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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第漆幕 絡新婦
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絡新婦 玖

 あやめは目の前に並ぶ料理に、満足そうにため息をつく。あやめ自身はまだ料理は得意ではないが、僅かだが自分の手伝ったものが、これ程美味しそうに並べられるのは心地良かった。


「多恵ちゃん。流石ね。とても美味しそう。」


 そう言いながら多恵子の方を振り向くと、褒められて嬉しいのか、天狗に言われて恐縮しているのか、表情からは分からないが、人の手となった前足をもじもじと絡ませているが、準備を終えて満足しているのは分かる。あやめはそんな多恵子に満足すると、自分の額に人差し指を当てる。


「多恵ちゃんはそろそろ隠れておかないとね。あとの事は、頭で考えてくれれば良いよ。それで分かるから。」


 そう言うと、自分の額に当てていた指を離し、絡新婦の額に当てた。


(どう?天狗の術、心話しんわって言うの。便利でしょう?)


(すごい。心の中に直接、あやめ様の声が聞こえてきます。)


 あやめは満足そうに笑みを浮かべると、驚いている多恵子に言葉を続ける。


(さあさあ、長門石さん来ちゃうよ。早く隠れなきゃ。あとの事は、心話で指示を頂戴。)


 そう言いながら、あやめは料理を運び始めた。絡新婦は頭を下げると、徐々に体を縮めていき、直ぐに唯の蜘蛛程の大きさになった。


(あ、あやめ様。お魚のお皿は右上に…筑前煮はお魚の左隣に、離して…)


 並べ方にも何やら決まりがある事に感心しつつ、あやめは多恵子の指示通りに並べてゆく。よくよく考えれば、天狗の里にいた時は料理の並びなど気にもしなかったし、和代の元で働き始めてからは、別の給仕が用意してくれている。自分でこうして料理を並べてゆくのも、あやめにとっては楽しかった。そんな折、からりと入口の戸が開いた。


「おお。あやめ。ちゃんと出来てるな。」


 入ってきたのは月丸であったが、あやめは驚く様に声を上げた。


「月ちゃん。どうしたんですか?その格好…。」


 驚いた表情でふらふらと月丸に近付きながら呟くあやめの言葉に、月丸は満面の笑顔を溢した。


「雄座が買ってくれた。」


 月丸は淡い水色のワンピースを纏っていた。大きめの真っ白い襟には、黒い糸で花の刺繍が細かく施される。襟の下から覗く赤いリボンタイが彩りを添える。腰にはベルトがわりのリボンが余計に愛らしい印象を与える。スカートにも刺繍やレースが散りばめられ、ここ最近、洋装好きの女子に流行している格好だ。


「何て可愛らしい。」


 あやめは眼を輝かせて月丸の周りをくるくると回りながら眺める。これには流石の月丸も苦笑いを浮かべた。


「あやめ、もうすぐ長門石が来るぞ。服を変えた程度で、はしゃぎ過ぎだ。」


 月丸が促すと、あやめは惚けた様に月丸に眼を向けたまま、再び準備を続けた。


「元があんなに可愛らしいのに、そんな素敵なワンピースで飾ったら、本当に洋画に描かれる天使みたいですよ。月ちゃんみたいな妹がいたら、毎日愛でちゃいます。」


 頬が緩むあやめに、月丸はため息を吐きながら言う。


「天使ではなく妖霊だよ。まぁ、雄座がくれたものだから、嬉しくはあるがな。あぁ、そうそう。長門石には、俺はあやめの妹という事にした。なので口裏を合わせておいてくれ。」


「はい!」


 月丸の言葉にあやめは返事を返すと同時に、月丸に抱き付いた。


「…どうした?あやめ。」


「妹だから愛でているんです。」


 店の中ではなんだかんだと準備が進められた。




 流石に陽が高くなる頃には、昨日からぱらぱらと舞った雪は止んだ。しかし、路肩に避けられ積もる雪が、寒さを感じさせる。

 月丸が店に入ってから、あやめの声が外まで聞こえるが、きっと月丸の格好を見て、はしゃいでいるのだろう。そんな事を考えながら、雄座は懐中時計を見る。もうすぐ長門石も来るだろう。


 雄座は銀座で長門石と別れたのち、月丸に人の服を買ってやろうと思った。妖怪と人との隔たりは、その姿と力。力はやむを得ないが、姿は人に似せられる。ならば、せめて月丸が街中を歩く時は、人として歩かせてやりたい。そんな思いで服屋に連れて行った。確か、いつもワッフルを買いに行く百貨店に服屋があった。そこで月丸に似合う洋服を買ってやろう。

 服屋に着くと、流石に洋服のことは分からないので、店の者に似合う服をある程度の値段で頼んだ。暫く眺めていたが、どんどんと女性の店員が月丸の元に集まってくる。

(まぁ、月丸の見目は人離れしているしな。)

 そんな事を考えながら、待っていると、店員が連れて来たのは、淡い水色のワンピースに身を包んだ可愛らしい少女であった。


「え?」


 雄座は驚きながらも、まぁ、月丸の見た目では勘違いされても仕方ない、頭の片隅でそう思うが、服を選んだであろう店の者の説明と、月丸に対する褒め言葉に、雄座は訂正する事も出来ず、購入する事となった。


「まぁ、似合ってはいるからいいか。」


 男でも女でもないなら、どちらの服でも平気だろう、などと考えながら、結局勧められるままに女物の洋服を購入し、そのままこの店までやって来たというところだ。



「おお、神宮寺君。待っててくれたんだね。」


 少し離れたところから、長門石が手を振りながら歩み寄ってくる。その声に雄座は目線を向け、手を振り返した。


入口の前で並ぶと、長門石は多恵子が心配なのか、昨日の様な軽さはない。


「風邪で寝込んでも飯の心配してもらえるとは、随分と羨ましい話だね。」


 元気付ける様に雄座が軽口を吐く。長門石も、雄座に心配をかけない様にしているのか、軽口に笑って答えた。


「そうだろう。あの人を幸せに出来るのは、日本中で僕が一番という自信があるからね。」


 二人がからりと店の引き戸を開けると、店の奥から一人の婦人が顔をひょこりと出した。


「いらっしゃいませ。長門石さんですか?」


 あやめであった。準備をしていたらしく、手拭いで手を拭きながら現れた。


「あ、はい。君が多恵子さんの友人かい?妹さんから伺ったよ。」


長門石は帽子を取りながら挨拶し、あやめも応じる。


「はい。倉間あやめと言います。今日は多恵子ちゃんの代わりにお店に立たせてもらいますね。さ、どうぞ。」


 あやめの案内で二人は昨日同様、小上がりに通された。雄座としては、ここに多恵子が隠れていると思ったので、少し、眉間に皺を寄せたが、障子が開くと、既に卓上には食事が並べられており、食欲をそそる香りが広がるだけであった。長門石はあやめに礼を言いながら、小上がりに上がり、コートを脱ぐと、やはり心配だったのか、あやめに尋ねた。


「多恵子さん、大丈夫なのかい?今まで毎日来てたけど、休む事はなかったから。」


 あやめはさも、本当の友人であるかの如く自然に答える。


「大丈夫ですよ。ちょっとした風邪です。でもあの子、真面目でしょう?無理にでも休ませないと、ずっと頑張っちゃうから。私が無理やり休ませた様なものなので、心配しなくても良いですよ。」


 多恵子の友人というあやめから心配ないと聞かされ、見るからに安堵の色を見せる長門石。注がれたお茶を口へ運びつつ、ため息を溢す。


「それでも心配だよ。叶うならお見舞い位は行きたいけどね。」


 そう言う長門石を、あやめは笑いながら宥める。


「ふふ。たいした事ないのにお見舞いなんか行ったら、あの子申し訳なさすぎて逆に落ち込んじゃいますよ。三日ほど休ませますから、どうか心配なさらないで。」


 何とも自然な受け答えである。まるであやめと多恵子は本当に友人の様である。雄座は感心しながら二人の会話を聞いていた。


「私は店番ですけど、お料理は長門石さんのために多恵子が作ったものです。お召し上がりください。ご友人もごゆっくりと。」


 あやめは雄座に一度目線を向けると会釈し、すいっと小上がりを降りた。


「さあ、神宮寺くん。折角のご馳走だ。食おう。」


「ああ。食おう。」


 長門石は、昨日雄座に、多恵子への思いを伝えているせいか、食事の間は多恵子のこんな性格が良い、こんなところが可愛らしい等と、延々話し続けた。雄座はうんうん、と聞いていたが、ふと気になったことを口にした。


「長門石は今の多恵子さんが好きなのかい?」


 長門石は質問の意味が分からぬ様に、ん?と返した。


「いや、多恵子さんが美人だから、好きになったのかな?と気になってね。」


 雄座の問いに、長門石は眉を顰めたが、直ぐに真面目な顔になる。


「なぁ、神宮寺君。君は怪談話や空想話は得意だろう?だから、君だけに言うが、おかしい奴だとは思わないでくれよ。」


 真面目な顔つきで言う長門石に、雄座はうん、と頷く。


「昔、家に女郎蜘蛛の巣があってね。とても綺麗だった。巣も。蜘蛛も。

 いつからかは忘れたが、僕はその蜘蛛が気に入って、よく話しかけていたんだ。今日あったこととか、見た景色とか、勉強の事とか。」


 雄座は静かに聞いていたが、多恵子から聞いた話と同じである事に気付いた。


「辛い事があった時も、蜘蛛に口を溢したりしてね。すると、蜘蛛は、踊る様に巣をくるくる動くんだよ。僕を元気付ける様にね。それを見ると、確かに元気が出てきた。僕もお礼に虫を取って、蜘蛛にあげたんだ。あの頃の一番の友人だったんだよ。まぁ、変な奴だよね。」


 雄座は静かに首を横に振った。


「いや。俺も子供の頃は母の形見の万年筆が心の拠り所だった。何となくわかるよ。」


 長門石はふっと笑うと話を続けた。


「辛い時、悲しい時、あの蜘蛛に話す事で、救われてきた。まあ、今思えば、声に出して話す事で心が安らいだんだろうね。そんな幼い頃からの安らぎを、多恵子さんに感じたんだ。」


 ほう、と声を漏らす雄座。ふと視界に動く黒いものが目に入る。長門石の背を向ける壁の上に、一匹の小さな女郎蜘蛛がいた。多恵子も聞いているのだな。雄座はそう思った。


「では多恵子さんはその時の蜘蛛だと?」


 雄座の問いに長門石は笑う。


「おいおい。失礼な事を言うなよ。そう言う意味ではなくて、癒してくれる存在、救ってくれる存在…なのかな。多恵子さんと話していると、あの頃と同じ様に心が安らぐんだ。だから好きになったんだよ。見た目が違っても、好きになってたよ。」


 ふと雄座は視線をあげる。絡新婦も聞いていたのだろうか。ただ、動く事なくじっとしている。だが、多恵子も長門石も、同じく知り合い、互いに好意を持つ。人と妖怪であっても、分かり合えると言うことが、嬉しかった。


「もし、昔の怪談のように、多恵子さんが実はその蜘蛛で、長門石の事を好いて人になったのであれば面白いかもな。」


 そう言う雄座に長門石は笑みを消し、真面目な顔つきで言う。


「それでも構わないさ。多恵子さんがもし、蜘蛛だったとしても、僕が多恵子さんを想う気持ちは変わらないさ。だって、蜘蛛であれ、人であれ、今、こうして僕のために料理を用意してくれている多恵子さんが居るんだから。」


 最後に、また長門石に笑みが戻る。


「神宮寺君らしい発想だね。怪談に繋げるなんて。でも、どんな姿の多恵子さんでも、きっと今と同じく、好きになる自信はあるよ。」


 土間の陰から聞いていた月丸とあやめも、長門石の言葉に自然と笑みが溢れた。



 やがて時計が一時を過ぎる頃、雄座と長門石は店を後にした。二人が店を出て暫くすると、雄座が一人、戻ってきた。


「長門石さん。良い人ですね。」


 戻った雄座にあやめが言う。


「ああ。」


 そう言いながら、雄座は先程までいた小上がりに上がる。しくしくと嗚咽が聞こえて来る。


「良かったな。多恵子さん。蜘蛛だろうが、人だろうが、長門石あいつは貴女が好きなんだそうだ。」


 部屋を見回しながら雄座は言う。嗚咽は聞こえるが、絡新婦の姿はない。しかし、声は返ってきた。


「はい…はい…聞いておりました。あの人も私と同じ気持ちだと聞いて…嬉しくて、嬉しくて…。」


 雄座は、うん、と頷くと、再び土間に降りた。


「さぁ、雄座さん。お片付け、手伝ってくださいね。今は多恵子ちゃんをそっとしておいてあげたいから。」


 袖を止めながら、あやめがにこりと笑った。


「ああ。手伝おう。」


 そう言う雄座の側に、いつの間にか月丸が立っている。


「俺も手伝おう。」


 そう言う月丸をあやめが止めた。


「月ちゃんはいいです。綺麗な服が汚れちゃいます。お姉ちゃんと雄座さんに任せて、座っていてください。」


 そう言いながら月丸の肩を押して、板前の椅子に座らせた。



 こうして、一日目が過ぎ、二日目、三日目とも、あやめが店に立ち何事もなく過ぎていった。


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