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胸騒ぎがする。嫌な感覚がする。どうしても無視できない。居ても立ってもいられなくて、アマリアは思わず腰を浮かせた。
「フェオン、なんだかすごく嫌な感覚がします! どうか様子を見に行かせて!」
アマリアの切羽詰まった様子にフェオンはすっと目を細めた。アマリアを探るように見ている彼には、断られても行くというアマリアの心が読めたのかもしれない。短い思考ののち、許可を出した。
「分かった。現場でのそういう勘は無視しない方がいいね。何もなかったらそれでいいのだし。そこの二人、彼女について行ってくれるかな」
「はい!」
「承知しました」
フェオンに指名された二人の騎士が返事をした。若い溌溂とした声と、経験豊かな落ち着いた声だ。挨拶をする間も惜しく、アマリアは二人の騎士を従えて駆け出した。
魔の森が騒いでいる。村の中までざわざわとした気配が押し寄せてくるようだ。でも、気になるのはそちら側ではない。アマリアは必死に走るが、体が気持ちについていかない。
それなりに立ち働いているとはいえ鍛えているわけでもないアマリアよりも、重みのある防具を身に着けた騎士二人の方がよほど余裕そうだ。アマリアに難なく付いてくるどころか、息を荒げてもいない。
その二人から、微妙な空気を感じる。アマリアが走って向かっているのは村の中の方、魔の森から遠ざかる方だ。傍目には、戦闘が怖くなった箱入り娘が護衛付きで逃げているようにしか見えない。しかも持ち場を放り出して、貴重な人員を二人も付けてもらっての逃走だ。心証は最悪だろう。
だが、そんなことに構っている余裕はない。アマリアは走り、道の角を曲がったところで急に足を止めた。
「……!」
後から付いてきた二人もつんのめるようにして停止する。そして愕然とした声を上げた。
「魔獣!? こんなところに!?」
「特異個体……!?」
噴水のある普通の広場に、魔獣がいた。四つ足で尖った耳に太い尾、狐の特徴を有してはいるが、それを狐だとは断じて思えない。熊以上に巨大化して筋肉は盛り上がり、目は爛々と光り、長い舌がだらりと垂れている。口から滴っているのは涎と混ざった血で、体にも返り血が飛んでいた。辺りに散乱する肉片が何なのか、考えたくもない。
民家が堅牢な石造りであることがせめてもの救いだ。辺りに人の気配はないが、立て籠もっているのだろう。そもそも最初から魔獣掃討作戦の決行日は伝えてあり、作戦が終了するまで外に出るなと厳命している。だが、こうした農村の人々は魔獣の被害に慣れてしまっているのと、まあ大丈夫だろうという感覚で畑に出て行ったりすることもある。そうした人々が被害に遭ってしまったのだろうと思われた。
「あいつは危険です。通常の魔獣よりも大型で知能が高く、より残忍な『特異個体』だと思われます。下がっていてください」
年長の騎士がアマリアに説明し、下がっているよう促した。アマリアは頷いて距離を取る。特異個体という言葉すら初めて聞いた自分にできることは何もない。
どうやら通常の魔獣ではないらしい。確かに、今回討伐してきた狐の魔獣は、目の前の個体ほど巨大でもなかったし、こんなに凶悪な気配も漂わせていなかった。騎士たちがいればそれほど怖くもなかった。
だが、目の前の魔獣は底が知れない。騎士たちも緊張感をみなぎらせている。
「特異個体……初めて見た」
年少の騎士の腰が引けている。どうやら特異個体は珍しいようだが、その稀な例外に、アマリアは初っ端から遭遇したことになる。不運を嘆きたくなるが、そんな場合ではない。
年少の騎士は怯えながらも風の魔術を使い、連絡を飛ばして応援を要請した。そんな彼に頷きかけ、年長の騎士は言った。
「応援が来るまで持ち堪えるぞ」
その言葉を嘲笑うかのように、魔獣が鳴いた。
耳を圧する不快な声に、アマリアは思わず膝をつく。騎士二人も、剣の鞘を地面に突き刺すようにしてなんとか身を支えていた。動物の鳴き声とはとても思えない。
魔獣はゆったりと向きを変え、再び鳴いた。不吉なその声に、背筋がぞくりとする。
(笑ってる……?)
騎士たちはなんとか体勢を整え、連携して攻撃を繰り出した。年少の方は風の魔術を扱うらしく、見えない刃を飛ばしつつ年長の騎士の援護をしている。年長の方は魔術が扱えないようだが剣術は相当のものだ。重そうな剣を軽々と振り回している。
しかし魔獣は巨体に似合わず素早かった。風の刃はその頑丈な毛皮を傷つけることもできず、剣は軌道をすべて読んでいるように躱されてしまう。魔獣は二人を翻弄していたが、一瞬の隙をついて攻撃に転じた。しなやかな動きで年長の騎士の喉笛に食らいつこうとする。もう一人の援護もあって彼はかろうじて躱したが、肩口から鮮血が散った。
騎士は叫ぶのを堪えたが、決して軽い怪我ではない。その怪我が象徴的だが、二人の動きに疲労が見え始めた。まだそれほどの時間も経っていないが、戦闘が激しい。
鍛えている騎士たちであっても、全力で戦える時間はごくごく短い。極度の緊張も合わさるといっそう短くなる。なるべく体力を温存し、合間に呼吸を整えながら戦闘を継続するのも技術のうちだが、魔獣はそんな余裕を二人に許さなかった。
疲労が見えて動きが鈍ってきた二人とは逆に、魔獣はまるで疲れを見せていない。その瞳がこちらを捉えた気がした。
(え…………?)




