲華は、国境の町で暮らしていた際、性別は違えど、この上なく美しい少女と友達だったのだ。美貌の主など見飽きる程に見続けてきたと言っても過言ではない。
だから美しいものを美しいと判ずる審美眼は身についていると思われるし、綺麗な者を見れば見惚れるのも確かだ。しかし、それで我を忘れるほど夢見心地にはなれない。
その証拠に、いまだ至近距離にある龍綺の顔をじっと見つめ続けていても「肖像画家は描き甲斐があるでしょうね」という冷静な感想しか抱くことができない。
確かに、多少顔を赤らめでもした方が、可愛げがあるのだろうが。
(万が一、私が恋心でも持ってしまったら、それこそ大変でしょうに)
そう考えれば、嫌がらせにしてもたちが悪い。今更ながら、相手に抗議の目を向けると、彼は漸く、体を起こし玲華から離れた。
玲華の険しい眼差しに堪える様子もなく彼は、
「相変わらず、気の利かない受け答えだな」
と皮肉るように言って、そのままくるりと背を向けた。どうやら、戯れはこれで終わりらしい。
その後、彼は決して振り向くことはなかったが、
「衣装の件、忘れるなよ」
としっかり念を押して行ったので、忙しい千早の手を借りることは決定事項となり、玲華は気の重い溜め息を漏らした。