1-33 愛情
「げっ……元気で、やれよぉ……!」
飲み屋の大将がむせび泣く。胸には大きく『防火』と書かれた栄誉賞のバッジ。着慣れない正装のようなものにパツパツに身を包んだ大将は、髭面をぐちゃぐちゃにして鼻をかんだ。
「まかせて、あっちの人たちも潰しまくってくるわ!」
「それは……やめておいたほうがいいんじゃねぇか?」
「冗談よ」
「冗談に聞こえねぇ……」
呆れたように言う大将が可笑しくてケラケラと笑うと、大将もつられて笑った。背後にいる町の人々も、笑顔でこちらを見ている。
「っとに、結局こんな大事な日にまでこんなとこに来て。大概にしろよ、お姫様」
「なによ、いいでしょう?――ここは、私の育った町なんだから」
「……っ、泣かせる気か!」
「もう泣いてるじゃない」
「くそぅ!」
わんわん泣き始めた大将に、ハンカチを差し出す。大将は、少し躊躇しながら、それを受け取った。
「次来るときまでにそれをお店に飾っておいて。『皇女御用達の店』って書いてもいいから」
「っ、それ言うなら『エランティーヌ王国王太子妃殿下御用達』だろ!?」
「確かに」
「おいおい、いいのか!?もっと自覚させろよ王子様!」
大将がそう言うと、後ろにいたアレクはやれやれと息を吐き出した。
「かなり努力してるんだけどね。まだ足りないみたいだ」
「っとに、しっかりしてくれよな!」
泣いてるのか笑ってるのか分からない大将は、そう言って思いっきりハンカチで鼻をかんだ。
うん、もうあれは返却不可だな、と思っていると、ふわりと身体が浮いた。
「じゃあ、また来るね。元気でね、大将」
「おう!待ってるからな!達者でな!」
ニコリと笑ったアレクは、横抱きにした私と共に店を出ると、私を優しく馬に乗せ、ひらりと後ろに跨った。
「アルメテスの下町に感謝を。――ありがとう、みんな。元気でね」
わぁ、と歓声が上がり、色とりどりの花吹雪が舞う。
「ほんとに、お前こういうのズルいよな」
いつもより美しく着飾った正装のお兄様が、悔しそうに言った。
「俺たちみたいなのには必要なことだろ」
「まぁ……そうだけど。なんか悔しい」
「それ、多分今日だからじゃない?」
にやりとアレクが言うと、お兄様はもっと悔しそうに顔を歪めた。
「絶対に年に一度は里帰りさせろよ!」
「お前が来いよ」
「くっ……善処する!!」
そうして、お兄様は、青空の下響くファンファーレの中、私達を先導した。
今日は第一皇女エレナーレが、王太子妃となるためにエランティーヌ王国へと旅立つ日。沿道にはたくさんの人々が集まり、笑顔で旗を振ったり紙吹雪や花びらを舞わせたりしている。
「随分と派手なお祭りになったわね……」
「そりゃあ、あれだけ派手に下町を駆け回ったからね」
「……そうね」
アレクが『下町を愛する皇女』と声高らかに宣言しながら皆を火消しへ誘導したおかげで、すっかりそのイメージが定着してしまった。
間違いじゃない。間違いじゃないんだけど、こそばゆい。
そんな気持ちで沿道の人々に手を振る。
エリザベス様――アリアという女性の死は、今はまだ伏せられている。どう処理するのかはまだ我が国とドメルティス小国で話し合い中だ。
恐らく、ロメリアがドメルティス小国へ嫁いで少ししてからになるだろう。きっとアリアは『側妃エリザベス』として、静かに見送られることになる。真実は、きっと多くの人に知られることはない。
アルメテス、ドメルティス、そしてエランティーヌ。この三国の体制が大きく変わり、新しくなっていく。
そんな今、民に不安な思いをさせてはいけない。
そう判断して、側妃の死とその真相を伏せる決断をしたのはお父様だった。
明るい話題を。未来へ踏み出す力を。焼けた建物が残り、ペリスの復興に立ち上がったアルメテスの街を静かに眺めながら、お父様はそう呟いた。
何が正しいのかは分からない。だけど、私達がするべきことは一つだ。
私達は、国と民のために。
お父様から引継いだその志は、エランティーヌ王国へ行っても変わらないだろう。
「来たか」
帝都の外れの、エランティーヌ王国との国境へと続く、大きな街道。お父様は由緒正しい正統な国王の正装を纏い、静かに佇んでいた。
まだ足は完治していないはずなのに、お父様は杖をついていなかった。
無理しなくていいのに。そんな気持ちでお父様を見る。
お父様は、お兄様が帰ってきてから、少し穏やかな雰囲気になった。長く連れ添った側妃に裏切られ、暗殺されそうになったお父様は、気落ちするのではないかと思ったのに。
気取られないようにしているだけかもしれないけれど。でも、お父様は穏やかで、そして今日も寡黙な皇帝として、その場に立っていた。
「滞りないか」
「はい。心身ともに万全です。きちんと王太子妃教育を受けてまいりますわ」
「そうか……半年後、楽しみにしているぞ」
半年後はエランティーヌ王国での挙式がある。お父様は友好国であるアルメテス帝国皇帝として、そして父親として参列予定だ。目を細めてかすかに笑うお父様は、やっぱり皇帝の顔だったけれど。口少ないながらも、ほんの少し父親の顔が滲み出ていて、その姿に何故か胸がぐっとなった。
「これ、お渡しします」
ぐい、とお父様に手元に、持っていたものを押し付ける。お父様は目を丸くして、それを受け取った。
「これは……?」
「ぬいぐるみです」
「……………………うさぎだな?」
「いえ、犬です」
「いぬ」
ひしゃげたそのぬいぐるみは、確かに犬と言われれば犬だけど。
猫だ。そう言われても、そうかもしれないと思うような出来だった。
「お、お母様は私にうさぎをくれましたわ。だから、お父様には犬を差し上げます」
「……いぬ」
「えぇ、犬ですわ」
「そうか……犬か……」
目をパチパチとさせたお父様は、しばらく犬らしきぬいぐるみを眺めたあと、柔らかく目を細めた。
「懐かしいな」
「え?」
「こっちの話だ」
不思議に思って首を傾げたところで、高らかにファンファーレが鳴った。
旅立ちの時。
振り返ると、少し離れたところで、アレクがエランティーヌ王国の護衛たちと隊列を組んでいるところだった。
ここからは、エランティーヌ王国の護衛が主となって先導する。国境までは、アルメテス帝国の護衛もつくけれど。お兄様とお父様の見送りはここまでだ。
「達者でな」
「えぇ……お父様も」
正式な礼をとり、お父様に背を向ける。
でも、何か少し後ろ髪を引かれるような気持ちになって、立ち止まった。
「エレナ?」
お父様の声が聞こえた。
「お父様……ありがとう、ございました。皇帝と皇女という難しい立場でしたが――お父様の子として生まれて、良かったですわ」
なんとなく、そう言いたくなって。言ってから、少し気恥ずかしくなって。そして、お父様の様子が気になって、そっと振り返った。
お父様は切れ長の目を少し見開いて、こちらを見ていた。
「……お父様?」
「……っ、いや……」
はっとしたお父様は、少し俯いて、眉間を揉んだ。
「……元気で、やりなさい」
「はい」
その姿が、昔よりも年老いたように見えて。なぜか、急に涙がせり上がってきて、涙声で呟いた。
「今まで育てて頂いて、ありがとうございました」
「――っ、」
「お父様も、お元気で。……お酒の飲み過ぎには気をつけてくださいね」
そう微笑んで再び背を向ける。
なぜか、背後でお兄様がお父様の背を笑いながら叩く音が聞こえた。
「挨拶は済んだ?」
「もちろんよ」
「泣いてるじゃん」
「泣いてない」
なんだか恥ずかしくてそっぽを向く。アレクは、少し笑ってから、私をさっと横抱きにした。
「っだから!恥ずかしいからやめてって言ってるじゃない!」
「だから慣れろって言ってるだろ?」
「無理よ!」
「じゃあ一生恥ずかしいままだな」
「は……はぁ!?」
嬉しそうに笑ったアレクは、立派な馬車があるのに、私を横抱きにしたまま馬に跨った。
「さぁ、いこうか。ちょっと遠いから、頑張ってね」
「余裕よ!」
そして大勢のエランティーヌ王国の護衛を引き連れて、一団は動き出した。
爽やかな風が吹く、帝都郊外の大きな街道。
振り向くと、青空の向こうに、お母様が眠る緑の丘が見えた。
流れる白い雲に、揺れる緑の丘。
もしかしたらアレクは、この景色を見られるように、馬にしてくれたのかもしれない。
――旅立ちの時に、馬車の窓からじゃなくて。馬に揺られて、その目で、この国に暫しのお別れができるように。
ちら、とアレクの顔を仰ぎ見る。アレクは私に少し視線を向けてから、また前の方を見て柔らかく微笑んだ。
「綺麗な国だね」
「……でしょう?」
その優しさに包まれながら、もう一度帝都を振り返った。
賑やかな下町。美しいアルメテスの城。そこを見渡すように緑の草が揺れる、お母様が眠る丘。
お父様に渡したひしゃげた形の犬のようなぬいぐるみには、海のように深い青色のビーズの目をつけた。中にはたくさんの綿と、小さな手紙。それを詰め込んだ背中を、ほんの少し色の違う糸で縫い付けた。
お父様はずっと気づかないかもしれない。でも、それでいいと思った。
お父様が守ってきた、大きな帝国。それから、子供たち。
皆、これから違う道を歩むけど。ここから先は、自分の足でちゃんと歩くから。
心配しないで。そう、帝都と緑の丘に願う。
「……寂しい?」
アレクが、ぽつりとそう呟いた。その顔を見上げる。
ほんのり心配そうなその顔に、思わず吹き出した。
「なんで笑うんだよ」
「だって」
そんなお留守番を任されたような子供ような顔をして。そう言ったらアレクはいじけてしまうだろうか。
大人のような、まだ少年のような、大きな王国を背負う人。
「嫌だって言ったって、一緒に行くからね」
「……ちゃんと、ついてきてくれる?」
そう言ったアレクに、ニヤリと笑みを返す。
「まさか」
「っ、え!?」
「『一緒に行く』のよ。――うかうかしてると追い越すからね?」
そうツンと言い放つと、アレクは目をパチパチとしてから、吹き出した。
「ふっ、ほんと、負けず嫌いだな」
「当然よ」
可笑しそうに笑うアレクに、同じように笑いながら言葉を返す。
「――貴方の妻になるんだから」
アレクは、は、と息を止めて。それから、じっと私を見てから、おもむろに顔を近づけて。そっと、優しく口づけた。
「ちょっと、みんな見てる、」
「見せとけよ」
ぷい、と拗ねたように前を向いたアレクを見上げる。
ほんのり赤いその顔が、可愛くて、大好きで。
私も思わず、アレクのほっぺに口づけた。
「――っ、エレナ、」
「ふふ、見せとけば?」
にや、と笑った私に、赤い顔を向けて。それから、アレクは可笑しそうに笑った。
「とんだお転婆な奥さんだよ」
「あなたもね」
そして、また吹き出すように笑い合った。
エランティーヌ王国へと続く、長い道。吹き抜ける爽やかな風が、白い雲と丘の上の緑の草を、さわさわと波のように優しく揺らしていた。
次回で最終話です!
ここまで読んで頂いて本当にありがとうございました!!
ぜひ最後の一話までお楽しみください!
ここでちょこっと宣伝です。
アレクの昔話が気になる方は、ぜひ前作の
『聖女?いいえ、違います〜聖女になりたくないので幼馴染と偽装結婚します〜』をご覧下さい!
サブキャラですがアレクが出てきます。
(実は本作はスピンオフでした)
下の目次ボタンから飛んで作者名をクリックすると作者ページへ行きますので、
そこからぜひ前作をご覧いただければと思います!
ではラスト一話!ぜひお楽しみください!




