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パン屋は夜に閉まる

「メテム、パン屋にでも行かない?」


 僕は隣で横になっているメテムに唐突にそう話しかけた。

 するとメテムは不思議そうな顔をしてこちらを向いた。


「ん? パン屋を襲う?」


「いやいや、襲ってどうするのさ、パン屋に行こうって言ってるの」


「ああなんだ、襲撃でもするのかと思った。いいぞ、ライフルでも持ってマスク被って襲おう」


「ちょっと、どういう発想してるの」


「お前こそ何言ってんだよ。今何時だと思ってるんだ? こんな時間に空いてるのなんてマクドナルドぐらいだぞ」


 そういうとメテムは壁にかかっていた時計を指差す。

 時刻はちょうど深夜一時を過ぎたばかりだ。


「そうなんだけどさ、広い東京で、一件ぐらいは開いてるパン屋でもあるんじゃないかなって」


「ユウキ、残念ながらパン屋は夜には閉まるもんだ。それが世の常識。パンが食べたいならそこら辺歩いてりゃイタリアン料理屋が開いてるだろ。そこでパン食べてこいよ」


 そう言うとつれなく背中を向けた。


「なんかさ、パンって無性に食べたくなるときがあるよね」


 僕がそう話しかけてもメテムはこちらを向かない。


「あんドーナツとかさ、揚げパンとか」


 ピクリとも動かないメテム。


「最近だといちじくの入ったクリームチーズパンとか好きなんだよね」


 僕は構わず続ける。


「あ、チョコレートチャンクとかも捨てがたいなあ。あれにホイップクリームトッピングしてベリーソースかけるの」


 そう僕が口にしたところで、ようやくメテムがこちらを向いた。


「お前さ、ただ単に腹減ってるだけだろ。というか甘いものが食べたいだけじゃないか?」


「確かに推察するにただ単にお腹が空いてるだけだろうね。よし、メテム、散歩行こう」


 僕はメテムを正面から抱え上げた。


「ちょ、やめろバカ。私はこれから寝るんだって」


 そう言うメテムを僕は一向に気にせず、財布とスマートフォンを手に、出口へと無理やり誘った。


--


「で、どこ行くんだよ」


 エレベーターの中でメテムが毒づく。

 まあ無理やり連れ出してるのだから当然か。


「池袋にさ……」


「池袋?」


 僕がネットで知り得た情報を口にしようとした矢先、メテムが素っ頓狂な声を上げる。


「何やら深夜にやってるパン屋があるみたいなん……」


「はい、却下」


 遮るようにメテムが言う。


「それじゃさ、こないだの所行かない?」


「どこだよ」


「ほら、ミッドナイトランチとかいうの出してるとこ」


「ああ、あそこか。TTRの隣にある」


「そうそう」


「と言うかもうTTRで良いじゃないか。お前さっきチョコレートチャンク食べたいって言ってたろ? うまい具合にホイップクリームもつけてくれるんだし、そこにしろって」


「うーん、パン屋がいいんだよねえ」


「そんなものはない。マクドナルドにするか、TTRにするか、それとも部屋戻って寝るか。三択、好きな方を選べ」


「うーん……TTRかな……」


 渋々と僕は口にするのだった。


--


 TTRはTsutaya Tokyo Roppongiの略で、蔦屋書店とスターバックスがくっついている便利なスポットだ。

 六本木けやき坂の入り口にある。

 電車がある時間はとても入れたものじゃないほど混むが、終電が終わってからは地元住人の憩いの場だ。

 嬉しいことに朝四時までやっているので、蔦屋書店の雑誌を片手に(無料で読み放題)コーヒーを飲んで暇をつぶすにはうってつけだ。


「お前は本当に幸せ者だなあ」


 メテムが僕を見ながら呟く。

 正確に言うと僕の目の前に置かれた皿を見ながら、だ。

 皿の上には温めてもらったチョコレートチャンクがあり、脇にはホイップクリームが添えられている。


「うん、もうね、今この瞬間が一番幸せ、的な?」


「こんな美人を連れて、な」


「そうそう、あーでも嬉しいなあ。食べたかったんだよ、甘いの」


「なんだよ、その取ってつけたような同意は」


 メテムの呟きを耳にしながら僕はチョコレートチャンクを口に入れる。

 口いっぱいに広がる甘さ。

 本来ならチョコレートチャンクにホイップクリームまでつけると甘すぎる気もするが、今はこの甘さと甘さのカケジクがたまらない。

 一緒に頼んだドリップコーヒーで中和すれば幾らでも食べれそうだ。


「あー美味しい」


 揚々と食べる僕の目の前ではメテムが眠そうにしている。


「眠い?」


 そう聞くとメテムはさも当然のように頷いた(まあ当然か)。


「お前はさ、夜型だからな」


 メテムが僕を見て呟く。


「そういうの、直したほうがいいぞ。仕事にも差し支えるだろ」


 続けるメテムに僕も切り返す。


「いやさ、仕事はあまり午前中にはいれないからさ」


「入れないって、どういうスタイルなんだよ。ったく。早くそれ腹に収めろよ」


 それとは当然僕の目の前にあるチョコレートチャンクのことだ。


「ふふふ、せっかくだからさ、じっくり食べるよ、僕は。メテムも一口いる?」


 僕は一口分を切り分ける。


「いや、いい。というかここは本当にこの時間は静かに時が流れるな」


 そう言ってメテムは辺りを見回した。

 確かにこの時間のTTRは静かだ。

 騒ぎ立てる若者は芋洗坂を上がったところで女の子とよろしくやってるだろうし、昼に占拠してるオツムの良さそうなビジネスマンも当然いない。

 皆ゆっくりと思い思いの雑誌を読みながら、コーヒーを飲んでいる。


「こういう雰囲気良いよね」


「お前は静かで薄暗いところが好きだからなあ」


「うん、落ち着く」


「そんなに薄暗いところがいいなら、洞穴でも掘ってそこで熊みたいに過ごしてればいい」


「熊、か。メテム、時折洞穴に見てきてくれる?」


「ん、まあ、たまになら、な」


「チョコレートチャンクを持って?」


「それはない。そんな冬眠してるような熊に私は優しくしないからな。精々いって板チョコ一枚とかそんなだろ」


「板チョコ、か」


「私の優しさ埋蔵量は無限じゃないからな」


「まあでも君が定期的に来てくれるなら、洞穴も悪くないな」


「そんなところで寝てると、本当に時の流れがおかしくなるぞ」


「君が入ればいいよ」


「私はやだからな、そんなの」


 そういうとメテムはゆっくりと視線を店内へと戻した。


--


「メテム、こないだの家、どう思った?」


 けやき坂を上がりながら、僕はメテムの背中に声をかけた。


「ん、ああ、御茶ノ水のあそこか」


 振り返らずにメテムが返事を返す。


「うん、悪くないと思わない? 家賃がちょっと高いけど、僕ら二人なら無理するほどでもないしさ」


「まあアクセスは悪くないからな。散歩するにもうってつけだし」


「そうそう。神田川、歩こうよ」


「窓の下には神田川、か」


 そう言うとメテムは口笛を吹き始めた(一体どこでこんな曲を知ったのだろうか。いつも思うが不思議だ……)。

 僕は二人で歩く姿を想像しながら進んだ。

 飯田橋から市ヶ谷へ川沿いの道を歩く。

 今みたいに、少しメテムが先を行って、それを僕がいつも追いかけるのだ。

 その後市ヶ谷でコーヒーを飲んだり、あるいはサラダでも食べよう。

 そのようにして一日が過ぎるのだ。

 悪くない。

 そう思って僕は歩を進めた。

 口の中に、いつまでもチョコレートチャンクの甘さが残っていた。

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