八月 体験(1)
夏休みがはじまり、全ての宿題も終えた八月の上旬、ボクは子供センコさんと一緒に、エアコンを効かせた居間の座布団に座り、ちゃぶ台を囲んで棒状のソーダアイスを食べながら、テレビ画面に映る、夏休みの行楽シーズンのニュースを眺めていた。
「主は夏休みに何処か行きたいのか?」
「今回の夏は別にいいかな。三月には南の島に行ったし、先月には宇宙にも行ったから、しばらくのんびりしたいよ」
最近のことを思い出すと、結構ハードな月日を過ごしているものである。そろそろ平穏な日常が恋しくなってきた。
そのとき、玄関のインターホンがピンポーンと鳴り、センコさんが席を立とうとする。
「ああいいよ。ちょうどアイス食べ終わったから、ボクが出てくるよ。多分宅急便か何かだと思うし」
実際、センコさんが綾小路家に引っ越してからは、セールスや宗教関係の人は、ただの一度も訪れていない。本人が言うには、そのような守りを施しているらしい。
「はーい、今出ますね」
もう一度ピンポーンと鳴ったので、小走りに玄関まで行って、素早く扉を開けると、そこには先月に見たばかりのディアナさんが、夏の暑さにやられて汗をかきながらも、笑顔で玄関前に立っていた。
確か如月家と連合の協定では、受け入れ体制が整うまで、これ以上の無用な混乱を避けるために、調査員の派遣や地球への干渉は禁止になってたはずだけど、どうしたのかな?
「こんにちは、…幸子」
「ディアナさん? とにかく、外は暑いので家の中にどうぞ」
彼女はこの国の夏の暑さには慣れていないのか、青い髪だけでなく全身が汗びっしょりである。
会社のOL風のスーツ姿なのは目立たなくていいけど、女性として色々見えてはマズイところが透けて見えてしまっているし、顔にかかっているメガネも、微妙に曇っているように見える。
こんな美人さんが透けた衣服を着たまま大通りを歩けば、性欲を持て余した男性連中に即刻裏路地に連れ込まれるか。ハイエースに乗せられて誘拐待ったなしである。
取りあえず、玄関で脱いだ靴を揃えてもらい、詳しい事情を聞きたいのはやまやまだけど、まずは濡れた服を脱がせて、シャワーを浴びてさっぱりしてもらわなければと、風呂場に案内する。
「取りあえず、まずは汗で濡れた体をお湯で流してもらうけど、シャワーの使い方わかります?」
フルフルとディアナさんが首を振ったので、どうやらわからないらしい。仕方ないので、お風呂場に入る前に身振り手振りで教えようと思ったけど、そこまで考えて止める。
「わかりました。ボクが同行して直接教えますので、ディアナさんは今は指示に従ってください。いいですね?」
もしも地球の道具に慣れてないディアナさんの超パワーで、蛇口や風呂桶をうっかり壊してしまったらと思うと、怖くて任せられなくなったのだ。なので一度ぐらいは、直接見本を見せておくことにする。
「まずは体を洗うために服を…って、……うわぁ」
流石に服を脱ぐことはわかるのか、すんなりと裸になってくれたけど、同性が羨むぐらいのパーフェクトスタイルに、女の子にもかかわらず、ボクはゴクリと生唾を飲んでしまう。
「じゃっ…じゃあ、服は加藤さんの物を借りことにして、ディアナさんの服って、洗濯機で洗えるのかな? 特殊な洗剤とか手洗いじゃないと駄目とかは?」
「平気よ。地球の環境程度で破損する程、やわに出来ていないもの」
どうやら大丈夫らしいので、ディアナさんが着てきたOLの服と下着を洗濯ネットに入れて放り込み、蓋を閉めてボタンを押し、いつもの液体洗剤を流し込むと、やがて水の流れる音が聞こえてきた。
一段落したので、続いて腕と足の先をしっかりまくりあげて、抜群の肢体を誇るディアナさんに、お風呂場に入るように指示する。
「ええと、この蛇口を回すとお湯が出て、こちらを回すとお水が出るんだけど、実際にやってみるから見ててね。いつもは浴槽にお湯を張るんだけど、今回はシャワーで済ませるから。あと、力を入れ過ぎると壊れるから気をつけてね」
「へえ…面白いわね」
ディアナさんはボクの説明を興味深そうに聞いている。そしてシャワーが温かくなったことを確認すると、彼女に風呂椅子に座らせる。
「取りあえず髪から洗うけどいいかな? シャンプーとリンスが目に入るかもしれないから、しばらくの間、目を閉じててくれるかな?」
「わかったわ。幸子、お願い」
自分の手にシュコシュコと薬液を垂らして、次にディアナさんの青い髪を軽くお湯で流したあと、丁寧に洗っていく。しばらく無言が続いたけど、
はじめての洗髪の経験に彼女は嬉しそうだった。毛先までしっかり擦り、仕上げのリンスも済ませたので、最後にもう一度シャワーで洗い流す。
「これで髪は終わりだけど、次は体を洗いたいんだけど、触ってもいいかな?」
「ええ、ありがとう。幸子に任せるわ」
何だか知らないけど、信頼してくれているようだ。見るとディアナさんは洗い終わった自分の髪に触れて、うっとりと見惚れていた。
ボクはシャコシャコとボディソープをスポンジに垂らして、準備を済ませる。
「それじゃ、洗うよ。本当にボクに洗わせちゃっていいの? 何なら手順を教えるけど?」
「幸子に全てを任せるわ。遠慮なくどうぞ」
瑠璃ちゃんやエリザちゃんならいざ知らず、大人の女性の肢体に触れるのは恐れ多いのだ。それがディアナさんのような、そんじょそこらのモデルよりも飛び抜けて綺麗な人の体を、ボクのような小娘が洗ってもいいものかと思ってしまう。
しかしまごついていてもはじまらないので、意を決して突撃する。
「あっ…んっ…!」
スポンジがわずかに触れるだけでディアナさんの口元から艶めかしい声が漏れる。やはり彼女は、直接体を洗う習慣そのものがないのかもしれない。
きっと体外の老廃物ぐらい、母艦の設備であっという間に取り除いてしてしまえるのだろう。
「幸子…私は大丈夫…つっ…続けて…んっ!」
ボクがスポンジで擦るたびに、何かに必死に耐えるようなか細い声を漏らすディアナさん。その喘ぎは紛らわしいから止めてもらいたい。
取りあえずは、表面的な部分は全て洗い終わったので、そこで一度止める。
「はぁ…はぁ…幸子、そんな…どうして…止めてしまうの…?」
「ディアナさんにスポンジ渡しますから、あとは全部自分で洗ってくださいね」
何故かすごく困惑の表情だけど、ボクの役目はここまでである。
これ以上ディアナさんの胸元に実る、大きくて柔らかな二つのメロンの表面にスポンジを滑らせ続けると、持たざる者の目からは、ハイライトが完全に消えてしまうのだ。
「えっ? …え?」
「残るは胸元もそうですけど、女の人の下半身などのデリケートな部分ですから、自分で洗ったほうがいいんですよ」
納得は出来るけど、絶対に納得したくないという微妙な表情で、彼女は渋々スポンジを受け取る。
「そうね…そうよね。ええわかったわ」
「あとシャワーの使い方はさっき教えましたから、あとはもうボクがいなくても、ディアナさん一人で出来ますよね?」
「………」
何か受け取ったスポンジを見て真剣に考え込んでいるようで、ディアナさんからの返事がない。
「ディアナさん?」
「ええ、ありがとう幸子、おかげで助かったわ」
気のせいかディアナさんのほうから、熱っぽい吐息がこちらにかかるんだけど、まさかまた熱中症にでもかかったのだろうか。
「脱衣所にディアナさんの仮の着替えと、バスタオルを置いておきますから、シャワーが終わったら使ってください」
「わかったわ。何から何までありがとうね。幸子」
「どういたしまして。ボクは居間にいるので、洗い終わったあとの詳しい話はそちらで」
そして彼女に背を向けて、浴槽の扉に手をかけると、ディアナさんはまだ何か話があるらしいので、ボクは振り返らずに返事だけを返す。
「ああそうだ。幸子にどうしても言わないといけないことがあるの」
「何ですか?」
「体を洗うの、少し時間がかかるけど、気にしないでね」
どうしても言わないといけないことと聞いて、少しだけ緊張したけど、そこまで深刻な内容ではなかったので、ホッと胸を撫でおろす。
「ああ、そんなことですか。ディアナさんは、体を洗うのははじめてみたいだから当たり前ですよ。じゃあ、ボクはこれで」
「うふふ、はじめて…確かにはじめてよね。こんなに気持ちいい経験はぁ………んっ!」
結局浴槽から出るときに、ディアナさんの顔は見えなかったけど、最後の言葉が妙に熱がこもっていた気がした。
ともかく、今は着替えとバスタオルを用意しなければと、加藤さんの部屋へと急ぐのだった。
結局ディアナさんは一時間近くもお風呂場で体を洗い続けていた。ボクは何かあったのではないかと心配して、途中何度も確認に行こうかと思ったら、センコさんが、主は行かんでいい。あれでも若い女じゃ。今はそっとしておいてやるのじゃ…と、遠い目をして止められてしまった。
長時間のシャワーを浴びてさっぱりとした彼女は、物凄く満ち足りた表情を浮かべていた。それと何というか、全体的にとてもツヤツヤと輝いていた。きっと自分の体を念入りに洗ったおかげだろう。
「麦茶です。よかったらどうぞ。外は暑かったでしょう?」
「ええ、シャワーありがとう。それと、麦茶いただくわね」
ボクはお風呂場から加藤さんに借りた服に着替えたディアナさんに、適当な席に座ってもらい、冷蔵庫から麦茶を出して透明なガラスのコップに注ぐ。
しかし改めて見ても大きい。お手伝いさんも小さくはない年相応の標準サイズのはずだけど、彼女にとってはお胸とお尻の部分が今にもはちきれそうなぐらいにパッツンパッツンとなっており、とても窮屈そうであった。
やがて冷たい麦茶を一口飲むと、彼女は何故か驚愕の表情してすぐにコップを置くと、かけているメガネに指先でニ度、三度とそっと触れる。
「こんな地球の何処にでもある薄茶色の飲み物が! 飲みやすくて! おっ美味しい! とにかく測定開始…娯楽力、千…二千……三千!? 嘘っ! まだあがるの!?」
しばらくディアナさんは目の前の麦茶を色んな角度から見たり、舌先でペロリと舐めたり、不審な行動を繰り返していたけど、コップに注いだ分をゴクゴクと美味しそうに飲み干すと、ようやく落ち着いたようで、ボクは頃合いを見計らい、気になっていたことを切り出した。
「それで、ディアナさんは今日はどうしてここに?」
「それは、幸子のお家が私のホームステイ先なので、しばらくの間泊めてもらうつもりで来たの」
え? 何だって? 突拍子もない内容のせいか、よく聞こえなかったんだけど。
「すみません。もう一度、今度は詳しくいいですか?」
「幸子のお家は、連合のホームステイ先の一つとなっているの。そして、私がテストケースとして第一陣の権利を勝ち取り、先程この場に到着したのよ。それと、シャワーありがとうね! 気持ちよすぎて思わず昇天するかと思ったわ!」
どうやら夢ではないようだ。確かにホームステイ先は如月家で面倒を見ると契約した。
そしてボクが養子に入っている以上は、綾小路家も候補地の一つとなっていたのだ。
特にこの家の周辺地域は、何故か如月家の総力をあげて定期的に掃除を行っているので、治安が物凄くいいと麗華さんに聞いている。
それとテストケースというのは、まずはボクと面識のあるディアナさんを派遣して、ホームステイ中に発生する問題の、すり合わせを行うということなのだろう。
しかし最後の無駄な力の入れようは、本当に必要だったのだろうか。
「大体わかりました。でも、近くまで来たなら、連絡をくれれば迎えに行ったのに…」
「私は幸子と親しい間柄だけど、電話番号を知らないことに、近くまで来てから気づいたから、…ごめんなさい」
このお姉さん、見た目以上におっちょこちょいかもしれない。ボクは何となくだけど仲間意識を感じた。
ちなみに連合が如月家にお世話になることで、最初は当主さんも自分のお金でやりくりするので無償でいいと断ったけど、結局渋々ながら折れて、超技術の代わりに適当な宙域で拾った、地球にあっても不思議ではない資源を渡している。
ダース艦長にとっては、これそこら辺に落ちてた綺麗な石ですけど、よかったらどうぞ的な意味になるらしく、もっといいものがいくらでもあるのに! 何で受け取ってくれないんだ! と不満気だった。
そしてもう片方の当主さんは、せっかく年々増え続ける使い道のなかった埋蔵金の、捌け口が出来たと思ったのに! これ以上儲けを増やしてどうしろっていうんだよ! と、こちらも不満気な顔をしていた。
しかし、最近は長年塩漬けになっていた広大な土地や物件が少しでも処理出来ればいいやと、少しだけ前向きに考え、今は連合の皆さんの宿泊地関係のお仕事を頑張っているようだ。
そんな二人共、似たり寄ったりで仲がいいなと考えながら時計を見ると、もうすぐ昼の十二時になることに気がついた。
「そろそろお昼にしましょうか。歓迎するべき立場のディアナさんに出すのは、本当に恥ずかしいんです。いつもは家政婦さんに任せきりですけど、今日はボクが素麺を茹でる日なんですよ」
毎日家政婦の加藤さんや、センコさんに食事を用意してもらっていたけど、長期休みということでほぼ一日中家にいるので、ボク自身が家事を行う余裕も出来た。それで夏の間、二人には休暇を取ってもらっているのだ。
しかしこの話をしたとき、二人は急に怒り出し、何処かの労働組合のように、休日反対! 我々に家政婦として働く機会を! 我々の生きがいを奪うな! 欲しがりません! 勝つまでは! 等とかかれたプラカードを掲げ、綾小路家の居間に籠城したのだ。
ちなみに立て籠もり期間中も、家政婦のお仕事は完璧にこなしていた二人なのだった。
そこまで反対されるとは思わなかったボクは、このまま甘やかされては将来自立出来なくなってしまう! 少しだけでも家事をさせて欲しい! と、必死に頼み込んだ。
結局、壁に回転する巨大な的を設置し、夏休み期間中の毎日の朝昼晩に分かれて、誰が家事を行うのか、ダーツを投げて決めることになった。
名義上は二人の雇い主であるボクが決定権を持っており、ダーツを投げる役だったけど、自分の当番が当たる割合は恐ろしく少なかった。大体円の全体の一割にも満たない広さしかなかったのだ。残りはセンコさんと加藤さんが、ほぼ半分ずつを占めていた。
しかも何故かタワシやパジェロと書かれた面積もあり、そちらのほうがボクの当番よりも広かった。…結果は当然惨敗であった。
そのような経緯があり、今日はたまたまボクがお昼ご飯を作る番ということだ。
「それじゃ、準備してくるから、二人はゆっくりしててよ」
麺つゆは市販のものがあるし、野菜を用意して麺を茹でるぐらいなので、一人分増えたぐらいでは、強制的に自炊をせざるを得なかったボクには、簡単なことである。
しかし、ここ最近は炊事は行ってなかったので、怪我に注意してかけてあったエプロンを身に着けて、油断せずに棚から、主専用と書かれた子供用包丁を取り出す。
「それで、何で二人が後ろにいるの? 休んでてくれていいのに」
「妾は主が、包丁で怪我をしないか心配なのじゃ」
「私は地球の料理に興味があるから、観察させてもらうわ」
よく考えればセンコさんの加護があるので、包丁ぐらいでは怪我をしたりはしないのだろうけど。どれだけ過保護なのだろうか。この銀狐っ子は。
ディアナさんは興味があるのはわからなくはないけど、そんなに至近距離でジロジロ見られると、気が散って集中できない。
「はぁ…別に見てるのはいいですけどね。でも邪魔はしないでくださいね」
早々に諦めて二人のことは気にせずに、ガスコンロでお湯を沸かしている間に、ザルとお椀を用意して、順番に野菜を切っていく。サクランボを入れようか迷ったけど、今回はキュウリだけで済ませることにする。
やがてお湯が沸騰したので素麺の束をほどき、さっとほぐしながらタイマーをスタートして茹でる。
「はい、出来ましたよ。お昼は簡単にすみませんけど。せっかく二人がいるんだから、お皿とか色々と運んでもらっていいですか?」
「了解なのじゃ!」
「これから居候としてお世話になるから、よろこんでお手伝いさせてもらうわ」
麺つゆの準備も出来ているので、軽く水を通してガラスの深皿にまとめて入れる。あとはそれぞれが好きなように食べればいいのだ。
三人並んで居間のちゃぶ台に食事を運んでいく。
「朝食の残りで悪いけど、煮物とおひたし、あとは白米もあるから、もしよかったらどうぞ。それじゃ…」
「「「いただきます!」」」
実際は、いただくのじゃ! いただくわ! と分かれたけど、細かいことは気にしない。食事は美味しくいただければいいのだ。
ボクとセンコさんは食べ慣れているのでいいけど、ディアナさんはこちらの食べ方を見てから、慎重に口に運ぶ。
緊張しながら何度か咀嚼すると、一瞬カッと目を見開き、驚いたような顔をして、勢いよく素麺をすすりはじめる。連合の人の口に合うか心配だったけど、気に入ってもらえたようでよかった。
「ディアナさん、連合だと素麺のような食べ物はないの?」
「ええ、こんな食べ物はないわ。というか、食事の習慣もないわね。せいぜい味のついた栄養ドリンクか、小型のカプセル剤を飲むぐらいよ。それだけで生きるために必要な栄養は問題なく摂取出来るから、とても効率的で健康にもいいのよ」
おーう…連合は完全なディストピア食だったようだ。流動食と固形カプセルだけとは。食に重きを置く我が国では信じられない暴挙にあたるだろう。通りで母艦でお茶を要求したら、苦い青汁が出てきたわけだ。
ディアナさんが欲しければあげるけど? と言ったけど、丁重に断らせてもらった。
「んっ…それにしても、素麺…って、言った…かしら? 地球人が、ずる…食事を摂ることは知っていたけど、はふ…実際に食べてみてわかったわ。ちゅるっ…これも…娯楽の一つだったのね」
ディアナさん、喋るのか食べるのか、どちらか一つにしてもらえませんかね。テーブルマナーに縛られずに、本能のままに食べているせいか、麺つゆが周りに飛び散ってます。実際にちゃぶ台には黒い鰹出汁の水たまりがそこかしこに出来ており、酷い有様である。
「ふぅ…私だけではなくて、連合から見た娯楽とは、遊び…つまり地球上のゲームやスポーツだけだと思ってたけど、これは奥が深いわね。いい勉強になったわ」
自分の分をあっという間に食べ終わって一呼吸したディアナさんは、喋りながらも、視線はボクとセンコさんの残った素麺から全く動いていない。
「今すぐ茹でてくるから、ちょっと待っててね」
「悪いわね幸子、その間に私は母艦に報告しておくわ。シャワーもすごかったけど、この食事という娯楽は、ぜひとも私たち連合でも取り入れるべきよ!」
食事もいいけど、食べるときのテーブルマナーも一緒に取り入れてもらいたいんだけど。
興奮気味に母艦と連絡を取りながら、残った目の前の素麺を、メガネでの測定は元より、何処からか取り出したデジタルカメラのような機械で撮影を続けるディアナさんに、現在お食事中のセンコさんは鬱陶しそうな視線を送っていた。
やがて二回目、三回目の素麺を茹で終わり、ディアナさんが満腹になって動けなくなったため、ようやく昼飯の時間が終了した。
「うっぷ…あとで、食べ過ぎには十分気をつけるべきだと、報告書もあげておかないと」
「たくさん食べたね。これは食後のデザートは無理そうだし、もう少しあとに出そうか?」
「そうじゃな。主と妾だけで先にいただくとするかのう」
座布団の上に横になり、動けないディアナさんを放置して、食器の片付けを終えたボクとセンコさんは、デザートを冷やしてある冷蔵庫のほうに向かう。
「待って! 幸子! 私はまだやれるわ! 母艦の皆が私の報告を待っているの! 連合のエリート調査員として、こんなところで終われないわ!」
ディアナさんは一体何と戦っているのだろうか。しかしデザートは一個の量が少ないので、そこまでお腹を圧迫しないだろうと思い、結局彼女の分も用意することにした。
「はい、朝に冷やしておいたコーヒーゼリー。甘さ控えめだから、クリームをかけて調整してね」
市販のアイスコーヒーを固めた簡単なデザートだけど、夏場の食欲のないときにでも、これならスルスル入ってくる。砂糖控えめの大人っぽい味である。
カップとスプーンを三人分、ちゃぶ台の上に並べる。クリームは使い切りタイプである。
「じゃあ、いただこうか……な?」
自分の席について、さあ食べようと思って顔をあげたボクは、一瞬で自分のカップを食べ終わり、次の標的に狙いを定めているディアナさんの姿が目に入る。
「ええと、…ボクのコーヒーゼリー食べます?」
「幸子、いいの?」
「はい、暑さのせいかどうも食欲がなくて…」
女性らしくデザートは別腹だとでも言うのか、ボクは自分の分のコーヒーゼリーを、そっとディアナさんのほうへ差し出す。
彼女は待ち望んだ恋人とようやく会えたかのような表情で、喜々としてスプーンを高く上げ、二個目を平らげようとした。
けれど、そこで調査員の仕事を思い出したのか、またも興奮気味に母艦と通信を行い、デザートの情報収集を先程よりも真剣に行う。ディアナさんも女性らしく、甘味が好きなのかもしれない。
やがて二個目のデザートも胃の中に消えて、エリート調査員さんは至福のひと時を味わい終わった。
「ごちそう…さまでした」
「お粗末様でした」
片付けも全て済んだので、ボクたち三人はちゃぶ台を挟んで向かい合う。まだ決めなければいけないことが、色々と残っているのだ。
「それで、ディアナさんは綾小路家に泊まるって聞いたけど、その間の着替えや荷物はどうするつもりなの? 見たところほぼ手ぶらのようだけど、もしかして現地調達?」
「母艦からいつでも転送してもらえるので、わざわざ重い荷物を持ち歩く必要はないの。調査用の記録端末は仕事上手放せないんだけど。部屋が決まったら色々送ってもらうつもりよ」
流石は連合の超技術、ディアナさんはさらりと答えたけど、これだけでも地球の流通業者は廃業待ったなしである。
「そっかー。じゃあ使ってない部屋をあとで案内するから、適当に選んでもらおうかな」
「ええ、そうさせてもらうわ。これからよろしくね。幸子、センコ…さん?」
「何じゃ? 小娘」
これからよろしくと、お互いに挨拶をしたところまではよかったけど、センコさんを見るディアナさんが、何やら怪訝な表情をしている。
「センコさん、変なことを聞くけど、貴女…ご家族でお姉さんか、お母さんはいるのかしら?」
「おらぬな。今は妾一人だけじゃ」
「そうなの? じゃあ、あのとき会ったセンコさんは別人? それにしては似過ぎているわね」
ブツブツと小さく呟きながらうつむき、真剣に考え込むディアナさんを見て、センコさんは面倒じゃのうと漏らし、彼女に声をかける。
「小娘、こちらを見よ」
「何? センコさ……ん?」
顔を上げるディアナさんは驚きのあまり固まってしまう。先程のセンコさんが子供から大人に、目を離した一瞬の隙に早変わりしていたのだ。
「これで満足じゃろう。説明は省くが、こういうものじゃと納得せよ。余計な詮索はするな。他人にも漏らすな。死ぬぞ。いいな?」
「えっ…あの…は、…はい」
彼女は公園での規格外っぷりを見ており、さらにダース艦長でさえ詮索禁止という命令に素直に従っているのだ。ディアナさんは、ただただ黙って頷くしかなかった。
「うむ、それでよい。そうやって素直に従っておる限り、妾の気が向けば手を貸してやってもよいぞ」
「はい、ありがとう…ございます?」
取りあえずは了承する。まだ混乱しているようだけど、ディアナさんの家での立場も大体決まったようだ。
「それじゃディアナさん、まずは部屋に案内するね。どの部屋も少し片付ければ、すぐに使えるようになるから、気軽に選んでよ」
そう言ってボクは席を立つ。あとで加藤さんにもある程度の事情を説明しておくべきだろう。
「家や地球のルールは、後々ゆっくり覚えてくれればいいから、まずは今の環境に慣れることからはじめよう」
「はい! これからお世話になります!」
ディアナさんが元気いっぱいの返事を返す。午後からは部屋の片付けだ。まずは暑いけど窓を開けて、埃っぽい空気を入れ替えなければと考え、そのついでに掃除道具は何処にあったかなと、思い出そうとする。
さらに今夜は同居人の歓迎パーティーの準備もするべきだろうかと、ボクは一人頭を悩ませるのだった。




