魑魅魍魎 弐
月丸の元で火車の話を聞いてから一週間程が過ぎた。今日は久々に昼前には書き終わり、時間の余裕ができた雄座は月丸の元に遊びに行くことにした。昼間であれば、洋菓子店も開いている。最近は物書きが忙しく、月丸の元に行くのも、夜となり、共に酒を飲むことが多かった。月丸の好きなワッフルを持っていけば喜んでもらえるだろうと、雄座は銀座に向かった。
いつもの百貨店に行こうと人ごみの本通りを歩いていると、ふと、雄座の耳に噂話が聞こえてくる。
(…でな、通夜が終わると、仏さんが居なくなったっていうんだよ。)
(ああ。聞いたよ。しかも最近頻繁に起こるんだろ?祟りってなあ、本当にあるんだねぇ。)
雄座が声のほうを振り向くと、金物屋の店主と客であろうか。店先の椅子に座り、煙管をふかしながら語り合っていた。頭から消えていたが、先週月丸に聞いた、子爵が訪れた葬儀と同じ話であった。しかし、「頻繁に起こる」となると、子爵の訪れた葬儀とは別に、同様の事件が起こっているのであろうか。雄座は詳しく話を聞くため、待ち合わせのような素振りで、二人が座る店の前の街路樹に寄りかかった。
(ほら、昨日、のず屋の先代が亡くなっただろう?今晩は通夜だろうから、無事に終わるといいがねぇ。)
(ああ。いい親父さんだったからなぁ。祟りをもらうようなことはやっちゃいねぇと思うが、こうも縁起でもないことが続くとねぇ。)
雄座は、二人に近づくと、会釈して尋ねる。
「あのう。先ほど、のず屋という名前がでてきたので、お聞きしたいのですが、のず屋ってどこにあるんですかね。大変評判が良いので行こうと思っているのですが、店の場所が分からなくて。」
二人して雄座を見るが、道を尋ねる青年を特に怪しむ気配はない。無論、雄座はのず屋が何の店かも知らないが、評判が良いと言っておけば、差し支えないだろう。案の定、煙管の灰を落としながら、店主と思われる男が応える。
「あぁ。あそこは酒も肴もうまいからなぁ。ほれ、時計台の通りをそのまま築地に向かってな、木挽町のひとつ目を左に曲がったところにあるよ。小せぇ店だから見落とすかもしれないがね。」
そう答えた男に雄座は丁寧に礼をした。
「ありがとうございます。知人から一度はのず屋に行けなんて言われていましてね。今日あたり足を運ぼうかと思いまして。助かりました。」
雄座がそう伝えると、もう一人の男が割って入る。
「昨日、あそこの先代が亡くなってね。今日が通夜だから、暫くは店はやらないよ。残念だったね。」
先ほどの二人の会話を聞いていたため、知ってはいたが、さも知らなかったように繕う雄座。
「ええ?そうなんですか?それはまた、残念なことで。」
「あぁ。残念だよ。先代は料理人として腕もいいし、人も良くてね。皆から好かれていたよ。ただ、もう八十を超えてたからね。大往生だろうよ。」
そんな話を聞き、雄座は礼を言い、その場を去った。どうやら火車が帝都に居座っていると考えるのが妥当であろうか。この一週間で、火車が幾度も出没し、亡骸を奪っているようだ。これは月丸に相談する必要がある。雄座は一刻も早く月丸の元へ向かうため、まずは洋菓子店へと急いだ。
すたすたと慣れたように百貨店に入ると、目的の洋菓子店へと到着する。店に入ろうとすると、店の外側、ガラス窓から、中を覗くおかっぱで着物姿の男児がいる。年の頃は四、五歳であろうか。辺りに保護者の姿はない。余程洋菓子に興味があるのであろう。店内のテーブルに運ばれる洋菓子や、テーブルで食べられている洋菓子をじっとガラス窓の外から眺めている。
親と銀座に遊びに来たのであろうが、高い洋菓子は買ってもらえなかったといったところであろう。雄座は過去、この店に入れずに困っていたことを思い出し、くすりと笑うと、店内に入っていった。
「これはこれは。いらっしゃいませ。本日もお持ち帰りですか?」
すっかりと顔なじみになった女給仕に声を掛けられながらも、やはりいつものようにワッフルを四つと、目新しい洋菓子をいくつか、持ち帰り用に注文した。
案内されたテーブルに座り、一息ついた雄座は、ふとガラス窓に目をやる。百貨店内の洋菓子店のため、窓の外は、他の店先が見える。そこには先ほどの男児がじっと他の客が食している洋菓子を眺めていた。丁度、女給仕が、待っている間に客に提供する紅茶を持って戻ってきたので、雄座は、ワッフルをもう一つ、注文した。
やがて土産用に包まれた洋菓子が雄座の元に届けられると、代金を払って店を出た。そして、相変わらず店内を覗いている男児の元へやってくると、堤の中から一つワッフルを取り出し、男児に差し出す。
「ほら。一つあげよう。そんなに店の中を覗いていては、店のお客さんも気になるだろうし、何より、いつかは怒られてしまうよ。」
雄座は優しく声を掛けたつもりだったが、男児は驚いたように雄座に振り返ると、怯えるように雄座とワッフルを交互に見る。
「ああ。驚かしたようだな。心配するな。あまりに店内を覗いているから、きっと食べたいのだろうと思っただけだよ。ほら、受け取って。」
そういうと、男児にワッフルを手渡した。先ほどから、雄座とワッフルを交互に眺めるだけの男児に、雄座はうん、と頷く。それで安心したのか、男児はワッフルを頬張った。美味しそうに食べる男児を見て雄座は再度、頷くと、その場を離れた。
雄座としては、男児が洋菓子を食べたいのだろうと思ってワッフルを渡したが、親に食べているところを見つかって怒られては可哀そうだ。そんなことを考え、すぐに洋菓子店へ戻ってきた。しかし、既に男児の姿はなかったため、この話はそれきりとなり、雄座は包みの甘い香りを漂わせながら、銀座の通りを歩いて社へと向かった。
社に着くと、人通りを気にすることなく、雄座は鳥居を潜った。境内はしん、としており、穏やかなそよ風に新緑が揺れる音だけが響く。しかし、幸いなことに月丸が不在にするということはない。そのため、雄座はすたすたと拝殿までやってくると、拝殿の向かって右手側、濡れ縁に腰を下ろした。
「お、この香りはワッフルか?」
やはりいつの間に居たのか、月丸は雄座の後ろに座って、すいっとお茶が差し出された。そのお茶を受け取りながら、雄座は振り返る。
「ありがとう。お前もそろそろ食べたくなるのではないかと思ってね。土産に買ってきた。新しい洋菓子もあったから、それも買って来たぞ。」
「それは楽しみだ。」
月丸はそう言いながら、もう一つ、お茶を差し出した。
「月丸。もう茶はもらったぞ。」
雄座が自分のお茶を指さすと、月丸が首をかしげる。
「何を言っている。お前の分と、その子の分だ。」
雄座も月丸の言っていることが分からず、月丸の視線の先に目を向ける。そこにはおかっぱ頭で灰色の着物を纏った先ほどの男児が立っていた。
「お前。付いてきちゃったのか?お父さんやお母さんが心配するぞ。連れて行ってやるから、百貨店に戻るぞ。」
雄座は驚いて、立ち上がり、男児の手を握ったとき、ふと気付く。
「何で、君、社に来られたんだ?」
雄座はこの子の手を引き入ってきたわけではない。という事は、この子自身、この社が見えており、自ら入って来たという事である。
雄座は月丸に向き直す。
「月丸、この子は…」
言いかけた時、月丸が頷く。
「如何やら、この子は人ではないようだな。妖怪にも感じないが……。精霊か何かか?」
言われてみれば、雄座がこの子を見つけた時、ガラス窓から店内をずっと見ていたが、誰一人気にする様子はなかった。今更思えば、気にしていないのではなく、他の者には見えていなかったのかもしれない。
月丸は濡れ縁から降りると、男児の前に膝をつき、目線を合わせた。
「悪意はないようだ。お前は何者だい?名前は?」
月丸の言葉に男児は濡れ縁を指差す。
「美味しいの…、もっと食べたい。」
指の先には、雄座が買ってきた洋菓子の包み。月丸はくすりと笑うと、立ち上がった。
「まぁ、親が探しているという可能性もある。式神を飛ばすから、この子を探している様子があれば届けてあげれば良いだろう。」
雄座の手から、男児の手を取ると、月丸は濡れ縁に腰掛け、隣に男児を座らせた。
「一先ず、頂こう。」
そう言う月丸に反論できず、頭を掻きながら雄座も改めて腰を下ろした。
「しかし、人でもなく、妖怪でもなく、月丸にも分からんとは…。この子は何者なんだろうな。」
ワッフルを頬張り、もぐもぐと口を動かす男児を眺めながら、雄座が呟いた。月丸もワッフルを口にしながら、男児を見つめている。男児はワッフルを食べ終わると、上目に雄座を眺めた。
「…たくさん買ってあるから、食べていいぞ。」
雄座がそう言うと、男児はシュークリームに手を伸ばし、すぐに口に運んだ。
「なぁ。自分の名前くらい、言えないか?お前をどう呼んで良いやら、分からん。」
雄座が訊ねると、男児は口の中のものを飲み下すと、一言、呟いた。
「名はない。」
一言そう呟くと、再びシュークリームにかぶりついた。雄座は一つ、ため息をこぼして月丸を見る。
「では、お前をナナシと呼ぼう。名無しのナナシ。分かりやすいだろう?」
雄座の視線に月丸は、安直に男児に名を付けた。あまりにぞんざいな名の付け方に、雄座の方が笑った。
「月丸。ナナシとは、お前にしては随分と適当な名付けだな。」
そう言う雄座に、月丸が応えた。
「名ではない。ナナシと呼ぶだけだ。」
そう言うと、月丸は一口、お茶を啜ると、二つ目のワッフルに手を伸ばし、雄座に向き直した。
月丸が言うには、妖怪が相手に対して名を与えると、名を与えた妖怪の力をも与えてしまうという。名を与えるという事は、自分を新たに作るようなものだと。だからこそ、月丸は、呼ぶだけ、としたのだという。
雄座も聞いて納得する。古くから妖怪の種はあっても、名前を持つ妖怪というのは見ない。最近では、絡新婦が、多恵子と名乗っていたが、それは自ら付けた名前。与えられたものではない。だからこそ、必要ならば、自分で名乗れば良い。元々名前など、妖怪には必要ないものなのだろう。
そんな事を考えていると、月丸がすっと立ち上がった。
「どうした?月丸。」
訊ねる雄座に月丸が応える。
「ああ、せめて上に何かかけてやろうと思ってな。」
そう言いながら奥へと消えてゆく月丸。ふと、ナナシを見ると、すでにぐっすりと眠りについていた。
「先程まであれだけ食べていたのに…。何とも気軽なことだ。」
ナナシを見ながら、あきれるように呟いた。月丸が掛布を持って奥から戻ってくると、そっとナナシにかけてやった。そしてふと気づいたように手拭いでナナシの口を拭ってやる。
「はは。口にクリームを付けたまま寝ている。不思議な子だ。」
月丸はそう言うと、濡れ縁に置いていた自分の湯飲みを取り、口に運ぶ。ふう、と一息つくと、ナナシを見ながら言う。
「先程から、式神を通じて、百貨店の中を見てみるが、この子を探しているような者はいないな。恐らく、何かから生まれた精霊で間違いはなさそうだな。」
月丸の言葉に雄座が腕を組んだ。
「やはり人外で間違いないのか。しかし、これからこの子をどうするかを考えなければな。」
悩む雄座に月丸が応える。
「まぁ、精霊であるならば、暫くすれば自ずと在るべき場所に戻るであろうよ。それまでは、ここで匿ってやったほうが安全であろう。」
月丸の応えに、そうか、と呟く雄座。月丸が言うのだから間違いないであろう。ならば、ナナシは月丸に任せることにした。雄座は改めて本題を切り出した。
「なぁ、月丸。以前、遺体が消えるという話をしたのを覚えているか?」
既にシュークリームに手を伸ばし、口に含んでいた月丸に問いかけた。
「あぁ。覚えているよ。火車であろうと話したな。それがどうした?」
もぐもぐと口を動かしながら答える月丸に雄座は頷く。
「そうだ。銀座で噂を聞いたのだが、どうやら、ここ最近、同じようなことがどこそこで続いているようなのだ。月丸が言うには、火車はすぐに居なくなるだろうということだったが、どうやら居ついているようだ。」
雄座は先程聞いた話を月丸に聞かせた。月丸は口の中のものをこくりと飲み下し、考えるように空を見上げた。暫くして、すっと雄座に目線を向ける。
「火車ではないかもしれんな。しかし、調べようにも通夜や葬式でもなければ、姿を見せないのではないか?」
そう言う月丸に雄座はこくりと頷く。
「実は今日、通夜が執り行われる家を知っている。何とか追い払えないであろうか?」
雄座が興味本位で見たいのではく、亡くなった者や、残された者のために言っているのは、すぐに理解できた。雄座が人一倍興味深いのは知っているが、それ以上に人の気持ちを思いやる。「見に行こう」や「退治しよう」ではなく、「追い払う」とは、随分と平和な提案である。そんな雄座だから、月丸は二つ返事で了承した。




