5-8:ぼくらなら
普通、遺体から未完成の異端書を取り出すよりも前にすべきことが、あるだろう。
迷わない。迷えない。一人で戦うと決めたのだから、裏切り者、そもそもスパイだっただろうシードを撃つしかない。
逡巡。その一瞬の迷いの後、その場にセイレスが現れて、シードの赤い髪の毛を撫でる。
「よくやった」
ある種、それに救いを感じた。セイレスを優先して狙ったという、シードを撃たない言い訳になった。
そんな心の弱さまで見抜いたような目で、セイレスに見られる。
「……ヨミヒトくんは、本当に優しいね」
セイレスが持っているのは、ノアに渡した表紙などを含んだ多くの異端書の欠片。それに加えて、シードが持ってきたらしい俺達が集めてきた紙片全て。
「これで、完成し──」
セイレスが異端書に紙片を重ね、その手に白く小さな手が重ねられる。
いつも着ていたはずのローブはなく、それどころか布や糸の一つもない。
「……壊れろ」
金の髪、金の眼。抑揚のない小さな声が、俺の能力やセイレスの能力による虫や鳥で騒がしかったはずの空間に、よく響いた。
その瞬間、憎かったはずの、恐ろしいまでの強敵のはずだったセイレスの身体は粉々に吹き飛び、下半身を残して消え去った。セイレスが集めていた動物が、彼の身体だった物を食べ始める。その光景を見ていたシードはその場にへたりこみ、目を見開いて言葉を失っていた。
一糸すら纏っていない彼女の皮膚は、生まれたての赤子のように美しく――少し遅れて、治癒能力により新しい皮膚を作り出すことにより、トリモチについていた皮膚を服と同時に脱ぎ、脱出したのだと悟る。
怒りの向けどころがなく、感情のままに暴れようとしていた彼女が今の俺と被り、止めてもいいのか分からなかった。
「……まだ、足りないらしい」
異端書に操られているわけではなく、サナムの声だ。そのまま異端書を俺に向けて告げる。
「この世界に、存在する価値はない」
言葉を、あるいはサナムの想いを表すように、異常な範囲に亀裂が走る。空が割れるような音を立てて、星が降ってくるような威圧が心臓に負荷を掛けた。
息が苦しくなる。こんなときに、能力の使いすぎによる疲労が襲ってきてしまう。
言い訳だ。理解する──この力は、その破壊は……“俺よりも強い”。遥かに、比べる事すら出来ないほどに。
勝つことは不可能だと理解し、背にいるセーラの拘束を解く。なんとか起こし、寝起きで理解出来ていないセーラに逃げろと伝えてから、無理矢理身体を動かそうとして数歩で膝が落ちる。
連日の度重なる多量の出血に加えて、過剰な能力の行使……倒れていないことがおかしい状況だ。
「ヨミくん……」
「いいから逃げろ! 邪魔だ!」
言い放ってから、爪が剥がれるほどの力で脚を握り、肉を抉りながらその痛みで無理矢理に身体の感覚を起こさせる。
ふらつく身体を無理矢理に立たせて、セイレスが死んだことにより解放された虫や鳥が崩れたことで、生物の雲に切れ間が出来ていたことを確認。そこから光を得て能力を使う。
サナムに放ったレーザーは破壊の異能力によって破壊されたのか、黒い何かに阻まれて届かなかった。
破壊の異能力……。先程までとは比べものにならない出力で、防ぐことも避けることも出来ないことが分かってしまう。
だったら、それが発動出来ないほどの早さで攻撃をし続けるしかない。連続、早く、隙を与えず、反撃もさせない。
破壊の異能とレーザーかぶつかりあって、けれど打ち消し合うことはなく、周囲にその二つの破壊がばら撒かれていく。
サナムに向かって駆ける。破壊と融解が行われた無惨も過ぎる道は、走ることさえ難しく、体力の限界が近い俺だとあまりにゆっくりとした歩みしか無理だ。
──まだ、サナムの持つ異端書は完成していない。サナム自身が足りないと言っていた。それに聞いていた威力よりも弱いように思う。
だが、それは不自然だった。全ての参加者の動向を把握していたはずのセイレスが出てきた上に、完成とまで口にしていた。
どこで紙片がなくなった。と考えながらも、何にせよそんなことまでは対処が出来ない。セーラが逃げるまでの時間を、命を賭して稼ぐだけだ。
「……不可解だ。理解出来ない」
サナムはそんなことを言いながら、俺を見る。
「ッ! 何がだ……!」
「この世界に守る価値などあるか?」
「世界など知らないが……後ろにいる人は、命を賭すだけの価値がある」
「やはり、不可解だ。貴様は私と同じ眼をしている。死んだら死んだ、それで楽になるという考えだ」
サナムは俺の攻撃を片手で防ぎながら、もう片方の手をこちらに向ける。まさか、と考えるが、攻撃範囲を思えば逃げ道はない。
サナムの防御がなくなり、彼女の手の先がレーザーで焼かれているのを見て思わず止めると、何の止める手立てもないまま破壊の異能力が攻撃に転じられる。
黒い亀裂がサナムの手から放たれる。防ぐ術も、躱す方法もない。せめて、セーラだけでも生き残って欲しいと願いながら、覚悟する。
「ああ、これは死んだな――」
最後にサナムの金の眼を見ると……目の端に雫が見えた。
「ッッ! 死んで……たまるかッッ!」
足元の瓦礫を蹴り弾き、サナムの手に命中させる。彼女の手が上に向いたことで、破壊の異能力が天に昇るように放たれた。
空を穿つように爆ぜさせて、多くの虫や鳥を破片にして壊した。
だが、それも一瞬でしかない。手を下ろして、あるいはもう片方の手を伸ばして、その瞬間に俺は死ぬ。
「分からない。下らないことで、苦しむ。……生きたい?」
ノアは死んだ。ロスヴィータもだ。大切な人達が俺の過失で殺されて、あまりにも辛く、苦しい。
サナムの手が俺に伸び、今度こそどうしようもないという瞬間に、サナムの足元が爆ぜて、熱気に変わるように冷気が辺りを覆う。
後ろに足音が聞こえて、息を切らせたリリィが涙を拭きながら立っていた。
「生きてっ!」




