1話 白い少女
え~、純粋な新連載作品としては4年ぶりとなりました。
今まであまり書いたことのないジャンルなので、拙い部分もあるかと思いますが、楽しんでいただけたら幸いです。
田舎に住む母親からよく林檎が送られてくる。
「長野県産ふじりんご」と記載されたの段ボールの中に発泡スチロール製の土台が敷かれ、球状の窪みにスッポリと行儀よく林檎は収まっている。まるで軍隊のように綺麗に整列している。
私はその中から右端上の林檎を取り出した。相変わらず艶があり、深い赤色をしている。母親の送ってくる林檎はいつも上等なものだった。
そのまま狭い台所へと歩いて行く。シンクの端を支点にして台を置き、その上にまな板をセットした。そのシンクの下方にある棚から果物ナイフを取り出し、蔕の部分から一直線にナイフを落とす。
中身は今回も薄黄色だ。ライトに当てると反射しているのではと思うくらい輝きを放つ。
半分に切った林檎をまた半分、更にその林檎をまた半分と切っていく。そして八等分にした均一の大きさの林檎を小さめの皿に敷き詰める。皮は全面剥かないで食べる。これが私のいつもの林檎の食べ方だ。
時刻は午前八時。テレビの中では人気アナウンサーがトップニュースを神妙な面持ちで読み上げている。私はただそれを林檎を頬張って見ているだけだ。
シャリッ、シャリッ、と私が林檎を咀嚼する音がズッシリ奥歯の辺りで響く。この感触は何度味わっても嫌いにならない。
半分の四切れを味わったところで、私は皿にサランラップをかけて冷蔵庫にしまった。
そしてリュックを背負って家を出た。
都会の春は田舎の春より暖かいけど何だか寂しい。
☆
私は都内にある総合大学に通っている。実家からはとても通えない距離だから一人暮らしをしている。私が住んでいる場所こそ住宅街であるが、少し歩を進めれば誰もが憧れる都会の姿がそこにはある。入学式の日はよく迷ったものだった。
一年生の時から出席だけは真面目にしていたから、大学四年生となった今はアルバイトをしているレストランに通う日の方が多かった。今日は数少ない授業日で、私は朝から大学へと向かっている。
サークルには何も入らなかったし、個人的に何かを始めるということもしなかったから、友達は結構少ない方だと思う。授業で知り合った子と少し話すくらいで、基本的にいつも一人で行動している。
友達がいないからといって悲しいと思ったことは一度もない。一人の方が楽だったから。
世間の言う最近の若い子たちは隠すということが上手だと思う。嫌いな人に凄く笑顔で話せたり、出かけたり。私にはそんなことは到底できないだろう。そして誰もがそんな人に見えて怖くすらなる。
JRの電車に最寄り駅から乗って二駅、大きなターミナル駅で降車し、改札を抜けてからまた違うローカル線に乗り換えて二駅。距離はないが手間に感じる乗り継ぎをして大学の最寄り駅に到着する。
授業開始間近ということもあって、多くの生徒が川のように構内へ流れ込んでいく。私が出る授業の教室は一番手前にある館内の一階にあるため、焦らず歩いていた。
教室に入ると、見慣れた顔の生徒たちがいる。談笑をするオシャレな女子学生やその女子学生の会話に頑張って入ろうとするチャラついた男子学生。大人しい人で集まって楽しそうに話す男子学生から一人で小説を読んでいる学生まで様々だ。
その中でも私は一人で小説を読む学生に当たる。その学生はニヤニヤしながら小説を読んでいるので、おそらく女の子が空から降ってくるような話のものなのだろう。
私には好きな小説家が一人いる。「井沢聖子」という作家だが、一つ一つ言葉の選び方が好きだった。世間でもよく知られていて、私が一番好きな作家だ。井沢先生の本が出版されたら必ず発売日に書店へ足を運ぶほどに熱中していた。
ところが最近は出版がなかなかされない。一時期は絶え間なく感じるほどに早いペースで出版されていたのが、近年はやっと出たかと待ち侘びるほどだ。今私が手にしているものも、つい先週発売されたもので、前作からは既に一年近くの月日が流れていた。
今回の小説は猫がメインの話だった。病気に悩む青年が病院の敷地内で見つけた猫と仲良くなり、よく遊ぶようになるけれど、青年はやがて病死して、猫は誰も遊んでくれない、誰にも見てすらもらえない野良猫になって生きていく話。青年の、人の愛に触れた矢先の孤独を何とも絶妙な表現で世界を魅せていた。
今作も良作だったと言えるだろう。一体、彼女の脳内はどこまで言葉の道が続いているんだろう。よくもこんなに毎回違う言葉を探し出せるものだ。
本に読み耽っていると、授業の講師が教卓に立ち、教材を開いて準備を始めていた。間もなくチャイムが鳴り響き、広い講義室に独特のマイク音が反響して、講師は話し始めた。
☆ ☆ ☆
相変わらず、つまらない授業だった。
井沢先生の話を読んだ後だからであろうか、ただ教科書やレジュメを読んでいるだけの授業がひどく退屈に思う。また、そのときの授業を長く感じる体が余計に面倒くささを促進させる。
私が出席しなければならない授業は、さっき受けたものだけだった。今日は珍しくアルバイトも休みを貰えたため、ぶらぶらと散歩をすることにした。
私は一人のときは、家で本を読むか、テレビを見るか、寝るかの三択を大体選ぶ。しかし、今日は小春日和で暖かいため、散歩でもして程よい気温の中で本を読もうかと思っていた。
来た道を戻り、電車を乗り継ぎ、私の自宅から最寄りの駅に到着した。駅の出口から直進すること五分程度、そこにはベンチと広い芝生しかない公園がある。昼間は子連れで来る人が多い。今日も例外ではなく、子どもと元気にボール遊びをするお母さんの二人が先客としていた。
私はそんな光景を後目にベンチに腰掛けた。そのベンチは木の下にあり、木漏れ日が時々差す風情のある印象を醸し出していた。
そのベンチの上で、私はリュックから本を取り出した。さっき講義前に読んでいた青年と猫の話である。かなりボリュームがあって、軽く五百ページはあるだろう。早速しおりを挟んでいたページを開いて、小説に目を落とした。
――そのときだった。
「あら、今日は先にお客さんがおられましたか」
声の主は木漏れ日と日向の境目に座っていた。いや、座っていたと言っても、車いすに乗って、私の方を優しい目で見つめている。
年齢はおそらく私よりも若い。高校生くらいに思われる。肩ほどまでストレートに伸びた黒髪に綺麗なぱっちりとした瞳、透き通るような白い肌。とても綺麗な少女であった。
そして、何故だか、彼女からは不思議な魅力が溢れている気がした。