16話 鬼のお姉ちゃん
ひたすら黒蝶を追いかけていると、蝶は渡り廊下を通り抜け、所謂「旧校舎」と呼ばれる学校内でも古い敷地へとやって来た。勿論旧校舎というだけ有って、こちらには生徒はあまり居ない。それを狙ってこの蝶は誘っているのかもしれない。伊澄はあまり訪れた事の無い旧校舎を見渡しながらも、見失わないようにその後を歩き続けた。
そして蝶が一つの扉にパタリ、と止まって羽を休めた。扉にも周りにも何も記載されていないので只の空き部屋なのかもしれない。
「…ここに入れってこと?」
周りに人がいないのを確認し、蝶に向かって問いかけるが返答は無い。この場合無言は肯定と見做す、という事で良いのだろう。憂子からの何らかのアクションだとは思うが、伊澄はまだ気配などで察知が出来ないので、一番を連れてこれば良かったなと少し反省した。
そして扉を開けると、中は予想通り何も置かれていない空き教室だった。その中にぽつんと立っている存在があまりにも華やかで異質だが、その表情を見て伊澄は更に驚いた。
「えっ!?ちょ、ちょっと、何で泣いてんの?」
その異質な存在とは此処まで誘導したのであろう憂子の事なのだが、学校という場所に似合わない着物の出立ちの美女が更に涙を流して立っているのだから、思わず慌ててしまっても仕方ないと思いたい。伊澄の知る憂子の様子と言えば、全てを知っているような余裕綽々の口振りと振る舞いで上品にかつ楽しそうに笑っている印象しか無かったのだ。
「あぁ、儂嫌われてしもうたかも、どうしよう?あれは確実に怒らせてしまったと思うんじゃが。伊澄や、どうしたら良いのかのぅ」
「私何も分かってないんだから、まずは説明してくれないと分かんないってば。とりあえず落ち着きなよ」
「儂はただ見守っているだけだったんじゃよ、見ているだけならば許されるだろうと思ってずっと見ていたんじゃが、それも迷惑だったのか…?どうすれば許してくれるかのう」
「一旦落ち着いてってば!鬼ともあろう奴が狼狽えない!」
「う……」
憂子があまりにも話を聞かないので伊澄は喝を一声入れた。
本当に前回会った妖怪と同じなのだろうか、と疑いたくなる程今の憂子は弱々しい。慌てて捲し立てるのは落ち着いたものの、いまだにぽろぽろと涙を溢している。容姿がいやに整っているのでその様子ですらも絵になってしまうのが伊澄は少し腹ただしくも感じた。
これは少しずつ話をほぐしながら聞いたほうが良いだろう。伊澄はふぅ、と一息ついてから話し出す。
「まず、さっきの私と四鬼宵人の会話は聞こえてた。って事で合ってる?」
「…そうじゃ。四六時中そうしている訳では無いが、あの蝶を通しての光景をみたり聞いたりする事が可能でな」
「そう。それじゃあ憂子…さん、は」
「お主にさん付けされるのは変な感じがするので憂子、と呼んでおくれ」
「あっそう…」
ぐすぐすと鼻を啜りながらも憂子は自分の要望も伝えていた。この部屋に入った時よりは少し落ち着いて来たのかもしれない。
「じゃあ憂子が今こんなに泣いてるのは、あの会話を聞いて泣いてるの?」
「うぅ、うぅ、あのような怒った顔を見たのは久しぶりじゃ。ただでさえ離れていると言うのに、これ以上嫌われてしまったら儂はもう生きてゆけん…」
「あんた鬼の族長なんでしょ、しっかりしなさいよ…」
伊澄の問い掛けを聞いて、あの時の様子を思い出したのかまたわんわんと泣き出してしまう。
「というか、私が一番聞きたいのはそこなんだけど。あんたと、四鬼宵人。ただの知り合いとか顔見知りって訳じゃないんでしょう?」
「でも儂が告げ口したとバレてしまったら、また更に怒られてしまうやもしれん…!これ以上嫌われるような事はしたく無いんじゃ」
「分かった、憂子から聞いたって事は言わないから」
「約束してくれるかえ…?」
「わざわざあいつに言わないってば!鬼の族長ともあろうものがまるで小さな子供みたいね…」
あまりの様子に伊澄は呆れが隠せない。彼女は皆が恐れ崇める鬼の族長であると言うのは実際に身を持って体感してはいるが、この様子ではあまりにもその威厳が感じられなかった。
そして、いまだ溢れる涙をそっと長い爪で拭き、すんと鼻を啜ってから憂子は話し出す。
「あの子がまだ告げていないのであれば儂からは言うまいと思うておったが、此処まできたらまどろっこしい言い方は無用じゃろうな。儂と宵人は、実の家族。宵人は同じ血を分けた実の弟だったんじゃ」
「弟だったってことは、つまりあいつも元々は鬼だったって事?」
「無論。…まぁ、お主もお察しの通り今は鬼でも何でも無いが」
伊澄の質問に比較的落ち着いた様子で話す憂子は、何とも言い難いような表情をしていた。悲しみも怒りも、愛おしさも全て混ぜ込んだような。そんな表情だった。
「皮肉なものだとは思わんか?目に入れても痛くない程可愛い弟が命を落として、更にこの世に同じ姿と名を持って生まれたと言うのに。もうあの子は血も繋がってない人間だなど…。最初は悲しみと憎しみでどうにかなりそうじゃった」
「憎しみって、誰に対して」
「…あの子の今の家族に。何も知らない人間風情が、宵人の家族と成り、一緒に暮らして。儂の大切な弟を返せ、などと妖怪らしい事も考えたものじゃよ」
痛々しい、と伊澄は思った。強大な妖鬼であると言うのに、今目の前に居るのはただの「弟想いのお姉ちゃん」だ。
憂子に初めて対面した時、彼女は「同じ速度で同じ時間を生きる事の出来ない自分に、人間達の邪魔は出来ない」と言っていた。そんな彼女が人間を妬んだ事もあったのか、それは彼女にとってどれ程の苦しみだったのだろうか、と考えて伊澄は胸が痛む。
「でも憂子は何もしなかったんだね」
そしてその計り知れない悲しみも苦しみも怒りも全て抑えて、今を生きる最愛の家族の為に見守る事を選んだのだろう。
「元より儂が構い過ぎるせいであの子は冷たかったしのう…。それに鬼とは違って暖かい家があって生活があって、周りと殺し合う事も無い。鬼の長の弟として比較される事も何も無い自由の身じゃから。結局どこにいても幸せで居て欲しかったんじゃ」
「弟の方はいつからあんたの事に気付いてたの?」
「宵人は物心着いた頃から記憶が有ったし、それ故にあやかしの類も見えるようじゃったからなあ。感の良い子じゃ、ずっと気づいておったのかもしれんな」
「ずっとお互いに気にしてるのに一回も話してないの?」
そっと頷く憂子を見てあまりの焦ったさに伊澄は驚いた。が、あの宵人の様子を見れば憂子の気持ちも分からなくもない。憂子も憂子であれくらいでわんわんと泣くような姉だ。弟の幸せを願い、そしてご機嫌を取るためでもあったのだろう。
「伊澄も見たじゃろう?見ているだけでも怒られたのに、直接会いになんて行ったら儂もう立ち直れなくなると思わんか…?」
「急に自信無くさないでよ、家族なんでしょう。私は一回ちゃんと顔合わせて話したら良いと思う」
それに、今のままでは憂子があまりにも可哀想だと思った。長く生きているせいで、周りの最期を何度も見送り、自分は生き残り。挙句弟に嫌われたままというのは憂子だけ悲しみが大きいままだろう。
「私はまだあんたの事も、あんたの弟の事も全部思い出せて無いけど…。協力する、憂子を四鬼宵人に会わせる」
「ほ、本当に大丈夫なのか…?」




