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3話 切ない恋心

『あの子は死ぬ前も歌っていた』

 平凡な高校生である工藤貴志は一人の女の子に好意を抱いていた。その子はピアノと歌が上手で、毎日放課後は屋上で歌っていた。しかし、ある日急に登校をしなくなった彼女。担任の先生によれば元々病弱で、容態が悪化したために入院しなければいけなくなったらしい。お見舞いに行った貴志は、ひどく弱った彼女を見て絶句した。何も楽しそうにしていない、絶望した目。もうこの世に興味など微塵もないと思っているその目を見たとき、思わず口にしてしまった。

「あなたは僕に楽しいをくれた。だから――生きてくれ」

 その日から毎日病院へ通う貴志。日に日に明るくなっていく彼女。いつしかお互いに惹かれ合っていた。

 デートの場所は病室だけ。することも会話だけ。それでも彼女は死ぬまで、心で歌ってくれていた。

 ――生きたい。と。



 ☆ ☆ ☆



「ああ~、これ良い話でしたね~」

 いつもの公園で美奈子が文庫本を両手で持って脱力するような声で天を仰いだ。持ってきた本は『あの子は死ぬ前も歌っていた』。恋愛小説であるが、彼女が死を迎えて行く中でも主人公の貴志との日々で笑って生きようとするという、生命についても大きく意味のある著書である。

「貴志くんの告白シーンなんか憧れちゃいましたよ。私も誰か病室に告白とかしに来てくれないかな~」

「美奈子とかモテそうじゃん。誰か来るかもよ?」

「やだな~凛さんたら。私結構暗いからそんな子いませんよ。オバケみたいですから」

「……決して美奈子は暗くないと思うんだけど」

 出会った時から穏やかで明るいという女子の最強型の印象しかないため、そんな言葉が美奈子から出てくるのは意外だった。強いて言うならオバケ要素は白いってことくらいかな。


「凛さんはこの話、どうでしたか?」

「初めはありがちな恋愛小説だなって感じだったけど、結局告白から彼女の死まで惹き込まれて読んじゃったな。特に彼女が死んだときの貴志の気持ちを書いた文章は良いと思ったけどね」

 この本の特徴としては、心理描写が丁寧ということが一番に挙げられるはずだ。高校生特有の若さという感情を大人が表現したと思うと、さすがはプロだと言わざるを得ない。


「ほ~、そうですか……」

「あれ? そうでもない?」

 私の感想を聞いた後、美奈子は右手を口に当て、悩ましい顔をして唸った。

「私は逆にこれでいいのかなって思ったんですね。彼女が死んだ場面」

「と、言うと?」

「高校生って若さのシンボルみたいなところもあるんですけど、大人への階段っていう要素が私の中にはあるんです。大人って辛ければ辛いことほど泣けない傾向があるんです。だから人前で泣きじゃくったのは、少し私には疑問が残るんですよね」

「何か、登場人物と同年代とは思えない意見だね」

「へ!? そうですかね? そんなことないと思いますよ!」

 やたらと焦っているのはやや不思議だったが、高校生だからこそ感じることなのかもしれない。辛ければ辛いほど泣けないというのは分からないでもない。


「そもそも、私は悲しいという感情がよく分かりません」

「それは、いつも楽しいってこと?」

「いえ、無関心なことばかりってことです」

「そっか」

 いつも笑顔だった美奈子に少し影が見えた気がした。悲しいなんて誰しもが抱いたことのある感情のはずなのに、美奈子はそれを無関心と簡単に切り捨ててしまえる。

「じゃあ、もしかしたら、美奈子が悲しいを知ったときに何か変わるかもしれないね」

「……それもそうかもしれませんね」

 この時、私は漠然と美奈子は病歴が長いのではないかと思った。きっと閉じこもった世界で生き続けてきたから、色んな知らないことも多いのではないかと。それが悲しいってことなのに、美奈子はそれを悲しいと分かっていない。皮肉なものだ。


「何かすみません。感動的な恋愛小説なのに暗くしてしまって」

「いや、良いよ。そういうのも含めて感想だから」

「次は明るい小説で行きましょうか!」

「よし! じゃあ今度は伝説的コメディ小説を持ってくるよ!」

 暗くもなれば明るくもなれる。それが小説の一番の魅力だ。それをもって今度は明るい美奈子の話も聞いてみたかった。ますます美奈子という人物に興味が湧いてくる。


 気が付けば辺りは暗くなり始めていた。春になって日照時間が長くなったとはいえ、五時でも油断すれば危ない。

「今日は暗いし、私が車いす押すよ」

「え、でも……」

「さすがに危ないよ」

「……それじゃあ、病院の前までお言葉に甘えさせていただきます」

 美奈子は優しい笑顔を浮かべて、顔を病院の方へ向けた。私も本を鞄にしまって、美奈子の背後に回りグリップを手にする。小学生くらいのときに人権学習で体験して以来の車いす押しだったが、やはり見た目によらず重いものだ。こんなのを自分の手で漕いで公園に来させていたと思うと少し罪悪感があった。


 病院のフロントは薄暗く、受付にのみ照明が点いていた。かなり長く話し込んでしまったようだ。看護師の人もやや慌てていたようで、だいぶ迷惑をかけてしまったようだ。

「ごめんね、美奈子。長いこと連れ出して」

「いえ。私が好きでお話していたので。私の帰りが遅くなるなんてよくあることです」

 そんなことを言うと看護師さんが「そんなこと言って開き直らないの!」と少しご立腹だった。そういうところは何だか少しやんちゃな高校生なのだろうか。これはこれで意外な一面で可愛らしくも感じる。


「あ、そうだ。美奈子って林檎好き?」

「林檎ですか!? 大好きです! 大好物です!」

 その返事を聞くと、私は鞄の中で傷まないように包装した林檎を一つ差し出した。ついこの間、実家から送られてきたまだまだ新鮮なものだ。

「これ、私の実家で作った林檎。良かったら食べて」

「え? いいんですか?」

「うん。遅くなったお詫びと付き合ってくれたお礼」

 本当は一緒に食べようと思って二つ持ってきたのだが、小説の感想の交流をしているうちにすっかり忘れてしまっていた。自宅に帰れば腐るほどあるものだから、二つとも美奈子に手渡した。

 美奈子は両手で林檎を受け取って目をキラキラ輝かせていた。お見舞いに林檎なんてかなりの定番だと思うけど、そんなに好きなのだろうか。


「とっても嬉しいです! 大事に食べますね!」

 大事そうに美奈子は林檎を胸に抱えた。その姿は赤ちゃんを抱く母親のようで、林檎を守ろうとさえしているように見える。普通に食べてくれると良いのだけれど。

 美奈子は看護師さんに車いすを押され、受付横にあるエレベーターの中に消えて行った。扉がしまる最後の瞬間まで、左腕で林檎を抱え、右手で手を振り続けていた。私もそれに合わせるように美奈子の姿が見えなくなるまで手を振っていた。




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