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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第捌幕 魑魅魍魎
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魑魅魍魎 壱

 桜も散り落ち、青々とした葉を茂らせ、心地良い香りが辺りを包む。雲一つなく、青空が広がる見事な空を眺めながら雄座は自宅でぼんやりと過ごしていた。青空に誘われるように、普段は出ることのない庭に茣蓙を敷いて、ごろりと横になってみる。すると、視界の全てが青一色に染まる。これはこれで気持ちが良いと、すっかりとぼんやり空を見上げて数時間過ごしていた。


「たまにはこういう、何もしない日があっても良いな。」


 そんなことを考えつつ、五月の温かい日差しを浴びながら、雄座はそのまま眠ってしまった。


 暫くして、自動車の止まる音で目を覚ました。日は少し傾きつつある。懐中時計を取り出すと、針は四時を少し回った頃であった。日も長くなり、まだまだ明るい時分である。ふと、先ほどの自動車のほうに目をやると、本邸の金子子爵がどこからか帰ってきたところであった。遠目で見ても喪服を着ているのがわかる。恐らくどこぞの葬儀にでも参列していたのであろう。使用人から体に塩を振ってもらっている。そんな光景を見ていると、金子子爵も雄座に気づいたらしく、手を振り、こちらへ向かってきた。


「はは。五月のお天道様は雄座君も庭に誘い出せるようだな。」


 普段、物書きの仕事をしていると、部屋から出ることがない。それに雄座は案外月丸の元に出かけているため、家に居るか居ないか子爵にはわからない。そのため、久々に雄座と顔を合わせることが嬉しかったのだろう。そして、実の父親のように、雄座を少し茣蓙の端にやると、自分も茣蓙の上に胡坐に座った。


「今日はどちらかの葬儀ですか?」


 雄座の問いに子爵が答える。


「ああ。仕事での顔なじみだが、製鉄会社の社長が亡くなってな。通夜に出ることはできなかったが、今日が葬儀だというので、行ってきたんだ。」


 そう言うと、子爵は車の傍にいた使用人を呼びつけると、お茶を運んでくるように伝えた。


「雄座君も最近は随分と忙しいようだな。時々私の書斎から見ると、背広を着た者がやってきているが、新聞社の人かい?」


「そうです。今までは原稿を届けに行っていたんですが、最近じゃ取りに来てくれるようになって。いよいよ家から出られそうにないですよ。」


 雄座は笑いながら答えた。三カ月前から丸山書房が発行する婦人誌に乗せた小説も中々に評判がよく、雄座は新聞の連載と、婦人誌の連載と、それなりに充実したものとなっていた。同時期に文豪として名を馳せる島村藤村や田山花袋といった自然主義文学、夏目漱石や森鴎外といった反自然主義文学のいずれにも属せず、雄座の自由な作風は、新しいものを求める日本人にとって受けが良かったのだろう。しかし、新進気鋭の作家と呼ばれるようになっても、それは怪奇譚の作家として。やはり雄座が書きたいのは純文学小説である。複雑ではあるが、自分が納得しないまでも、読む者が喜んでくれているなら、それはそれで良いか。そう思う。

 しかし、そのせいで、仕事に追われ、気が付けばもうすぐ年の半分が過ぎてしまう。ここ一、二週間月丸の元にも遊びに行く暇がない。月丸と言えば、つい先日、長門石と多恵子の結婚の知らせが届いていた。月丸にも教えてやらないといけないな。そういえば、今日はまだ飯を食っていないな。

 五月の温かい日差しは、雄座の思考をあいまいなものにしていた。余計な考えがいろいろ浮かぶ。


「雄座君。君には興味のある話だと思うが、今日の葬儀で不思議な出来事があったんだよ。実は…。」


 子爵がそう言いかけたとき、使用人がお茶の道具を持ってきた。そそくさと準備をして、二人の座る茣蓙の上に小さなお膳を置くと、茶菓子と玉露が置かれた。雄座は礼を言うと、使用人は頭を下げて、その場を去った。雄座は朝から何も胃に入れていなかったせいか、熱いお茶が心地良い。


「さて、話の続きを伺っても良いですか?」


 雄座が話を促すと、ああ、と一言促すと、子爵が続ける。


「実は、今日行ってきた葬儀は仕事とはいえ、もう随分と長い付き合いのある男でね。仕事の付き合いというよりも、古くからの友人みたいなものだった。喧嘩もしたが、愚直で仕事には信頼のおける良い奴だった。突然の病気だったらしくてね。前の日まで元気だったのに、翌朝、家の者が起こしに行ったら亡くなっていたそうだよ。」


 子爵はその友人が亡くなったのが無念であるかのように、眉間に皺を寄せた。だが、急に亡くなることは、あり得る話であり、不思議な出来事とは思えない。雄座は茶菓子のあんこ玉を菓子楊枝で切り取ると、口に放り込み、子爵の話の続きを待った。


「葬儀は厳かに行われたよ。製鉄会社の社長でもあったから参列者も多くて。そんな中で、故人の奥方が取り乱し泣き崩れているのを見て、いたたまれなくてね。ただ、尋常ではない取り乱し方だったので、声を掛けたんだ。」


 ふむふむ、と子爵の話に相槌を打つ雄座。最愛の者が亡くなったのだ。取り乱してもおかしくはない。つい先日、結婚の知らせが届いた長門石と多恵子のことを思い出す。もし、長門石が亡くなったとしたら、恐らく多恵子は取り乱して泣き崩れるであろう。もちろん逆でも然り。それは当然の事であろう。子爵の言う奥方が取り乱すのも、仕方ない事ではないか。


「だがね。奥方は私に言ったんだ。『あの人が消えてしまったんです。神様があの人を隠してしまった。』とね。不思議に思ったので、ご子息に頼んで、故人の顔を最後に拝ませてもらったのだが、棺の中は何もなかったんだよ。故人が居なかったんだ。それで改めてご子息に聞くと、昨晩の通夜には、故人は居たらしいんだが、朝、気づけば遺体が消えていたそうだ。いなくなっていたんだよ。」


 遺体が勝手に起き上がり、どこかへ行ってしまったのだろうか?西洋には、死者を操る妖怪がいるらしい。だが、この帝都でそんなことが起こるはずもない。もしかして、死んだと思っていたら生き返ったのではないだろうか。しかし、それでは家族を残して消えることはない。子爵の話を聞きながら雄座も考え込む。


「多くの人が集まる葬儀だったからね。とりあえず遺体のないまま葬儀を終わらせたんだが。一体彼奴は家族を残してどこへ行ってしまったのやら…。」


 そう言うと、子爵は大きなため息をついた。


「それは確かに不思議な話ですね。でもそれ以上に、ご家族がなんとも可哀そうですね。主人が亡くなって気が消沈しているところに、ご遺体までいなくなるとは…。」


 雄座の言葉に子爵もこくりと頷く。


「ああ。奥方の取り乱し様は見ていて痛ましかったよ。せめて、帰ってきてくれればなぁ。」


 今度は、子爵の言葉に雄座が頷く。子爵は言葉を続ける。


「参列者は何も知らないままだが、家族は悲しみ、一部の知らされた親族は呪いだ祟りだと恐れおののいてなぁ。良い奴だったのに、最後の最後にこんな仕打ちはない。誰の仕業か知らないが、許せるものではないよ。」


 言い終えると、子爵は頭を下げ静かに泣いた。子爵にとっても、大事な友人であったのだろう。何とかしてやりたいが、残念ながら、自分には解決できる力はない。であれば、解決できる力を持つ親友を頼ることにした。

 暫くは、子爵の話を聞いてやり、雄座が銀座に向かったのは、夜の七時を回った頃であった。






 銀座の一角。

 日が伸びたというものの、既に夜空が広がっているが、まだ人の往来はそれなりにある。仕事終わりに駅に向かう者、酔っ払って往来で騒いでいる者、足早に駅に向かっている若い婦人は、恐らく店の店員であろう。雄座はふらふらと歩きながら、久しぶりの銀座を眺めていた。久々といっても二週間程度ではあるが、雄座にとっては、随分と久しぶりに感じる。すでに百貨店は仕舞っており、ワッフルや洋菓子を買うことができないので、途中の飲み屋で購入した煮物と四本のビール瓶をぶら下げながら、社を目指した。


 やがて、社の前までたどり着くと、相変わらず、通りを歩く人々は、社の存在を知ることなく、見向きもしない。雄座がこの鳥居を潜る時、通行人が見ていても、何事もなかったように歩き去って行く。これも結界の力によるものであろうか。しかし、神田男爵を最初に連れてきたときは、雄座が消えたと驚いていた。そう考えれば、通行人にとって、別の通行人である雄座は、その時のただの景色の一つであり、注視していなければ、消えても気づかないのであろう。そんな気がした。寂しいものである。そう思いながら、雄座は鳥居を潜る。


 いつもと変わらず、丁寧な掃除の行き届いた境内は、月明かりのなか、玉砂利が月明かりを反射し、きらきらと美しさに彩を添える。青々と茂る塀沿いの木々はそよ風にその新緑の香りを乗せ、雄座を包み込んだ。


「相変わらず、心地良い。」


 雄座はひとり呟くと、慣れたように拝殿の濡れ縁に腰を下ろした。すると、背中に気配を感じる。


「いや、すまないな。最近は仕事が忙しくて、中々顔を出せなかったよ。」


 雄座は視線を向けずに一言言う。そして雄座の言葉に応じる声。


「まあ、人にとって忙しいのは良い事だろう?謝る必要はないさ。」


 雄座が声のほうに視線を向けると、月丸が濡れ縁の柱に背を預け片膝を立てて座っていた。


「飲むか?」


 雄座はビール瓶を少し持ち上げる。月丸は笑って、ああ、と返事して、酒の席の用意がされた。



 月丸はあまり暑い寒いは気にならないようで、普段はいつも装束に身を包んでいる。しかし、冬場は雄座を気遣って、暖を用意した小屋で呑むことが多かった。こうして肩を並べて、濡れ縁で呑むのは久しぶりで、雄座は少し嬉しかった。


「どうした雄座?にやにやとして。何か良いことがあったか?」


 雄座からビールを注がれながら、月丸が尋ねる。


「いや、こうしてお前と濡れ縁で呑むのが久しぶりでな。それが嬉しいんだよ。」


 雄座は素直にそういうと、月丸のグラスにカチンと当て、そのままグラスを口に運んだ。月丸も穏やかな笑みを浮かべたまま、ビールを口に含んだ。

 雄座はグラスを置くと、懐から一通の文を月丸に渡す。月丸は静かに受け取ると、文を開き読み始める。


「ああ、長門石と多恵子が結婚することになったのか。それはめでたいな。」


 月丸の表情がぱっと明るくなった。


「ああ。めでたい。あの二人には幸せになってほしいよ。」


 月丸の笑顔に雄座の頬も緩む。雄座はグラスのビールを一気に飲み干すと、手酌で注ぎなおした。月丸を見ると、余程嬉しかったのか、何度も何度も手紙を繰り返し読んでいる。


「月丸。ビールは注ぎたてがうまいぞ。」


「あぁ。そうだな。」


 雄座の言葉に、ビールを手に取り、口に運ぶが、視線は文に向かったままである。そんな月丸を眺めつつ、ビールを飲むのもまたうまい。雄座もまた、久々のこの空気を堪能していた。


 やがて雄座の近況を聞かれ、仕事の事や新たに思い起こした物語を月丸に話して聞かせた。月丸は月丸で、育てている花が咲いただの、さつきが花をつけただの、話しては笑い、穏やかな時間が過ぎた。


「ああ、そうだ。忘れるところだった。」


 雄座が思い出したように言う。


「ん?何かあったか?」


 月丸の言葉にふむ、と返すと、雄座は先ほど子爵に聞いた故人の亡骸が居なくなるという話を聞かせた。すると、月丸は少し考えこんで、答えた。


「話を聞いただけではわからぬが、亡骸を操る妖怪はいる。遺体を食らうものもいる。何とも言えぬが、奇異な話であることは間違いなさそうだな。」


 月丸の答えに雄座は眉を顰める。


「遺体を操るのは、河童化けもやっていたな。しかし、遺体を食う妖怪(ようかい)が居るのか。それは悪趣味だな。」


 雄座の言葉に月丸が苦笑いを浮かべる。


「趣味ではないよ。火車という妖怪だが、悪意はない。ただ、生きるために飯を食うだけだ。その飯が人や動物の遺体なだけだ。まぁ、不快であるには違いないが。」


 月丸の話だと、火車は突如として現れるらしい。生きた者を好まないため、人里離れた山奥などで暮らし、普段は山の獣の骸を喰らっているらしい。火車は獣の姿をした妖怪で、人のように考えることはなく、どちらかと言えば獣に近い。古来より、食べ物がなくなると、人里に降りて来ると言う。


「俺も実際には見たことないがね。」


 月丸はそう付け加えた。月丸が見たことないと言うほどだ。その姿はよほど珍しいものなのだろう。雄座も、名前だけなら伝記で見たことがある。

 猫のような姿で、悪事を犯した者が亡くなり、葬儀の列に雷雨とともに現れ、亡骸を喰らう。確かそんな話であった。しかし、悪事を判断するなら、知性はあるであろうし、雷雨は昨日は降っていない。何より、子爵の話ではその社長は性格の良い男のようであったし。ならば火車ではないのか。だが恐らく、月丸のいう火車が本物の火車であろう。雄座の知る伝奇は人の記したもの。幾分にも恐怖心が含まれ、悪事を犯した者の亡骸を喰らうだとか、雷雨を呼ぶなどの逸話が増えたのであろう。


「また出ると思うか?月丸。」


 雄座が訊ねる。月丸は首を横に振った。


「火車は生きた者を恐れる。こんなに人の居る東京に居座る事はない。まぁ、亡骸を奪われた者は諦めるしかないが…。」


 そう言うと、月丸はグラスを口に運んだ。

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