乱 壱
これは月丸も知らぬ話。
既に一山向こう百鬼夜行の後尾を感じながら、呉葉は吉房の手を取り歩いていた。呉葉は月丸を案じていた。人でありながら、悪戯に第六天魔王の力を授かり、人々を恨み、命を奪ってきた自分を救ってくれた吉房。そして、自分と同じように、ただ、妖霊として生まれただけで、あのように無垢な者が、国中から禍事の象徴と忌み嫌われる。呉葉にとっては、自分の事のように悔しく、悲しかった。
昔ならばその悔しさ、悲しみを怒りに変えて他者にぶつけていたであろう。だが、その行為の虚しさは吉房が教えてくれた。怒りよりも慈しみを。怨みよりも愛情を。その力は他者を屈させるのでは無く、助くるためのもの。吉房に諭され、気が付けば、自分を慕ってくれる仲間に囲まれた。男も、女も妖も。守ってやりたいと思えるようになった。
近しい境遇の月丸には、尚更そう感じた。最初は妖霊の名が恐ろしかった。十年前に感じた妖気はただならぬ者であった。だが、月丸も自分と同じなのだ。吉房が闇から拾い上げたのだ。だからこそ助けてやりたい。力になりたい。
そう思っていた。
「吉房様。あの山を越えた先に、月丸さんの気があります。明日の昼には月丸さんの元に着くでしょう。」
呉葉の言葉に吉房も頷く。
「おう。流石は妖霊じゃな。儂等が四日五日も掛かる道のりを、一晩もかからずに行くのだから…。」
吉房も月丸を感じる方向へと顔を上げる。その顔には疲れの色が濃い。
最短で辿り着くため、道なき道を歩き続けた。既に老体である吉房の体は、吉房が考えているよりも衰えているようであった。無論、同じ年齢の他の者と比べれば、余程強靭ではあるが。
「それにしても…。あの結界を一人で張り続けるとはな。大した奴じゃ。囲う事は叶わずとはいえ、さがることを知らぬ百鬼夜行を抑え続けておる。」
呉葉はふと、疑問を口にする。
「月丸さんは何故、道を封じなかったのでしょうか?そうすれば、こうして毎晩、結界を張り続ける必要もないのに。」
吉房はふむ、と溢すと、その問いに答えた。
「彼奴は分身の目から村が襲われるのをみていたのであろう?
と、言うことは、百鬼夜行は山から里へ降りておる。恐らく田畑の間を歩いておろう。田に合わせ逸れる道は無数にある。道を返せば、無数の道から逸れて、百鬼夜行は分断され、広がって行くであろう。そんな中、道を塞ぎ、逸れる道も全て塞ごうとすれば、一人、二人では無理であろう。何より…。」
言いかけて、吉房は疲れた顔に笑みを浮かべる。
「道を騙すはあの規模の百鬼夜行にはもう通用せん。月丸は優しい。きっとあの場で百鬼夜行を食い止めることで、他の命を奪わせないようにしておるのであろう。」
吉房はそう言うと、足を早めた。
そんな二人を驚かせたのは明け方であった。百鬼夜行の不気味な気配が消えると同時に、月丸の結界が消えるのはいつものことであったが、結界の気配と同時に月丸自身の気配が消えた。
それを感じ、呉葉は顔を青くする。
「吉房様!」
流石の吉房も眉間に皺を寄せる。
「うむ。儂も感じた。月丸に何かあったらしい。急ぐぞ!」
二人は山道を駆けに駆けて、何とか日が高く登る頃には月丸の元へと辿り着いた。そこで吉房と呉葉が見たものは、無数の武士の死体と、幾人か、狂ったように涎を垂らし、目の焦点も合わぬまま、彷徨うやはり武士の姿。
「吉房様…これは一体…。」
驚き、細い声で尋ねる呉葉。そしてその問いに答えずに吉房は耳を澄ます。どこからか聞こえる泣き声。
おおん
おおん
か細く、小さな声だが悲しみを隠すことなく泣く声が聞こえる。
「呉葉よ。聞こえるか?」
吉房の言葉に呉葉も耳を澄ます。
あうう
ばぁぁぁ
おおん…おおん
狂い彷徨う武士達の唸りの中、確かに泣き声が聞こえる。
「聞こえます。吉房様。」
二人は泣き声の元に走った。
そして泣き声のもとに辿り着いた時、二人は目にした。
無数の矢を体にそして額に受け、生を止めてた月丸の無惨な姿であった。そしてその月丸の骸を抱き、おおんおおんと小さき声を上げる老人。
月丸の姿を目にした呉葉は、僅かに怒りで正気を失った。かっと目を見開くと、一瞬で辺りを彷徨う狂った武士を妖術で燃やし尽くした。辺りに幾つかの火柱が上がる。
「なにを…。なにをやっている!人間ども…。お前達は…何を…」
叫び上げた呉葉の言葉は小さくなり、その場にがくりと膝をつき、手で顔を覆って声を上げて泣いた。吉房は泣く呉葉の肩をさすると、月丸の元へ歩み寄り、老人に声をかけた。
「儂は名を吉房と申します。畏れながら、貴方様は神で在られますな。この者は妖霊にして我が弟子…いや、我が子のようなもの。もし、この子がかような目に遭った経緯、ご存知であればお教え願えますか?」
吉房は顔を真っ赤にし、震える声で老人に尋ねた。老人は皺に隠れた目から流れる涙を拭うことなく、途絶え途絶えに答えた。
「この子はのう…儂をも守ると言ってくれた。師が来るまで百鬼夜行を抑えると言ってくれた…。何とも素直で優しい妖じゃ。一人であの大きな百鬼夜行に向かったのじゃ。来る日も来る日も、たった一人で。妖霊なのに、人を守るために。妖霊なのに、神や妖を一人で守ってくれた優しい妖じゃ。」
老人は泣きながら、月丸の顔を染めた血を優しく拭いながら、言葉を続ける。
「お主が師であるな。この子はお主がどれ程優しいか、どれ程頼れるか、どれ程信頼しているか、ずっと話しておった。師が来れば、もう大丈夫とな。出来れば、かような事になる前に、お主にたどり着いてほしかった。」
老人の言葉に黙する吉房。
まだ幼いが、その力は自分よりも遥かに強い。確かに月丸ならば大丈夫であろうという信頼があった。だから先に行ってしまった月丸をそのままにしてしまった自分に非はある。その結果どうだ。か弱き者は守ると言った月丸は、そのか弱き人に討たれたのであろう。
吉房は力一杯、地面を殴りつけた。石が拳に刺さり、血がぼたりぼたりと垂れる。
「神よ。言い分はご最も。だが、お頼み申す。何故このような事となったか、教えてくだされ。」
吉房は震える声で老人に頭を下げ頼み込んだ。そして、とつ、とつ、と老人の口から月丸の事を聞かされた。
爺ちゃんと呼んでくれた事。干飯を嬉しそうに食ってくれたこと。
夜ともなれば力を使い果たす迄、百鬼夜行をこの地に縛り付けていた事。
昼は眠り、起きては自らの師の事を嬉しそうに語っていた事。
人が百鬼夜行の呪いを妖霊のせいとして退治に来た事。
そして、全力で百鬼夜行を抑え、明け方の力が尽きようとした時であったため、自らの護りが手薄となり、破魔の矢を受けた事。
月丸が倒れ、結界が失われ、日が差す刹那、月丸を退治に来た武士達はその一瞬で瘴気に飲まれ狂ってしまった事。
そして、この老人は月丸が矢を受けた刹那、自らの身も顧みずに、月丸が百鬼夜行に取り込まれぬよう、慌てて飛び出し、身を挺して結界を張った。無論、道祖神の力では長く護る事はできなかったが、幸にその瞬間に日が出て百鬼夜行が消えたため、何とか月丸を護ることができたのだという。
泣く呉葉を呼び、隣に座らせて、黙して聞いていた吉房は、深々と頭を下げ、老人に礼をした。
「…此度の事、きっと朝廷の命にございましょう。吉房様より仰せつかっておりましたが、今回ばかりは人を許すことができませぬ。百鬼夜行を封じた後、私の力で朝廷を滅ぼします。北の朝廷も、南の朝廷も、武士達も…。月丸さんをこの様にした仕打ち、許せるものではありませぬ。」
ぼろぼろと涙を流しながら、震える声で語る呉葉。その目は黄金に光り、背からはぶわりと六対の黒い翼が広がる。怒りで第六天魔王の力を抑える事ができなくなり、黒い妖気が辺りに広がる。吉房に止められるとは分かっていたが、それでも、自分の仲間達を殺し、あまつさえ月丸をこの様な姿にした人間を、呉葉は最早許す事ができなかった。今、此処から直ぐに都に飛び、宮に居る者達を皆殺し、せめて月丸の手向けと立ち上がった。
だが、吉房の答えは、呉葉の予想に反したものであった。
「ならぬ。滅ぼすのであれば、それは同じ人である儂の仕事じゃ。それは儂がやる。お主は折角業から放たれたのだ。また戻るでないわ。月丸も優しいお主が好きであろう?それを自ら捨てるのは許さん。」
そう言うと、吉房は立ち上がり、呉葉の頭を月丸にするように優しく撫でた。
「恐れられた以前の呉葉は、もう居らぬ。どうか、皆が、月丸が好いてくれるお前のままでいてくれ。お前が考えた穢れは儂が全て貰い受ける。」
吉房は百鬼夜行を封じ、その後に朝廷を自ら討つと言った。恐らく、吉房ほどの力であれば、もしかするとそれも出来るかもしれないが、同じ陰陽の術を使う者達が朝廷には多く勤めている。月丸の仇打ちに、吉房は命を賭すのであろうことは呉葉にも容易に理解できた。
ならば、吉房に何事かあれば、今度は自分が。呉葉の目に覚悟が宿る。
そんな二人を静かに見ていた老人が口を開く。
「儂は道祖の神。道行く者を導き、道に疲れし者を癒す。吉房と言ったな。人や妖にはできずに神にのみ出来る事がある。知っておるか?」
吉房はその問いにこくりと頷く。
「お救い下さるのですか?」
短い吉房の言葉に老人はこくりと頷くと、目を月丸に向け、月丸の頬を優しく撫でた。
「死してなお、美しい顔をしておる。此奴の心がどれ程美しいか、見ればわかるよの。以前の妖霊はそれはそれは恐ろしい気を放っており、醜く獰猛な見目であった。この様に綺麗な心を持つこの子は、きっと世を救ってくれるであろう。ならば、本来、この子が居らねば百鬼夜行に取り込まれた儂の命、この子にくれてやる事くらい惜しくはない。
先程までは、助けても夜には百鬼夜行に取り込まれてしまうであろうで、出来なんだが、お主達が来てくれたのだ。救う事もできよう。」
吉房は知っていた。神は死した命を救うため、自らの命をその者に与える事ができることを。老人は、道祖の神は自らの命を月丸に与えると言ってくれた。その言葉に吉房は再び深々と礼をした。
「この子は儂を救ってくれると言っておった。お主の力で安全な別の道へと移したとでも言っておいておくれ。そうでも言わねば、この子のことだ。きっと気にするであろうからな。」
そう吉房に告げると、老人は再び月丸に目を落とし、優しく月丸を撫でた。
「妖霊よ。健やかに。安らかに。」
刹那。
老人の周りから淡い光が立ち上る。そしてその光は月丸を包んでゆく。
一瞬。かっと眩い光が辺りを包む。その瞬間、老人の姿は消えていた。そして、横たわる月丸に深々と刺さっていた幾本の矢は消えていた。吉房にしては珍しく取り乱したように月丸の元へ行くと、ゆっくりと自分の胸に抱き寄せる。少し遅れて、呉葉も月丸の元へと歩み寄った。
着物は血に塗れ、穴だらけである。その穴から見える月丸の肌は、やはり血に濡れているものの、矢が刺さっていた様な穴はない。
吉房は月丸の額をそっと拭う。やはりそこには矢の刺さった跡はなく、白い月丸の肌があるだけであった。吉房は今度は月丸の口元に耳をやる。
すう。
すう。
息が戻った。
「吉房様…。月丸さんが…。」
呉葉は口を手で覆いながら、月丸から感じる僅かな妖気、生の気配を感じ取り、喜びに嗚咽をあげた。
「道祖の神よ。感謝してもし足りぬ。ありがたい…。ありがたい…。」
吉房は月丸を胸に抱き締め、気が緩んだのか、声を押し殺し呉葉と共に泣き続けた。
やがて、落ち着きを取り戻した吉房は、月丸を背負い、この場から離れた。吉房と呉葉だけでは、村々を取り込み強大となった百鬼夜行を一晩封じ続けることは不可能であったからである。百鬼夜行が広がってしまうが、まずは月丸が大事と、来た道を西に上りながら、百鬼夜行の瘴気の影響がない山奥へと逃げ延びた。




