2話 小説の友達
何というか、真っ白な少女だ。白いワンピースを着ているからというわけではなく、肌も驚くほど透き通っていて、穏やかな笑顔も今の世の中には似合わないくらい裏というものを感じさせなかった。
「あ、ごめん。ここいつもあなたが使っていたの? すぐに外すから」
「いえ、いいんですよ。そのままで」
少女は柔和な笑みを浮かべて車いすを私の隣に移動させた。表情だけで「隣いいですか?」と小首を傾げて問うてくる。いつもの私ならそんなこと無視して席を外すのだろうが、不思議と首肯して彼女と並んで芝生を眺めた。
だが、一つ気になるのはやはり車いすだった。車いすに乗っているということはどこか悪いのだろうか。凄く細身だけど、スタイルの良い痩せ方ではない気がする。
「あの、本好きなんですか?」
少女は私の手に持っている文庫本を見て、興味津々の様子で聞いてきた。
「うん、大好き。本を読んでいるときが唯一落ち着くときだね」
「それは大切なものですね。私も本が大好きです。病室ではすることも本を読むくらいしかないですから」
「……やっぱりどこか悪いんだ?」
「ええ。病気なのかはよく分からないんですけどね」
「何か不思議な答えだね。まあいいや。聞かれても楽しくないことだろうし、深くは聞かないよ」
「ふふ、優しいんですね」
少女は微笑んで公園の奥にある大学附属病院を見ていた。少なくとも入院しているなら病院なんて楽しいわけがないのに、どうしてこんなにも笑顔でそれを見ていられるのか不思議だった。どこか、彼女の思考は普通の人とは違うものを感じさせる。
奇妙な時間が流れた後、話は再び本のものへと戻った。
「その本はどういうお話なんですか?」
「一人の青年と野良猫の話。二人は仲良しでいつも一緒だったんだけど、青年は病死してしまって、独りぼっちになった猫の生き様を書いた本だよ」
「……それは何とも悲しい話ですね」
「だよね。特にこの猫には味方は全部の生き物の中で、この青年だけだったから。でも、私はちょっと良かったかなとも思うよね」
「猫にとって良かったことですか?」
「うん。だって猫にとって会うべき人とは会ったんだからさ」
一番苦しいのは誰にも知られずいなくなっていくこと。私はずっとそう思っていた。だからこの話を読んだ時も、青年がいなくなってしまった猫の心苦しさには何度も共感したが、それ以上に死に際などに青年に会えて良かったねとも思った。
「なるほど……そういう考え方もありますか……」
少女は小声でボソッと何か呟いた。
「ん? 何か言った?」
「い、いえ! 何でもありません!」
何故か少女は少し焦っているようにも見えたけど、余程聞かれたくないことをうっかり零してしまったのだろうか。
かと思うと、彼女持ち前の笑顔に戻り、右手を軽く握って口の前に当ててクスクスと笑った。
「何だか面白い方ですね。えっと……」
「ああ。名前ね。私は塚田凛」
「凛さん、素敵な名前ですね。私は小出美奈子っていいます。たぶん私の方が年下なので呼び捨てで構いません」
そう言うと、美奈子は左手首に付けていた腕時計を見て、深く息を吐いた。
「そろそろ病室に戻らないといけないので私はこれで失礼しますね。よろしければ、またお話を聞かせてください」
「うん、ぜひ。私も楽しかったよ」
美奈子は、では、と一言置いて車いすを漕いで大学附属病院の方へと消えて行った。
私としたことが、珍しいことに初めて出会った少女とこんなにも長く話し込むとは思わなかった。既にこの公園に来てから二時間ほどが経過していた。来たときには遊んでいた子どもたちもいつの間にか帰宅している。
私は本を鞄にしまって立ち上がった。もう夕暮れ時になっていて、帰ったらすぐに晩御飯というような時間だ。
――また、ここに来れば会えるかな。
そんなことを思いながら、来たときとは色の変わった木漏れ日の中を歩いて行った。
☆
「嬉しがりすぎたかな……」
翌日。また公園で会った時にたくさん話がしたい。そう思った私は自宅から大好きな本を厳選して持ってきた――つもりだったが、結局文庫本十冊に膨らんでしまい、大学生の荷物にしては多くなってしまった。いつもは手提げのカバンなのに、今日はリュックだ。張り切り過ぎて少し恥ずかしくなる。
大学で本のことについて話せる人など皆無なため、昨日の出会いは想像以上に私の中で大きなものとなっていた。この本のあらすじを話したら美奈子はどんな反応をするんだろう。そんなことばかり考えて昨晩はあまり眠れなかった。
昨日会った公園のベンチに座り込み、私は新たに読み始めた本を開いた。と、同時に待ち望んでいた優しい声がした。
「今日もお会いしましたね、凛さん」
麦わら帽子を被った美奈子が、車いすを一生懸命手で漕いでベンチの近くへとやってきた。何とも言えぬ感動に私は包み込まれた。
「今日は荷物が多いんですね」
「ああ、これはね……よいしょ!」
私は持ってきた文庫本十冊を一気に取り出し、ベンチの上にドンと少し大袈裟に置いた。
「わっ! 凄い量ですね」
「はは、何か昨日美奈子と話したのが自分で思っていたよりも楽しかったみたいでさ。調子に乗っていっぱい持ってきちゃった」
「ふふ。凛さんって意外と可愛らしいんですね」
「意外とは失礼な」
美奈子と微笑んで、積んであった本の一番上のものを取り、美奈子に手渡した。美奈子は本を手に取ると表紙を見て少し固まった。
「どうしたの?」
「あの……大変申し訳ないのですが、これ読んだことあります……」
「……」
いきなり被りというものを炸裂させてしまった。昨日の会話の流れからして、私が美奈子の知らない本を紹介していくべきなのに、こうなってしまっては全く意味がない。
「えっと、それじゃあ……」
慌ててまだ持ってきた本を出そうとした。何とかして、彼女の知らない本を紹介したいところだ。さすがに十冊もあれば一つくらい知らない本があるだろう。さすがに、あるだろう――。
*
戦うこと数分、物の見事に全敗した。私がこれだと思って持ってきた十冊を美奈子は全て読了していた。よく考えればおかしい話ではない。彼女もまた本好きを公言していたのだから、幅広いジャンルに手を出しているのは容易に考え付くはずのことだった。
「ごめん、こんなはずでは……」
自信満々に持ってきた自分が少し恥ずかしくなってきた。きっと今、私は顔を真っ赤にしているだろう。変に体が熱くなってくる。
「い、いえ。そんな凛さんが謝るようなことでは……」
「もっとマニアックなものを持って出直してくるよ……」
「あ、あの! 凛さん!」
本をリュックにしまおうとしたその時、美奈子が慌てて私を呼び止めた。
「もし良かったら、感想の交換をしませんか?」
「感想の交換?」
「はい。昨日の『猫の生き様』の話のとき、少し驚いたんです。猫は唯一心を許した人が亡くなり、猫も死んだときに、彼の生きた日々はきっと青年に会えたから幸せだったなんて私は考えもしませんでした。凛さんは私とはちょっと違う風に物語を捉えているように感じて……。もっと私の知っている世界を凛さんはどんな風に感じたのかを知りたいんです」
目を輝かせながら美奈子は私の手をがっしりと握ってきた。
でも、考えてみれば、美奈子が本に詳しいとなるとそれも楽しそうな気がしてきた。美奈子が言ったことは私も感じていたことだ。美奈子はどこか自分とは違う風に物事を捉えている気がする。そういうことを考慮すると感想の交換は非常に有意義なものになるかもしれない。
「いいね。じゃあ感想の交換をしよう!」
「はい! えっと今日はもう病室に戻らないといけないので、明日にまた。今日の一冊目だった『あの子は死ぬ前も歌っていた』について話し合いましょう!」
「了解!」
約束をして、美奈子はお辞儀をしてから病院の方へ戻って行った。私は何かモヤモヤと心に引っかかるものがあったが、その原因は分からないのであまり気にし過ぎないことにした。
感想か。楽しみだ。
私は小さくスキップしながら帰り道を歩いた。




