第39話 実家と《聖女》
実家に帰ってきたのは、もう夜も遅くなってきてからだった。
星明かりは柔らかく、肌に触れる空気は少し冷たい。
レナと握り合っている手だけが暖かく、お互いの存在を感じ合うことが出来ている。
「…ただいま」
「おかえり、リゼル!」
出迎えてくれたお父さんとお母さんは、私の記憶の顔よりも10年ほど多く年を経ていた。顔に刻まれた皺の深さが、過ぎ去ってしまった年月を思い起こさせる。
古くて、粗末で、ぼろくて、そして暖かい家。
足を一歩踏み入れると、懐かしい思い出が蘇ってくる。
「…おじゃま、します…」
私に続けて、レナがおずおずと入ってくる。
粗末な家に似つかわしくない、キラキラと輝く《聖女》。お父さんとお母さんが、珍しい物でもみるかのような顔でレナを見つめている。
「手紙で話していたでしょう?同じ学園に通っている、私の同級生、レナ・ヴァルシオルテだよ」
「お父様、お母様、はじめまして…レナ・ヴァルシオテと言います…リゼル…さんには、いつも大変お世話になっております…」
まるで新婚相手の両親に挨拶でもするかのように、硬くなり、かしこまって話をするレナを見ていて、少しおかしくなってしまった。
そんな私の様子に気づいて、レナが少しむくれて肘で私をつついてきた。可愛い。
「これはこれは…何もないところですが、まずは座ってくださいな」
そう言って、部屋の中にうながす。
古くて、粗末で、ぼろい家だけど、掃除は隅々まで行き届いていて、変わらない暖かみを与えてきてくれる。
私をレナは椅子に座り、ようやく長い長い一日も終わるな、と思った。
お父さんとお母さんは、座った私の傍に来ると、目に涙を浮かべながら、2人でぎゅっと私を抱きしめてくれた。
痛い。
強くて、痛い。
でも痛みの中に、溢れんばかりの優しさが込められている。
「…10年…心配、したよ」
「…うん…ごめん…ごめんね」
抱きしめられた両親の手を触る。その手はカサカサしていて、昔よりひび割れていて、たぶん、すごく苦労したんだろうな、すごく心配かけたんだろうな、と思い。
私はうまい言葉をかけることが出来なかった。
10年。
私とレナが、飛ばされた年月。
失われたこの年月が、こんなにも重いものだったのだと改めて実感して、私は、ただ「ごめんね」としか言えなかったのだった。
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もう夜も遅かったのだけど、お母さんが簡単な食事を作ってくれていた。
つもる話はたくさんあるけど、今日はとりあえず、これを食べてゆっくりしなさい、と笑うお母さんの笑顔は、10年前と変わってはいなかった。
「…頂きます」
肉の少ししか入っていないスープ。少し冷めたパンをスープに浸して、柔らかくしてから口にする。
素朴で懐かしい、実家の味。
隣を見ると、レナも私を真似して同じようにパンを頬張っている。私の視線に気づいて、顔を真っ赤にして視線を逸らすレナのうなじが白くて、少しだけぞくっとする。
「ドラグーンさんのところに先に寄ったんだったっけ?」
お父さんもパンを頬張りながら、そう語り掛けてきた。ドラグーンさん…あ、そうか、レオンの実家のことか。
「うん、そうだよ」
「レオン君も、いい奥さんもらったなぁ」
お父さんはパンを呑み込み、腕組みをして、感慨深そうに言った。
「ヨシノちゃん、時々うちにも挨拶に来てくれるんだよ。本当、いい子だね」
お母さんが食卓の上にパンを追加していく。夜あんまり食べ過ぎると太ってしまう…なんて思ってしまうけど、久々の家族の味に、ついつい手が伸びてしまう。
「大きいお腹でやってきて、あんたの思い出話をしてくれるんだよ。それが嬉しくてねぇ。そろそろ臨月じゃなかったかな」
「私たちが行った時、ちょうど生まれたよ」
「あら、まぁ!」
それを先に言いなさいよ。
お母さんはそう言って私をたしなめる。いくつになったとしても、私は娘のままなんだな、と思う。
「今夜は遅いから、明日、また改めてお祝いに行かなきゃいけないねぇ」
「男の子だった?それとも女の子だった?」
「女の子。くしゃくしゃな顔だったよ」
「あんただって、生まれた時はそんなだったよ」
お母さんは両手で顔をつぶして、くしゃっとして私を見て笑う。私は「そんなー」と言い、隣のレナも嬉しそうに笑っている。
「ま、これでドラグーンさんのところも一安心だな。よかったよかった。次は、お前だな」
当然のように、お父さんはそう言った。
私は言葉を詰まらせる。
「早く孫を見せてくれよ。お父さんもお母さんも、もう若くないんだからな」
お前の子供を見るまで死ねないけどな、と言って、お父さんは笑った。「あらまぁ、お父さんったら」と言いながら、お母さんも笑う。
笑いながら、パンを食べながら、団欒しながら、優しくて思いやりがあって、そして冷たい言葉が私にかけられる。
「それで、リゼル。お前、いい人いないのかい?」
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深夜。
10年ぶりの、私の部屋。
床には布団が2つしかれていて、窓からは月明りだけが入ってきている。
薄暗い部屋。
耳をすませば、遠くから梟の鳴き声が聞こえてくる。
2つ敷かれた布団のうち、片方には誰も入っていなかった。
私とレナは同じ布団に入っていて、少し狭いから、抱き合って身を寄せ合っていた。
「…ごめんね」
いったい、今日は何回あやまったのだろうか。
いろんな所で沢山謝ってきたけど、今、この瞬間が一番、つらい謝罪の言葉を生み出している時だった。
「…謝らなくていいよ、リゼル」
そう言って、レナは私をぎゅっと抱きしめてくれる。
レナの匂いがする。私の好きな、レナの匂い。
(それで、リゼル。お前、いい人いないのかい?)
この質問に、私は答えることが出来なかった。
お父さんとお母さんの顔を見ていると、どうしても、本当の事をいう事が出来なかった。
(いい人、います)
この子です。
私の隣にいる、この金髪の優しい女の子が、私のいい人です。
言えなかった。
本当は、ちゃんと正直に、真実を伝えた方がいいと分かっているのに、それでもいう事が出来なかった。
私はいつから、こんなに弱くなったのだろうか。
お父さんにも、お母さんにも、レナにも、そして私にも、誠実でい続けることはどうしてこんなに難しいんだろう。
「いいんだよ」
抱きしめてくれるレナの力が強くなる。私を包み込んでくれている。その手が少し震えているのも分かるけど、あえて、気付かないふりをする。
「私ね、リゼルが、大好き」
耳元でそっと囁いてくれたその言葉は、嬉しくて、私の脳みそをどろりと溶かしてくれたかのような甘美な味わいだった。
「でもね、私のせいで、リゼルに迷惑をかけるのは嫌なの」
「迷惑なんか…ないよ」
「ううん。それでもやっぱり、私たち、普通じゃないから」
女の子と、女の子だから。
ヨシノみたいに…出来ないから。
リゼルのお父さんとお母さんを、喜ばせることは、出来ないから。
「レナ…」
「でも、ね」
頭で分かっていても、止められない。心にはどうしても、嘘がつけない。私のせいでリゼルが苦しむと分かっていても、それでも、この気持ちを止めることが出来ない。
「好き」
《聖女》失格かもしれないけど、正しくないかもしれないけど、でも、そんなの関係ない。
「…好き。好き。好きなの」
しかも、見返りを求めないっていう、綺麗な「好き」じゃないの。悪いと分かっていても、相手を破滅させるかもしれないって分かっていても、それでも、私は。
「…リゼルが、欲しいの」
駄目で、悪くて、いけない女。
見返り求める女。
そう言って、震えながら私を抱きしめてくれるレナの身体は暖かくて、柔らかくて、いい匂いがして。
私も、手を回して、レナをしっかりと抱きしめる。
「悪い《聖女》だね、レナ」
「…私のこと、嫌い?」
「私が絶対に嫌いって言わないって分かっているのに、あえてそんなこと聞いてくるレナは、本当に悪い子だよ」
2人で布団に潜り込み、月明かりの届かない暗闇の中に包まれる。
吐息が近い。
暗くて、はっきりとは見えないけど、私もレナも、たぶん真っ赤な顔になっている。
「リゼル、一緒に、地獄に落ちてくれる?」
「…私は《不死》だから、死ねないよ」
「じゃぁ、私の為に、《不死》を無くして」
なんて我儘な《聖女》なんだろう。
レナはそう言うと、顔を近づけてきた。
レナの吐息が私の鼻腔をくすぐり、匂いが充満して、そして。
「ごめん、リゼル。私、我慢できない」
といって、そっと、唇を重ねてきた。
キス。
レナとの、キス。
《聖女》と《不死》のキス。
世界で一番綺麗で、そしてたぶん、世界で一番醜悪なキス。
長い、長いキス。
永遠とも思える、一瞬がずっと続く。
レナの唇は、柔らかくて、そして。
ちょっと、どろりとした、味がした。
「…ぷはぁっ」
キスが終わったのは、ロマンチックな時間が流れたからではなく、ただ単に、もう2人の息が続かなくなったからだった。
2人で布団をはねのけ、月明りに照らされながら、お互いの顔を見て、笑う。
「ヨシノちゃん、お母さんになってたね」
「うん。赤ちゃん抱いてて、なんか別の人みたいだった」
「レオンくんも、お父さんになったね」
「なんか2人が、遠いところにいったみたいだった」
言いながら、また抱き合って、布団の中でごろごろする。
「あのね、リゼル」
「なに、レナ」
「変なこと、言ってもいい?」
「どうせ止めても言うよね?」
「うん」
「あはは。どうぞ」
「私ね、リゼルの赤ちゃん、産みたい」
「…っぷ」
あはははっはは。
なに、それ。
《聖女》が言っていい言葉じゃないよ。
「…そんな、奇跡みたいなこと…」
「奇跡、おこそ」
レナがまた抱き着いてきて、そして、またキスしてくる。
私はそれを抵抗することなく受け止める。
抵抗どころか、積極的に、受け止める。
「…ん」
今度のキスは、さっきより短かった。
私たちもちゃんと学習して、成長するのだ。
レナは私をぎゅっと抱きしめて、その柔らかい胸を私に押し当てて、そして、表情が見えないまま、私の耳元で口を開いた。
「…一緒に、おばあちゃんになろう」
「…レナ」
「…リゼルの《不死》、なんとかしたい…それが奇跡でしか成せないことなら、奇跡、おこそう…頑張ろう…頑張ろう…私、頑張るから…」
好き。
ただ、それだけの理由。
理屈もなく、倫理もなく、論理もなく。
世界のためでも、平和のためでも、正義のためでもなく。
個人的な、感情だけで。
「奇跡、おこそう、ね」
そんな事をのたまうレナは、私にとって、本当の、
「…うん」
《聖女》、だった。




